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シーン4-2 敵

 北栄はいずみがいよいよ険しい目で見つめてくるのにも全く動じず、いかにも今思い出したかのように「そうそう……」と言って話題を変えた。


「何か? 北栄先生」

「いえいえ、実は最近知り合いからちょっとした薬をもらったんですけれどね……」

「薬?」

「ええ、座間先生にも見てもらおうと思いまして……」


 いずみが怪訝そうに問い返すと北栄は懐から綺麗に包装された粉薬を取り出し、それを見た瞬間、いずみの表情が変わる。


(まさか……? いや、しかし、そんなはずはない……。他にも似たような見た目の薬などいくらでもある……だが……)


 頭に思い浮かんだ考えをいずみは否定しようとしたが、いずみの直感は頑としてそうなのだと告げて譲らなかった。


「北栄……先生……?」

「おや、どうかしましたか座間先生。顔色が悪いようですが……」


 北栄は怪訝そうな表情を形作っているが、その瞳の奥に底意地の悪い嫌なモノが宿っているのをいずみは見逃さなかった。

 辛うじて平静を取り戻すと、真っ直ぐに北栄のことを見つめながら次に言うべき言葉を口から発する。


「これは失礼……それで、この薬はどういう……?」

「ええ、何でもレジステアとかいう新しい抗生物質の一種だそうで、インフルエンザ等の病気に対する効能が期待されているそうですよ」


 北栄は滑らかな口調でそう説明するが、いずみには北栄が出鱈目を言っているのがすぐに分かる。電話先の知人も「レジステアの効能が今ひとつはっきりしないので悩ましい」と以前にぼやいていたし、何よりもいずみの身近には優希という「患者」がいるのだ。優希の身に起きたこと、そして優希の置かれている今の状況を考えると、レジステアがただの抗生物質だとはいずみにはとても思えない。

 そして何よりも、どうやって北栄がレジステアを入手したのか、それが問題だった。

 話を額面通り受け取るならば、北栄も製薬会社に友人がおりその伝手で……ということになるのだが、そんな都合のいい話があるだろうか。

 それに知人の話ではレジステアの存在は社外秘であり、いずみが優希のための薬を入手するのにも一々多額の金を用意しなければならなかった。

 そのようないわく付きの貴重品をいかに仕事の同僚、いかに保健室を預かる養護教諭が相手とはいえ、こうも簡単に人目にさらすなどいずみには到底信じられない。


 善意でやれる行為ではない。同情であっても、下心であっても、北栄のような行動は取らないだろう。だとしたら、その根底にあるものは何か?


 そこまで考えて、いずみはようやく北栄という男の本性を僅かだが理解した。

 北栄にとっては、世の中の全ての人間が取るに足らない存在なのだ。生徒の動向に無関心なのも道理である。全ての人間を最初から見下している人間が、その日の生徒がどうだったか、などという些事に気を奪われるはずもない。初めから対等だと見なしていない人間に、どのような貴重品を見せようと心配する必要もない。逆らう人間を力で従わせるなど造作もないのだから。

 いずみは目の前の北栄から目を逸らしそうになってしまうのを、ありったけの精神力を用いてこらえる。それまで何事にも無気力無関心なダメ教師のように見えていたはずの北栄が、急に奥底の知れない不気味な存在のように思えてきたのだ。

 当の北栄本人は、何をするでもなく黙っていずみの様子を見つめている。その目の奥底に宿っている意地の悪い嫌なモノも変わらずに。


「……それでその薬がどうかしたのかな?」


 必死に自分を励ましながら、いずみはどうにかいつもの調子で北栄に問う。いつもの調子で大丈夫だろうかという気持ちもあったが、急に口調を変えて相手に媚びるよりもマシだろうと考えたのだ。

 しかし、それを聞いた北栄はいずみの態度をさして気にする風でもなくあっさりとこう言った。


「いえ、こういうものを私が持っていましても何の役にも立ちませんし、ここはひとつ、座間先生にお譲りしようかと思いまして」

「……なんだと……?」

「だから、あなたにこの薬を差し上げると言ったんですよ、座間先生」


  一瞬、言葉の意味が分からずに素で聞き返したいずみに対し、北栄はいずみの混乱ぶりをあざ笑うかのようにおどけた口調で言った。


「……良いのか? こんな貴重な……いや、折角友人から頂いた薬なのだろう?」

「良いんですよ。薬なんてものは使ってなんぼです。座間先生ならきっと何かの役に立ててくださると信じていますしね」

「……それはどうも……」


 しどろもどろな質問に対して北栄は陽気な声でいずみのことを持ち上げ、それに対し一応礼を述べてからいずみは北栄の持ってきたレジステアを手に取る。

 全部で五包。今まで優希に提供してきた一週間分の量には足りないし、このレジステアがこれまでと全く同じ成分なのかも分からないが、この際、背に腹は代えられない。


「……わかった、この薬は大切に使わせていただくよ、北栄先生」

「座間先生ならそう仰ってくれると思っていました」


 いずみが決心して受け取ることに同意すると、北栄はそこで初めて満足げな表情を浮かべて喜びを述べる。北栄が保健室に来た目的は最初からレジステアをいずみに横流しするためだったのだ。今のいずみにはそれが分かる。

 そして、そんなことをする以上、北栄は優希の事情についていずみと同じか、あるいはそれ以上に理解していることになる。


(こいつは……私に……優希にとって危険な存在だ……!)


 いずみはそう確信する。今回こそいずみにとって有益な行動を取ってくれたが、次もそうなるとは思えない。相手は自分以外の全てを見下しているかも知れない存在なのだ。

 いずみは念のために北栄に聞いた。


「……何かお返しを考えねばな……」

「それには及びません。大は小を兼ねることは出来ても、小は大を兼ねることは出来ませんからね」

「……それは失礼した」


 北栄は失礼極まりない言葉をにこやかに告げ、いずみは仏頂面でそれに応じる。北栄が言いたいのは、要するに自分がお前のレベルに合わせてやっているだけだから、お前が自分の要望に合わせるなど不可能だということである。


(最後の最後で本性を見せたな……北栄一郎……)


 そんなことを思ういずみ。最後まで隠し通すことも北栄にはできただろうが、それでもあえて遠回しに罵倒してきたのは曲がりなりにも自分の正体の一端に達したいずみに対する「ご褒美」なのだろう。相当に歪んではいるが。

 そんないずみのことをもう用は済んだとばかりに退屈そうな目で眺めつつ、北栄は軽く両肩を回して座っていた椅子から立ち上がる。


「もう行くのか、北栄先生」

「そろそろ次の授業になりますのでね」

「随分仕事熱心なことだな」

「なに、これも生徒たちの未来のためですよ」


 いずみの発した皮肉に上辺だけ真面目な答えを返して、北栄は保健室から退出しようとする。

 いずみはそれを止めようとはしなかったが、もう一言だけ添えた。


「北栄先生、あなたのクラスでいじめが起きていると訴える生徒が多いのだがな……担任としてどう思う?」


 その言葉に北栄は立ち止まったが、いずみの方を振り向こうとはしない。しばらくの沈黙の後、簡潔に答えを述べた。


「問題はありませんよ、何も」

「問題はない、か」

「あれはいじめではなく、ちょっとした耐久テストですよ、『彼』のね」

「耐久テストか……生徒は実験用のモルモットと同じなのか?」

「ご安心ください座間先生。『彼』はようやく見つけた逸材です。安易に死なせたりはしませんよ……安易には死ねないでしょうがね」


 最後の言葉にいずみは答えなかった。難しい顔で黙ったまま椅子を回転させて自分も北栄に背を向ける。


「引き留めて悪かったな、北栄一郎」

「有意義な時間を過ごせましたよ、座間いずみ」

「それは光栄だな……出来れば二度とこの部屋に立ち入らないで欲しいが」

「大丈夫です。こんな窮屈な部屋になどもう来ませんよ」


 お互いに穏やかな口調で言葉を戦わせたあと、北栄は静かに保健室から退出していく。

 一方いずみは振り向かないまま、静かに机の上に置いたレジステアを見つめていた。

 本来の効能は何なのか、誰も知らないその薬を。

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