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シーン3-1 記憶

 夕方になり、結局その日の午後の授業が終わるまで保健室で過ごした優希は、北栄にだけ挨拶をして南井たちに気付かれないようにこっそりと下校した。

 幸いなことに南井たちは午後の授業が終わると同時に連れ立ってどこかへ行ってしまったらしく不在であった。優希の経験上、南井たちが下校途中に待ち伏せするということはまずなかった。大方、街中に遊びにでも出かけたのだろう。

 そして、誰にも邪魔されることなく住んでいるアパートに戻ってきた優希はそっとドアの鍵を開けて中へと入り、すぐにガチャリと鍵を閉める。



 優希の帰宅を出迎える人はいない。両親は優希が小学生の時に交通事故で亡くなっている。

 家族三人で春休みの旅行に出かけた帰り道に、ツアーバスの横転事故に巻き込まれたのだ。バスの車体は優希たちの車を押しつぶし、運転席の父親と助手席にいた母親はほとんど即死であった。ただ、後部座席にいた優希だけが重傷を負いながらも奇跡的に助かったのである。

 親戚をはじめ事故を知る人々は、今でも口々に「折角助かった命を無駄にしてはいけないよ」と語るが、肝心の優希本人はその言葉に虚しさを覚えていた。


(僕もあの時、父さんや母さんと一緒に天国へ行けたらよかったのに……)


 優希は制服姿のままベッドの上に寝転がってそんなことを考える。

 両親が亡くなった後、優希は親戚の家をたらい回しにされた。特にひどい扱いをされたわけではなく、それどころか協力して高校に入るまでは面倒を見てくれた親戚一同には感謝すらしているが、唐突に両親を失ってしまった悲しみはそんなに簡単に癒えるものでもなかった。

 「あの日」の出来事が起こるまでは、優希の見る夢はほとんどが両親に関わる夢であった。それほどまでに優希は両親のことを慕っていた。

 母親は常日頃から優希を優しく支えてくれていたし、父親は仕事で家を空けがちであったが何度も優希に生きていくための教えを示してくれた。

 例えば、優希があやめに告げた「人には手を上げない」というのは、元々は活動的でやんちゃな子供であった優希に父親が戒めの為に語った言葉である。

 また、優希の父親はそれとは別にこんな言葉も残している。


「どんなに辛いことがあっても、優しさを捨ててはダメだ。むしろ辛い時ほど人に優しくするんだ。その思いが届く相手は必ずいる」


 偶然にも今日いずみが語った言葉とよく似ていて、こうやって優希が久しぶりに両親のことを思い出しているのはそのせいかもしれない。


(いずみ先生と出会っていなかったら、僕はどうなっていただろう……?)


 いずみは優希が人生で初めて出会った「恩師」であり「恩人」である。それは単にいじめに遭っていたところを救ってくれたから、密かに憧れていた教師であったからというだけではない。

 忘れようにも忘れられない、忌々しい記憶に満ちた「あの日」。たまたま道を通りかかったいずみによって優希は再び救われた。そして、生きていることへの絶望に沈む優希に有無を言わせぬ強い口調で言い放ったのだ。


「諦めるな! 生きろ! 命ある限り生き続けるんだ! お前はこうして生きているじゃないか! 生きているんだ! 歩生!」


 懸命な看病で疲労困憊であったはずのいずみはしかし、残された力を振り絞るかのように優希を叱り、横っ面を強烈にひっぱたいた。

 いずみ渾身の叱咤激励に、優希は絶望から舞い戻る。今一度生きる気力を取り戻したのである。

 あの時いずみがいなければ、あの言葉がなかったとしたら、優希は自らの手で両親の後を追っていたかも知れない。


(そういえば、あの時はまだ歩生って呼ばれていたんだっけ……もっとも、僕は僕でいずみ先生のことを座間先生って畏まって呼んでいたけれど)


 そんなことを思い出し、優希は小さく笑う。優希といずみがお互いを「いずみ先生」「優希」と呼びあうようになったのは、何時からのことだっただろうか。

 と、そこで優希は汚れた制服を洗わなければならないことを思い出し、慌ててベッドから降り、着ていた制服からいずみからもらった飲み薬を取り出すと急いで脱ぎ捨てて部屋着に着替え、洗濯機に制服とそれまで使っていた布団カバーを放り込んだ。



 制服と布団カバーの洗濯を終えた優希は、新しい布団カバーをセットすると再びベッドの上で横になった。

 時刻は既に二十時を過ぎている。本来ならとっくに夕食を澄ませて然るべき時間であったが、優希は今ひとつ食欲が湧かなかった。

 冷蔵庫に入っていた朝食の残りは明日の朝まで持ち越すことにして、ぼんやりとラジオの放送に耳を傾けながら、今日のことを思いだす。


「どうしてあいつらと戦おうとしないのよ?」


 思い出されるのはあやめの言葉だった。いじめが始まった入学直後から今に至るまで、あやめには数えきれないほどの回数いじめから助けられてきた。それだけに、あやめはいずみとは別の意味合いで大切な恩人と言える存在であるのだが、あやめはいずみと違って優希の事情を知らない。

 何故、優希が戦わないのか、南井たちに手を振り上げないのか、無抵抗なのか、それらの意味するところをあやめは全く知らないのだ。

 だが、その事情をあやめに話す訳にもいかない。いずみにも「無駄に関係者を増やすのは得策ではない」と口止めをされている。優希自身、なるべくなら他人に自分の「秘密」を話したくはないと思っていた。しかし、それでも後ろめたさというものは心に残る。

 あやめに、自分の恩人に、何も話さないままで良いのだろうか?


(……良いはずがない……けど、言えるはずがない……信じてくれるはずがない……)


 優希は心の中で自分に言い聞かす。そう、話したとしても言葉だけでは信じてはくれないだろう。証拠を見せれば手っ取り早いが、あやめにそれを見せてしまえば、きっとあやめは自分を拒絶するに違いない。


 そう、「化け物だ」と。


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