プロローグ
『まもなく、終点、アズライト駅です。お忘れ物のないよう、お支度ください。今日も新幹線をご利用くださいまして、ありがとうごうざいました。』
車内アナウンスが終わると、乗客は一斉に動きだす。
となりで携帯をいじる友人に声をかける青年。
天井の収納スペースから、持ち物を取り出す女性。
到着後、すぐに出られるように扉の前まで移動する大人。
そして、そんな周りの空気を感じた、眠る少女が目を覚ます。
窓際に小さくくるまった体を起こし、背筋を伸ばす。
「……うぅ、寝心地が悪い。首が痛い。暖房は効きすぎ。少し汗かいちゃった」
最悪な気分が湧きあがり、寝直したい気持ちもあるが、寝そべることができないので諦める。
眠っている間に盗られないよう、お腹に抱えたショルダーバッグを開けて、持ち物を確認する。
「財布と携帯電話、バッテリーでしょ。化粧品と手鏡、ティッシュ、ハンカチもある。念の為の保険証もある。うん、大丈夫!」
少女はバックからハンカチを取り出し、汗を拭う。
今度からはもう少し薄着にしよう。そう思い、騒がしくなった周りを見る。
状況からするに、まもなく目的の駅の到着を察する。
すると少女の顔は、眠気ある顔から一転して、笑顔になる。
ついに、ついに来たんだ。
ふと、今が何時なのか気になり、窓の外を見る。
「暗い。夜、じゃないよね……」
おそらく地下に入ってしまったのだろう。残念ながら、ざっくりとした時間帯がつかめない。
視点をずらして、窓に映る自分の姿をみる。
首元までのばしたボブカットの金髪。前髪からアーモンドのような目つきから金色の瞳を覗かせる。鼻と口は小さいが、顔の輪郭が元々小顔なので、少女にとってはベストなパーツ配分である。
見慣れたものだ。腕枕で右頬が赤くなっていることをのぞけば。
「あ、服にシワできてないかな?」
窓から離れ、自分の衣服に目をやる。
白のシャツからパステルブルーのコートを羽織り、青のデニムパンツを履いて、綺麗な足をスリムにみせる。
ハイヒールは似合わないと思い、ブラウンカラーのブーツを履いた。
うん。今日の私は決まってる。
そう心の中で呟き、手に握ったハンカチをしまって、代わりにバックからスマートフォンを取り出す。
画面に現れたのは、茶色の太っちょ猫。首輪に飾られたネームプレートには、その子熊のような風貌からか「ミーシャ」と書かれている。
ベットで寝ている姿が愛らしく。ずっと見ていたい気もするが、少女はそれよりもミーシャの上にある、時計を確認する。
「八時五十分。あとちょっとで着くかな」
予想していた時間に間に合いそうで、安心する。
手に持ったスマホが揺れる。見てみれば、カレンダーアプリから通知がきた。
カレンダーを開いて、今日の日付を見る。
『夢にまで見た大都市の日帰り旅行。目的、高校生活にむけて必要もの。筆記用具と参考書の購入。別で洋服も買おう』
「私が書いて、なんだけど……」
筆記用具と参考書なんて、近くの店で買えそうなものを、わざわざ大都市に行く理由にしたのは「馬鹿だなー」とは思う。
ならば、なぜ大都市を行くのか?
それはメモの最後に書かれている「洋服を買う」ことが、本命だからだ。
カレンダーを閉じて、ネットからお気に入りの公式サイトを開き、ずらりと表示された洋服の写真を眺める。
「今日のお知らせは、ファッション雑誌『パール』の四月号の販売開始。そして、有名デザイナーが海外から帰国、本店であえるかも、か。会えるかな……」
少女が大都市に向かう理由、有名洋服店「パール」の本店に赴くこと。
(服が好きでわざわざ大都市に? だとか。近くの服屋さんで買うことをオススメします、などと両親に言われちゃったけど。わかってない! それじゃあ意味ないの!)
少女は両腕を天井に広げて、怒りを表す。が、周りがこちら見ていることに気づき、咄嗟に両腕を下げる。
恐らく、急に腕を上げたことに驚いている。
顔を赤く染める少女は、「あっ!」と小さな声をあげた。
「そういえば、パパとママに連絡しないと」
「すっかり忘れてた」と呟き、SMSアプリを開く。
さっきまで恥じらいを忘れ、少しばかり焦りが生まれる。
実はこれをしなければ、非常にやばい。
友人を連れてきてる雰囲気もなければ、保護者と同伴してない中学生が一人で遠出など、両親が許すはずもなかった。
しかし、根気強く説得した結果、身の安全を確認するために定期的な報告をすれば、一人で行ってもかまわない。という条件を得た。
早速メッセージを送る。
『無事にアズライト駅に着きました』
短い文章で安否確認を伝える。すると分も経たない内に、返信が送られる。
『安心しました。列車の中に忘れ物しちゃダメよ、シャーリー』
シャーリー。母から与えられ、名前。
『お金の使い過ぎには注意しなさい。迷子にはならないように。連絡が必ずとれるように電話だけは意識して持ち歩きなさい。ノア』
ノア。父から受け継いだ、姓。
両親から授かり、結び合って、シャーリー・ノア。
それが少女の名前。
『了解です!』
シャーリーの応答と同時に、車内に再びアナウンスが流れる。
乗客の人達はぞろぞろと出口に向かう。
スマートフォンをバックにしまい込み、新幹線を降りる。
『ご乗車ありがとうございます。お忘れ……』『当列車はまもなく……』『九時五分。二番線の列車が発進します。ご注意……』
構内アナウンスが鳴り響く地下駅。
開いた扉からひんやりとした空気が流れ込み、車内での眠気が抜けて気が引き締まる。もうすっかり春になったが、マフラーや手袋を手放せない人達の光景は冬の名残りを感じる。
一斉にタイルを蹴る音が地下鉄に響く。
他の人達と比べて、ちょこんとした低い身長が目立つシャーリーも、流されるように階段を登る。長い通路を進んで辿り着いた先は、ドーム状に開けたアズライト駅ホール。
ガラス張りの天井から差し込む光が駅中を照らし、冬の空気に震える体を温かく包み込む。
人の往来は激しく、その中には道案内するロボットが紛れ込んでいたり。空中に浮かぶモニターが、壁際に並ぶ店のメニューや広告を流している。
その近未来を感じさせる空間に、シャーリーは目を見開く。
「テレビで見た光景と全然違う。とても、素敵……」
思わず漏れ出した感想。
足を止めて、くるりと回って辺りを見渡す。
「今まで来ることがなくて、テレビやネットでしか見たことなかったけど。うん。来てよかった。」
そんな独り言を呟きながら、笑顔で改札口を目指そうとした時だ。
ニャァ……。
「ん?」と眉をひそめ、思わず立ち止まる。その聞いたことのある、否その声に近しいものを知っている彼女は、聞き耳をたてる。こんなにも人が多く密集しているのに、思いのほか静かである。
それはかなりの数が、素早く行動して目的地に向かっていってるからだ。
辺りを見渡し、先程の声がした方を向いてみる。すると、壁際の隅っこで陰りが見える場所を見つめる。
行列が見える店舗が多い中で、シャッターの閉じたあそこは一際目立つ。そのお陰か、「閉店」と書かれた紙が貼られた下に、ダンボールからこちらを見つめる小さな子猫を見つけた。
「……嘘」
シャーリーは思わず、子猫の方へ歩み寄る。
子猫の前でしゃがみ込み、同じ黄色の瞳を合わせる。
「どうしたの?」
指を鼻先に持って来れば、可愛い鼻をぴくぴくと動かせながら匂いを嗅ぐ。
黒く柔い毛にそっと触れれば、甘えたがるように頭を押し付けてくる。そんな仕草を眺めながら。ふと、シャーリーはあることに気づく。
目の前の黒猫に慣れた手つきで相手しながら、黒猫を持ち上げる。今度はこちらの番というかのように、黒猫の匂いを嗅いでみる。
「触って思ったけど、野良にしては毛がふわふわしてる。それに、ほのかに香水の匂いがする」
野良の場合、毛づくろいや汚れで固まることがある。
しかしこの猫の場合、明らかに手入れをされた跡がある。
それと匂いだが、直接香水をふりかけたものではない。長いこと部屋にいて染み付いた、生活臭のようなものだが、花の香りからするに飼い主は女性だとわかる。
「……捨てられたの?」
飼い猫を捨てる、なんて珍しいことではない。飼えなくなった理由が出来てしまい、こうせざるを得なかったのだから。
ニャァ、と質問に応じたような鳴き声に、思い詰めた顔をする。
ニャァ……。
「ちょっとここで待っててね」
もう一度鳴いたことで、彼女は黒猫に笑った表情をみせる。
シャーリーは黒猫をダンボールに戻し、辺りを見渡す。
「こんなに人がいるのに、この子のことには気がついていないのかな。あ、コンビニ」
求めていた場所を見つけて、急いで立ち寄る。
目的の物を購入し、黒猫の元へ戻る。
「じゃん! 子猫用離乳食缶と。ミルクは専用のないし、ミネラルウォーターはダメ。なので麦茶! 持ってきたよー」
この子が生後何ヶ月経ったか、まったくわからない。なので、目測での判断するしかなかった。
シャーリーは缶詰を開けて、猫の前に置く。これで食べなければ、麦茶を与えるしかない。
黒猫は缶詰に近づき、匂いを嗅ぐ。
ペースト状にされたエサに舌を入れて、舐めてみる。
次の瞬間、缶詰に顔つっこむ。
「おぉ! お腹減ってたんだね。うん、とお食べ。」
その小さな乳歯でがつがつと豪快食らいつく様に、シャーリーは笑顔になる。
やがてエサをペロリと平らげると、黒猫は自らダンボールから飛び出て、シャーリーの足元を動き回る。
それを見て、懐いてくれたことと信頼を得たことに、黒猫を抱き上げて、「決めた!」と一言。
「今日から私が君を飼ってあげる。名前はカーチャ! どお、気に入った?」
ニャァ……。
「気に入った、でいいのかな? うん、よろしくね。カーチャ!」
一人と一匹の旅。
それも悪くない。そう思いながら、カーチャを腕に抱く。
もう片方の手でダンボールと空き缶を回収する。
筒状の形をしたお掃除ロボットに近いて、「缶詰とダンボール回収してくれる?」と訪ねてみれば、フタと思わしき頭を開いた。
ここに入れろということか、ダストボックスにゴミを入れて機械の声で「ありがとうございます」と言い、お掃除ロボットはその場を去っていった。
シャーリーはそれを見送りながら、改札口を目指す。
「人でも、ロボットでも、気づいてあげられなかったのかな……」
ニャァ……。
「大丈夫だよ。私はちゃんと気づいてあげるから。お前は一人じゃないよ」
腕の中のカーチャを指で遊びながら、改札口に辿り着く。
改札機。膝ほどの高さ、拳一つ分ほどの薄さの黒いボードが、いくつも横に並ぶ。
改札口には切符を入れる口がなく、代わりに電子マネーをかざすマークがある。
「最近じゃ、環境運動のせいで切符に生じる紙をできるだけ削減する方針になったんだっけ……」
なので、切符はもはや使われてないどころか、生産も怪しいところ。田舎であれば、探せばあるかもしれないが、難しいだろう。
どこか空いている改札機の見渡し、一つ空いた場所を発見。いざ行こうとし途端。
そこに––––。
「邪魔……」
「あ、すいません!」
突然、後ろから男がぶつかってきた。
携帯をいじりながらこちらを見ようとせず、野太い声で罵る。
シャーリーはすぐに謝罪するも、男は振り返ろうとはせず、通りすぎる。
帽子を深くまで被っていた為、顔はよく見えなかったが服装は記憶した。
革ジャンに黒のジーンズ。特徴的なのは『Z』の文字が入ったデザインの白い靴。
「……あとで覚えとけよ〜」
シャーリーは、ぶつかってきた男に向けて、相手に聞こえないほどの小さな恨み言葉をつぶやく。
「次見かけた時は、こちらからぶつかってやる」
ニャァ……。
「カーチャはそう思う? 前を見ずにぶつかっておいて、あの言い方するんだもん」
黒猫は彼女の質問を肯定するように、また鳴き声をあげる。シャーリーはカーチャとのやりとりが楽しく思うと、先程の出来事を忘れるようにする。
折角、ここに来たのだから楽しまないと。そう心の中で呟いて、バックからスマホをとりだす。
それを改札機にかざす。
『認証コードを確認。読みこんでおります』
…………。
『認証コード[001]を読み取りました。どうぞお通り下さい』
シャーリーは改札口を抜けると、そっと耳を澄ませる。周りはスマホを改札機にかざすと、「どうぞお通り下さい」だけで済む。
苦しそうに喉を鳴らす存在に気がつくと、無意識に腕に力をいれてたことに「ごめん、ごめん」と謝りながら、外の光が差しこむ出口に向かった。
耳から入ってきたのは、人の話し声。アスファルトを蹴る靴音。車のクラクション。
静かだった駅内とはちがい、未知への冒険の始まりを感じさせる、都市の曲。
いざ、外に出る。
「おおおぉ……!」
思わず、私は小さな声がもれでる。
外の世界に見えるは、色鮮やかに光るネオンサインや電光看板を飾る、高層ビル群。スクランブル交差点を横断する人々。振り返れば、駅の出入り口上に大型ディスプレイが設置され、映画の告知やテレビ番組が流れていた。
近未来都市とは聞かさせていたが、見てみればとても近代的な景色だ。凝り固まった形に捉われない独特の雰囲気は、まるで度変わり訪れるアーティストやストリートミュージシャンがこの場に集まっては、好き放題に自分の個性を表現している。つまりは、新しさを感じさせる若者のそれに近い。
圧倒されて開いた口が塞がらない。
そう、惚けていた時にだ。突然、広場に響き渡るほどの声が意識を戻させる。
それは先程のディスプレイからだ。
『ようこそ! 皆さま、都市“ル・ベイロン”へ』
画面には綺麗な女性が映しされる。
楽しそうな笑顔と、耳触りの良い明るい声で続ける。
『ここは、ル・ベイロン市の二つある繁華街のなかで、最高の音楽と映画と科学技術を発展させたブロードウェイで有名な、アズライト区です』
「確か、この都市にはあと十二の区域あったんだっけ。ここは八番区のアズライトか……」
と、シャーリーがぼやいていると。
画面の向こうにいる女性は、くわっと目を見開き、熱く語る。
『未来へ近づく、世界の技術がこの都市に詰まっている。ぜひ、触れて、見て、聞いてほしい。それがきっかけとなり、君は変わる!』
ははは、そこまでいいますか。
大袈裟で過大評価のしすぎでは? などと思いたいが、思えない。だってこんなに、心がわくわくしているのだから。
『今日は晴れ晴れとしたいい天気ですね。途中雨が降りそうですが、それは気にしない。そんなことより音楽の時間になりました。今回流しますは、世界的アイドルバンド、アクセルより“シャイン”。明るい曲とキレッキレな踊り、キャピキャピハートでアクセルを知らない人のハートを鷲掴みにします。今日発売されるので、CD買って下さいねー!』
『以上。ゲスト、アクセルのリーダー。チョコステラさんでした』
「バーイ」と言い残して、チョコステラは姿を消す。
番組の司会者の言葉で幕を閉じると、テレビは場面を変えて、曲を奏でる女達が現れる。
ニャァ……。
「ん? あ、ごめんね。そうだよね、折角来たのに立ち止まってる場合じゃないよね。えと、最初の行き先は、六番区の中央通り。方角は北東だから、こっちの道だね。近いから、歩いて行こうか」
ニャァ……。
子猫の返答に、私は流れる曲に合わせて足を進ませる。
「それじゃあ、行ってみよう!」