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武士と遊女

作者: 神父二号

「あっ、河原で何かやってる」


相方の女があげた声につられ、俺は河原に目をやった。

大勢の野次馬が遠巻きに見守る中、砂利の上に舞台が作られている。

派手な装いの楽人達が、演奏の用意をしていた。


「あれは慰撫の舞いだ」

「慰撫?何でさ」

「落ちるからやめろ」


橋の欄干から大きく身を乗り出した相方を引き戻す。

楽人の中に一人、純白の衣をまとった女人がいた。

おそらく舞い手を務める遊女だろう。

三条で慰撫を舞うとなれば、相応に高名なはずだ。


「先日処刑があった。三条河原には、まだ怨霊が残ってる」

「へぇー、そうなの」


頭に巻いた手ぬぐいを不自然にぴょこつかせ、相方が相槌を打った。


「…六条の河原でもやってくれればいいのに」

「三条は六条とは違う。公家の屋敷も多い」

「あっそ、露骨で結構なこと」


相方は欄干に頬杖をつき、面白くなさそうに頬を膨らませている。

慰撫が出来る連中を雇うのは、銭がいる。

六条で処刑がある度に雇えば、内裏は素寒貧だ。

そのまま二人で少し眺めていると、楽の音色が聞こえ始めた。


「ぷぷ、下手くそな舞い。二流ね、あれは」


相方がおかしそうに笑うも、俺には舞の上手下手は分からない。

遠目で見る限りは、十分上手いように見えた。


「なんだ、慰撫の舞いにケチつけるほどかお前」

「ケチつけるほどですよ?あんたには見せたことないけど」


興味が失せたように河原から目を離し、相方はまた歩き始めた。

からからと橋を打ち鳴らす下駄の音が心地よい。

普段と違う花浅葱の着物は少し裾が短く、白いふくらはぎが時折ちらついていた。

頭の手ぬぐいさえ無ければ、振り返る仕草一つで銭が取れそうだ。


「ほら、案内の続き続き」

「急ぐなよ、こけるぞ」

「じゃあ腕貸して」


止める間もなく腕に抱きつかれ、衣の下の感触が伝わってきた。

さすがに昼日中にする行為ではない。

同僚に見られでもしたらと思うと、冷や汗が出る。


「ふふふ、六波羅の武士さまは好き者だねぇ…」

「おい、みっともないから離れろ馬鹿」

「えー、どうしましょうか」


身体をひねっても揺すっても、全然離れようとしない。

突き飛ばすわけにもいかず、俺は結局そのまま歩き始めた。

頭一つ低い相方がくすくすと笑い、さらに密着を強めてくる。

柔らかい。温かい。顔に血が集まる気がした。


「ねぇ。あたしの舞い姿、見たい?」

「別に」

「残念でした。まだ見せてあげません」

「話聞いてるかお前」

「なんでだと思う?」


気分屋の女の考えなど、分かるわけもない。

黙りこくって歩いていると、前から公家の牛車がやってきた。

漆で絵文様が塗ってある。敬って然るべき相手だった。

俺達は道の端に下がった。


「さっきの答え、分かった?」

「分からん」

「舞いってね、本当はすごく特別なものなの」

「静かに。大人しくしてろ」

「誰にでも見せていいものじゃないのよ。それにね…」


せっかくの非番の日に、厄介ごとは勘弁だ。

手ぬぐいが外れてないことを確かめ、ぶつぶつ呟く相方をしっかりと後ろに隠す。



「一流の遊女はね、そんなに安くないの」



耳元で囁く化け狐の声は、とても得意げだった。



………

……



「まいど」


六条への道すがら、市場に寄って肉と米を買った。

肉は兎の肉だ。狸だと一週間は口を利いてくれない。

贅沢な文句を垂れる顔を思い出しながら、俺は歩いた。

まだ日が高く、通りには多くの人がいる。

一度帰宅して平服に着替えたとはいえ、京人は武士と公家の匂いに敏感だ。

できるだけ目を引かずに動くには、開き直って堂々とした方がいい。


「………」


路地に入って、右、左、右、右と進む。

行き止まりには掌ほどの平石が無造作に五段積まれていた。

その前に跪いて二段目の石を抜き、一番上に置く。

耳を傾けると、後ろから囁くような狐の鳴き声。

合図である。


「―――」


俺は目を瞑って教わった言霊を呟き、息を吸って吐いて、俯いた。

数瞬の後、頭を上げれば。


「あれ?いらっしゃい。旦那様」


いつもの童女が、箒を握りながら出迎えてくれた。

鬱蒼とした竹林の中に佇む、小さな庵の門前であった。


「どうしたの、今日はお勤めじゃないの?」


頭を軽く傾けながら、ぱたぱたと走り寄ってくる。

尼削ぎに揃えられた美しい黒髪の上で垂れる、小さな狐の耳。

着物は動きやすいように膝丈で裾が短く切られ、すねには少し土埃がついていた。

相方の妹だ。


「たまたま早番だ。ほらよ」


俺は土産の小袋を差し出した。

童女は垂れていた耳をぴんと伸ばし、袋の前ですんすんと鼻を動かす。


「香り袋!?」

「ああ、二人きりにしてくれ」

「えへへ…旦那様、好き」


調子の良い童女は一度ぽふんと俺に抱き着き、すぐに門の中へと走っていく。

尻尾がそれは大きく揺れている。

部屋で一人楽しむつもりだろう。

俺も門構えをくぐり、庵の庭へと入った。


いつもの相方が、縁側で暇そうにぷらぷらと足を振っていた。

こちらに気付いた途端、大きな狐の耳がぴょこんと動く。


「ん?あれ、今日はお勤めじゃなかったの?」

「たまたま早番だ」


背丈こそ違えど、驚く様は姉妹そっくりだ。

土産の肉と米を渡すと、嬉しそうに微笑んできた。

瑠璃色の美しい瞳に、背中まで届く長い金髪。

肌は透き通るように白く、藤色の着物がよく映えている。

当然、頭の上には狐の耳。

そして、縁側の板敷をさやさやと擦る二本の尻尾。

"傾国"だのと偉そうに自称する、うら若い化け狐だ。


「あー、仮病したんでしょ。悪い武士さまだ」

「ぬかせ。明日に備えて早番になったんだ」

「何かあるの?」

「行幸の随行だ。明日の昼から。今回は六波羅も参加しろとな」

「ふーん」


少し間を空けて隣に腰かける。

相方は当然のように、ずいと詰めてきた。

肩が擦れ合うほどの距離で、嬉しそうな美貌が見上げてくる。


「じゃあさ、今回は朝までいてくれるの?」

「支度がある。日が昇る前に出るぞ」

「えー、つれないお人…」


袖で顔を隠して、ばればれの泣き真似。

付き合うのも馬鹿らしく、俺は太刀を外して相方の膝に寝転んだ。


「耳掃除」

「はいはい」


相方の摘んだ葉っぱが弾け、耳かきに変化する。

雅な有様の庭を眺めていると、耳孔をほじる優しい感触が芽生え始めた。


「この前は、ありがとね」

「なにが」

「三条周りのお散歩」

「ああ、それか」


欠伸をしつつ応答する。

往来を歩きたいと言われ、手ぬぐいを渡して二人で外に出た件らしい。

一緒に市場へ行き、水あめを食べ、三条まで歩き、引き返して帰ってきた。

はしゃぐ相方を御するのは中々に骨だったが、楽しい非番ではあった。

当然、帰宅直後に相方の妹が膨れ面で叩いてきたが。


「また連れてってよね。次は妹もいっしょに」

「勘弁しろ。俺をくたびれ殺す気か」

「じゃあ、次もあたしだけだ」


くすくすと笑う声に合わせ、耳かきが心地いいところを引っかいてきた。

肩がぽん、ぽんと拍子を取るように優しく叩かれ、さらに脱力が深まる。


「はい、片耳終わり。次は反対ね」

「おう」


膝枕の上で寝返りを打つ。

風情のある景色は見えなくなったが、代わりに落ち着く香りが鼻をくすぐった。

横目に見上げると、着物の胸元を押し上げる、大きな膨らみ。


「ふふ…それにしてもあの舞い、下手くそだったね」

「ん?」

「三条河原の慰撫のこと」


そう言えば散歩の時にそんなことを言っていた。

三条で舞う遊女を、二流だとか何とか。

自分のことを、一流の遊女だとか何とか。


「一流の遊女、な…」

「そうよ?死にかけのあんたを助けた時、そう名乗りました」

「……お前の遊女らしいところ、ついぞ見たことがないが」

「初めての夜、箏曲を聞かせてあげたでしょ?」

「ん、そうだったか」

「真っ赤な顔で『良い音だ』なんて真面目くさってたくせに。あー恥ずかしい」


もう3年も前のことである。

古傷を抉られるのは、歯がゆいものだ。

俺は手を相方の後ろに回し、揺れるふさふさの尻尾を触った。


「きゃんっ、これこれお武士さま」


ぱしんと頭を叩かれ、耳掃除が中断する。

だが、俺は尻尾の芯を握るように柔く力を込めた。

相方が俯き、艶のある吐息が耳元にかかってくる。


「も、もう…夜まで待てないの?」

「ああ、待てんな。一流さんよ」


縁側に、艶やかな声が広がった。



………

……



「ん…」


庭先から微かに狐の鳴き声が聞こえてくる。

夜明け前に、俺は目を覚ました。

相方の目覚ましは、実に便利なものだ。


畳から身を起こし、瞼を擦りながら横を見る。

相方が心地よさそうに寝息を立てていた。

さらさらの金髪が幾筋も肩や胸元にこぼれ、色っぽい。

こうして眺めている限りでは、自称"傾国"に何の異論もない。


「じゃあ…またな」


俺は軽く狐の耳を一撫でし、広げた着物を掛け直してやって、立ち上がった。

両肩を軽く回す。連日の勤めの疲れが、微塵も残っていない。

また、頑張れそうだった。


「ねぇ」

「ん、起こしたか。悪い」

「あたしの舞い姿、見てみたい?」

「…まあ、その内な」

「残念でした。まだまだ見せてあげません」

「お前な、自分から聞いておいて」

「なんでだと思う?」


半身を起こし、長い前髪を耳によけるしぐさの、なんと美しいことか。



「一流の遊女はね、そんなに安くないの」



見上げてくる相方の声は、どこまでも得意げだった。

続きません。

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