第5話 救いの手
カンザ国とダーシィ国との間で、平和補完条約の調印が粛々と進められた。
カンザ国国立図書館の司書イルスも、式典に参加していた。
正直、式典にはまったく興味がない。それよりも気がかりなこともあった。
約3か月前のことである。部屋のドアに乱暴に破られた紙の切れ端がはさまれていた。
誰かのいたずらかと思い、その紙に目をやった。
だが、そんな思いとは裏腹に、鼓動が早くなった。手に取った紙をすぐに丸めて手の中に隠し、周囲を確認した。誰も見ていないことを確認した後、部屋に入りドアの鍵をかけた。
部屋の中でその紙を開く。そこには、記号や数字が並べられた文章。普通の人では読めないが、イルスは読むことが出来た。これは、カンザ国の旧体制、つまり、カンザ国軍が存在していた頃に使われた、軍事用の暗号文であった。
軍が無くなり、10年経つ。
当時の軍人もばらばらになっており、これを読める人間もカンザ国内でも少なくなっていた。
差出人はクリオ。カンザ国騎士団3番隊に所属していた男だ。クリオは幼なじみ。軍が解散されてから10年、会うことはなかった。ただ、カンザ国から離れたという噂は耳にしていた。
そのクリオからの手紙。しかも、暗号文だ。それを瞬時に解読した。そこには一言のみ。
『カグラ博士に気をつけろ』
式典の途中、ローティ王子を見かけた。
幼少期のローティ王子の教育係をしており、青年へと成長した今でも、気軽に声をかけていただける。そして、時々、図書館にも顔を出していただくこともあり、その時には、学問や文学について語った。
ローティ王子は、まっすぐで善悪を理解されている。知識に対するどん欲さがあり、好き嫌いなく飲み込んでいった。与えたものすべてを吸収していく。それは、乾いた土が水を吸うが如くである。学問に限らず、武術についても同じことが言えた。親友であり、元カンザ国騎士団2番隊隊長マザールが、武術面での教育係を担当していた。マザールもローティ王子に対して同じ感想を持っていた。そして、その人望は、長男のロックを凌駕するほどだと噂されていた。
そのローティ王子の様子がおかしかった。
顔色が悪い。そして、その目もどこか焦点が合っていない様にも見える。
「ローティ様、大丈夫ですが?顔色が悪いようですが」
と声をかけた。
「大丈夫だ」とだけ、言葉が返ってきただけであった。だが、その表情は、やはりいつものものとはかけ離れていた。
条約締結に、国は大いに盛り上がった。
ロルク王は、弟のハルク王とともに、日中は国民と笑い、夜はお互いの国の大臣たちと肩を組んで喜んだ。
そのお祭り騒ぎが落ちつきはじめた3日後の夜。
街中はお祭り騒ぎが続いていたが、王城では落ち着きを取り戻しつつあった。
どうも酒を片手に騒ぐということが、昔から苦手であった。
酒が苦手なのもあるのだろう。だが、ここ数か月はお酒の力を借りている。
だが、限界だった。話し相手が欲しかった。
夜遅く、親友を訪ねることにした。
静かになった場内を歩き、カンザ国王城の食堂の扉を開けた。
フロアは灯は落とされ、暗くなっていた。だが、厨房の奥の方は明るかった。奥には人影があった。
「マザールはいるか?」
その声に反応して、丸い顔が出てきた。
「ああ、イルスか。ちょっと待っていろ。コーヒーでいいか?」
と奥に引っ込んだ。しばらくしてから、コーヒーを2つ持って出てきた。
巨躯の男。元カンザ国騎士団2番隊隊長マザール。現在は、カンザ国食堂の料理人であった。軍があったころは、大きなまさかりを担いでいたが、今では、包丁を握る男となっていた。
「相変わらず、まともな時間帯には顔を出さないんだな」
マザールの言葉に苦笑いをする。
「ああ、騒がしいのは苦手だ。なんで、あんなに楽しそうに騒いでいるのか意味がわからない」
「おまえらしいよ」とマザールはコーヒーに口をつけた。
イルスもコーヒーに口をつけ、カップを机に置いた。それを見計らって、マザールが「なにかあったのか?」と聞いてきた。
何も言っていない。だが、胸中を察してくれるマザールに救われた気持ちになる。
「実は……これをどう思う?」と、例の手紙を渡した。
マザールはそれを受け取り、視線を落とした。
「これは?久々に見る暗号文だ」
「クリオを覚えているか?」
「ああ、覚えている。イルスの幼なじみだったな。確か3番隊の男だな。俺の印象は、剣術などは優れてはいないが、仲間からは人気があった。人望の厚い男だ」
「そうだ」
「だが、なんだ、このクリオの手紙は。『カグラ博士に気をつけろ』って」
「3か月前、この手紙が俺の部屋のドアに挟まれていた」
「これが?カンザに戻ってきているのであれば、顔を出せばいいのに」
イルスは首を横に振った。
「翌日、クリオの死体が出てきた。死因は、馬車にはねられたそうだ」
マザールは細い目を見開いた。
「死んだのか?」
「ああ、不自然じゃあないか?」
「そりゃあ、そうだ。手紙をもらった直後だ。だが、それを感じているのは……」
「ああ、私だけだろう」
「他の人間には?」
「言えるわけがない。だが、調べては見た」
「どうだった?」
「正直わかるわけがない。宰相なのだ。しかも、完全平和主義の発案者で、カンザ国を豊かにした立役者だ。悪く言う者なんているわけがない」
「確かにそうだ。カグラ博士に嫉妬している者は多かろうが、王都内で悪口すら言われていないだろうな。言っているとすれば、せいぜい、ダーシィ国との条約締結反対派の連中くらいだろう」
「そう言うことだ。悪口を言う人間すらいない。なのに、クリオの手紙は……」
「カグラ博士に気をつけろ、か」
「そうなんだ。だが、調べているうちに、1つだけ気になることがある」
マザールは、コーヒーに口をつけようとしたところで止めた。
「なんだ?」
「カグラ博士は、なぜか、おひとりで牢獄に行くときがある」
「牢獄?今では、囚人もいないだろうに?」
「そうでもないさ。完全平和主義と言えども、みんな人間なのだ。悪いことをする人間はいるさ」
「そりゃあ、そうだな。だけど、そんな牢獄に何の用事があるんだ?囚人とお話でしに行くのか?」
「わからない。でも、そうかもしれない。カグラ博士は研究熱心で、進歩のためであれば……という所がある。囚人のことを研究されているのかもしれない。これまでの政策だってそうだ。ただ見えている国の問題点だけで判断するのではなく、国民の意思を聞き取りしたうえで、国民の平和と安全を優先したものを優先的に実行されている。今まで、この国に貯水池がいるなんて、誰が考える?カグラ博士くらいだ。私もカグラ博士は尊敬する。だから疑いたくないから調べている」
「そうだな」
「だが……それでも、おひとりで牢獄に行っているというところが心に引っっかる」
「そうか」
マザールは、コーヒーを1口飲んだ。そして、イルスも口に含み、心を落ち着かせる。
しばらく沈黙のあと、イルスが口を開く。
「私は、人望厚いクリオが嘘をつくとも思えない。だから、何が起きても良いように、自分なりに手を打った」
「どんな?」
「実は……」とイルスが言ったところで、マザールは自分の口の前で人差し指を立てた。
マザールが耳をすませている。イルスもそれにならう。
こちらに向かって近づいてくる荒々しい足音。
こんな夜中に……と思った瞬間、食堂の扉がばたんと開いた。
そこには顔面蒼白のローティ王子が立っていた。そして、その胸元は真っ赤に染まっていた。
イルスはその様子に、身体が固まった。
こんな表情のローティ王子を見たことがなかった。そして、その異様な光景に戸惑った。
マザールは、とっさにローティ王子の腕を掴み奥へ引きずり込んだ。そして、イルスごと、厨房の方へと押し込んだ。
ほぼ同時に、食堂の入り口の扉が乱暴に開けられた。
そこには、警備兵が2人立っていた。
その警備兵の奥では、激しい足音に、怒鳴り声も聞こえてきた。
イルスは、蒼白のローティ王子の手を握った。
「ローティ様、いかがなされました?」
このように手を握ったのは、どれくらいぶりだろう。幼いローティ王子が困ったり、泣いたりしていた時、こうやっていつも話を聞いてあげたことを思い出した。
ローティは口を開こうとする。だが、ひどく動揺している。取り乱している。その口からは言葉は出てこず、首を横に振るだけであった。そして、こちらの顔を見るなり、その目から涙があふれ始めた。
イルスは、ローティ王子の言葉を待っていた。が、それほど、ゆっくりとした時間もなかった。
「イルス、ロルク王が殺害されたらしい。容疑者はロルク様だってさ」と、小声のマザールが近づいてきた。
「ロルク王が殺害?嘘でしょう?しかも、ローティ様が……」
イルスはローティ王子の方を見た。ローティ王子はかろうじて「違う…」という言葉だけを言った。そして、その場から逃げ去ろうとしたところ、マザールがその腕を掴んだ。
「何があったかはわかりません。ですが、逃げる理由がおありなのでしょう」と言ってマザールは笑みを浮かべた。
「イルス、逃げるか?」
「マザール、正気か?」
「だが、ローティ様がロルク王を殺害すると思うか?」
マザールがローティ王子の方を見た。それにつられるようにイルスの視線もローティ王子に向けられた。
イルスは、首を横に振った。
「思えません」
「じゃあ、決まりだ」とマザールの目をさらに細くして笑った。
イルスは、胸騒ぎを覚える。
ここ数カ月で、旧友が殺害された。そして、その最後の生を絞り出すかのような手紙。そして、ロルク王の殺害に、ローティ王子。見えないところで何かがうごめいている。そして、その何かが、このカンザ国を飲み込もうとしているような気がする。そして、それに気づいているのは、自分と目の前にいるマザールの2人だけかもしれない。
「マザール。私は司書の仕事が気に入っていたんだぞ。わかっているな。何かあったら、呪ってやるからな?」
「俺と一緒で何があるっていうんだよ」と言いながら、食堂の奥から、食べ物などをかき集め、袋に詰め込んだ。
「マザールと2人で行動して、良い結果が出たためしがない」
「そうか?そんなにろくなもんじゃあなかったか?俺は覚えていない」
「そうですか、私はしっかり覚えていますよ。あの時だって……」
「おいおい、そんな無駄なこと覚えるくらいなら、他のことを頭に入れろよ。俺なんか、自分の都合の悪いことなんて覚えないことにしている」
「そうですか……」とため息をついた。
マザールが、ローティ王子の方へ向いた。
「だが、ローティ王子との3人での思い出はすべて覚えている」
「私もです」とイルスは笑みを浮かべた
マザールは、まとめた荷物をかついだ。
「では、行きましょうか」とイルスは手を伸ばした。
ローティの震える手が、イルスの手を掴んだ
第5話までの登場人物:
<カンザ国>
ロルク王:カンザ国国王。ダーシィ国国王ハルクの兄。
ロック:ロルク王の息子。長男。第1王子。王位継承権1位
ローティ:ロルク王の息子。次男。第2王子
カグラ博士:カンザ国宰相。完全平和主義発案者
イルス:カンザ国国立図書館司書
マザール:カンザ国食堂の料理人。元カンザ国騎士団2番隊隊長
クリオ:元カンザ国騎士団3番隊所属。死亡
リオ:ヤサキ区の農園で働く少年。315部隊隊長。
ミーナ:315部隊
ロイド:315部隊
タクト:315部隊
黒装束5:315部隊
カズゥ:ヤサキ区の農園で働く男。商売の独立を目指す
<ダーシィ国>
ハルク王:ダーシィ国国王。カンザ国国王ロルクの弟。
シェスター:治安維持部隊ヤサキ区所属。班長
<侵入者>
オヤジ:カンザ国にて315部隊にて殺害される。青い石のついたペンダントと暗器を持つ。