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夫の携帯  作者: 真蛸
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 空気が震える感触。続いて夫が低い声で何やら返答する気配。マンションの一室とはいえ、和室とベッドルームは間にリビングを挟んでそれなりに離れているのに、確かに伝わってきた気がした。気のせいではない証拠がすぐに現れた。廊下をそっと――足音を立てないようにしているのが伝わってくる――歩いてきて、ベッドルームの扉が密かに開けられた。部屋には入ってこず、寝息を伺う様子。

 三十秒ほど――に感じられたが、実際にはせいぜい数秒だったかもしれない――で扉は静かに閉められた。廊下を遠ざかり、玄関ドアが開閉する気配が伝わってきた。

 こんな夜中にどこに行くのだろう。あれから毎日気をつけているが、携帯が靴箱に置かれることはなかった。さっきの挙動からすると、寝床の中にまで持ち込んでいたようだ。

 どうしよう。見にいってみるか。

 しかしこれから着替えて、急いで出ていっても、夫の姿はもう見えないかもしれない。

 間に合うかもしれない。しかしこうして迷っているうちにどんどんその可能性は低くなっていく。

 そのとき、「ガチャリ」、再び玄関ドアが開き、すこし間があって、閉じられる音がした。

 もう帰ってきたのか。意を決し、部屋を出て玄関に向かった。

 しかしそこに、期待したもの――夫の姿はなかった。ドアスコープを覗くと、夫の背中が遠ざかっていくところだった。

 ――私が本当に寝ているかどうか試したんだわ。

 玄関を開けて、起きだしてくるかどうかを試した。妻が来ないのを確かめて、改めて出ていったのだ。そこまで用心しなければならないこととは一体なんだろう。大急ぎで寝室に戻りラフな格好に着替えて運動靴を履いて玄関を出た。

 マンションの外廊下にはもういなかった。エレベーターに乗ったのだろう。なるべく足音を立てないように気を遣いながら外階段を駆け下りた。七階から一気に下り、一階の手前でペースを落とし、足音をさらに忍ばせながら、ゆっくりと降り立つ。息が切れ、汗が噴き出したが、その甲斐あってエレベーターがちょうど一階に着いたところのようだった。マンションは開放廊下であるが、エレベーターホールだけは風雪除けのため建物の奥まったところに入っている。物陰に隠れてそっと目だけ覗かせると、夫がエレベーターから出てくるところだった。

 コートに身をくるみ、背中を丸めて歩いていく夫を、充分な距離を置いてつけていく。夫が生活道路から県道に出た。深夜だが、ときどき車が通っていく。そんな中の一台が停車すると、夫はそのドアを開けて素早く乗り込んだ。ドアが閉まると、車はまたごく自然にスッと走り出した。走って県道まで出て車の走り去った方向を見ると、街灯もまばらな寂しい県道を、テールランプが遥か遠ざかっていくところだった。


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