開花
「おはようー。冬はやっぱ好きになれないなぁ。寒い……」
「あ、チハル。おはよう。ほんとチハルは寒いの苦手だね」
いつものようにユウカに挨拶をする。私は自分の席に座り、筆記用具を取り出そうと学校指定の鞄を震えながら開く。
「チハル、今日の地理の小テスト、勉強した?」
「したした。まぁ自信はないけどね」
「確か8割取れてないと再テストだよね。めんどくさいなぁ」
「落ちなきゃいいんだよ落ちなきゃ」
「よく言うよ……」
そこで朝のホームルームの始業チャイムがなった。今日もまた私の日常が始まる。
この世界において、不思議なことというのはたくさんある。例えば、枯れた花に息を吹き掛けると再び咲き誇るようになるとか、頭の中で意志疎通が少しできるとか、指の関節を鳴らすと静電気を起こせるとか。それら一つ一つに大きな革命などを起こす力はないと思う。だけど、たまにとてつもなく強大な力を有した人が生まれることがあるという。そんな人とは会ったことがないし、いても遠い国の方で紛争の発端になっているという知識ぐらいしか私は持っていない。私には不思議な力は宿っていないけど、それを自分の願いのために使うことができたのなら、とても素敵なことなんじゃないかなとか考えている。
「あぁ、テストの結果は次の授業のときに返す。じゃあ今日から歴史に入るからな。歴史の教科書の四ページ開いて」
うーん、結果は芳しくない気がする……。あんなとこ出るなんて聞いてない。
「まずはここだ。今の冬暦が始まった頃のとこやるぞ」
言われて教科書を眺めるとそのときの様子を描いた絵が載っていた。その絵には当時の冷害の様子がとても分かりやすく描かれていた。だが、私はその絵の中で一つ違和感を感じた。左上の方になぜか一輪だけ綺麗に咲いた花が描かれている。
なんだろう。どうしてこんなところに……。
授業は滞りなく進んだが、私にはその花があまりに印象的すぎて、授業に集中することができなかった。
「チハルー。今日の放課後どっか行かない?」
「うーん、今日はちょっと図書室に寄りたい。ごめん、誘ってくれたのに」
「いやいや、全然いいんだけど、図書室なんて珍しいね。でもなんか悩んでるように見えたよ?歴史の授業終わってからずっとしかめっ面だったよ?」
「ほ、ほんと?でも大したことじゃないから大丈夫だよ」
「そうなの?まぁそれならいいんだけど。またね」
「うん、また明日」
鞄を持ってそそくさと教室を出る。図書室のある渡り廊下まで一直線に向かっていく。
ユウカにほんとのこと言ってもよかったんだけど、なんとなく一人で考えたいことだったから黙って来てしまった。歴史のときに見た花があまりに気になってしまったからなんだけど、今思うと別に大したことない気もする。とりあえず一つ今すぐ確認したいことだけ確認しよう。
えーと、確かここらへんが歴史書の置いてある場所だったはず。歴史の授業のときに言っていたことを思い出そう。その時代は今から一千年も前の時だと。その時に全ては始まり、今の冬暦と呼ばれる暦が始まった。確かそんな風に言っていた。
重たい歴史書を机に持っていき、おもむろに分厚いそれを開く。そこには事細かに現在解明されている歴史が書かれていた。そして、教科書にも載っていたあの絵ももちろんあった。
〈不思議な力を宿した少女が愛した花の名前はフィルミナであることが分かっている。冬という冷害を防ぎ続けた少女は、当時愛していた男の願いのためにその力を使い、世の中の流れを変えた。〉
本当に歴史の内容なのかと疑うぐらい、そこに書かれていることはロマンチックに思われた。それが全てであり、それ以上でもそれ以下でもないのだろうが、あまりに突飛な気がした。
「案外世界はおもしろいのかもしれない」
思わずふふっと笑ってしまったそのとき、後ろからぬっと誰かの頭が現れた。
「わわっ!!」
「あぁ、すまない!驚かせてしまった」
びっくりして椅子から転げ落ちそうになった私の腕を掴み、助けてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
「いや、こちらこそすまない。君の読んでいる歴史書に少し興味があってね」
「これ、ですか?」
私は不意に歴史書を再び見て、自分より年上に見える男性にもう一度視線を返す。彼はとても端正な顔立ちをしていた。スーツを着ていたが、なかなかに映える。今まで見たことのない人だから、新任の先生とかだろうか。でもこんな中途半端な時期に新任の先生とか来るのだろうか。あ、それとも異動とか……。
「ん?私の顔に何か付いているかい?」
「あ、いえ、そういうわけではなくて……」
「そうか。ならいいんだが、」
何かまだ言おうとしたところを遮って気になっていたことを訊いてみる。
「あ、あの!どうしてこの歴史書に興味があるんですか?あ、あとあなたは先生なんですか?」
「ははっ、ごもっともな質問だ。よし折角だ。二つとも答えようか」
彼は机の向かいの席に腰を下ろした。
こうして向かい合うと少し緊張する。
「まずは私の素性から話そうか。最近赴任することになった学校図書館司書の者だ。今の司書さんが体調を崩されたらしくてね。私が急遽赴任することになったというわけだ。今日はその引き継ぎにお邪魔させてもらっていた」
そうだったのか。でも、ほとんど図書室なんて来ないから、前の司書さんすら私には分からない。
「また冬休みが入って、明けてからの始業式で紹介を受けると思う。それともう一つの回答だけど、私はそこに描かれているフィルミナという花を今調べている最中でね。たまたまそこに載っていたから思わず近づいて内容を確認しようとなってしまったわけだ。驚かせてほんとすまない」
「いえいえ、そんな別に構いませんが、その花は私も気になってたんです。教えていただけませんか?」
心の隅に引っかかるように感じるフィルミナと呼ばれる花。ただ綺麗だったから、それで気になったとは違うこの花のことをもっと知りたい。
「ほう。君も変わり者かもね」
「か、変わり者ですか」
「別に悪い意味じゃないよ。でもね、フィルミナに興味を示す人は数少なくてね。私にはその白を基調に青紫色が花びらの周りを彩るフィルミナはただの花ではないような気がしたんだけど、君もそうだったりする?」
「私はなんとなく、一目見たときに何か心の隅に引っかかるような気がして……」
「ふむ……私のと似ている。ここで会ったのも何かの縁だ。また会えるかい」
「どこか行きはるんですか?」
「そろそろ別の用事の時間でね」
「そ、そうなんですか。いいですよ。またお話したいです」
「ありがとう。では、また来週のここで会おう」
そう言った彼は椅子から立ち上がり、司書さんや先生しか入れない部屋に向かったが、不意に振り向き、
「言い忘れてた。私の名前はセイヤだ。君は?」
「あ、チハルです」
「ありがとう。それじゃまた」
私には自由奔放に生きてる人のように、彼のことを思った。
それから毎週放課後に図書室で彼と会うようになった。と言っても十二月の間だけなので、最初のも含めて合計三回だけなんだけど。彼は司書さんのはずだが、あまりに雰囲気が自分たち高校生と近いので、私は彼、と心の中で呼んでいた。セイヤと名乗った彼はとても博識で、歴史を大学で専攻して学んでいたらしい。おかげで興味深い話をたくさん聞くことができた。代わりに歴史の授業は既に知っていることを、しかも浅い内容でつらつら話されるだけの時間になってつまらなくなってしまったけど。
「そういえば今日は終業式だったね。冬休みの予定は決まっているの?」
「特に。彼氏とかいるわけでも、部活に入ってるわけでもないんで」
「じゃあ家でほとんど過ごすのかい?」
「まぁ友達と遊びに行く予定は立ててますけど、それ以外は家で宿題でもしながら過ごすとは思います」
「そうか。ではクリスマスの日に私とご先祖様に感謝を伝えに行かないかい?」
「クリスマスに……ですか」
クリスマスはご先祖様に感謝を伝える日。冬暦になる前はとある宗教を広めた人の誕生日だったらしいけど、冬暦になってからクリスマスはご先祖様に感謝を伝える日になった。―私が安心していられる世界をありがとう―だったかな。まだ戦争や紛争が終わった訳じゃない世界なのに、ありがとうと言えるのだろうか、とか思ってしまうがどうしようもない。
「いいですよ。どうせ空いてましたし」
「ありがとう。折角のクリスマス、話を共有できる人と過ごしたいと思ってね」
「セイヤさん、変わり者ですからね。友達とか少ないんじゃないですか?」
「んな!失礼な!友達ぐらいいっぱいいるよ!」
「どうなんですかねぇ」
「ま、まぁ一生徒にどう思われようが構わないけどね」
「誘っときながらその言い草ですか?」
それから私と彼はしょうもない言い合いをした。けんかとまではいかない言い争い。お互い不思議と気が合い、まだ三回しか会ってないはずなのになぜか古くから知る人のように感じていた。
冬は嫌いだ。それは変わらない。でも、最近フィルミナという花を知り、そして彼と出会った。冬は私にとって不幸をもたらすものでしかなかった。冬という季節は私を憂鬱にした。そんな中、彼はクリスマスの日に、一つの不思議を見せてくれた。彼は言った。
『私はね、雪をフィルミナに変えることができるんだ。なんの役に立つんだという力さ。でもなんとかしてこれを何かに役立てたいと思ってずっと勉強してきたんだ』
強い意志のこもった目でそう言った彼は、とても素敵に思えた。
いつしか私は冬の寒さを感じなくなっていた。あの花と出会ってからずっと心が温かいのだ。昔は嫌なことを冬に思い出しては辛くなっていた。でも今は嬉しかったこと、楽しかったことばかり思い出す。
『フィルミナの花言葉って、”失う“と”復す“、でしたよね。なら失われたものを復していけばいいんじゃないですか?セイヤさんの人柄ならできる気がしますよ』
私は思ったままを告げたが、彼は心底驚いた顔をしていた。
『そんなことを言われたのは初めてだ。ものは考えようということかな。君の言う”復す“をこれから地道にしてみるか』
そのときに見せてくれた彼の笑顔はフィルミナに負けず劣らず魅力的だったのを覚えている。
あの日から私の日常は変わった気がする。冬は相変わらず好きにはなれないが、少し楽しみになった。冬になるとフィルミナを見ることができるからだ。
今年の四月から私は高校二年になる。彼は宣言通りここの司書に赴任した。それから私は彼と歴史の話をしに図書室によく訪れるようになった。ユウカは私と彼の関係を禁断の関係と言って馬鹿にしてくるが、そんな不純な関係ではない。
ただ尊敬と信頼を置いている。それだけである。
「セイヤさん、あくびなんてして、何かあったんですか?」
「いや、なぁに、また研究してただけさ。それと紛争地帯に行くための手筈を整えてた」
「私にも何か能力みたいなのでもあればなぁ」
「あってもいいことなんてほとんどないから、別にいらないと思うよ」
「そうかもしれませんけど、やっぱり何か憧れみたいなのが……」
そこへ一人の生徒が本を抱えて貸出カウンターまで歩いてきた。
「すみません、この本を借りたいのですが」
「はいはい、ちょっと待ってね」
今までただ平凡に生きていただけだった。生まれた意味なんて考えたことなかった。でも、歴史を紐解くと、そこには様々な人の生きた証が残されていた。私も人のために何かしたいと思った。人の何かを変えられる人になりたいと思った。目の前にいる彼のように。
「これでOK。二週間後には返却してね」
「ありがとうございます」
再び本を抱えて生徒は図書室を出ていった。
「私の夢は学芸員になることです。よし、言霊にした」
「突然どうしたの」
「私なりの決意表明です。今日はもう帰りますね。それじゃ」
私は鞄を掛け直し、図書室を出ようとした。
「応援してる。いくらでも手助けするよ」
振り向いて微笑みと会釈を返し、私は出入口の側に一輪活けられたフィルミナを横目に図書室を後にした。
皆さんお久しぶりです。今回は最悪のコンディションで書いたので、話が分かりにくくなってたら申し訳ないです。もしかしたら内容が更新されてよくなってるかもしれません!そうなってることを願ってまたの機会にお会いしましょう!