ほら、好奇心は何とやらって言いますから
『嘘吐き、そう言って彼女は』
ガタガタと古いキーボードが悲鳴を上げ、画面の中には次から次へと文字が現れて、正しい漢字に変換されて並んでいく。
ここは、校舎とは別にある部室棟の一室で、正確な場所を言えば、三階の隅の教室だ。
部室としてそこを使用しているらしいが、室内にはパソコンとそれを置く机に椅子が四つずつ。
壁には本棚があり、扉から遠い窓際にはどこから持ってきたのか分からないソファーとローテーブルが置いてある。
所謂文系の部活の部室ではあるが、他の部室と比べると大分条件が良い。
ローテーブルの上に置いてある、お菓子の入った箱とポットを横目に、俺は開いていた画集を閉じる。
「ねぇ、作ちゃん」
「何、崎代くん」
キーボードが壊れそうな勢いで文字を打ち込み続けている作ちゃんは、俺の言葉に返事をしてくれるものの、視線は向けない。
閉じた画集を横に滑らせた俺は、隣でキーボードを叩き続ける作ちゃんの方へ身を乗り出す。
「作ちゃんは、嘘って好き?」
ガタガタガタタッ――細い指が宙に浮いた状態で止まり、そのまま顔だけで振り向く作ちゃん。
長い前髪が揺れ、その奥からは淀みない黒目が覗いた。
「道徳の時間?」といって首を傾げた作ちゃんに、俺は首を左右に振る。
「そうじゃなくて。ほら、作ちゃん、嘘とか、嫌いじゃない?」
作ちゃんの目の前で青白い光を放っているパソコンの画面を指差せば、作ちゃんは「嗚呼」と短く頷いた。
「好きか嫌いかで言ったら嫌いだよ。でも、多分、オミくんの方が……」
「オミくんは嘘嫌いなの?」
自分の答えに自信が持てないというように首を捻った作ちゃんは、宙に浮かしていた手を下ろす。
回転椅子が軋むが、作ちゃんの口から出てきたクラスメイトの名前に目を丸める。
俺からすればクラスメイトで友人だが、作ちゃんからすれば身内ともいえるほどに付き合いの長い幼馴染みだ。
左目を隠すように流された長い前髪に、中性的な顔立ちをしたオミくんは、作ちゃんの幼馴染みの中で唯一の男の子だが、嘘が嫌いというイメージはなかった。
椅子の背もたれに寄りかかった作ちゃんは、横目で俺を見ながら「いや、オミくん凄い嘘吐くけど」と言う。
「ただ、うん。そうだね、オミくんは大切に思う人に対して嘘は吐かないよ。嘘は嫌いだけど、人をあしらうのに必要だと思ってるから」
言葉に出してしっくり来たのか、両手の平をパァンと打った作ちゃん。
「え?つまり、オミくんは嘘は吐くけど、嘘は嫌いなの?」
「嗚呼、だからね、基本的には嘘が嫌いなんだよ。でも、必要だから嘘を吐く。その癖、自分が真摯に接したいと思う相手には嘘は吐けないし吐かない」
まるで言葉遊びのようなそれに、ずり落ちた眼鏡を押し上げる。
ハハッ、笑い声を上げたのは作ちゃんだ。
しかし、顔は無表情。
片手でマウスをいじり、カチカチとダブルクリックをして打ち込んでいた文字を保存する。
そしてそのまま開いていたウィンドウを消した作ちゃんだが、まるでそれが話の終了を主張しているようで「作ちゃん」呼びかけてしまう。
視線を向けた作ちゃんは、小さく肩を竦めて「いや、ボクは嘘吐くよ」と言った。
あっけらかん、と、まるで朝食の内容を話しているかのようだ。
「世間的に嘘が悪いことって頭に入れた状態での、嘘吐きだから」
「マジか」
「マジだよ。それでも、本当のことばかり言ってたら弱点晒してる気分になるから」
「つまり?」
「ボクはボクの為に吐く嘘を肯定する」
「凄い自己中心的!」
つい声を荒らげてしまうが、当の本人はどこ吹く風という様子で、パソコンをシャットダウンしている。
シャットダウンのための準備とかで、画面中央では円がくるくるくるくる、回っていた。
それを見る作ちゃんは、でも、と言葉を続ける。
「でも、文ちゃんは違うな」と。
文ちゃんも、作ちゃんの幼馴染みで、俺とは違い、ちゃんとした度入り眼鏡をかけた女の子だ。
「文ちゃんも嘘が悪いって認識してるけど、ボクみたいに自分の為じゃないな」
切り揃えられた作ちゃんの爪が、コンコンと音を立てて机を叩く。
俺ではなく、パソコンの画面を見たままだ。
「誰かの為になる嘘もあるって知ってて、悪戯に傷付くよりも嘘の方が良いと思ってるタイプだな」
溜息のような息と吐き出された言葉に、文ちゃんの姿を思い浮かべてみる。
俺が思い出せる一番の姿は、形のいい眉を歪めて、眼鏡の奥で目を細める文ちゃんだ。
次の瞬間には薄い唇から、お経のように長いお説教が流れ出る。
そのお説教を聞くのは、作ちゃんだ。
俺が良くないことを思い出している、と察知したのか、コンコン、今度は拳で机を叩く作ちゃん。
口元を緩く引き上げ、苦く笑って見せれば、鼻から浅い息が吐き出された。
パソコンのシャットダウンが終えたようで、差し込まれたままだったUSBを抜き取る作ちゃん。
ガチャコン、と若干無理やり引き抜いたような音が響いた。
「ところで、崎代くん」
「ん?」
データが入っているはずのUSBを、無造作にもカバンの中へ放り込む作ちゃん。
「変わりまして『誰かの為に吐く嘘は、有りか無しか』という議論だけれど、ボクと文ちゃんは肯定派。まあ、ボクは自分が吐く場合に重きを置いているけれど。そして先程の会話から分かるようにオミくんは否定派。そしてそして、意外だろうけれど、MIOちゃんも否定派なんだな」
回転椅子を回した作ちゃんが、体ごと俺の方を向き、演技掛かった様子で肩を竦めてみせた。
肩から胸へと流された黒髪が揺れる。
俺は俺で「えっ」と声を上げた。
オミくんも文ちゃんも幼馴染みで、当然MIOちゃんも作ちゃんの幼馴染みだ。
俺にとっては高校に入学してから何かと仲良くしている友人なのだが、目が痛くなるような赤い長い髪をしている。
よくその髪色の件で、生活指導の先生と追いかけっこしているのを見かけるが。
それでも、MIOちゃんに関しては明るく元気な女の子という印象が強い。
俺以外の友達も多いようで、他のクラスでも話している姿をよく見かける。
そんなMIOちゃんは、その人のためになるなら嘘を吐いても仕方ないよ、と笑うイメージが強かった。
「意外でしょう」俺の顔を見ながら、作ちゃんが小首を傾げる。
意外も意外で、そんなまさか、と言ったところだ。
思ったままを告げれば、作ちゃんは今度こそ目尻を下げてハハッと笑う。
「MIOちゃんはボク達の中で唯一、自分が嘘を吐くことも相手が吐くことも許さないタイプだから。ほら、人にされて嫌なことはしたい、それがこと、この嘘に反映されるんだ」
椅子から勢いを付けて降りた作ちゃんに合わせて、椅子が後方へ弾かれる。
しっかりと地に足をつけて立った作ちゃんを、俺は椅子に座ったまま見上げた。
「嘘とか、正義とか悪とか、そういうことになると、過程は違えどオミくんとMIOちゃんは同じ結果に行き着くんだよね」
イトコだからかな、と呟く作ちゃんに、俺は、そうかもね、としか答えられない。
オミくんとMIOちゃんはイトコで幼馴染みで、そこに文ちゃんと作ちゃんの家が近くて自然と、というのが幼馴染みの経緯らしい。
「でもMIOちゃんかぁ」
「うん」
意外だな、本当にそう思う。
何となく四人の中でオミくんと文ちゃんがMIOちゃんと作ちゃんを引っ張っていくイメージが強く、何かで意見が分かれるなら、そういう分かれ方なのでは、と漠然と、そう思っていたのだ。
そう考えている間にも、今日はもう帰るのか、カバンのチャックを閉め、椅子を机の隙間にしっかりと入れている作ちゃん。
俺も画集をカバンに詰めたが、作ちゃんは扉の前でカバンを肩に引っ掛けたまま仁王立ちする。
膝を隠したスカートの裾が広がっていた。
「それでね」
「うん?」
「ボク達幼馴染み四人は、基本的に民主主義に則っているんだ。まあ、大半のことはどうでも良いことばかりだから――それこそ、卵焼きはプーレンか砂糖かみたいな。因みにボクは、出汁巻きを推したい。ってことで、適当に決まるんだけど、これはお互い譲れないものがあって冷戦状態なんだよね」
「……うん、なるほどぉ?」
にっこり、効果音の付きそうな、愛想笑いを張り付けた作ちゃんが、平手で唯一のまともな出入口である扉を叩く。
扉を叩いた音に合わせて、扉の揺れる音も響き、思いの外大きな音に俺の背筋が伸びる。
不穏な空気が流れ、喉の奥が引きつった。
「物分かりが良くて助かるよね。それで崎代くん」
扉を押さえつけているのとは逆の手が、差し伸べられた。
「嘘は好き?」