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リバーステイル・ロマネスク  作者: 旅籠文楽
4章 - 《創り手の快楽》

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91. 出直し採取行 - 3

 


     [3]



 一行が林道をもうしばらく進むと、樹林を擦り抜けて届く風の気配の中に、爽やかな涼しさが入り交じるようになった。

 水場が近くにある証拠だろう。無意識のうちに気が急いてしまいそうになるが、パーティでの行動なので自分ひとりが足早になっても意味はない。


「目的地はもう、そう遠くはなさそうですね」


 シグレと同様に、風に混じる涼しさを感じ取ったのだろう。隣を歩くエミルが、少し嬉しそうな声色になりながら、そう零した。


「ですね。おそらく、もう10分も歩けば渓流が見えてくるでしょう。距離的にも大したことは無さそうですね。北門から片道1時間、といった所でしょうか」

「昨日は戦闘が多すぎるせいで、随分と道程が長く感じられましたが。今日ぐらいの魔物の遭遇頻度であれば、別に苦労する距離でも無さそうです」

「もう全員が、すっかり魔物の対処に慣れてしまいましたからねえ……」


 今日だって魔物との遭遇機会(エンカウント)は、それなりに多めなのだが。難なく対処できるようになってしまったせいで、それを苦とは全く感じなくなってしまっていた。

 戦闘に明け暮れる羽目になった昨日の苦労も、無駄ではなかったということだろう。

 あれはあれで、魔物のドロップアイテムが大量に手に入るなど、嬉しい点も無くはなかったが。できれば今日のように、景色を楽しむ余裕ぐらいは持ったまま林道を歩けるほうが良い。


「―――あ。シグレ、何かが来ます。これは、たぶん馬車の音かな?」


 林道の進行方向、その先を指さしながらエミルがそう告げる。

 言われて、シグレも耳を澄ましてみるが―――。


「……何も聞こえませんね」


 そう漏らすカグヤと同じで、シグレの耳には何も聞こえては来なかった。


 シグレやエミルの持つスキルで察知できるのは『魔物』の気配だけだ。だから、エミルが近づいてくる対象が何であるのかはっきりと断言できないのは、その察知がスキルによるものではないことを意味している。

 逆に言えば、エミルの研ぎ澄まされた察知力は、スキルに頼らなくとも普段から周囲の気配や音をそれだけ鋭敏に拾う。

 それはエミルが天恵に拠らない部分で鍛え上げ、最近になって会得した能力だ。

 例え同じ〈盗賊〉であっても容易には真似ることが出来ないであろう独自の技術を有している彼女に対し、シグレは心の底から敬意を抱いてもいる。


 そのまま二十秒ほど経過すると。林道の先より何かの音が聞こえてくることが、ようやくシグレやカグヤの耳にも察知できた。

 更に十数秒も経過すれば、聞こえてくる音もより鮮明なものとなり、それが踏み固められた土道を転がる車輪の音なのだと判る。


(―――大したものだ)


 全員で林道の脇のほうに逸れ、〈フェロン〉の側から来た荷馬車に道を譲る。

 感謝の意を示すかのように手を振ってくる御者に、こちらからも小さく手を振ることで応えながら。内心ではエミルに対しての感心しきりだった。

 接近の物音にシグレやカグヤよりも随分と早く気付いただけでなく、あの時点でそれが馬車であることまで見事に言い当てたのだ。しかも探知に専念していたわけでもなく、シグレと談笑しながらだったのだから凄い。


「わ、わ! シグレ、見えてきましたよ!」


 駆け足気味に林道の先へ向かうエミルの背を、慌ててシグレも追いかける。

 すると―――左右の樹林が唐突に開けて、シグレ達が進んでいた道を横切るように流れている渓流がそこにはあった。

 林道から接続された見るからに頑丈そうな橋は、馬車の通行にも耐えられるようにと配慮した結果だろう。欄干のない橋から渓流を見下ろすと、静かなせせらぎの音が耳に飛び込んできて何とも心地良かった。


(思っていたよりは、大きい川だな……)


 というのが、渓流を見てシグレが抱いた第一印象だった。

 山間を流れる渓流というと、川幅は狭く流れは早いもの、という先入観を少なからず抱いていたため、想像していたものとは異なっていた。


 川幅は15メートルぐらいだろうか。東側、つまり向かって右手側のほうが上流に当たるらしく、そちらから降りる水流は緩やかで、落ち着いた印象を受ける。

 先日まで続いた雨期の影響はもう失われているらしく、増水した様子もなく水は澄んでいる。水深は、もっとも深い中央部分で2メートル強ぐらいだろうか。

 土と木、それに草叢(くさむら)ばかりだったここまでの景色とは一転、渓流沿い川原部分だけは小石と砂利ばかりで被覆されている。探せばこぶし大ぐらいの石までなら、付近にはそれなりに点在しているようだ。


(位置的には、中流と下流の間、ぐらいなのかな)


 そのようにシグレは判断する。水流が穏やかな川は運搬力が低く、そのため川原にある石というものは下流域に近づくほど小さなものばかりになる。

 この辺りは一見して、下流域と中流域の特徴を程良く有しているように思えた。


「目的のヒールベリーは、ありそうですかね……?」


 カグヤが遠目で覗き込むようにしながら、そう漏らす。


「ああ―――ありますね。鈴なりに果実を付けた木が、上流のほうにあります」

「……見えますか?」


 エミルの言葉に促されるように河川の上流側を覗き込んでみるが、シグレからはいまいち視認できない。特に視力が悪いということもないのだが……。


「見えます。少し上流側に行くとそれっぽい木が、川の左手側に沿う形でずらっと並んでいるみたいです。ああ―――そうか、灌木だから川沿いに生えるんですね」

「……どうして灌木だと、川沿いなんでしょう?」


 自己完結するエミルの言葉に、カグヤが横で首を傾げてみせた。


「おそらくですが、光を取り入れる為だと思います。えっと……植物が生長するためには、光が必要となるのですが―――」

「あ、判ります。光合成ですよね?」

「……ええ、そうです」


 こちらの世界では通じないかと思い、シグレは敢えて『光合成』という語を使わずに説明しようと思っていたのだが。あっさりカグヤの口から言われてしまった。

 どうやら、こちらの世界でも通用する単語であったらしい。

 魔法が存在するファンタジー世界というと、どうしても科学面の進歩が等閑(なおざり)になっている印象を持ってしまいそうになるが。案外、この世界はそうでもなかったりするのだろうか。


「森林というのは、意外に過酷な環境でして。林冠(りんかん)の形成に混ざれない植物は自然に淘汰されてしまうんです。えっと……『林冠』というのは判りますか?」

「ううん……。すみません、判らないです」

(はやし)(かんむり)と書いて『林冠(りんかん)』です。森林の中では、高木(こうぼく)が光を少しでも多く受け止められるように高い位置で枝葉を広げるので、森林の最上部に緑の屋根が形成されますよね? これを『林冠』と言うのですが。

 林冠が形成されると、降り注ぐ日光はその林冠の高さで大半が受け止められてしまいますから、森林の『中』までは殆ど届きません。なのでヒールベリーのような灌木(かんぼく)―――つまり『背の低い木』は、森の中では日光を得られないのです」

「ああ、なるほど。だからヒールベリーは渓流沿いに生えるんですか?」


 得心したように頷くカグヤの言葉に、シグレもまた首肯して応える。


「おそらく、そうだと思います。高木がメインの森林で灌木が生えるとするなら、林冠が途切れる部分―――森林の外周部分や林道沿い、もしくは川沿いでなければ日光を得られませんから。

 特に川沿いに生える木は、太陽から降る直接光だけでなく川面を通じての反射光も得られますので、日光をより長時間受け止めることができます。灌木にとっては都合の良い立地となるわけですね」


 特に今回の場合、エミルが視認したヒールベリーは渓流の上流に向かって、左手側に並んでいる。

 渓流は東から西に向かって流れているため、ヒールベリーは川端の北側に生えており、南側から差し込む光を存分に受け止められる位置にある。陽当たりの面ではかなりの優良立地だと言えるだろう。


 川面よりも1メートルほど小高くなっている左右の川縁(かわべり)には、曳舟道(トウパス)を思わせる小さな道が付随していた。

 もちろん、ここまで通ってきた林道に較べれば些細な小径だし、道に生えている雑草も多いようだが。それでも『道』があるというだけで随分と歩きやすくなり、川沿いでの採取を目的とするシグレ達からすれば大助かりだ。


 しかし、道というものは使われていればこそ維持されるものだ。自然の繁茂力というものはかなり強力で、利用されていない小径なんかあっという間に塗り潰してしまう。


「……この川沿いは、交易路か何かを兼ねているのですか?」


 雑草が生えているとはいえ、森林の中にあって道としての体裁を充分に留めている以上、この小径は現役で使われていると考えて良い。だとするなら、この小径の先にも集落か何かがあると考えるのは自然なことだ。

 林道を真っ直ぐに進めば〈フェロン〉という街があることは知っているが。渓流で脇道に逸れた先に集落などがあるという話は、ついぞ聞いたことがない。


「僕は生憎と存じませんが……。しかし、この道には蹄の痕もありますね。それも然程古いものではないように見えますが」


 エミルが指し示す辺りを見てみると、確かに馬の足跡らしき痕跡が見て取れた。

 小径は馬車が通れるほど道幅が広くはないので、付近に轍の跡はない。だというのに馬の足跡があるというのは、普通に馬を乗用に用いたのか―――。

 いや、これほどはっきり土に沈んだ足跡が残るからには、荷を駄載した馬だった可能性が高いと見て良いだろう。

 馬に荷を運ばせて利用されている道―――となると、やはりこの小径の先には、何かしらの集落がある可能性が高そうだ。


「……そういえば。以前、うちの主席から聞いたことがあるのですが」


 ライブラが、ふと何かを思い出したかのようにつぶやく。

 彼が言う『主席』というのは、ルーチェのことだ。


「確か―――『アリム森林地帯』の奥深い場所では、今でも『白珂護(クリュサ)』の名を冠する純血森林種(ハイ・エルフェア)の一族が、少数でひっそりと暮らしているとか」


 ハイ・エルフェア―――つまり、よくファンタジー小説などでエルフの上位種族として登場する『ハイ・エルフ』に相当するものだろう。

 可能ならいちど実際に会ってみたい所だけれど……わざわざ森の奥深い所に住むような人達らしいし、なかなか簡単には会えないだろうか。

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