90. 出直し採取行 - 2
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〈アリム森林地帯〉の様子は昨日とは打って変わり、静かなものだった。
もちろん林道を進むうちに魔物と遭遇することはあるし、他のフィールドよりは依然として魔物の密度も濃いのだが。それでも昨日に較べれば大した量ではない。
昨日経験した連戦の中で、このフィールドに登場する魔物の対処にもすっかり慣れてしまった一行は、時折襲い来る魔物をものともせず、順調に林道を進む。
特にカグヤの熟達は目覚ましいものがあり、林道に姿を見せた魔物は数秒の内にカグヤの最新作の刀に切り刻まれ、光の粒子となって消えていくことになった。
また、ライブラも仲間と他愛のない会話を交わす傍らで、林道上部の開けた空に姿を見せた魔物に対し、高速で反応して攻撃スペルを行使する。
誘導性に優れた【魔力弾】は、狙った魔物を違わずに撃ち落とす。殆どシグレの出る幕もなく、バルクァードの対処はライブラひとりで完璧に務まっていた。
「今回はビワじゃないんですね?」
「ええ。とりあえず色んな種類の木材を揃えてみようかと思いまして」
エミルの言葉にそう答えながら、シグレは林道沿いで頻繁に見かけるクヌギの木に【伐採】のスペルを行使する。
林道から外れたらまた違ってくるのかもしれないが、少なくとも林道沿いを見る限りでは、クヌギやエノキ、コナラといった日本でも馴染みの深い樹木が多い。
それらの木々は、どれも薪炭材として利用されやすいものでもある。この辺りの一帯全てが、一種の薪炭林のようなものとも言えるだろうか。
以前ユウジから分けて貰った『薪』のようなアイテムを生産するには、良い材料となるのかもしれない。確保しておけば役立つこともあるだろう。
クヌギを【伐採】することで、木材などと一緒に『樹液』が手に入ったのは少し意外だった。なんでも〈錬金術師〉や〈薬師〉の生産に利用できる素材らしい。
【伐採】することでドングリが一緒に手に入ったりするかな―――と、シグレは事前に考えたりしたものだが。期待に外れて、そちらは全く手に入らなかった。
素材にするようなものではない、ということだろうか。あるいは、採取するには少し時期が合っていなかったのかもしれない。
「そういえば、昨日はあの後、結局どうなったんですか?」
「ああ―――すみません。ライブラにも話しておかないといけませんね」
ライブラから問われ、シグレは頷く。
といっても、さして話しておくべき内容があるわけでも無いのだが。
「預かっていた馬車の荷は、アルファ商会の倉庫できっちり返却しておきました。先方が持っていた積荷の目録と照らし合わせるのに、少し待たされる羽目になってしまいましたが……。幸い、荷には一点の欠落もなかったようです」
「それは何よりです。本って、単価の安い商材ではありませんし……」
「らしいですね。自分はあまり、その辺の相場が判っていなかったのですが」
アルファ商会関連の顛末について、昨日『貸湯温泉・松ノ湯』でカグヤとエミルに事後報告する際に、二人から教えて貰うことでシグレは初めてそれを知った。
こちらの世界―――〈イヴェリナ〉に於いて『本』は、一冊当たり数千gita程度の値が付くのは当たり前のことであるらしい。それこそシグレがエフレムから受け取ったような薄い本であっても、決して安価なものではないそうなのだ。
本が高価と言っても、それは製作するための素材、つまり紙が高価というわけではない。紙は〈木工職人〉が簡単に量産できるため、どの地域でも比較的潤沢かつ安価に出回っている。
値段が高いのは、この世界で出回っている本の大半が『手書き』で作られているからだ。
スペルを修得する為の本、即ち『魔術書』に限れば、原本を複製して『写本』を容易に製作する手段も幾つかあるらしいのだが。―――魔術書ではない本に関しては、なかなかそう簡単にはいかないらしい。
結局の所、人力による筆写複製が主流らしく……。なるほど、それでは単価が高くなるのも道理というものだろう。
「今更ですが……あの馬車の荷って、かなり価値総額が高かったのでしょうか」
「そうですねえ。何しろ、馬車3台分ですから。安めに見て一冊当たり2,000gita程度で換算するとしても、合計ではかなりの額に達するのではないでしょうか」
「ですよね……」
荷を〈ストレージ〉の中に、一度は全て収めたシグレにだから判る。
辞書並みに大きなものから文庫本並みに小さなものまで、積荷の本はサイズこそ様々だったが。〈ストレージ〉へ収納した全量、つまり馬車1台分に相当する荷が全部で『505冊』だったことをシグレは明確に覚えている。
馬車は3台あったのだから、全体では1500冊近くあると見ても良いだろう。もし御者の人やエフレムが〈インベントリ〉に荷の一部を収納していたならば、数量はもっと多かったかもしれない。
1500冊ともなれば―――単価2,000gitaで計算しても、総額は300万に達する。
もちろん、これはかなり安めに見た場合なので、実際の価値はこの倍、あるいは三倍以上であってもおかしくはない。そうなれば総額の桁が更に1つ上がる可能性だってある。
(どうして馬車を捨てて逃げないのだろう、と多少は疑問にも思ったけれど……)
シグレが救援に入った時、アルファ商会の護衛であるマレクとヴェセリンの二人は、多勢の魔物を相手にかなり追い詰められた状況にあった。
あれだけ状況が追い込まれていれば、当然二人にも(このまま戦えば負ける)という判断は出来ていた筈だ。
魔物はコボルトとダイアウルフだけで、バルクァードはいなかった。それならば彼らには使い魔のソコルが居たのだから、使い魔を囮に残せば、逃げられる公算はそれほど低くは無かったように思える。
少なくとも魔物の一部を引き離し、不利な状況を覆す程度のことは出来た筈なのだ。
―――だというのに、護衛の二人は馬車の御者やエフレムを逃がすのではなく、あくまでも馬車を護ることに拘っているように見えた。
しかし、荷の価値を考えれば、それも無理からぬことだったのだ。
少なくとも数百万、ともすれば一千万超もの価値がある荷など、容易に捨てられるものではない。それこそ―――命が掛かっているような状況であったとしても、なかなか簡単に諦められるものではないだろう。
壊れた馬車を遺棄するという判断をエフレムがした際、『天擁』であるシグレが荷の全てを受け持てると告げたとき、エフレムが心底安堵したような表情を浮かべていたことも今更ながらに思い出される。
単価が高い商材だけに、一部を遺棄するだけでも多大な損害が発生するであろうことは想像に難くない。それが都合良く回避できるというのだから、エフレムが安堵を露わにしたことも、なるほど納得できる話だった。
「シグレさんに、もうひとつお訊ねしたいことがあるんですが、良いですか?」
「あ、はい。何でしょう? 僕に答えられることでしたら」
「その……先程、衛兵の方が言ってたことって。エミルさんやカグヤさんと一緒に毎晩お風呂に入ってるって話、本当ですか?」
「え、ええっと……」
衛士頭であるラウゼルは『頻繁に』と言っただけで、『毎晩』とまでは言っていなかったように思うのだが。
―――いや、まあ。それで合ってはいるのだけれど。
「そう、ですね。少し事情があって、一緒に都市の共同浴場を利用しています」
「事情……ですか? それは、どういった事情なのでしょう?」
林道を進むついでの、ただの雑談なのかと思いきや。意外な程にぐいぐい質問を重ねてくるライブラの様子を、少しばかりシグレは訝しくも思う。
とはいえ、別に隠すようなことでもない。魔物が来ない限り退屈な道程なので、この場に居ないキッカのことも含めて、歩きながらシグレはゆっくりとライブラに事情とこれまでの経緯の全てを説明することにした。
「なるほど、人数割りでお風呂代を節約ですか。共同浴場の利用料金が高いという話は、ボクも以前耳にしたことがあります」
「ライブラは、共同浴場を利用されたりしないのですか?」
「ボクは利用したことが無いですね。わざわざ外部の有料施設を利用しなくても、王城内に勤務者向けに解放された大浴場がありますので」
なるほど。無料で利用できる設備があるなら、当然そちらを利用するだろう。
「とはいえ、そちらはそちらで少し利用しづらい事情もあるんですが……」
「利用しづらい、ですか?」
「はい。その……どうにもボクは、衆目を集めてしまう所があるようでして……。なるべく人が少ない時間帯を狙って利用しているんですが、それでもちょっとした騒ぎになってしまうこともありまして……」
「………」
それはまあ―――そうだろうな、とシグレは思う。
贔屓目なしに見ても、ライブラは男には全く見えない。
少女にしか見えない服装もそうだし、華奢な体躯や、ライブラ自身が湛えている雰囲気もそうだ。そんな彼が、急に男性用の大浴場に現れたなら―――。
ライブラについて見知っている人ならば、気を利かせて彼に注意を払わないよう務めてくれるかもしれないが。王城ともなれば働き手の数も多いだろうし、誰もがライブラについて知っているわけでもないだろう。
事情を何も知らない人からすれば、急に大浴場に若い女子が入ってきたと勘違いして、パニックを起こすことは―――容易に想像出来る話だった。
(……苦労してるんだろうなあ)
しみじみと、シグレはそう思う。
ライブラが女性らしい服を好んで着用するのは、彼自身の意志であると同時に、しかし一概にライブラにばかり責任がある話ではない。
ルーチェから事情を聞いて知っているだけに、シグレはライブラを責める気にはなれなかった。
「ライブラさえ宜しければ、今後は僕らが共同浴場を利用する際に、一緒に来られますか? 僕らなら別に気に留めることもありませんし」
「それは……とても有難い申し出ではあるのですが。ボクがご一緒しても、ご迷惑だったりはしませんか?」
「一番狭い浴場を借りた場合でも、充分な広さがありますから。ライブラひとりが増えた所で手狭になるものでもありません。多分キッカも構わないと言ってくれるでしょうし、エミルとカグヤも―――」
シグレがすぐ傍を歩く二人のほうを見やると。エミルもカグヤも話を聞いていたらしく、即座に頷くことで肯定の意を示してくれた。
「僕らも後から混ぜて貰った立場ですし、もちろん嫌なんて言いませんよ!」
「そうですね。それに人数が増えれば、各自の負担額もそれだけ下がることになりますから。キッカなんかは人数が増えれば増えるほど喜ぶんじゃないですか?」
浴場の利用料金は1,400gitaだが、露天風呂はどうしても雨が降ると快適さが落ちてしまう。なので雨天時には、シグレ達は普段利用しているものよりもランクが2つ高い、雨避けが施されている浴場のほうを借りていて、そちらだと利用料金は3,300gitaにもなる。
カグヤもエミルも毎晩付き合ってくれる為、各自の負担額は四分の一にまで抑えられているが。それでも毎日積み重なる出費だと考えれば、やはり馬鹿にはならない金額でもある。
実際、そのことについてキッカが愚痴ることも間々あり、とりわけ先日まで続いていた雨期の最中には、頻りに彼女が愚痴っていたことも記憶に新しい。
ライブラも来ることで出費が更に割安になるなら、確かにキッカは喜ぶだろう。
「それに女三人に対して男性が一人だけというのは、シグレさんも肩身が狭かった部分があると思いますから。ライブラさんが来ることで男性の比率が上がるなら、シグレさんにとっても好ましいのではないですか?」
「ああ……それは、そうかもしれません」
心身共に寛げる温泉の中に浸っていると、リラックスできるせいか誰もが普段よりも饒舌になる。シグレ自身がそうなっているかどうかは判らないが、少なくともカグヤもエミルも、キッカも、そして黒鉄でさえそうした傾向がある。
各自の口数が増えれば自然と会話も弾むことになり、その話題も多岐に渡る。
戦闘の話であったり、生産の話であったり―――それらの多くはシグレにも参加できる話題なのだが。……けれど特定の話題に及ぶと、途端にシグレは会話に混ざることが難しくなるのだ。
それは例えば、お洒落に関する話題だったりする。女性が衣服や装飾品に寄せる関心というものは男の比ではなく、そうした話題になるとシグレにはついていくことが難しくなる。
更には、話が衣類の中でも特に肌着に関したものへと及べば……最早シグレには会話に混ざることが不可能な次元になってしまう。それどころか、同じ場所で話を聞いてしまっていること自体にさえ、罪悪感を覚えることもなくない。
他にも化粧品の話題であったり、ダイエットや体型維持に関しての話題、時には恋愛に関しての話題にさえ―――『女三人寄れば姦しい』とはよく言ったもので、女性三人で繰り広げる会話は、実に多様な方向へ縦横無尽に奔走する。
そうした時、シグレはひとり静かに湯を楽しみながら、生産関連のことを考えたりしている。女性特有の話題には混ざれないというのもあるが、下手に自分が横から口を挟むことで、会話を盛り下げてしまっては申し訳ないからだ。
けれど同じ『男』であるライブラがその場に一緒に居てくれるなら、その配慮は無用のものとなるかもしれない。女性陣が男に混ざれない会話を繰り広げるなら、男は男で自分たちだけの会話を展開すれば良いだけの話なのだ。
(―――いや、無いな)
そこまで考えてから。ライブラの格好を見て、シグレは小さく苦笑する。
彼の今日の服装は、魔法使いらしい三角帽子に、黒いマント。マントの内側には現実ではまず見かけないような黒地のセーラー服に、ミニのプリーツスカートを合わせている。
それはシグレが初めてライブラのことを見た日に、彼がしていた格好と全く同じものだ。昨日までの二日間着ていた巫女服も悪くないが―――いや、心底からよく似合っていたとも思うが。それはそれとして、やっぱりこの格好のほうがライブラらしいとも思う。
(男性の比率が上がるなら、か)
先程、カグヤはそんなことを言っていたが。
女性がひとり増えて男性率が更に下がる、の間違いではないだろうか―――と、言葉には出さずに、シグレはひっそりと思ったりもした。




