09. 掃討者ギルド - 1
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何も考えず、景色を堪能しながら半ば無意識にゲーム内の『補助』に導かれるままに十数分も歩いていると、やがて目的の建物らしいものが見えてきた。
三階から四階建てと思われる高さの、やや年季の入った大きな石作りの建物。入口の隅には『掃討者ギルド』と日本語で書かれた看板が立てられている。
日本人を対象にしたゲームであるのだから仕方無いこととはいえ、歴史を感じさせる風貌の建物脇に『日本語』で書かれた看板が並んで存在していることが、妙に違和感を放っているようにも思えた。
遠巻きに眺めている感じだと、建物にはそれなりに人の出入りがあるように見える。
解説書では『掃討者』のことを『魔物討伐を生業として賞金を得る』人だと記してあったけれど。なるほど、確かにギルドの建物へ出入りしている人達の姿格好には、それっぽい人が多いように見受けられた。
革鎧や金属鎧を着込んでいる人が多く、腰に帯剣している人も少なくない。斧や槍といった大型の武器を持っている人は見当たらないが、それは単に邪魔だから〈インベントリ〉の中に収納しているだけなのだろう。ローブを身に纏い杖を持っている人達は、おそらくシグレと同様に何らかの『術師職』を持っている人達だろうか。
建物に出入りする人の大半は、何らかの『戦闘職』を意識させる格好であるように見えるけれど。一応、いかにも商人や町民といった格好の、戦闘とは無縁そうな人達の出入りもまばらにはあるようだ。
(……武器を買ってから来た方が良かったかな?)
シグレの格好は―――自分で見る限り『やや上等な服』といった印象である。
町民の普段着という感じでは無いけれど、防具と呼べるようなものではなく、戦闘するような格好には見えない。シグレは『術師職』なのでその格好でも間違ってはいないのかもしれないけれど、かといって杖などを携えているわけでもない。魔物と戦うつもりでいるにしては、やや中途半端な格好のようにも思う。
とはいえシグレは、そもそも武具店のある場所を把握していないのだからしょうがない。現在地である『王都アーカナム』のマップにはプレイヤーにとって重要な場所である『掃討者ギルド』や『王城』、『大聖堂』、東西南北にひとつずつある都市の『門』の位置などは記載されているのだが。各『戦闘職』および『生産職』のギルドの位置や、武具やアイテムを商う商店の位置に関しては全く記されていなかった。
(うん。武具店の場所も、このギルドで教えて貰うことにしよう)
そう割り切り、シグレは掃討者ギルドのドアを開けて建物の中へと足を進める。
別に冷やかしで来たわけではないのだから、変に遠慮などせず堂々と入るぐらいのほうが良い。自分が初心者であることも事実なのだから、それは受付の方などに正直に告げて、良さそうな武具店をこのギルドで紹介して貰うぐらいのつもりでいよう。
外で見ている時から、それなりに人の出入りはあると思っていたけれど。実際中に入ると、一階のホール内だけでも結構な人数を見て取ることができる。
特にシグレの近く、ギルドの入口から程近い場所に幾つも並んで建てられている、衝立状の掲示板群を眺めている個人や小集団が目に付いた。
掲示板にはB5サイズほどの用紙が沢山貼り出されており、周囲の人達は誰もが品定めするかのような真剣な目でそれを見つめている。
どういったものが貼り出されているのか少々気になったけれど……わざわざ混んでいる人垣を押しのけてまで知りたいわけではない。
掲示板のあたりを抜けて先へ進むと、ホールの奥側には幾つかのカウンターが設けられ、統一された制服を着こなした人達が応対している、受付窓口と思われる場所があった。
窓口の右脇には幅の広い階段があり、そこから上階へと続いている。階段の先、二階のほうからは時折、何だか楽しげな喧騒が聞こえてくるようだ。おそらくは休憩所か何か、ギルドを利用する人達が休んで歓談出来るような場所が設けられているのだろうか。
「掃討者ギルドに何か御用事ですか?」
ぼんやりと受付窓口の前で突っ立っていたシグレに、カウンターから出て来た女性がそう声を掛けてくる。
ギルド職員の制服を着こなした綺麗な亜麻色の髪の女性で。度の入った細い眼鏡が、いかにも辣腕といった雰囲気を湛えている。
勝手が判らなくて躊躇している部分もあったから、向こうの方から話しかけて来てくれたのがとても有難かった。
「えっと……失礼します、初めてギルドに来たのですが」
「ふふ、それで戸惑っておられたのですね。ではどうぞカウンターの方に」
そう告げると、彼女はシグレの片手を引いてカウンターの側へと連れて行く。
「私はギルド職員のクローネと申します。今は丁度手も空いておりますので、ゆっくりとご説明できると思いますわ。
こちらへは何かご依頼に? それとも魔物討伐をする為に『掃討者』として登録にいらっしゃったのでしょうか?」
「後者です。実際に魔物と戦う前にまず、こちらで登録を済ませた方が良いと伺いまして」
シグレがそう答えると、職員のクローネは一瞬驚いた表情をしてみせてから。そうして、慌てた様子でカウンターの上に今しがた取り出したばかりの『依頼票』と題字された用紙を引っ込める。
彼女は代わりに『ギルド登録票』と書かれた用紙を取り出し、眉尻を下げて少し後ろめたそうな表情をしながら。それをおずおずとシグレのほうへと差し出してきた。
なるほど―――自分が『掃討者』として登録を志望する人間だと思われていなかったことを理解し、思わずシグレは小さな苦笑を漏らす。
「……すみません。清潔な格好でいらっしゃいますし、物腰も丁寧でしたので。てっきり商家か貴族のご子息様が、依頼を持込みにいらしたのかと」
あわわわわ、と。露骨に狼狽してみせるギルド職員さんの姿は、つい先程抱いたばかりの『辣腕』という印象からは程遠くて。それが何だかおかしくて、ついシグレは小さく笑いを漏らしてしまう。
「いえ、無理もありません。見ての通り初心者ですので、よろしければ後ほど武器などを購入出来そうなお店も、こちらでご紹介頂けませんでしょうか」
「それはもちろん、お力にならせて頂きます。ギルドは掃討者の皆様のバックアップが役目ですので、私共にお手伝いできますことは何なりとお申し付け下さいね。
―――それではまず、こちらの『ギルド登録票』にあなたのお名前と種族、あと天恵についても記入して頂けますか?」
「天恵……? すみません、天恵とは何のことでしょう?」
それは初めて耳にする単語で、解説書にも書かれてはいなかった。
「天恵とは即ち天稟、あなたが生まれ持った天与の才能のことです。ご自身の〈ステータス〉を見れば、必ず『戦闘職』の天恵がひとつは書いてあると思います。また、もしお持ちでしたら一緒に『生産職』の天恵も書かれていると思うのですが」
「なるほど。……これを『天恵』と呼ぶことを、いま知りました」
特定の職業を持っているということは、レベルアップによって自ずから習熟させる才能を持っているということだ。それを『天恵』と呼称するのは理に適っている。
クローネの言い回しから察するに、『戦闘職』の天恵は誰でも必ずひとつは持っているものなのだろう。逆に『生産職』の天恵のほうは、ひとつも持っていない人もそれなりにいるようだ。
クローネが差し出してきた羽根ペンとインク壺を借り受け、シグレは『ギルド登録票』の空欄をひとつひとつ埋めていく。
登録票は全ての記入欄が日本語で書かれているため、『名前』の欄に思わず漢字で本名を書きそうになったことを除けば、記入時にシグレも困ることはなかった。
「わ、珍しいですね……。銀術師の方は、このギルドで初めてかもしれません」
戦闘職の欄に『銀術師』という文字列を書き込んだのを見て、対面側のクローネがそう声を漏らす。
「そうなのですか?」
「はい、少なくとも私は初めて見ました。なるほど、噂に聞いておりましたが種族は『銀血種』になるのですね。
するとシグレさんの綺麗な銀の髪は、銀血種の方ならではのものということでしょうか。それに凄く痩身でいらっしゃるのが、私も女として羨ましいです……」
「……痩せているのはたぶん、種族は関係ないですけどね」
シグレが痩せているのは単に、現実世界の自分がそうであるからだ。
病院食というのは案外、世間が思っているほど粗食というわけでもないし、量が少ないわけでも無いのだが。なのに、当然のように運動不足が付いて回るにも拘わらず、何故か痩せてしまうのだ。
理由は正直、シグレにも未だに良く判らない。病棟内の知り合いにも痩せている相手が多く、そうでない人は大抵家族などに持ち込んで貰った食事や間食を大量に食べている。
もしかすると毎食バランスの良い食事が約束されているということには、それだけで十分な痩身効果があるのかもしれない。
「おお、それに〈聖職者〉に〈秘術師〉もですか……! これだけ『術師職』の天恵を揃えておられる方も珍しいです!」
シグレが更に自分の『戦闘職』を書き込んでいくと、欄を埋めていくその単語ひとつひとつにクローネは反応して驚きの声を上げる。
たぶん彼女なりに評価してくれているわけなので、それ自体は有難いのだけれど。筆先をそんなに見つめられていると、正直シグレとしても少々書きにくい。
「えっと……すみません、とりあえず最後まで書かせて頂いても?」
「あっ、し、失礼しました。どうぞどうぞ!」
クローネの許可を得て『ギルド登録票』を手元へ引き寄せ、自分の有している天恵をさらに書き込んでいく。
ちらと上目に眺めてみると、シグレの『戦闘職』の欄に職業をひとつ書き込んでいく度にクローネの表情は慌ただしく変化する。最初の方では露骨に驚きを示していた彼女だったが、シグレが『戦闘職』の欄に小さな文字で10職全てを書き込み終わる頃には、いつしか彼女は絶望するかのような表情を見せていた。
その表情の意図が判らずにシグレが首を傾げていると。彼女はシグレの両肩をがしっと掴み―――
「……げ、元気出して下さいねっ!」
そうして彼女は、尋常でないほどの悲愴な声で。
無理矢理吐き出すかのように、励ましの言葉をシグレに向けて発したのだった。