88. アリム森林地帯 - 8
[7]
シグレ達の一行は当初の採取予定だった渓流を見ることなく反転し、馬車と共に王都アーカナムの側へと来た道を戻る。
カグヤに車軸を交換して貰った馬車は、いまのところ問題無く動いている。
品質値が非常に低いこともあり、車輛を動作させているうちにまた壊れてしまうのではないかと、車軸部品を作成したシグレは気が気ではなかったが。荷物を全て〈ストレージ〉へ回収し、重量負荷が最小限で済んでいることもあってか、不調が生じる様子も特に見られないようだ。
ちなみに現在、修理した車輛は黒鉄が牽くことで動かしている。
先頭車輛の馬は、既に魔物に殺されてしまっていたからだ。
いかに車輛を修理しようと、牽き手がいなければ馬車は動かない。馬の代わりに車輛を牽くよう頼んでも、黒鉄は嫌がるのではないかとシグレは思ったものだが。意外にも黒鉄は、それをあっさりと快諾してくれた。
『主人が望むならば、どのようなことでもやるとも』
さも当然のようにそう答える黒鉄の忠誠心が、有難くもあり、けれどシグレには同時に申し訳なくもあった。
黒鉄は常にシグレを『主人』と呼び慕ってくれるが。狩りよりも生産に時間を取られがちだった最近は、黒鉄のことをエミルに預けている機会も多く、あまり主人らしい振る舞いができていないな―――とシグレは我ながら思う。
生産が一段落ついたら、魔物との戦闘を何よりの楽しみとする黒鉄に付き合い、暫くは狩りに明け暮れてみるのも良いかもしれない。
馬具をそのまま黒鉄に装着させるには無理があったため、車輛を牽引するための道具は〈ストレージ〉にあった手持ちの木材と布を〈造形技師〉の能力で加工し、急ごしらえで用意した。
特別な道具を必要とせず、金属でも木材でも布でも、どのような素材であっても望む儘に形を変えられる能力というのは、やはり地味ながらも便利なものだ。
特にシグレのような『天擁』の場合には、〈ストレージ〉の中に素材を幾らでも詰め込んで持ち歩けるのが大きい。旅の際にはテントを携行しなくても、手持ちの木材を加工して、ちょっとした小屋ぐらいなら手早く建てられそうな気もする。
「護衛の二人を助けて頂いただけでなく、積み荷を回収し、おまけに馬車まで直して頂いたとあっては……。これは報酬を相当に奮発しなければなりませんな」
「多少の護衛料だけ頂ければ、それで充分ですよ」
馬車には乗らず、シグレ達と共に徒歩で随行しながらエフレムが漏らす言葉に、シグレは半ば苦笑気味にそう応じる。
実際問題として馬車は決して『修理された』わけではなく、あくまでも都市まで動かせるよう、最低限の応急処置を施しただけに過ぎない。少なくとも、金を貰うようなレベルの仕事はしていないとシグレは思う。
それに、このあと然るべき職人に馬車を修理して貰ったり、護衛二人分の武具を修理したりといったことで何かと入費が嵩むだろうことを思えば、シグレはあまり多額をエフレムから受け取ろうという気にはなれなかった。
「ふうむ……。掃討者は総じて、金にがめついものとばかり思っておりましたが、何事にも例外はあるものですな。貴方は少々、変わっておいでになる」
「そう、でしょうか……?」
シグレはあまり、そういう自覚は持っていなかったが。
まだこちらの世界での暮らしを始めてから日が浅いにも拘わらず、全くと言って良いほど、既に金に困っていない現状が、いつしか金銭を求める気持ちを失わせてしまっていただろうか。
とはいえ、お金が欲しいのであれば『狩り』で稼ぐのが掃討者の本分というものだろう。たまたま困っている人の力に多少なれたからといって、相場以上の金額をせしめるつもりにはなれなかった。
林道に沿って進む一行がようやく森を抜ける頃には、もう目と鼻の先に王都アーカナムの北門は迫っている。
巫女装束の一団は遠目からでも判別しやすいのだろう。都市に接近している集団がシグレ達であることに気付き、北門に立つ衛士頭のラウゼルが、すぐにこちらへ何度も手を振ってみせた。
「出た時は徒歩だった癖に、帰りは馬車同伴か。〈フェロン〉から来ていた馬車に頼んで乗せて貰った、というのなら話も判るが……」
北門に到着すると、ラウゼルがそう訝しげにシグレに問いかけてくる。
隊商の主であるエフレムと共に、道中であったことの事情を説明すると、得心がいった様子でラウゼルは「なるほどなあ」と頷いてみせた。
「雨期明けはどうしても魔物の数が増えます。隊商に護衛が二人だけ、というのは些か不用心でしたか」
「いやはや……お恥ずかしい限りですな」
ラウゼルの言葉に、エフレムが眉尻を下げて応じる。
《魔物感知》のスキルを持つ身として、実際に魔物の数がどれだけ増えているかを体感できてしまっただけに、ラウゼルの言葉にシグレも内心頷くほか無かった。
「隊長。先頭車が何故か空荷のようなのですが……」
「その辺の事情はいま先方から伺ったので問題無い。特に気にせず手続きを進めてくれればいい」
「判りました!」
部下の衛士から報告を受け、ラウゼルが応答する。
確かに、他二台の馬車には相当量の木箱が積載されているというのに、先頭車輛にだけ荷が一切積まれていないというのは、明らかに不審だろう。衛士頭に部下が伺いを立ててくるのも当然だ。
「シグレが〈ストレージ〉に回収しているから、先頭車は空荷というわけですな。とはいえ、積み荷が無くとも規定は規定です。三台分の税を頂戴しますが」
「ええ、それは承知しておりますとも」
―――この世界には、いわゆる『関税』が存在しない。
何故なら、アイテムを秘密裏に都市から持ち出したり、あるいは都市に持ち込んだりするといった行為が、あまりにも簡単に出来てしまうからだ。
この世界の住人にとって〈インベントリ〉は誰にでも利用できる普遍的な能力であり、当然ながら掃討者だけでなく商人や一般市民もその能力を生活の中で活用しながら暮らしている。
20種類までのアイテムなら、他の誰にも判らないように所持できてしまうのだ。そんな世界で、境界を通過する『物品』に対して税を課そうとする『関税』というシステムが、どうして機能するだろうか。
だから門の通行時には、税を『物品』にではなく『馬車』に対して課す。
税の名目も『関税』ではなく、『街道利用税』ということになる。税額は馬車のサイズと台数によってのみ決定され、積荷の種類は問われない。また、その税額も概ね安価に設定されている。
衛士の手によって門の通行時に積み荷は検められるが、これは単に荷に混じって都市内に密入国する者が居ないかどうかを確かめるためのものだ。
『人』の出入りに税金は掛からないが、門を通る際には身分証が検められるし、通行したことも逐一記録される。犯罪者が都市に入ることを防ぐと共に、他都市で罪を犯した人間などが通行した記録を残すためにも、検分は必要なことだ。
(……結構、通行手続きに時間が掛かるものなのだなあ)
馬車が門で足止めされているのを眺めながら、シグレはそんなことを思う。
掃討者が門を通るだけであれば、衛士の方にギルドカードを手渡すだけなので、特に時間などは掛からない。狩猟予定の魔物について問われたり、せいぜい日帰りするのかどうかを訊かれる程度だ。
なのでシグレは普段、通行の手続きをそれほど面倒と思ったこともないのだが。どうやら馬車を伴った隊商が門を通行する場合には、話が変わってくるようだ。
そうしたシグレ達の退屈を察したのか、エフレムがこちらへやってきて「今日はありがとうございました」と締め括る一言を告げた。
「暫くこの場所で足止めになりますので、皆様にお願いした護衛仕事もここまでで大丈夫でございます。
―――ああ、もちろんシグレ殿と使い魔さんには、今暫く私共にお付き合いして頂く必要がありますが」
「でしょうね……」
馬車一台分の荷物をそっくり預かっているシグレは、商会の倉庫などに荷を返すまで同行する必要がある。同様に黒鉄も、車輛を商会まで引っ張っていかなければならない。
とはいえ、それに他の仲間まで付き合わせることもないだろう。
特にカグヤは、昼までには『鉄華』に戻って店番に立たなければならない。まだ一時間ほど余裕があるとはいえ、昼食を取る必要も考えればそろそろカグヤは解放してあげるべきだ。
「最後に皆様のギルドカードをいちど拝見させて頂けますかな。
本来であれば『護衛』の仕事は、掃討者ギルドを通じてお願いすべき案件です。報酬はギルドを通じて皆様にお支払いするよう、手続きをしたく思いますので」
エフレムからそう望まれ、シグレ達は各々にギルドカードを提示する。今はもうライブラもギルドで登録の手続きを済ませたため、彼が提示するのもシグレと同じ掃討者用のギルドカードだ。
カードに記載されている名前と、ギルドの登録番号をメモしてから。エフレムは改めてシグレ達に深々と頭を下げてみせた。
「色々とありがとうございました。今日の内には手配しておきますので、明日にはギルドで報酬を受け取ることができるでしょう。……皆様に対する多大な感謝は、しかとギルドの方にお伝えしておきますので」
エフレムの言葉を受けて、シグレ達は北門で解散する。
ヒールベリーの採取に関しては、また明日の早朝に出直すことになった。
馬車に随伴しての戻り道では、王都側から林道に入っていく他の掃討者の集団と何組も擦れ違った。雨期の間には狩りに出なかった掃討者達も、そろそろ本格的に活動を再開するのだろう。
正直、現状ほど魔物が多いと、森に出掛けるのが狩猟目的なのか採取目的なのか自分でも判らなくなりそうだ。一日経つだけでも、魔物の飽和状態が多少はマシになることを期待したい。




