86. アリム森林地帯 - 6
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魔物集団を殲滅して安全を確保した後に、シグレは改めて二人の掃討者に治療を申し出る。
シグレの《魔物感知》の範囲にはまだ何体もの魔物の存在が捉えられているが、よほど魔物が多勢で押し寄せて来ない限りは、仲間に任せておけば問題無く迎撃してくれることだろう。
「加勢だけでなく治療までして貰えるとは……いや、有難い。ぜひお願いする」
「では先に、清潔にしましょうか」
傷口を塞ぐ前に、まず衛生から―――というのは、現代人的な考え方だろうか。
シグレは自分と相手に【浄化】のスペルを掛けたあと、患部の近くに直接触れながら【負傷処置】を行使し、二人のHPをゆっくりと回復させていく。
シグレが治療を行っていると、二人が護っていた馬車の中から、何人かの男性達が姿を見せた。どうやら魔物との戦闘中は、車輛の中に隠れていたらしい。
いかにも御者らしい格好をした男性が三名に、商人風の男性が一名。彼らは治療スペルを行使しているシグレを見て、会釈と共に一礼だけすると、それぞれ車輛の状態を確認すべく点検作業を開始した。
その中のひとり、最も高級そうな衣装を身を包んだ商人の男性が、シグレのすぐ傍にまで歩み寄ってくる。あちらが先に深々と頭を下げて謝意を示してきたので、シグレもまた治療を続けながらも、それに応じて頭を下げた。
「マレク、ヴェセリン。二人とも無事かい」
シグレにではなく、治療を受けている二人の掃討者へ商人の男性は声を掛ける。
「ええ、旦那。彼らのお陰で何とか無事に済みました。……正直を言えば、かなり危なかったことは否めませんが」
「そうか……。武器も防具も、素人の私から見ても酷い状態だね。戦闘の苛烈さが伺えるようだよ。せめて修繕の費用は私が全て持つから、王都に着いたら遠慮無く請求しなさい。よく我々と馬車を護ってくれた」
「護衛として雇われている以上、それが我々の役目です。感謝は無用……ですが、修理費を負担して貰えるのは嬉しいですな。特にヴェセリンの弓などは、明らかに魔物の攻撃を受け止めすぎてボロボロになっているようですし」
マレクという名の軽戦士の男性が、相方の弓を指しながらそう言って苦笑する。
実際、ヴェセリンと呼ばれた弓手の彼に握られている長弓は、もういつ折れてもおかしくないぐらいに損傷が酷いことになっていた。
当たり前だが、弓というのは本来、防御目的で使う物ではない。無理な扱い方をしたのだから、武器自体が相応にダメージを負うのも致し方無いことだろう。
(なるほど。弓に【損耗耐性】を付与するのも、防御目的ならアリかな……?)
もっとも、損耗が酷い弓の状態を見確かめながら、シグレが頭の中で考えるのはそんなことだったりするのだが。
「私は商人のエフレムと申します。今回は我々アルファ商会の護衛と馬車を助けて下さり、感謝致します」
改めてシグレの方へ向き直り、商人の男性が名乗りながらもう一度頭を下げた。
立派な髭に、綺麗な白髪。外見だけで判断するなら、もう初老といった見た目の男性だが。背筋がピンと伸びているせいか、あまり老いは感じさせない。
(護衛の二人の名前が、マレクさんにヴェセリンさん……。そしてこの商人の方がエフレムさん、か)
妙にロシア系……というよりスラヴ系の名前が揃っているな、とシグレは内心で密かに思う。
こちらの世界でも出自地域によって、名前の傾向が変わったりするのだろうか。
「魔物のほうが多勢でしたようなので、勝手ながら加勢させて頂きましたが……。そちらのご迷惑で無いようでしたら、良かったです」
「迷惑など、とんでもない。……マレクは嘘は申しません。彼が『危なかった』と口にする以上は、もしあなた方が助けて下さらなければ、おそらく二人とも無事には済まなかったことでしょう。ありがとうございます」
シグレの手を取り、それを力強く握り締めながらエフレムがそう告げる。
その仕草と声色からは、自身の商会に所属する護衛の人達を親身に慮っていたであろう様子が伺えた。おそらくエフレムがこの馬車隊商の主なのだろうに……全く驕りを見せないその人物像に、シグレは率直な好感を抱く。
「ところで、あなた方は掃討者……なのでしょうか?」
「えっ?」
一瞬、エフレムに問われた言葉の意味が、シグレには判らなかったが。
「―――ああ。はい、そうです」
やがてその質問の意図する所に気づき、シグレは苦笑と共に頷いて肯定する。
……何しろ、ミニスカの巫女服を来た人間が三人もいるパーティだ。傍から見てこの集団が普通の『掃討者』に見えるかと言えば、大いに疑問符が付く所だろう。
「では宜しければ、王都アーカナムまで『護衛』として我々アルファ商会に雇われて下さいませんでしょうか。
実を申せば、先頭の馬車が不調で走れなくなってしまいまして……。かといって修理しようにも、断続的に魔物が襲って来るものですからなかなか難しく」
「今日は随分と魔物が多いようですからね……確かに、修理作業も大変でしょう。僕たちでお役に立てるのでしたら、もちろん構いません」
シグレは独断のもとに、護衛を承知する旨を即答する。
おそらくカグヤもエミルも、そしてライブラもそれで『構わない』と言ってくれることだろう。―――困ったときはお互い様だ。わざわざ助力を求める手を、払い除けてまで探索行を続けるつもりはない。
「有難い。報酬は弾みますので、どうぞよろしくお願い致します」
再びエフレムがシグレの手を強く握り締め、嬉しそうにそう告げる。
ヒールベリーの採取はまた、近いうちに出直せばいいだけの話だ。
「ゴラン。どうだい、直せそうかね?」
先頭馬車の状態を確かめている御者に向かって、エフレムがそう訊ねると。
ゴランと呼ばれたその男性は、主人の言葉に大いに肩をすくめてみせた。
「駄目ですな。見た感じ車軸がポッキリいってますんで、修理は不可能でしょう。もう、その場の対症療法でどうにか走れるような状態ではありませんよ」
「むう、そうですか……」
御者の人が指し示している辺りをシグレも覗き込んでみると、確かに馬車の車輪を接続する軸棒が折れて―――というより、断ち切れているのが見て取れた。
軸の素材は鉄か何かの金属のようだが、見事に折断してしまっている。破断面を詳しく見てみないことには判らないが、おそらく金属疲労によるものだろうか。
「こうなれば、壊れた馬車はこの場で放棄するしか無いでしょう……。先頭車輛の積み荷は他の二台に分散。〈インベントリ〉にまだ空きがある者は、重い荷物から優先して収納し、少しでも荷重を抑えるように努めなさい」
「了解でさあ!」
エフレムの指示に呼応し、御者の人達が荷の分散作業を開始する。
「では、私達は作業が終わるまで周囲の警戒をしていれば宜しいでしょうか?」
「無論それもお願いしたい所ですが……そちらに〈インベントリ〉の空きはありますかな? もし余裕があれば、少し荷を受け持って頂けると有難いのですが」
「あ、僕は『天擁』です。荷物でしたら幾らでも預かれますが」
「おお、それは珍しい―――ですが、この場では非常に有難いことです。それでは先頭車輛に積まれた荷は、そのままあなたに全て預かって頂いても?」
「それは構いませんが……。そんな簡単に信用しても、よろしいのですか?」
少し苦笑混じりに、シグレはそう問い返す。
どういった商品が荷として積まれているのかは知らないが。それでも馬車一台分の荷ともなれば、その金銭価値が相当な額に及ぶだろうことは容易に察しがつく。
〈インベントリ〉や〈ストレージ〉に一度アイテムを収納すれば、本人以外には取り出すことが不可能となり、当然ながら荷を『持ち逃げ』するようなことも簡単にできてしまうのだ。
だというのに、今日初めて会ったばかりの掃討者に車輛ひとつ分の荷を全て預けてしまうというのは―――些か不用心が過ぎるのではないだろうか。
「ははっ。自分を助けてくれた者を信頼する、というのは当然のことです。
それに私も、これで結構長く『商人』をやっておりますからな。信用しても良い相手なのかどうか、見極めるだけの目は持っていると自負しておりますので」
「……そう言われては、断れませんね」
シグレは自分よりも年長の相手に対しては、無条件に敬意を抱く。まして老いを重ねた、自分よりずっと長い年月を生きているであろう相手であれば尚更だ。
そうした相手から『信用に足る人物』だと判断して貰えるのは、シグレにとって素直に嬉しいことだった。なればこそ、その信用には是が非でも応えたい。
仲間に改めて事情を説明し、魔物に対する警戒を全面的に任せてから。シグレは先頭の馬車に入り、その荷に手を付け始める。
アイテムを〈インベントリ〉や〈ストレージ〉に収納するためには、その重量や大きさに関して幾つかの条件があり、例えば重量に関してであれば『自分の両手で持てない重さのアイテムは収納できない』という決まりがある。
馬車の中には二段重ねにされた木箱が、左右にそれぞれ3組ずつ、合計で12箱置かれていた。アイテムは箱などに収納された状態であっても〈インベントリ〉に入れられるので、シグレはこれを持ち上げてみようとする―――が、これがかなり重たいものであるらしく、ピクリとも持ち上がらない。
「箱を開封しても構いませんか?」
「ええ、もちろんです。そのまま収納するのは難しいでしょう」
エフレムの許可を得た上で、シグレは木箱の封をひとつずつ開けていく。
すると、木箱の中に詰まっていたのは全て『本』の類だった。土地や植物などに関する本、魔物に関する本、小説、民俗伝承……とりあえず『本』であれば何でも商材にしているのか、その分野は実に多岐に渡るようだ。
(……道理で、木箱ごとでは持ち上がらない筈だ)
木箱が持ち上がらないのは、自分の非力さのせいだと思っていたが。なるほど、箱の中にぎっしり本が詰め込まれているのであれば無理もない。
木箱のサイズ自体はそこまで大きくないが、各々の箱にはかなりの重量がある。
こんなものを全部で12箱も積載していれば、総重量も馬鹿にはならない。重量が馬車に負荷を掛け、疲労していた車軸にトドメを刺してしまったのも、無理からぬことだとシグレには思えた。
木箱に収められた本の中には、魔術書と思われるものも散見された。
自分が所有している魔術書と混同してしまわないよう、本の題字や装丁に簡単に目を通しながら、シグレは一冊ずつ自分の〈ストレージ〉の中へ放り込んでいく。
(……後で何冊か、売って貰えたりしないかなあ)
もちろん魔術書にも食指は動くが、それ以外にも料理や服飾に関する本も幾つかあるようで、収納作業を行う傍らでシグレは多分に興味を刺激されてしまう。
直接的なレシピを記述している本でなくとも、料理や衣類などを製作する上で、何かしらの参考にできる可能性は高い。こういった参考にできる本などがあれば、それを活かして既存のレシピにアレンジなどを加えることも可能だろう。
ここ最近は随分と生産に入れ込んでしまっていることだし……売って貰えるようであれば、こういう資料を幾つか手元に持っておくのも良さそうだ。




