80. 雨期が開けて - 6
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こちらの世界に初めて来た日より、ずっと宿泊している『小麦挽きの家処亭』の一階にある食堂は、普段から掃討者ギルド二階にある『バンガード』の広大な店内を見慣れているシグレ達から見れば、手狭にも見える。
けれど、そもそも宿の建物規模自体がそれほど大きくないことを考えれば、一階の食堂は分不相応な広さを持っているとも言えた。
それは取りも直さずこの宿の食堂が、宿泊をしない市民にも純粋な飲食店として愛されていることの証左でもあった。正午ともなれば一階の店内で食事を楽しんでいる客足は多く、普段以上の宿の賑わいを感じることができる。
「シグレ! こっちです!」
店内を見回していると、右奥にあるテーブル席から、ぶんぶんと力強くこちらへ手を振ってくれる緑髪の少女―――エミルの姿があった。そのすぐ近くにキッカと黒鉄の姿もある。
事前に念話で『そろそろ着きます』と伝えてあったので、食堂に出入りする人間を注視してくれていたのだろう。こちらも軽く手を振り返して応じつつ、エミルが確保してくれているテーブル席へと向かう。
雨期に入って間もない頃から、エミルはシグレと同じこの宿に部屋を借りるようになった。ちょうど空いていたので、位置はシグレの隣部屋になる。
シグレ達は普段『バンガード』で昼食を取ることが多かったが、エミルがここに住むようになって宿で提供される食事を大層気に入ってくれたこともあり、最近は専ら昼もこの食堂で取ることが多くなっていた。
ただ、キッカの泊まっている宿は、街の中央を挟んだ逆側にある。今はキッカもこの宿の食事を気に入ってくれたこともあり、わざわざこちらまで足を運んでくれているが。やはり位置関係を考えると、遠からず昼食の場はお互いの中間地点にある『バンガード』に戻ることになるだろう。
「おおっ、シグレってば彼女同伴? 随分と可愛い子を連れてるけど」
「―――か、彼女っ!?」
キッカの言葉に反応し、がたっと勢い良く席から立ち上がるエミル。
真っ直ぐな驚きの視線を向けられて、シグレは思わず溜息を吐いた。
「断じて違います……」
そう答えるシグレの唇は、端が引きつってしまう。
「彼は男性です。ライブラ、自己紹介をして頂けますか」
「あ、はい! ボクは魔術師のライブラ・トラップと言います。師匠がいま言って下さった通り、男です。〈秘術師〉と〈伝承術師〉、それと〈精霊術師〉のスペルを使うことができます」
ライブラの言葉を聞き、キッカとエミルの目が点になる。
唯一、黒鉄だけが『我関せず』といった様子で、テーブル脇の冷たい床面に頭を擦りつけるようにしながら、大きな欠伸をしてみせた。
「暫くの間、ライブラも狩りに同行させたいのですが、構いませんか?」
「それは全く構わないけれど……。この子が、男の子? 本当に?」
「……どう見ても同性にしか見えないのですが」
男と言われても、脳が理解を拒むのだろう。その感覚はシグレにも良く判った。
というか、男と承知している筈の今でも、ライブラがよく見せる無垢な笑顔などを正面から見ていると、時折少しどきりとさせられる瞬間があるのだ。
『纏う臭いは雄のものだ。嘘では無かろうよ』
「黒鉄さん、お久しぶりです。先日はお世話になりました」
『うむ。そちらも息災で何より。頼もしき魔術の使い手が仲間になるのは、我等にとっても有難いことだ』
ペコリと頭を下げるライブラに、泰然と応じる黒鉄。
ライブラと黒鉄は先日の〈迷宮地〉探索で一度共闘しているので、互いのことについては戦闘で担う役割も含め、既に見知っている。
「……あの、シグレ。この方は、本当に男性なんですか? その、シグレの言葉を疑うわけではありませんし、そのほうが僕は安心できはするのですが、でも」
「あはは……エミルが容易に信じられない気持ちも理解できますが……。
どうせ今日か明日中には一緒に狩りに行くことになると思いますし、折角なのでライブラをフレンドに登録されれば、その疑いも晴れるのではないですか?」
フレンドに登録した相手は、ステータスの詳細を見ることができるようになる。
確認出来る情報は相手の名前や種族、能力値などがメインではあるが、性別や年齢、修得しているスキルやスペルといった、より踏み込んだ情報も閲覧しようと思えば可能になる。
なのでライブラの性別に関してはシグレの側から言葉を尽くして説明するより、自分の目で一度はっきり見確かめて貰う方が、手っ取り早いというものだ。
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ライブラ/妖狐種
戦闘職Lv.5:秘術師、伝承術師、精霊術師
生産職Lv.4:縫製職人
最大HP:127 / 最大MP:568
[筋力] 18 [強靱] 9 [敏捷] 43
[知恵] 84+10 [魅力] 86+26 [加護] 57
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◇ MP回復率[15]: MPが1分間に[+85.20]ポイント自然回復する
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フレンド登録の話をしている一行を脇目に、シグレも自分の視界内にライブラの情報を表示してみる。
前回ステータスを見たときよりも戦闘職のレベルが1つ成長しているようだが、もしかすると〈迷宮地〉探索の最中に上がっていたのだろうか。
レベル増加に巫女服の効果も相俟って、MPの最大値と自然回復の速度はかなり増していることが判る。しかし一方で、最大HPに関しては殆ど増えていない。
シグレほど極端ではないにしても……良くも悪くもライブラのステータス傾向がシグレに似通ったものであることは、数値を見るだけで察せられることだった。
「わ、ホントに男性だ。全くそんな風に見えないんだけどなあ……。
って、ごめん。そういう風に言われるのは、多分ライブラも嫌だよね」
「あは。良く言われることなので気にしないで下さい。たまにしか会わない方にもお陰ですぐに顔を覚えて頂けますし、自分の個性だと思っていますから」
巫女服のライブラが、はにかみながら少し照れくさそうにそう答える。
随分と強力な個性だなあ―――とは、思っても口には出さなかった。
「お帰り、シグレ。最近はよくうちで昼も食べてくれるんだねえ」
後から来たシグレとライブラの為に、テーブルに追加2人分のお茶を並べながら女将さんがそう問いかける。
「ここで頂ける食事は、それだけ美味しいですからね。食べに来たくなるんです。
えっと―――四人分の昼食を何か適当にお願いできますか? あとは他に、皆で分けて食べられそうなものもありましたら」
「雨期が明けたお陰で、今朝になって〈フェロン〉からキノコが随分沢山届けられてねえ。ホウレン草とキノコで作ったキッシュがあるから、それでいいかい?」
「それはとても美味しそうですね。是非ひとつお願いします」
掃討者ギルドの『バンガード』とは異なり、宿で出される食事にはアラカルトと呼べるほど種類の揃えはなく、メニューを眺めて選ぶ楽しみはない。
ここでの注文は基本的に、内容を女将さんに任せる形になる。
「あいよ、じゃあ四人分とキッシュが一枚ね。
ああ―――そうだ、シグレ。あんた前に、北の森で『バルクァード』を狩って、うちに肉を沢山譲ってくれたことがあったろう?」
「ええ、ありましたね。ちょうど雨期の始まる頃だったでしょうか」
「今でも北の森に狩りに行ったりするのかい? もし行くんであれば、悪いけれどちょっと頼まれて貰えないかねえ」
「もちろんです。また肉を獲って来ればよろしいですか?」
雨に煙る視界の中で狩るのは少し難しかったが、雨期も明けて、すっかり晴れた今であればバルクァードを狩るのに苦労する事も無いだろう。
けれどシグレの言葉に、女将さんは頭を振ってみせた。
「欲しいのはお肉じゃなくてね。―――いや、バルクァードの肉はお客さん受けがいいから、それはそれで持ってきてくれると嬉しくはあるんだけれどねえ。
今回頼みたいのは、森の川沿いに生えるベリーの採取なんだよ」
「……ベリー? 『漿果』ということですか?」
「これが実物なんだけどね。見たことはあるかい?」
エプロンのポケットからひとつの果実を取り出し、女将さんが軽く投げて寄越したそれを、慌ててシグレはキャッチする。
橙色の果実だ。形状は卵のように少し潰れた楕円形で、大きさは鶏卵のそれより僅かにだけ大きい程度だろうか。ただ、持ってみると見た目の割に重量が詰まっているような印象を受ける。
「色や形は枇杷によく似ていますね。もっとも枇杷の実であれば、こんなに重くはならないでしょうが」
枇杷の実は体積の4割弱ぐらいを中にある種子が占めるため、どうしても重量は見た目の割に軽くなる。種子部は可食部よりも水分が少ない分、軽いからだ。
「北の森には何度か行ったことあるけど、この実は見たことないなあ……」
「この果実は『ヒールベリー』ですね。特に水辺の近くに生える灌木の実なので、普通に森を歩いているだけではあまり見かけないかもしれません」
キッカは見たことがないようだが、ライブラは良く知っているらしい。
「季節を問わず採れるんだけどね、果実は冬は酸っぱくて、夏は甘くなるんだよ。初夏に入った今頃だと、ちょうど冬の酸味と夏の甘味がどちらも色濃く出てねえ。漬け込んでジャムなんかにするには、一番いい時期なんだ」
ジャムを作る際には、その材料の種類を問わず殆どの場合は大量の砂糖を加えることになるが。材料自体が充分な甘さを持っていると、完成品の味から砂糖っぽさをある程度消すことができる利点がある。
けれど一方で、ジャムを作る為にはある程度の『酸』も必要となるため、酸味を持たない材料で作る場合には、別途『酸』を添加することが必要になる。
なので両者を併せ持つこの時期のものが、最も適しているということだろう。
「僕が少し前までお世話になっていた孤児院でも、毎年この時期にヒールベリーのジャムを作ったりしていましたね。材料は露店市で買ってましたけれど……。
日持ちもするし、栄養価も高いので幾つか作っておくと便利なんです」
「なるほど、確かにとても身体に良さそうな名前をしていますよね」
エミルの言葉を受けて、シグレは頷く。
何しろ名前に『ヒール』なんて文字が含まれるのだ。なんとも薬効が豊富そうな果実だと思えた。
「北の森に入って林道を真っ直ぐ進むと、やがて川に差し掛かるんだけど、それは知ってるかい?」
「いえ、全く存じません。バルクァードを狩るだけなら、森の入口付近だけで済みましたので……」
シグレにとってのバルクァード狩りとは、森の入口から林道沿いの空を見上げ、魔物の姿を視認するたびに攻撃スペルを放つだけの簡単なお仕事だ。
狩ってる感覚としては『クレー射撃』に近いかもしれない。もっとも、碌に狙いも付けずにスペルの誘導性能だけで魔物を撃ち落としているこの狩り方に、クレー射撃のような競技性など微塵もありはしないのだが。
ドロップアイテムも直接〈インベントリ〉に収集されるから、森の入口より深い場所には、ただの一度として入ったことが無かった。
「最近は都市の近くまでよく飛んで来るようになったって話だもんねえ……。
ああ、川は北門を出てから林道に沿って、徒歩で1時間って所だね。そのぐらい歩いたら橋が見えてくるから、あとは川沿いを少し探せばヒールベリーは幾らでも採れると思うんだ。面倒でなければ、採取を頼んじゃっても構わないかい?」
「判りました。お世話になっていますし、この程度のことは協力させて下さい」
「ありがとねえ。あんまり多くはないけれど、後でお礼は払うからさ」
「では自分用も採ってきますので、後でジャムの漬け方を教えて頂けませんか? 僕も〈調理師〉の天恵は持っていますので、折角ですしひとつ作ってみようかと」
「そんなことでいいのかい? シグレは無欲だねえ」
狩りに持って行く軽食として、シグレはサンドイッチを作ることが多い。
ジャムの類は何かと便利に使えそうだし、シグレとしてもレシピを教わることができるならば、それには充分に報酬としての価値があると思えた。
「では、次回の『狩り』は北の森で採取のついでに、ですか?」
「そうだね。ライブラもそれでいい? あまり戦闘しないかもしれないけれど」
「はい! ボクも一度、バルクァードは狩ってみたかったですし」
「調理の素材なんかも一緒に採るのなら、朝早いうちから行くのがいいかもだね。夜露がまだ乾かないうちに採るほうが、山菜やキノコの質は高くなるから」
「なるほど、そういうものですか」
女将さんが言うのだから、間違いないのだろう。
―――となれば、明日は早朝からの採取行か。
黒鉄やエミルは普段から早起きだから全く問題ないだろう。ライブラも以前尾行されていた時には、シグレが朝6時に目を覚ました時点で既に宿の外に張り込んでいたことがあるぐらいなので、きっと朝には強い筈だ。
ただ、問題は―――。
「ごめん私はパス。無理、起きれない。起きたくない。絶対イヤ……」
「……まあ、そう言うとは思いました」
キッカの反応があまりに予想通りだったため、思わずシグレは苦笑する。
シグレと同じ『天擁』である筈のキッカは、例に漏れずこの世界で『朝6時』にきっちり目を覚ますはずなのだが。現実で低血圧であるらしい影響からか、昼近い時間帯になるまでは活動したがらない節がある。
早朝から狩りに行くというのは、キッカにとってかなり酷なことだろう。
(ああ、早朝から出るのであれば―――)
採取と狩り、その両方を併行しても午前の内に都市へ戻れるだろう。それならば昼に『鉄華』の店番に立たなければならないカグヤにとっても都合が良い筈だ。
カグヤとは先日の〈迷宮地〉探索を終えた後でも、普通に店や浴場では顔を合わせているが。ただ、あの探索行を最後に、狩りを共にする機会を失ったままというのは、お互いにとってあまり良いことでは無いような気がする。
―――是非とも後で念話して、カグヤも誘ってみることにしよう。
ゴールデンウィーク合わせの催事労働に従事していたため、投稿頻度が下がっておりました。申し訳ありません。
本日で無事終わりましたので、明後日辺りからペースを戻せたらいいなと思っております。
(※明日は筋肉痛で死ぬ予定)




