79. 雨期が開けて - 5
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「……申し訳ありません、ライブラ。僕は無力な人間です」
「え? 何がですか?」
都市の街路を歩く少女―――もとい、少年は巫女の格好をしていた。
石畳の街路に、石作りのものが多い家々。彩りに乏しい街並みの中で、初夏の陽光を受けて鮮やかに映えるライブラの紅白が眩しい。
袖のない白衣と、異常に丈の短い緋袴は、格好としては初夏に相応しい涼しげなものとも言えなくはないが、やはり衆目を集めてしまう。
普段は黒いタイツを穿いていることが多いライブラも、足袋の下に穿くのは合わないと感じたのか、今日は綺麗な両脚を露出させている。
通りで擦れ違えば、思わず振り返る存在感。……とりわけ、男性の視線を集めてしまっているのは、純粋にライブラ自身の可愛らしさによる所が大きい。
「でもホント、びっくりするぐらいこの服だと快適です……! 夏はちょっと苦手なんですが、この服を着ていると全く暑くありません!」
装備にある〔温冷調整〕の効果が、それだけ大きいということだろう。
夏はシグレも苦手なので、羨ましいなあと思う。―――だからといって、いくら暑さを凌げるとはいっても、その服を自分で着たいとは微塵も思わないが。
「他の付加効果も強力ですし……この服ですが、ホントにボクが頂いてしまってもよろしいのでしょうか? 売ったら結構な高額になると思うのですが……」
「ルトナも構わないと言っていましたし、良いと思いますよ」
実際、付加効果はびっくりするほど強力だ。
〔温冷調整〕以外の二つは〔魅力+26〕と〔最大MP+10%〕。ライブラの有する戦闘職は〈秘術師〉〈伝承術師〉〈精霊術師〉の三つになるが、このうち前の二つはスペル効果が[知恵]依存だが、〈精霊術師〉のスペルは[魅力]依存となる。
ライブラにとって間違いなく有用な能力値補正だし、最大MPの増加は魔術師であれば誰であっても嬉しいものだ。特にライブラの場合はMP回復率も『15』と高めなので、最大MPが10%増加することに伴い、MPの自然回復量も10%押し上げられる意味は大きい。
それに、これだけ有用な付加効果が並んでいるのに、使われている布帛が亜麻と絹だけなので、生産コストが殆ど掛かっていないというのも恐ろしい。原価を押し上げる最大要因となる『魔物素材』が、この服には一切使われていないのだ。
もちろん亜麻は安い布帛ではないし、ルトナが作業した箇所には金糸も少し使われているようだが。それでも材料費は、一着3,000gitaといった所だろう。
普段着として考えるには高いが、掃討者の装備品として見るならば充分に安い。
必要ならまた作れば良いだけなので、シグレからしてもルトナからしても、別にライブラに一着進呈するぐらいのことは何でも無かった。
(狐耳と巫女服の組み合わせって、何気に親和性があるな……)
巫女服とは合わないと思ったのか、珍しくライブラは三角帽子をしていない。
彼女の―――ではなく、彼の頭の上でぴこぴこと嬉しそうに動く、二つの狐耳を眺めながらシグレはそんなことを思う。
その姿はどこか、お稲荷様を彷彿とさせるような気がした。贔屓目無しに見ても、似合いすぎている。
これでライブラが巫女らしく〈巫覡術師〉の天恵も持っていれば、完璧だったのだろうけれど。
「そういえば、近いうちに念話を送らせて頂こうかと思っていたので、偶然師匠とお会い出来たのは幸いでした。その……師匠に少し、お願いがあるのですが」
「お願い、ですか? 何でしょう?」
「近いうちに一度……いえ、一度だけでは足りないですね。宜しければ暫くの間、師匠の『狩り』に同行させては頂けないでしょうか?」
「それは全く構いませんし、大歓迎ですが。お仕事の方は大丈夫なのですか?」
王城で『魔術技官』という職に就いているはずなので、あまりライブラは掃討者としての仕事にばかり精を出すというわけにもいかない筈だ。
そう思って訊ねたシグレに、ライブラは静かに頷いて応えた。
「大丈夫です。というか、仕事の一環として同行させて頂きたくて。あ、もちろん主席の許可は既に貰っていますので」
ライブラの言う『主席』とは、実質的な上司にあたるルーチェのことだ。
「仕事の一環、ですか? 掃討者業と技官仕事は、あまり関係が無いような……」
「師匠の戦い方を、傍で暫く見させて頂きたいんです。多数の天恵に裏付けられた師匠の戦い方は、普通の魔術師のものとは全く異なってます。師匠の許可さえ頂けるなら、その戦闘技術をレポートに纏めて、王城へ提出させて頂きたくて」
「……へ? 僕の戦い方を、ですか?」
「はい!」
あまりに意外な申し出に驚かされるシグレだったが、それとは裏腹に、頷いてみせるライブラの言葉は力強い。
「それは構いませんが……。あまり他の方の参考には、ならないと思いますよ?」
ライブラの言う通り、シグレの戦い方は多数の天恵に裏付けられたものだ。
詠唱時間がゼロ、あるいは短めのスペルを多数修得しておき、戦闘開始直後から多様なスペルを連続行使して畳み掛ける。―――身も蓋もないが、シグレの戦い方などというものは、結局の所それだけのことだ。
逆に言えば、その戦い方は多数の術師職天恵を有していなければ成り立たない。普通の魔術師がシグレの戦い方を真似しようと思っても、それは無理だろう。
「天恵は複数を有する場合、同一系統のもので集まりやすい―――およそ三年前に王城に提出されたレポートの中に、そのような説があります。
他ならぬボク自身もそうですが、『前衛職』の天恵ばかりを3つ持っていたり、あるいは『後衛職』の天恵だけを3つ持つ方、などは王城内にも存在しています。また、掃討者ギルドの登録記録を検めました所、過去には『術師職』の天恵だけを『5つ』有していた方も何人か登録されていました」
「おお、5つもですか」
もちろん師匠に較べれば大したことないんですけどね、とライブラは続けたが。シグレの場合は意図的に全ての術師職を『選択』したのだから、そもそも較べるのが間違いというものだ。
こちらの世界の住人である『星白』の人達にとっては、天恵とは文字通り天与のものだ。自ら選んだわけでもなく、偶然に術師職だけを5つも持って生まれる確率というのは、一体どれ程に希少なものだろうか。
「師匠の戦い方を真似るだけなら、術師職を『3つ』ぐらい持っていれば無理ではないとボクは考えています。
スペルスロットは初期で『4枠』。スロットを増やす《術師の多才》スキルは、どの術師職でも修得することが可能ですから、3つの職業でこれを『2ランク』ずつ伸ばすと、スロットは合計で6つ増えて『10枠』にまで拡張されます。
こうなると、3職合わせて『30種類』のスペルを常時覚えておくことができるようになります。師匠が普段使うスペルも、多用するものに限れば大体それぐらいの種類ではないでしょうか?」
現時点で、シグレは修得しているスペルの数は、既に70種を越えている。
けれども修得しているからと言ってそれら全てを多用しているかといえば、全くそんなことは無いのだった。ライブラの言う通り、良く使うスペルなどは多くても30種類といった所だろう。
「スペルを沢山使いますので、3職だけだとMPが足りなくなりませんか?」
「MP回復率や最大MPなどもスキルで高めることができます。それらのスキルも3職それぞれにありますから、揃えて修得すればかなり高めることができますね。 また、MPを回復させるポーションなども併用すれば師匠のMP回復の早さにも追い付ける―――とまではならないでしょうが、ある程度はスペルを沢山使っても平気にはなれると思います」
「なるほど……」
シグレは今までMP回復ポーションの類を使用したことがない。理由は単純で、その必要に迫られるほどMPが減ったことがないからだ。
ただ、緊急用として〈インベントリ〉の中には、シグレもその手のポーションを幾つか忍ばせてはいる。
この世界に来た当初には、露店などで売られているポーション類を随分と高価だと感じたものだが。魔物の狩りにも慣れて収入が安定した今となっては、それほど高価というわけでもない。
少なくとも1瓶あたりの回復量が大きくない低質のポーションならば、例え常用したところで、負担と感じるほどの支出にもならないだろう。
「僕の戦い方など、別に見ていて楽しいものでも無いと思いますが……」
「そんなことないです! この間の〈迷宮地〉でも、師匠の戦い方は後ろで拝見していて、すごく勉強になりましたし格好良かったです!」
「そ、そうですか……。判りました、こちらとしてもライブラが同行してくれるのであれば有難いです。暫くの間、よろしくお願いします」
そう告げて、シグレが小さく頭を下げると。ライブラは嬉しそうに顔を綻ばせながら、こくこくと何度も何度も頷いてみせた。
「ではでは、次回の狩りの予定は既にお決まりですか?」
「いえ、まだです。今から同じ宿の狩り仲間と一緒に食事の約束をしているので、その辺の話もするとは思いますが。お昼の予定が決まっていなければ、ライブラも一緒に来ませんか? よく狩りを共にする仲間を紹介しますので」
「あ、是非お願いします! それは先日のユウジさんとは別の方ですか?」
「はい、別人ですね」
ユウジとはあれから何度か念話で話したし、ギルド二階の『バンガード』で顔を合わせたこともあるが。〈迷宮地〉を共にした一度きりで、あれ以来パーティを組んで共に狩りをしたことはない。
ずっと『雨期』が続いていたため、あまり狩り自体に行かなかったというのもあるが。それ以上に……あの日共に狩りをした中で、力の差を見せつけられたからというのが大きかった。
攻防共に極めて高い水準にあるユウジの存在は、今のシグレにとって頼りになり過ぎる。彼が同行してくれれば、かなり格上の狩場に行くことも可能ではあるが。けれどそれは一種のPL行為であり、ただの『寄生』だ。
ユウジと共に戦うためには、もっと彼に追い付ける強さを身に付けなくてはならない。
その『強さ』とは必ずしもレベルのことではない。ユウジのレベルは『35』と高く、シグレとのレベル差は『33』もある。だが、それだけレベルの違いがあってもシグレにはこの差を縮めることは難しいだろう。
獲得経験値が『1%』になるというペナルティは、それだけ重い。だからシグレは何か他の部分で自身の『強さ』を確立する必要があった。
(そうだ。もう少し、僕は『強く』ならなければ―――)
以前までなら、自分の強さというものにシグレはそれほど執着していなかった。成長が遅いペナルティは自分の意志で受け容れたものなのだし、人よりも遅い速度でゆっくり成長していければそれで良いと。そう割り切ってさえいたのだが。
だが、今は違う。今は―――少なからず(強くありたい)という明確な意志を、シグレは抱いていた。
その動機は先日のカグヤと共に〈迷宮地〉を探索したときのことに起因する。
シグレは、カグヤを護れなかった。
いや、正確に言えば、カグヤが命を落とすという最悪の事態は免れられたのだ。そういう意味では『護れた』と言うこともできるだろうが。
―――だが、その結果シグレが命を落としているのだから世話がない。
死ぬこと自体は構わない。当然デスペナルティは受けてしまったが、それだけのことだ。『天擁』であるシグレはどうせ復活できるのだから、問題ではない。
けれどカグヤは―――優しい彼女は、おそらくシグレが代わりに命を落としたことに、暫く気を病むことになるだろう。
それが、許せなかった。もしシグレに身を護る充分な力があれば―――カグヤを逃がし、その上で自分も死なないという結果も出せた筈だった。あるいは正面から堂々と魔物を打ち倒せるなら、そもそも彼女を逃がす必要自体無かった筈だ。
この世界に来て、初めてシグレは無力感を味わった。
―――もっと強くありたい、と。そう思った。
「ライブラ。これから暫く一緒に狩りをする上で、お願いがあるのですが」
「―――あ、はい。何でしょう? ボクに出来ることでしたら何でも!」
「何か……僕の戦い方を見ていて、気になることがあれば遠慮無く言って欲しいのです。もっと、ここをこうすれば上手く戦えるとか、僕の戦い方のこういう部分が良くないとか―――些細なことでも結構です。どのようなことでも、気付いたことがあれば教えて頂けますか」
強くなりたい。だけど、それは一朝一夕にできることではない。
その為に、いま出来ることから。ひとつずつでも踏み出さなければ。




