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リバーステイル・ロマネスク  作者: 旅籠文楽
4章 - 《創り手の快楽》

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77. 雨期が開けて - 3

 



 暫し黙考したあと、シグレはフェルト生地を袋状に整えていく。

 現実世界で繕い物をした経験など無いのだが、こちらの世界では適切な道具さえあれば思うままに精緻な線を描いて綺麗に縫い付けることができる。

 それは〈縫製職人〉の天恵を有していれば誰にでも可能なことかもしれないし、あるいは手先の器用さに影響する[敏捷]の能力値(パラメータ)が、シグレの場合は相応に高いせいなのかもしれなかった。


 形状が仕上がったら、〈ストレージ〉から『バルクァードの羽毛』を取り出して袋の中へと詰めていく。

 この世界で魔物から得られるドロップアイテムは、討伐した際に自動的に〈インベントリ〉の中へと収集される。そのため、掃討者が魔物の死体から素材を剥ぎ取る作業などを行うことは一切無い。

 だからなのか、魔物から手に入れた素材は土や泥、魔物の血などで汚れているということもなく意外なほどに初めから清潔な状態で手に入る。

 とはいえ元々は野性の動物の―――いや、野性の魔物の身体の一部だった筈なのだから、良くない雑菌などが付着している可能性はあるだろうか。シグレは一応、念のために【浄化】のスペルを掛けてから袋の口を閉じた。


 表面の生地は少し硬いが、充分な羽毛が収まった袋は適度なふかふか感と反発力が相俟って、感触は悪くない気がする。

 ―――これならば充分に『(ピロー)』として売り物になるだろうか。


「六十点といった所ですね。ま、買取っては貰えると思いますわ」

「ああ、それなら良かったです」


 ぽんぽん、と数回枕を手のひらで叩きながらシグレは静かに頷く。

 いつの間にかシグレのすぐ背後に、誰かが立っている気配があった。


「……先輩。いつから見てたんですか?」

「シグレがテーブル上にメルグーの毛を並べ始めた辺りでしょうか」

「最初からじゃないですか……」


 別に見られて困りはしないが、居たのなら声ぐらいは掛けて欲しい。


「わたくしにも、教え子の成長をこっそり確かめたい気持ちはありますの」


 うんうん、と目を閉じながら何度も頷いてみせる彼女は、『縫製職人ギルド』を初めて訪ねたときからシグレの面倒を見てくれた『ルトナ』という先輩だ。

 先輩と言っても、見た目の年齢はシグレと同じぐらいだろうか。初夏に相応しい袖のない白いシャツに、ビビッドな赤を湛えたチェックスカートが眩しい。

 センスの良い格好だとは思いながらも……両親共に普通の小麦農家であるらしい彼女が、なぜお嬢様言葉を多用するのかがシグレには不思議でならなかった。

 それにルトナはなぜか背中にいつも小さめの竹箒を背負っている。縫製作業中もずっと箒を背中に担いでいる姿は、なんだか変な奇妙さを漂わせていた。


 ちなみにルトナの〈縫製職人〉のレベルは『25』と高い割に、彼女は革物は全く扱わない。

 逆に言えば、布製品の生産だけでそのレベルに達しているわけだから、ある意味凄いことなのかもしれなかった。


「茶一色のフェルト枕ですか……。少々地味が過ぎるようにも思えますが、あまり寝具に派手さを求めても仕方有りませんから、次第点ではあるでしょう。

 ―――ああ、ですがシグレは今回初めてレシピを参照せず生産をしましたね? 創作処女作と考えれば、これでも充分に『良い』と評せるでしょうね」


 ここ最近生産していた貫頭衣は、ルトナから貰ったレシピの通りに作っていた。

 それを思えば―――なるほど、確かにレシピと無関係な縫製品を作ったのはこれが初めての経験だった。


「ありがとうございます、先輩」

「とはいえ……このまま商品にするのは少々、足りない気もしますわね」


 そう告げるや否や、ルトナは〈インベントリ〉の中から真っ白な布を取り出し、2分と掛からずにピローカバーを縫い上げてしまう。

 立ったままの繕い物なのに縫い目は正確そのものであり、サイズを計測したわけでもないのにシグレの作った枕はそのカバーの内側にぴたりと収まった。


「人間は眠る時に最もリラックスした状態になりますが。不思議と緊張した状態の時より、落ち着いている時のほうが触覚や嗅覚は鋭敏になったりするものです。

 硬く締めたフェルトは少々ごわごわしますから、枕として使うには肌触りが気になってしまう方もいらっしゃることでしょう。洗濯して日用することを考えても、カバーのひとつぐらいは初めから付いていても良いですわね」

「なるほど……。カバーの素材は木綿(コットン)ですね、確かに肌触りも良い」

「それに安価ですからね。―――ああ、素材に先程【浄化】のスペルを使ったのは悪くない判断だと思いますわ。一見して汚れていないように見えても、魔物から得た素材には多少の(にお)いなどが染みついていることはありますから」

「……臭いも【浄化】のスペルを使えば取り除けるのですか?」

「さあ? わたくしは魔術師ではありませんので、詳しいことはさっぱりですわ。その辺はスペルの使い手であるシグレのほうが良く知っているでしょう?

 ただ……【浄化】を行使できる魔術師は洗濯をしない、という話は耳にしたことがありますわね。衣類に染みついた体臭などが落とせるのでしたら、きっと魔物の臭いも素材から落とせるのではないですの?」


 なるほど。そう言われれば、そうかもしれないとも思う。


「ところで、カバーの手間賃と諸々の指導料は例によってお菓子で払って下さって構いませんのよ? どうせシグレは今日も焼菓子を持ってきているのでしょう?」

「先日チーズがお好きだと言っていたので、ケーゼトルテを用意してありますが」


 ケーゼトルテというのは、ドイツ風チーズケーキのことだ。


完璧(パーフェクト)ですわシグレ。あなたは女性の(ハート)を掴むことに関しては、満点です」


 評価されるのは嬉しいが、そんなことでおだてられても何も出ないのに、とシグレは内心で思う。せいぜい立ち寄った露店市で購入した、まだ温かい紅茶を一緒に提供することと、あとはケーキのお代わりを用意することぐらいだ。

 付近のテーブルに陣取っている何人かの職人が、会話のやり取りを聞いていたのか興味深そうにこちらへ視線を送ってきたので、予めホールサイズで作っておいたケーキを必要数だけ切ってお裾分けする。

 こういう時、幾らでもアイテムを収納しておける〈ストレージ〉の存在が非常に有難かった。小皿やフォークといった細かい食器類は、露店市で安価なものを見かけた際に大量購入し、纏めて〈ストレージ〉の中へ放り込んである。

 使用後は収納する際に【浄化】を使えば、洗浄する手間も掛からない。気付けばこちらの世界に来てからというもの、【浄化】はシグレが最もお世話になっているスペルであるように思えた。


「ああ……この上等なチーズならではの、絶妙な濃厚さがたまりませんわ……」


 そう漏らすルトナの表情は、どこか恍惚めいたものになっている。


 ルトナは『上等』と評したが、いま彼女が舌鼓を打っているケーキに用いられているチーズは、この都市の露店市で普通に安く手に入る何の変哲もないものだ。

 ただ、オーク狩りの際にも訪れた、畜産の盛んな『トワド』の村が王都東すぐの距離に隣接していることもあり、そもそも『王都アーカナム』では乳製品を初めとした家畜由来の材料が安価に、それも鮮度の良い上質のものが手に入れやすい。


 卵と乳製品は東の『トワド』から、砂糖や蜂蜜、果物類などは北の『フェロン』から新鮮なものが王都の市場へは毎日運ばれてくるのだ。

 肝心の小麦はルトナに売って貰うのもいいし、あるいはシグレが泊まっている宿でも購うことができる。

 『小麦()きの家処(いえどころ)亭』という宿の名前は伊達ではない。宿で購入できる女将さん自家製の小麦は質が良いし、もちろん実家が小麦農家であるルトナから購入する品もまた、その良質さは約束されている。


 以前カグヤが、この街の近郊では殆ど鉱石類が取れないと嘆いていたのは記憶に新しいが。少なくとも焼菓子を作ることに限れば、シグレは非常に恵まれた環境で暮らしているに違いない。

 もちろん菓子の材料に限る話でもない。畜産物と林産物、どちらも入手性が高いこの都市では、全般的に料理材料は安価に揃えやすい。〈調理師〉の生産経験値を得るには非常に都合が良い都市なのだ。

 この都市に最も天恵保有者が多い生産職は〈調理師〉だと聞いたことがある。

 もしかするとそれは単に調理に都合が良いこの都市に、他都市から〈調理師〉の天恵を持つ人が集まってくるからなのかもしれなかった。


(そういえば、この都市の南には海もあるらしいんだけれどなあ……)


 誰からともなく、そんな話をシグレは耳にした気がするのだが。その割に、ここ『王都アーカナム』では海産物が市場に流通している光景を一切見かけないように思えた。

 いや、燻製された魚だったなら一度は見ただろうか。しかし生魚が売られている光景を目にしないのはもちろん、宿の食堂でも、ギルド二階の『バンガード』でも魚料理はメニューの中に一切記載されていなかった筈だ。




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 □キアヒ鉱石/品質[88]


   【素材】  :〈縫製職人〉〈錬金術師〉〈薬師〉〈調理師〉


  | 海に近い鉱床で採れる、ぼろぼろと崩れやすい鉱石。

  | 地金(インゴット)に加工するには強度不足ながら、様々な生産に用いられる。


+----------------------------------------------------------------------------------+




 ふと思う所があって、シグレは〈ストレージ〉の中からゴブリンの巣で採掘した『キアヒ鉱石』をひとつだけ取り出す。

 その説明文の中でも、やはり近くに海があることは示唆されている。


(……きっと、何か事情があるんだろうな)


 長らく食べていないと、どうしても魚料理が恋しくなる。

 現実(リアル)での病棟の食事に魚が出ることは少なくないが―――そういうのではなく、シグレは焼きたての香ばしい魚を食べたいのだ。


「そういえば、テーブル上にあるそちらの小袋は何ですの? そちらも何か、別の焼き菓子だったりします? でしたら私の分を……」


 不意に、ルトナからそんなことを訊ねられて。思考の中に沈んでいた意識が急に引き戻される。

 冷静さを取り戻したシグレは、すぐに(かぶり)を振って彼女の問いに応えた。


「これは違います。神社の神主から頂いたもので」

「神主というと、セイジから?」

「はい。神社で用いる装束に似た、何かの縫製レシピらしいです。もし全く不要なレシピだったなら、市場に売り払って構わないと言われています」


 先月、他都市の神社を訪れた際にセイジが先方の神主から受け取ったレシピだと聞いている。

 けれど先方の神社で使われていた装束が、自分たちの所とは全くの別物であったため、利用価値が無いと判断されセイジから押しつけられ―――もとい、シグレが有難く頂戴したのだ。


「ふうん……縫製レシピと言われれば興味も湧きますわね。わたくしが見ても?」

「ええ、どうぞ。必要なら持って行って下さって構いませんよ」


 貫頭衣のレシピからしてそうだが、気前の良いルトナからは既に結構な数の縫製レシピを頂戴してしまっている。

 できれば金銭で礼をしたい所なのだが、ルトナは頑なに現金を受け取ってはくれないのだ。だから彼女に対して焼き菓子を提供しているのは、せめて金銭ではない別のもので礼をしようと考えた、シグレの苦肉の策でもあった。

 それをルトナも判っているのだろう。何の遠慮もなく、当然のように菓子を要求してくる彼女の気安さが、シグレにとっては有難い。とはいえ、焼菓子だけで礼が出来ているとは思えないので、レシピの提供が必要なら拒むつもりは無かった。


「……普通の巫女装束のレシピに見えますわね。シグレ、絹生地は余っていて?」

「確か〈ストレージ〉に20(たん)ぐらいは入っていたと思いますが」


 絹は北隣の街『フェロン』の特産品なので、こちらも王都内で安く手に入る。


「でしたら他の素材はわたくしが出しますから、白の絹生地を1反提供して頂戴。折角の機会ですし、戯れに作ってみるとしましょう」

「判りました」

「……とはいえ、ひとまず頂くものを頂いてから、ですわね」


 そう言って、ルトナは再度ケーキにフォークの先端を向ける。

 シグレも彼女に倣い、自分用に切った分のケーキに再び口を付けた。




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 □ケーゼトルテ/品質[77]


   摂食することで240分の間、最大MPが『+45』増加する。

   【品質劣化】:-1.50/日

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  | チーズとサワークリームの相性が深い味わいを生むチーズケーキ。

  | かなり濃厚なので、ぜひ紅茶か珈琲とセットで頂きたい。

  | 王都アーカナムの〈調理師〉シグレによって作成された。


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 半分ほど食べた時点で、シグレの最大MPが僅かに増加する。

 〈調理師〉が作成した調理アイテムは、能力値に何かしらの強化(バフ)を与える効果が付加されることが多い。これは意図的にそうしているのではなく、例えレシピを見ず適当に料理をしても、完成品に勝手に付加されてしまうのだ。

 そんなアイテムを、けれど戦闘とは全く関係ない場所で消費してしまうことを、少し勿体ないなあ―――と思わず感じそうになるのは、危険なことかもしれない。


 やってみると料理というのは随分楽しくて、つい作りすぎては〈ストレージ〉の中へ大量に調理アイテムを積載してしまいがちになる。

 そんな中で下手に消費までけちってしまうようでは……いくら日持ちするものが多いとはいえ、いつかは腐らせてしまうのが目に見えるようだった。

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