74. オルタード孤児院
『オルタード孤児院』は王都アーカナムに幾つかある孤児院の中で、最も規模の大きい施設だ。一度に収容養育できる人数もおよそ60人と多く、現在も収容可能な最大数に近い児童が施設の中で暮らしている。
エミルもまた『オルタード孤児院』にて養育されている孤児のひとりだ。
―――少なくとも現時点ではまだ、この施設の養育対象に違いなかった。さほど遠くないうちに出て行かなければならない身なのは間違いないが、エミルの年齢はまだ『34歳』に留まっているからだ。
『孤児院』で養育を受けられる年齢には制限が設けられており、一般的にそれは種族を問わず34歳までという規定になっている。
35歳に達した時点でその者は『成年した』と見なされ、施設養育の対象ではなくなるのだ。当然そうなれば孤児院からは追い出されることとなり、即座に外の世界で自活を始める必要が生じることになる。
今日この時点で、エミルの誕生日は七日後に控えていた。取りも直さず、それは残り七日の内に荷物を纏め、この施設を退居しなければならないということだ。
「ど、どうぞ。……安いお茶で申し訳ないですが」
相手から求められて出すものとはいえ、普段自分たちが飲んでいるのと同じ葉で淹れたものを貴族様に出したりして、気分を害したりしないだろうか―――と。
内心でそう萎縮しながら、エミルがおずおずとカップを差し出すと。見ただけで高級と判る装いをした壮齢の男性は、笑顔で「ありがとう」と受け取ってくれた。
「モーガンの奴は節約に目が無い男だからな。こういった茶のような嗜好品などは真っ先に節約の対象となるだろう。期待しておらんので気にせずとも構わんよ」
「あはは……」
「何しろ、そういう金銭に執心する性分を見込めばこそ、こちらも彼にこの孤児院の運営を任せているのだからね」
モーガンというのは、ここ『オルタード孤児院』を運営する院長の名前だ。
男性の告げた通り、この孤児院に籍を置く当事者のエミルから見ても節約に執心するタイプの男性で、施設で用いられる大半の嗜好品や調度品は見ただけで判るほどの『安物』で賄われていた。
けれどモーガン院長は「子供は腹一杯食べるべき」との信念を併せ持っており、一方で施設内で毎日三回出される食事に関しては、その吝嗇さを僅かにさえ見せることがない。
節約できる部分は妥協しないが、してはならない部分には絶対に手を付けない。良くも悪くも『理性的』である院長の節約志向には―――子供の時分にこそ多少は思う所もあったけれど。成年に近しい年齢に達した今となっては、エミルも率直に敬意を抱くようになっていた。
「君の分の茶も淹れたら、席に座ってくれたまえ。二人で少し話をしよう」
「は、はい」
ポットの余りから自分の分の茶もカップに注ぎ、言われた通り男性の向かい側にエミルも腰を下ろす。
ここは『オルタード孤児院』の院長室。その名の通りモーガン院長が用いる私室であり、同時に院長が外来の人に応対する応接室としての役目も兼ねていた。
けれども今は、その当事者であるモーガンの姿はここにはない。七日後に退居を控えたエミルと、それからもうひとりの男性だけがこの場にはあった。
「さて、まずは自己紹介といこうじゃないか。
―――私の名はモルク・スコーネと言う。どうして私が今日、この施設を訪ねて来たのか、君は知っているかね?」
「はい。この施設にスコーネ様がお金を出して下さっているからです」
「うん、その通りだ。実質的な運営はモーガンに任せてしまっているが、資金面に関しては全て私が担っている。後援者のようなものだと思ってくれ。
恩を着せたいわけではないが……人間というものは数が揃うと、その飲食ひとつ賄うにも結構な金が必要になるからな。孤児院のように纏まった人数を養育する施設を運営するともなれば、貴族の後ろ盾はどうしても不可欠となるのだ」
「それは……なんとなくですが、判ります」
モルクの語った言葉に、エミルも小さく頷く。
今では掃討者としての活動にも慣れ、特にシグレと共に狩りをする機会が増えてからは、収入もかなりの額に達するようになっているけれど。とりわけ掃討者として活動を初めてまだ経験が浅かった頃には、収入が心許なかった日々というものをエミルも相応に経験している。
自分ひとり食わせるだけのことが、いかに大変か身をもって学んだ日々だった。ひとり分の食費だけでもそうなのだから、60人分ともなれば日々の支出もかなりの額に達するであろうことは想像に難くない。
それこそ貴族の支援でも受けないことには、孤児院というものは回らないのだ。
「その……いつもありがとうございます。スコーネ様のお陰でここで暮らす僕達は皆、毎日ご飯を食べることができています」
「うん、礼は確かに受け取っておこう。だが、あまり気にしすぎる必要は無いな。ここで暮らす皆がいつか大人になった暁には税という形で返して貰うのだから」
「はい」
都市内にある宿の代金や、ちゃんとした商店で売られている物品などには、一定の税が価格に上乗せされる形で課せられている。ギルドにある『バンガード』での食事代もそうだし、魔物を倒して得た素材を商会に売り払う時にだって少なからず税が差し引かれている筈だ。
都市で暮らすと言うことは、都市に対して税を納めると言うことと同義なのだ。今まで孤児院という場で都市の恩恵を受けて育ったのだから、今後はこの都市内で一市民として暮らし、税として返していくことがそのまま恩返しとなるだろう。
「さて、私は名乗ったぞ? 次は君の番だな」
「あっ……し、失礼しました。えっと、僕はエミルと言います」
「ふむ。エミルの35歳の誕生日は、確か七日後に控えているのだったかな?」
「あ、はい。一応当日までは、ここにお世話になろうと思っていますが」
エミルの〈インベントリ〉には既に充分な額の資金が蓄えられているが、それでも出費を抑えるのに越したことはない。
それにまだ、孤児院の中で短くない時間を共に過ごした友人達の中には、充分にお別れを伝えられていない相手も居る。あと一週間だけ、今少しの間はこの場所で生活を続けていたかった。
「もちろんだとも、君にはその権利がある。
―――だが、申し訳ないがきっちり七日後にはここを後にして貰うことになる。都市にはここを含め四箇所の孤児院があるが、どこも飽和……とまでは言わずとも余裕のある状態では無いからね。収容可能な空きは確保しておく必要がある」
「はい。誕生日当日からは、どこかの宿に部屋を取って暮らそうと思っています」
「うむ、そうしてくれ。……ちなみに仕事のアテはあるかね? おそらく孤児院を出る前の間に仕事を見つけるよう、モーガンからは口酸っぱく言われているかとは思うのだが」
当たり前だが、孤児院を出た後になって仕事を探すのでは遅いのだ。
都市には無数の仕事が溢れているとはいえ、孤児院を出る『35歳』という年齢は一般的に見ればまだまだ子供の範囲内。なかなか雇ってくれる仕事が見つかるわけでは無いし、上手く就労先を見つけたとしても給料は安くて当然となる。
その給料も、ちょっとした作業労働などであれば当日中に日払いしてくれる所もあるが、きちんと給与体系が纏められた商店や商会などで勤務する場合は、大抵は月末を過ぎるまで受け取ることはできない。
孤児院を出た瞬間から宿代に食事代にと、様々なことにお金が必要になることを考えれば、仕事先を予め見つけておくことは当然ながら、ある程度の蓄えを持っておくことも大事なことだった。
「もしもまだ仕事が見つかっていないようなら、私の屋敷で一時的に侍女か何かとして雇うこともできなくはないが」
「お気遣いありがとうございます、大丈夫です。就職先……と言うと少し違う気もしますが。掃討者としての仕事にも大分慣れてきましたし、ある程度は蓄えも作ることができましたので」
「……ほう。女性であり、その若さでもありながら、掃討者としてかね」
少なからず驚きを露わにしたモルクに、エミルは頷く。
その証として〈インベントリ〉から取り出したギルドカードを手渡すと、モルクの顔に浮かぶ驚きの色は、より一層顕著なものへと変わった。
最近になって狩猟効率をぐんと上げることができたこともあり、現在のエミルの掃討者としてのランクは『五等掃討者』にまで上がっている。
カードを見てモルクが驚くのも無理ないことだった。『五等』ともなれば既に、一端の掃討者として相応しい技倆を備えていることが証明されるランクだと言えるからだ。
成年にも満たずにギルドからこのランクを認定されている掃討者というものは、それほど多くはないだろう。
「なるほど。どうやら余計な心配だったようだ、その若さで五等とは……。
天恵は単一職業で〈盗賊〉だな。単身ではすぐに限界を迎えてしまう職業だが、良い仲間に巡り会えたかね? それとも良い武器を手にする機会でも?」
「両方です。有難いことに良い仲間に恵まれまして、その仲間が僕に優れた武器を贈ってくれましたもので」
「ほほう。もし良ければその武器とやら、見せては貰えないかね? ―――いや、実は私も副業というほどのものでも無いのだが、時折『掃討者』として活動をしている身でもあってね。率直に興味がある」
「……え? 貴族様なのに、ですか?」
「別に貴族が『掃討者』として仕事をしてはならぬ、という決まりも無いからな」
そう言ってモルクは喉を鳴らすように小さく笑いながら、〈インベントリ〉から取り出したギルドカードを、エミルに一瞬だけ見せてくれた。
すぐに収納されてしまったので、レベルなどの詳細までは見えなかったけれど。ちらりと見えたカードの表面には『二等』という文字が確かに刻まれていたような気がした。―――もしエミルの見間違いでないようなら、都市でもトップクラスの腕利き掃討者ということになるだろう。
「どうかね? その武器を今、君が都合良く持っているなら見せて欲しいのだが」
「あっ……は、はい。もちろん常に携帯しています」
慌てて〈インベントリ〉の中から、エミルは二本の脇差を取り出す。
かつては短剣を長らく愛用していたエミルにとって、二本の脇差はまだそれほど使用期間の長いものではない。だが今となってはもう、この二振りが無いことには上手く戦うことができない程に、エミルにとって頼みとする不可欠の武器となっていた。
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□夕船/品質[101]
物理攻撃値:54
装備に必要な[筋力]値:24
〔加護+5〕
【損傷耐性】【加護+16】
| 玉鋼で打たれた脇差。切先にまで連なる綺麗な刃紋を持つ。
| 斬れ味に優れる反面、耐久性が低く血糊でも鈍りやすい。
| 王都アーカナムの〈鍛冶職人〉カグヤによって作成された。
| 王都アーカナムの〈付与術師〉シグレによって付与を施された。
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□夕船/品質[100]
物理攻撃値:50
装備に必要な[筋力]値:24
〔加護+5〕
【損傷耐性】【加護+17】
| 玉鋼で打たれた脇差。切先にまで連なる綺麗な刃紋を持つ。
| 斬れ味に優れる反面、耐久性が低く血糊でも鈍りやすい。
| 王都アーカナムの〈鍛冶職人〉カグヤによって作成された。
| 王都アーカナムの〈付与術師〉シグレによって付与を施された。
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付与により【損傷耐性】が備わっているこの二本の脇差は、メンテナンスというものを全く必要としない。だというのに刃毀れひとつすることがなく、シグレから受け取った当初から性能が全く低下していないというのだから凄い。
「―――ほほう。エミルには既に、良い相手が居るのだな」
「えっ?」
「君は妖精種だろう? 実は私の妻もそうでね。若い頃には妻を射止めるために、幾度となく[加護]を増幅する装飾品などを用立てたものだ。
先程、君は武器について『仲間から贈られた』と言っていただろう? こうしたアイテムを妖精種に贈るという意味については、私も理解しているとも」
「あっ……! そ、それは、その……!」
かあっと、急に顔が熱くなってしまい、エミルはぶんぶんと頭を左右に振る。
「なに、照れることはない。恋とは若いうちにすべきものだからな。できれば私の娘にも、若い今の時分のうちにこそ経験して欲しいものだが。
―――ほう。この刀を打ったのは『鉄華』のカグヤか。そして付与は……」
カグヤのことを知っているのだろうか。武器の詳細を長めながら、モルクは誰にともなく呟くように、そんな言葉を口にする。
アイテムの詳細に作成した職人の名は刻まれても、そこに店の名前まで刻まれるわけではない。すぐに店の名前を挙げられたのも、既に知っていればこそだろう。
貴族の人にも名が知られるほどの職人であるカグヤに対し、エミルは改めて敬服させられる思いがした。
「〈付与術師〉だと……? この者は、確か〈細工師〉だった筈では……」
続けざまモルクから漏らされた小さな呟きの言葉は、エミルの耳には僅かにしか届かず、はっきりと内容までは判らなかったが。付与に関して言及していた気がするので、おそらくシグレについてのことだろうか。
ぶつぶつと色々呟きながら、モルクが僅かに首を傾げている様子から察するに、カグヤのことは知り及んでいてもシグレのことまでは知らなかったのだろうか。
シグレが腕の良い〈付与術師〉なのは間違いない事実なので、折角のこの機会に貴族であるモルクの注目がシグレにも向けば良いなあ、と。エミルは密かにそんなことを心の内で期待したりするのだった。
3章(+番外編)の内容は以上になります。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
先日までほぼ一ヶ月お休みしておいて大変心苦しいのですが、3章内にて記述した設定などの整理のため、明日より4日間ほど投稿をお休みさせて頂きます。
申し訳ありませんが、何卒ご容赦下さい。次章は21日開始を予定しております。




