63. ゴブリンの巣 - 7
「―――【浄化】」
毒瓶が仕掛けられた宝箱に両手を宛がいながら、試しにシグレはスペルをひとつ行使してみる。
戦闘で汚れた味方を綺麗にしたり、雨に濡れた服を乾かしたりと、どちらかといえば生活方面で役立っている【浄化】のスペルは、けれど本来備わっている効果は『人や物に付着している好ましくない毒性や汚染を取り除く』というものだ。
ならば、宝箱に仕掛けられた毒を無力化することもできるのでは―――そう考えた上での試験的な行為だったが。宝箱全体にスペルを浸透させると……シグレにはその宝箱の中に仕込まれた罠の構造を透視することができなくなってしまった。
これはどうしたことだろう、と暫しの間シグレは首を傾げるが。なるほど、スペルの効果によって宝箱に仕掛けられた毒が都合良く『無力化』されたのであれば、それはもはや『罠』として体を成さない物に変わってしまった可能性がある。
シグレが宝箱の構造を透視できていたのは、それが『罠』であったからだ。逆に言えば《罠探査》のスキルを持っていても、箱の中の仕組みが『罠』として認められないものへと変わったなら、透視できなくなるのは道理とも考えられる。
「右の宝箱の罠は、無力化できた気がします」
「おお、やるなあ」
「あれだけのスペルが使えて、しかも罠の解除までできるなんて……。師匠って、本当に何でもできちゃうんですね」
真っ直ぐに憧憬と尊敬の眼差しに乗せてこちらを見詰めてくる、ライブラの視線が眩しい。
今回、罠の解除ができたのはスペルが思いのほか都合良く機能してくれただけの偶然に過ぎないので、それを評価されるのは何だか違うような気がした。
「左の宝箱は、開けると正面側に矢が三本射ち出されます。道具が無いので、こちらの罠の解除は僕には無理そうです。それにどちらも鍵は掛かったままですが……ユウジ、何とかできますか?」
「それだけ調べてくれりゃあ何も問題無いさ。あとは力業、だな」
ユウジはそう告げると、〈インベントリ〉の中から両手用の巨大なハンマーを取り出してみせる。
なるほど。それだけ大きな鎚を用いれば、木製の箱のひとつやふたつを壊すことぐらい、造作もないだろう。
「悪いが、調度品とか装飾品とか……そういった繊細なものが箱の中に入っていた場合は、運が悪かったと思って諦めてくれ。箱を壊す以上、どうしても中身も一緒に壊れてしまうことは良くあるからな」
「それは仕方無いですよ……」
「ボクも、異存はないです。お願いします」
「おう、任せとけ。三人は少し離れて防御系のスペルでも張ってるといい。衝撃の弾みでそちらへ矢が飛ぶ可能性もあるからな」
ユウジの言葉通り、小部屋の少し離れた場所に陣取った二人と一匹は、シグレが展開した【魔力壁】の中へと身を隠す。
それを確認したあと、ユウジは二つの宝箱目掛けて、それぞれに巨大な鎚を振り下ろす。蓋側から強烈な衝撃を受けて歪に変形し、宝箱は本来の形を留めないものへと変わった。
「特に矢が飛び出たりはしなかったようだが。一緒に壊れたか? ……いや、まだ射出機構が残っている可能性はあるか。確認するので、少しそのまま待ってくれ」
「判りました」
重圧に拉げた左の宝箱を両手で破壊し、ユウジはその中をまさぐって小さなクロスボウのようなものを取り出す。
それはシグレが先程《罠探査》のスキルで透視し、確認した罠の機構の主部品に他ならない。圧力によって一緒に潰されたのか、弦に番えられたまま射ち出されずにいる矢を外すと、ユウジは「もういいぞ」とこちらへ声を掛けてくれた。
「魔物のドロップアイテムと違って、宝箱から出たものは分配しなければならん。とりあえず中身を全部取り出すとしよう。俺とライブラでやるから、シグレは近くの魔物に気を配っていてくれ。いま来られると面倒だからな」
「近場には居ないようですが、一応確認しておきましょう」
《魔物感知》の圏内には幾つかの魔物の反応が捉えられているが、どの反応もそれほど近い位置にはない。
念のために《千里眼》で視界を飛ばし、前方と後方の通路を辿りながら魔物の存在を確認するが。こちらまで移動してくる恐れのある集団は確認出来なかった。
「すみません、師匠。これに【浄化】をお願いしていいですか?」
耳元でライブラの声がして、慌ててシグレは《千里眼》を切り視界を引き戻す。
すぐ目の前に立っているライブラの手には、三冊の本が抱えられていた。
但しその本は、水か何かを被って濡れてしまっているようだ。なるほど、すぐに乾かさなければ本としては些か都合の悪いことになるだろう。
「【浄化】」
スペルを行使し、すぐにシグレは三つの本に付着した水気を取り除く。
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【浄化】 ⊿Lv.1聖職者スペル
消費MP:[対象数]×60mp / 冷却時間:なし / 詠唱:なし
任意数の人や物に付着している、好ましくない毒性や汚染を取り除く。
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【浄化】のスペルは、衣類や本などに付着した水気は『汚染』の一種として判断されるためか、取り除くことができるが。ポーション瓶や水差しなどに【浄化】のスペルを掛けたからといって、容器に収まっている水が無くなるわけではない。
おそらく、シグレが掛けた【浄化】は、宝箱の中に仕掛けられていた『毒瓶』の中にある毒液―――その毒性を取り除くことはできたのだが。瓶の中に収められている水分自体は残してしまっていたのだろう。
毒性が失われ『罠』ではなくなったものの機構自体は残り、『瓶』の中に入っている『毒性を失った水』が箱の中身に飛散した―――といった所だろうか。
「その本の他には大鎌と手袋、あとは金だな。装備品が二つも出れば上等かね」
「……大鎌?」
現在ユウジが手に携えている武器は、確かに『大鎌』と呼んで差し支えない程に大きなものだった。柄の長さだけでも2メートル近くはあるだろうか。
先程シグレが《罠探査》を済ませた二つの宝箱はどちらも、そんなに巨大な武器が収まるほど大きくはなかったように思うのだが……。
「……その辺りはゲーム的な都合とでも思っておくといい。この世界ではそれなりに良くある話だから、あまり深く考えるな」
「そうですか……」
ここは巨大な武器でも防具でも、気にせず収納できる〈インベントリ〉を誰でも普遍的に利用できる世界なのだから。箱の収納容積などというものは気にした方が負けだろうか。
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□思慮深きセーウ/品質[79]
物理防御値:1 / 魔法防御値:8
〔MP回復率+2〕
| 耐魔のルーンが刻まれた軍手。主に魔法防御値が増加する。
| 迷宮地『ゴブリンの巣』の宝箱より発掘された。
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□精強なバトルサイズ/品質[66]
物理攻撃値:99
装備に必要な[筋力]値:130
〔最大HP+78〕
| 人でも魔物でも、その体躯を容易く斬り破る巨大な大鎌。
| 威力は高いが『大鎌』は扱いが非常に難しい。
| 迷宮地『ゴブリンの巣』の宝箱より発掘された。
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□魔術書『氷嵐』/品質[100]
〈精霊術師〉のスペル『氷嵐』について記された魔術書。
適切な天恵所持者が読むことでスペルを修得できる。
| 【氷嵐】 ⊿Lv.10精霊術師スペル
| 消費MP:400mp / 冷却時間:780秒 / 詠唱:42秒
| 広範囲に氷の嵐を巻き起こし、敵全体に氷結ダメージを与える。
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□封印された秘術書(2個)/品質[100]
〈秘術師〉の天恵を持つ術師だけが開封できる秘術書。
開封するとランダムな『秘術』が記された魔術書に変わる。
| 『秘術』はあらゆる術学の中で最も自由であり、混沌でもある。
| 体系化されていない『秘術』は、例え同じ名を冠したスペルであっても
| その効果まで同一であるとは限らない。
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どうやら左の宝箱に大鎌と手袋が、右の宝箱に魔術書と秘術書が納められていたらしい。
開けずに無力化してしまったため、右側の宝箱に仕掛けられていた毒液がどのようなものだったのかは、今となっては判らないが。もし書籍を毀損させる酸などが仕掛けてあったならば、解除しなければ入手できなかったことだろう。
「おお、MPを自然回復させてくれる手袋か。防御性能自体はあまり良くないようだが……こいつはいいな。
―――すまないが、これを俺が貰っても構わんか? この手の効果が付いているものは非常に高価なんで、おそらく一番価値がある物を真っ先に取ってしまうようで申し訳ないんだが」
「僕は全く構いません。自分には不要なものですし」
「ボクも異存はないです」
シグレのMP回復率は既に極めて高い水準にあるので、現状ではここから装備品で更に補強する意味は薄い。
ライブラもまた、『術師職』の天恵を3種類有していることもありMP回復率は魔術師として高い水準にある。MPの自然回復を助けるアイテムは、有れば嬉しいものではあっても、別に無くとも困ることはないだろう。
「すまん、助かる。じゃあ俺は代わりに、今回の探索では他に宝箱からの取り分は主張しないことにしよう。無論、仮にこの先で別の宝箱が発見された場合でもな。
―――なので、残りのアイテムは二人で好きに分けてくれ」
「それは有難いですが……」
残りのアイテムは、魔術書と秘術書、それに大鎌である。
二人とも〈精霊術師〉と〈秘術師〉の天恵を有しているため、どちらにとっても術書は有用なアイテムとなる。そして大鎌は明らかに魔術師には不要な武器だ。
「ライブラ、提案なのですが―――本は全て差し上げますので、良ければ一度だけ僕にも読ませて頂けませんか」
「あ、はい。それはもちろん構いませんが……そんなことで宜しいのですか?」
「僕はスペルスロットの枠数に余裕がありますから、一度修得したスペルは覚えたままでも邪魔にはなりません。覚え直す必要がありませんから、原本を持っている意味もあまり有りませんので」
「な、なるほど……。師匠のスロットって、13枠ずつありますもんね……」
パーティを組んでいる相手のステータスは見ることができる。
相手が持つスペルスロットの枠数や、修得しているスペルの一覧なども見ることができるため、ライブラは事前にシグレのその辺の事情も確認していたのだろう。
何度かしきりに頷いたあと、ライブラはその条件を了承してみせた。
「では本の原本はボクが頂くわけですから、大鎌は師匠が取るべきですね」
「そうだな、それはシグレの物だ。あまり使い手が多い武器種ではないので、売り払うのは少し難しいかもしれないが……品としては悪くないと思うから、売れればそれなりの金額にはなると思うぞ?」
「……判りました。では、こちらは頂きます」
正直を言えば全く要らないのだが、分配上そういうわけにもいかない。
ユウジから大鎌を受け取ると、そのあまりの重量にシグレは一瞬よろめく。手に持っているだけで[筋力]不足のペナルティにより、シグレの[敏捷]が『-9』にまで一気に振り切れた。
「……黒鉄、これ使う?」
『そのような使いづらそうな武器は好まぬ』
「だよねえ……」
とりあえず〈ストレージ〉のほうへ収納する。
カグヤに頼めば、『鉄華』に並べさせて貰うことは可能だろう。適当な付与効果でも付けた上で、安価で陳列すればそのうち売れてくれるだろうか。
体調は無事に快癒致しました。ご迷惑をお掛けしました。




