55. 〈重戦士〉ユウジ - 3
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掃討者ギルドを出た二人は、互いに傘を差しながら都市の西門を目指す。
〈迷宮地〉である『ゴブリンの巣』は、シグレもあれから幾度となくウリッゴを狩りに出掛けた『ウィトール平原』の中にあるのだと、先程ユウジから教わった。
「案外、街道から近い場所にある〈迷宮地〉でな。歩いて行っても1時間程なのでアクセス面でも悪くない。雨を避けながら狩りができるから、今日みたいな天候がいまいちの時には悪くない狩場だな。
北門や東門から繋がる街道とは異なり、都市西側の街道には行商人の馬車などもあまり通らないが―――まあ、運が良ければ遭遇することもあるので、出会えたら乗せて貰えるよう頼んでみるのもいい」
「なるほど……勉強になります」
「もっとも、街道から近い〈迷宮地〉だからこそ、存在が問題にもなるわけだが」
「ユウジ。申し訳ないのですが、僕には〈迷宮地〉というものについて殆ど知識がありません。良ければ移動しながらでも教えて頂けませんか?」
「む。それは無論、構わないんだが……」
言い淀むユウジは、ちらと横目に背後を伺う。
その挙動に「ああ……」とシグレも察した。
「なんか凄まじく素人臭い尾行をされてるんだが、心当たりは?」
「……すみません、僕のほうの関係者です。たぶん街の外までは追いかけてこないと思いますので、あまり気にしないで頂ければ」
「ふうむ……。奇妙な職業の選び方をする奴というのは、奇妙な人間に絡まれたりするものなんかねえ」
ユウジはそう告げながら、くくっと愉快そうに声を漏らす。先程パーティを組んだ際にステータスを確認されたことで、シグレの職業のことについては既にユウジも把握しているからだ。
そう言われると、シグレとしても反論に困ってしまう。こうしてライブラに尾行される原因に〈銀術師〉を選択したことが関係しているのは、違いのない事実でもあった。
「まあ、野外まで着いて来ないならいいか……。シグレは〈迷宮地〉と聞いて、まずどういう所だと想像する?」
「そうですね……敵が多くて、あとは宝箱があったりとかでしょうか?」
「概ね、それは認識としては正しいな。魔物の密度はやはり、野外に比べれば随分と高い。音が響きやすい〈迷宮地〉などでは、戦闘になれば付近の魔物が続々と応援に押し寄せるようなことも珍しくない」
「……すると、今回の場合もかなり厄介そうですね」
「そうだな。ゴブリンは数の優位を積極的に活かそうとするから、魔物の密度が高いというのは、それだけ敵の数が揃いやすいということでもある。
―――そういえば、シグレは『壁』系のスペルなどは使えるか?」
「壁、ですか? ええ。実戦で活用したことはありませんが、幾つかは」
シグレが修得しているスペルの中には『壁』を出現させる効果を持つものが幾つかある。例えば〈召喚術師〉のスペル【塁壁召喚】などは、行使すると文字通り、目の前に高さ5メートル程の『壁』を召喚することができる。
壁の持続時間は10分間で、いちど召喚してしまうと術者のシグレさえ、その壁がある場所を通行できなくなってしまうという欠点があるが。壁は最大で幅10メートル程度までなら作り出すことができるので、ちょっとした通路程度なら完全に塞いでしまうことも可能だろう。
但しシグレは、このスペルを戦闘中に活用した経験は一度として無かった。それもその筈で、今までシグレは『狩り』というものを、野外でしか行ったことが無いからだ。
平原や森などで『壁』を作った所で、魔物がその壁を回り込んでしまえば何の意味も為さないことは、考えるまでもなかった。
「そいつは有難い。ちなみにどんなスペルが使えるのか、聞いても?」
「えっと―――【魔力壁】と【炎の壁】、【塁壁召喚】、後は『壁系のスペル』としてカウントして良いのか判りませんが【幻影の壁】も使えますね」
「ほほう、選り取り見取りじゃないか!」
【魔力壁】は伝承術師のスペルで、空間に半透明の『魔力の壁』を作り出すことができる。但し、短いが『詠唱時間』がある上に、持続時間は僅か1分しかなく、しかも【塁壁召喚】に比べると『壁』の高さも幅も半分程度までしか作り出すことができないスペルなのだが―――。
しかし【魔力壁】は、その壁が通行を妨げる対象を、術者が任意に選ぶことができるという大きな利点を持っている。例えば魔物は通さないが味方は自由に通れる壁などは当然作れるし、味方が撃った矢は通すのに敵が撃った矢は弾く壁、などといった非常に便利なものまで作ることができる。
また、その壁の形状や位置も術者が自由に決定することができる。空中に浮いた壁を作ったり、あるいは曲線やジグザグの壁を作るなんていうことも可能だ。
【炎の壁】は精霊術師のスペルで、文字通り厚さ50cmほどの炎でできた『壁』を作り出すスペルだ。炎なので通行を妨げる力は無いが、かなりの猛火なので魔物が通行すれば当然炎に焼かれて大ダメージを受ける。一方でこの世界のスペルは敵にしかダメージを与えないので、術者や味方が通行しても被害を受けることはない。
持続時間は2分程度で、壁のサイズも【魔力壁】と同程度なのでそれほど大きいものは作れない。しかし【炎の壁】は最大の特徴として、術者が命令することで前方か後方に限り、人が歩く程度の速度でゆっくりと動かすことができるのだ。
―――そのため、この【炎の壁】に関しては『壁』を作るスペルと言うよりも、実際には攻撃スペルにその性質は近い。
野外で【炎の壁】を作ったとしても、動かした所で魔物にはまず距離を取られてしまうだろうが。屋内などの閉所で、相手の退路を断つように設置して動かせば、避けようのない炎で魔物を焼くことも十分可能だろう。
ちなみに【幻影の壁】は、文字通り壁の『幻影』を作り出すスペルなので、見かけだけで実際に壁を作成するスペルではない。
代わりに術者が壁の形状や模様などをかなり自由に作成することができ、周囲の景色に比べて全く違和感のない壁を作り出すことができるので、相手を欺けるような状況であれば使い所があるスペルだろう。
「壁を作るのは構いませんが……それはゴブリンが大量に押し寄せたら、壁を作って逃げる、ということでしょうか?」
「そういう使い方もするかもしれないが。最大の用途は退路を断つことだな」
「―――ああ、なるほど。そういうことですか」
シグレは今まで『壁』というと、どうしても防御的な運用ばかりを考えてしまっていたが。別にスペルにより作り出す壁は、自分の目の前すぐの位置にしか出せないというわけではない。
ユウジの言う通り、魔物集団後方の通路を塞ぐように配置すれば、退路を断つことも可能だろう。それならば仲間を求めて逃げ回るゴブリンの行動を、かなり容易に阻止できるかもしれない。
「別に回復スペルが使えれば、それだけで十分有難かったんだが。―――シグレは色々と面白そうなことができそうだし、これは当たりを引いたかもしれんな」
「そのぶん、レベルはユウジに比べて致命的なぐらいに低いですけどね……」
ユウジは〈重戦士〉の単一職業で、レベルは『35』と極めて高い。
ギルド職員のクローネが『腕利き』と称するのも納得で、レベルが『2』しかないシグレとは比較にならないほどの、圧倒的な強さを持っている。
もっとも、当の本人はそれを賞賛した所で「ただプレイ時間が長いだけだよ」と、何でも無いことのように謙遜してみせるのだが。
「ゴブリンってのは、仲間を呼ばれると非常に厄介でなあ。俺は〈重戦士〉だから防御は堅いし、レベルも高いんで最大HPも何千とあるんだが……そんな俺でも、10匹近いゴブリンに囲まれれば大ダメージは避けられん。
なので回復役を募集したわけだが。シグレが居てくれるなら、逆に回復スペルは殆ど不要になるかもしれん。ゴブリンは合流さえ阻止できるのなら、それほど強い魔物でもないからな」
「出会い頭に、相手の後方を壁で閉じればいいんですね?」
「そうだ。さすがに退路を断たれれば、ゴブリンも戦うしかなくなるだろう」
―――そうなると【塁壁召喚】のスペルは少々使いにくいだろうか。
【塁壁召喚】の壁は出したが最後、術者の意志で自由に消すことができない。
10分経てば勝手に消えるが、逆に言えば10分間はどうしようもなくなるのだ。
【幻影の壁】も相手の後ろに出した所で、『知能』がある魔物なのだからそこに通路があることぐらいは覚えているだろうし、即看破されてしまうことだろう。
すると持続時間が短い【魔力壁】と【炎の壁】の二つを、適切に織り交ぜながら行使するのが良いだろうか。
「判りました。では初手は『壁』を優先することにします」
「頼んだ。さて―――じゃあまずは、こっちの『壁』を越えるとしようかね」
二人の目の前には、都市の回りをぐるりと囲む高い『城郭』から連なる、西門が迫っていた。
雨が降っているせいか、以前に何度か通行したときに比べると西門周囲の屋台の数は減っているように思えるが。雨の中でも変わりなく、門では大勢の衛士の人達が働いているのが見えた。
「―――おう、そこに居るのはシグレじゃないか!」
「ガウスさん。お仕事お疲れさまです」
「話は聞いてるぞ! 早速バルクァードを大量に狩ってくれたらしいじゃないか。ラウゼルの奴が喜んでやがったぜ!」
同じ衛士頭同士ということもあり、北門のラウゼルとは小まめに念話で連絡を取り合っているのだとガウスは教えてくれる。
バルクァードを狩ったのはまだ昨日のことだというのに……なるほど、道理で話が伝わるのが早い筈だ。
「……っと、隣に居るのは〈大盾〉じゃないか! 都市のこっち側に来るのは久々だなあ。今日はシグレと一緒に狩りをするのか?」
「ちわっす。その呼び方はやめてくださいよ……」
「ははっ、何でだよ。名誉なことだろうに」
「……大盾?」
言葉の意味が判らずに、シグレが首を傾げると。「あー……」と声を漏らしたユウジは、少し決まりが悪そうに俯いてみせた。
「こいつの二つ名だよ! 〈大盾の重戦士:ユウジ〉って言やあ、掃討者の中でもかなり有名な方じゃないか? お陰で『掃討者ギルド』にも随分と盾使いが増えたって話を聞くしなあ」
「やめて」
「おお……。ユウジって、実は凄い人だったんですね」
『うむ。立派な御仁とは思っていたが、これほどとはな』
「そうだぞ、凄いんだぞこいつ! 二つ名は『掃討者ギルド』のマスターに実力を認められた奴にしか決して与えられない、掃討者の名誉そのものだからな!」
「やめて。マジやめて、ホント……」
耳の辺りまで真っ赤にしながら、恥ずかしそうにユウジは消え入りそうなほどの小さな声でそう呟く。
こっそり黒鉄まで混じった全員から賞賛を浴びたユウジは、その逞しい巨躯が嘘みたいに、全身を縮こまらせながら肩を落としていた。




