52. 追跡者 - 4
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「少なからず君に迷惑を掛けてしまったことを詫びる。済まない、シグレ」
「や、やめて下さい、ルーチェ。僕は別にあなたに謝って欲しいわけじゃない」
「私は一応、ライブラの……上司、のようなものにあたる。故に部下が君に迷惑を掛けたのならば、私が謝るのは筋というものだ」
―――再訪した王城。その建物の玄関口にまで出迎えてくれたルーチェは、シグレと出会うなりすぐに、詫びの言葉と共に深々と頭を下げて陳謝してみせた。
驚きを声にこそ出さなかったが、その様子を見て付近の門衛の人達に小さくない動揺が走ったことがシグレにも伝わってきた。ライブラの『上司』とのことだし、もしかするとルーチェはこの王城内で、それなりに高い地位や役目に就いている人なのかもしれない。
「色々とシグレには事情を話さなければならんな。前回と同様、中庭あたりでゆるりと話すとしようか。―――こちらだ、着いてきて欲しい」
そう言って王城内へと歩き始めるルーチェに、シグレも並び歩く。
〈斥候〉の天恵を持つシグレは《地図作成》スキルを持っているためか、王城内の構造を既に大まかにではあるが把握しつつあった。
「……ちなみに、今もライブラの奴は君を監視していたりするのか?」
「居ますよ。柱の影に隠れたりしながら、こちらを追いかけて来ていますね」
「そうか。王城内でまで不審な行動をするのは、感心せんなあ……」
はあ、と大きな溜息を吐きながらルーチェはそう告げる。
確かに、いちいち身を隠しながらこちらを追いかけてくる様子というのは、王城内において不審極まりない。警備兵のうち何人かが彼を誰何すべきかどうか、やや困惑した表情で迷っている様子も窺えた。
王城の中庭に着くと、そこには雨が降っていなかった。
いや―――空を見上げれば確かに鬱蒼とした雨雲が拡がり、そこから無数の水滴が降り注いでいる様子もまた窺えるのだが。しかし、まるでガラスの天井でもそこに張り巡らされているかのように、雨は中庭の高い位置で見えない何かに阻まれているらしく、シグレ達の立つ庭園までは届かない。
ルーチェは前回と変わらず、到着するや否やすぐにごろんと庭園の草むらへ身体を投げ出して横になる。ぱんぱんと地面を叩いて隣に来るよう促してくるあたりも前回と全く同じままで、破顔させられながらシグレもそれに従った。
「さて、私に答えられることは答えよう。何でも訊いてくれて構わないが?」
「―――彼はどうして女性の格好をしているのですか?」
「自分がなぜ尾行されているかよりも先に、そちらを訊くのだな君は」
愉快そうに、くくっと笑いを漏らしながらルーチェは相好を崩す。
……確かに少々、訊く順序を間違ったような気もする。
「まあ、何でも訊いてくれと言ったのは私だ。シグレの希望通りそちらから答えるとして―――さて、どこから説明したものかな」
ふむ、と顎に手を当てながらルーチェは暫し沈思黙考する。
彼女の言葉を待つ傍らに《千里眼》で視界を飛ばすと、中庭の入口付近からこちらのことを覗き見ているライブラの姿を確認することができた。
ハンカチか何かの端を唇に挟みながら、どこか恨みがましい表情でこちらを見ているような……そんな気がするのは、気のせいだろうか。
「シグレは『五爵』というものを知っているか?」
「その単語自体は存じ上げていますが……。こちらの世界で僕が知っているものと同じ制度が通用しているかどうかは、正直判りかねます」
「ふむ。『天擁』の者はこことは異なる世界からの稀人、という話だからな……。君が知る常識とこちらの世界での常識とが、同一とは限らないというわけか」
なるほどなるほど、と何度かルーチェは頷いてみせる。
「君の知っている世界のもので構わないから、教えて貰えるかね?」
「公・侯・伯・子・男、の五つの爵位のことを指す言葉ですね。前者ほど位階の高いものを表す言葉になりますが」
「ふむ、合致しているようだな。―――この国では『公』とは即ち、王自身を指す言葉になる。『侯爵』なら妻や子などの王の身内、及び王位の継承権を有する者がこれに該当する。『伯爵』は中央都市内に領地を持つ貴族のことだ」
「……その辺りは、僕が知っているものと結構違う気がします」
「そうなのか? 語句こそ合致していても案外その中身は異なるものなのか……。まあ、この辺りはさして重要では無いので、別に理解が異なっていても構わん」
寝転がった姿勢のまま、ごろごろとシグレの側へと寄ってきたルーチェは、そのままシグレの左脚に頭を寄せ、腿の辺りを枕にしてしまう。
その様子がなんだか小動物っぽく見えて、可愛らしかった。
「シグレは王城内で働く者が、それぞれどういう仕事に就いているのか判るか?」
「……あまり判りません。警備の方がいらっしゃることぐらいでしょうか」
「そうだな、王城の敷地内で最も多いのは警備などに従事する兵士だ。割合で言うなら半数以上がそうだな。ちなみに次点で多いのは、清掃や調理などの雑務に就く使用人の者達だ。兵士の大半は男性だが、使用人は大半が女性になる」
「なるほど」
性差によりある程度の向き不向きが生じるのは自然なことだろうから、その辺りはシグレにも理解出来る話だ。
「王城で働く者のうち最も多い『兵士』と、次に多い『使用人』。当然この二つは庶民なのだが―――実はこれ以外の仕事に従する王城勤務者は、全員が『爵位』を有する『貴族』に該当する」
「……つまり爵位を持っていなければ、王城では働けない?」
「逆だ。王城に雇用されるならば、それは賜爵されることを意味する」
「なるほど……。では当然『魔術技官』の方々も」
「うむ、今もどこかでこちらを見ているのだろうが……ライブラも元は庶民だったが、王城に雇用されたことで『四等男爵』となった。これは爵位の中で最も低い。
ちなみに『子爵』か『男爵』の者が世襲する場合、正当な嫡子であっても爵位は二等下がる。養子なら格上の家から貰った場合で三等、同格か格下からの養子なら四等下がるのが慣例となっている。『男爵』のうち最も低いのが『四等』なので、原則として『三等』以下の者は世襲が認められぬ当代貴族ということになるな」
いわゆる『準貴族』みたいなもの、程度に考えれば良いのだろうか。
功績を上げて等級を上げなければ地位を継ぐことができないというのは、実力主義的な考え方のように思えて、少しファンタジー的な世界観とは合わないようにもシグレには思えた。
「まあ、それでも貴族は貴族だ。四等だろうと何だろうと、貴族になればそこには少なからず権威が付随する。身を証せば市民を跪かせることが出来るのだからな。
―――そして、権威を持つ者は相応に格好に気を遣わねばならぬ。華美であれというわけではないが、己の役目に沿う、締まりある格好であることが望ましい」
「それは、理解できる気がします」
「うむ。しかし庶民から王城に取り立てられた者というのは、貧しいとまでは行かずとも多くが裕福ではない。身形に気を遣うというのは、存外金が掛かるものだ。庶民上がりにとっては辛い負担となろう。
故に、王城では同じ役目に従事する先輩が、新人に衣類や装飾品などを贈るのが慣わしとなっていてなあ……」
そこで言葉を止めたルーチェは、目を眇めながら困ったような表情を見せる。
……その表情を見れば、シグレにも多少の察しはついた。
「なぜ、そこで彼に、女性用の服を贈ったんですか……」
「登城初日に、ピティのアップリケの付いたスモックを着てきた、私よりもずっと可愛げのある童顔の少年を見て、どうしてそれを男性だと思えるだろうか」
「………………ああ、それは無理かもしれません」
目を閉じて、シグレはその格好をしているライブラの姿を想像してみる。
―――無理だ。完全に少女だ、それは。
「私はライブラに王城でよく用いられる杖と、あとは幾つかの三角帽子を贈った。彼が着用している上着やスカートなどの衣類は、他の魔術技官達が贈った物だな。
……ライブラは今どき珍しいほど素直な人間でな、人を疑うということをまるで知らん。彼は自分に贈られたものが、我々の間違った認識下で贈られたものなどとは微塵も疑わず、毎日それらを着てきては大切に使ってくれている。
そうなると、我々も今更『間違えた』とは言えなくてなあ。せめて贈った衣装が彼に似合っていなければ、後から何とでも詫びて正すこともできたのだろうが」
「……似合っていますからねえ」
「似合ってしまっているからなあ……」
ルーチェと二人、互いに彼の姿格好を思い出して微笑み合う。
雨音が響かない静謐な空間が、少しだけ賑やかになった気がした。
「なるほど、彼が女装をしている理由については概ね理解できましたが。しかしながら……どうして僕がそんな彼に尾行されているのかは、余計に判らなくなった気がするのですが」
「自ら言うことでも無いのだが、どうも私はライブラに慕われているらしくてな。実を言えば『好きです』と告げられたことも一度だけだがある。彼とは家格が違いすぎるので、まともには取り合わなかったが」
「それは、また……なんとも」
「ところで私には使い魔が居るのだが。前回会った筈だが、名を覚えているか?」
「覚えております。イレルルさんですよね、戦乙女の」
完全に人型の『使い魔』というのは大変印象的だったので、忘れよう筈も無い。
「そのイレルルから聞いたのだが。前回我々がこうして中庭で話している時にも、ライブラはひっそりと中庭の入口辺りから我々のことを覗いていたらしい。シグレは気付いていたかね?」
「……いえ、全く気付いておりませんでした」
「そうか。ところで魔術技官というのは女所帯でな、10人ばかりの部署なのだが、その中に男はひとりも―――じゃなかった。男はライブラひとりだけでな」
「はあ」
「今まで私の近くには男の影など一切無かったわけだが。ある日、私と二人きり、王城の中庭で仲睦まじく会話を交わす男性を目の当たりにしてしまった。
さて―――ライブラは男性のことを一体『どういう存在』だと思ったろうな?」
「………………ああ、そういうことですか」
敬愛し、個人的に慕っている上司の近くに唐突に男性の影が湧いたなら。それは彼から『悪い虫が付いた』と思われるのも無理はない。
……なるほど、道理でこちらのことを監視しているライブラの表情にも、現在進行形で恨みがましいものが混じっていよう筈だった。
自分の想い人が、膝枕ならぬ腿枕されていれば、そりゃあなあ……。




