51. 追跡者 - 3
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その追跡者は、門を離れてもシグレの後を尾けてきた。
時折街角で立ち止まり、シグレは《千里眼》で視界を飛ばして振り向かないまま自分の背後を確認する。三角帽子が悪目立ちすることもあり、人の往来がある中でも目標の人物を探し出すのは容易だった。
(というか、狩りに行く前はなんでコレに気付かなかったかな……)
シグレを尾行するその動きはどう考えても不慣れなもので、素人目から見ても一目瞭然なぐらいに不審さが滲み出ている。
街路を歩いていて擦れ違う衛兵の人達も、何とも妙なものを目にしたかのような表情で三角帽子の少女を―――もとい、少年を訝しむ様子は見せるのだが。しかし、声を掛けてそれを問い質すようなことまではしなかった。
これが現代日本であれば速攻で職務質問のひとつもされそうなものだが。こちらの世界では、あまりそういった尋問行為はやらないのだろうか。
(……どうしたものかなあ)
普段よりも少しゆっくりとした歩調で石畳を踏み鳴らしながら、内心でシグレは困惑する。
別に後を尾けられたからといって、それ自体が困るというわけではない。人に見られて困るような、特別なことは何一つしていない。
なのにシグレが困惑せずにいられないのは、相手の監視目的が判らないからだ。
今日一日の行動を振り返ってみても―――朝起きて掃討者ギルドに行き、エミルと共に『バンガード』で朝食を摂り、彼女に黒鉄を預けて北門に行き、『アリム森林地帯』の入口付近でバルクァードを狩った―――というそれだけのこと。
見ていて面白いものではないだろうし、他人が興味を持つようなことも何ひとつしていない筈なのだが。一体、尾行者の彼は、何を知りたくて尾行などという行為に及んでいるのだろう。
「―――うん?」
頬に何か冷たい感触が触れて、シグレは思考の中から唐突に引き戻される。
指でなぞったそれが水滴だと気付いたシグレは、すぐに〈ストレージ〉のリストを視界内に開き、その中から『傘』を探し始めていた。
宿の女将さんから、この辺りの地域は5月も半ばに入る頃から『雨期』が来るのだという話は事前に聞かされていた。予め傘を購入し、〈ストレージ〉の中に放り込んで置いて良かったとシグレは安堵の息を吐く。
【浄化】のスペルを使えば濡れた服はすぐに乾かせるが、だからといって雨の中で濡れ鼠になる不快感は御免被りたい。
傘を広げてから《千里眼》で背後を確認してみれば、尾行者の彼もまた同じように自分の傘を広げている。〈インベントリ〉にちゃんと雨具を忍ばせている辺り、これでなかなか用意周到な人なのかもしれない。
『掃討者ギルド』の近くで道を左に折れ、都市の東地区へと入る。
商店や宿が多く建ち並ぶ幅広の街路を暫し歩いてから、『バロック商会』の建物前でシグレは傘を畳んだ。
ドアノッカーを二度ほど鳴らすと、すぐに商会の扉は内側から開かれる。
「お待ちしておりましたわ、シグレ様」
「こんにちは、ゼミスさん」
「嫌なタイミングで降って参りましたね。ささ、どうぞ建物の中へ―――いま何か温かい飲み物を準備致しますわ」
事前に『念話』で連絡を入れていたこともあり、ゼミスはすぐに紅茶を淹れてシグレを歓待してくれた。
5月も半ばともなれば、雨が降っていても外の気温はそれなりに暖かかったが。多少なりに狩りで疲労を感じていた身体には、熱い紅茶がすっきりと美味しい。
「シグレ様。失礼ながら、どなたかに見られておりますね?」
「……ゼミスさんにも判りますか」
「ああ、既にお気づきでいらっしゃいましたか。流石ですわ」
「心当たりが無いので、正直どうしたものか困っております……」
そう告げながら、ゼミスに対して開いた『取引』のウィンドウに、シグレは今日の狩りで手に入れたドロップアイテムの7割ほどを並べていく。
狩りをしている最中には、どんな素材を手に入れているのかいちいち確認したりはしなかったが。シグレの〈インベントリ〉にはバルクァードの『生肉』に加え、他には『卵』と『砂肝』、『羽毛』、それから『骨部』なども手に入っていた。
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□バルクァードの骨部(184個)/品質[89-103]
【素材】 :〈細工師〉〈錬金術師〉〈薬師〉〈調理師〉
【品質劣化】:-2.50/日
| 魔物【バルクァード】から剥ぎ取った骨とその周囲の肉片。
| 用途に応じた処理を行い、別の素材へ加工される。
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『骨部』も素材カテゴリに〈調理師〉が含まれている辺り、これも料理に活用することができるアイテムなのだろうか。もしかするとニワトリと同じように鶏ガラとして活用し、旨味のあるスープでも作れるのかもしれない。
「これはまた、随分と沢山取ってきて下さったのですね。ありがとうございます。今夜のうちには当商会の経営する各店舗へと行き渡ることでしょう。
―――ところで、シグレ様を尾行しておられる方の、格好についてなのですが」
「あの魔女のような三角帽子のことでしょうか?」
「いえ、そちらではなく……私が気になったのは彼女の持っている『杖』ですね。あれは確か、王城で制式採用されている魔力杖だったように思うのですが」
「王城で採用……? 王城で勤務する方が使われる品、ということですか?」
「そう考えて頂いてよろしいと思いますわ。見る方が見れば王城関係者であることはすぐに察しが付きます。……あの方、傍から見ているだけでもかなり挙動不審な様子が窺えますが、あれでは衛兵も問い質すわけにはいかないでしょうね」
商会の窓から、密かに外へ視線を送りながらゼミスはそう告げる。
おそらくは彼女の視線の先に、雨の中でこちらを伺っている尾行者の姿が映っている筈だった。
「なるほど、王城の……」
後にも先にも、シグレが『王都アーカナム』の王城に関わった事など、たったの一度しかない。畢竟、今回の件にもそれが絡んでいると見るべきか。
「……ありがとうございます、ゼミスさん。お陰様で心当たりが見つかったような気がします。申し訳ありませんが、少しこの場で『念話』をさせて頂いても?」
「ええ、どうぞごゆるりと。ではその間に私は、シグレ様からお預かり致しました素材の査定をさせて頂きましょう」
そう告げると、ゼミスはその場を離れて隣室へと離れていった。
押しつけがましくないゼミスの善意が有難い。きっと彼女のような心配りができる人を大人の女性だと言うのだろうな、とシグレは感心させられる。
誰かに『念話』を送るためには、相手の『名前』に加えて『顔』を明確にイメージしなければならない。
シグレは心の内で、先日王城内で会ったルーチェの顔を思い浮かべた。
『ルーチェさん。こんにちは、シグレです』
電話を掛けるのとは違って、相手を呼び出すコール音などは存在しない。
いきなり会話を切り出すのを些か難しく感じるのは、現代人の性だろうか。
『―――ああ、シグレか。先日は色々と世話になってしまったな。君が提供してくれた『涙銀』のお陰で、色々と個人的な研究が捗っている』
『それは良かったです。……痛い想いをした甲斐がありました』
会話上では平然を装いながらも、唇の端が軽く引きつるのは止めようがない。
ルーチェのお陰で少し、シグレは注射針を怖いと感じるようになっていた。
『うむ。すまないが〝おかわり〟を要求したい。大事に使ってはいるのだが、色々と面白い霊薬が出来上がりそうなので、寝食を忘れて研究に没頭してしまってな。涙銀の減りが早く、このままではあと三日と持ちそうにない』
『……判りました。近いうちに伺いましょう』
献血だって、いちど行えば四週間程度は間隔を開けるように言われるものだが。容赦ないなあ―――と思う一方で、変に遠慮したりせず率直に要求してくる辺りがルーチェらしいと言えばそれまででもあった。
幸い、次にまた採血を要求されたときのために、露店市で見繕った安物の腕輪に『最大HP増加』を付与した装身具を既に準備してある。
装備者の最大HPを40点ばかり増加させる程度の付与なので、それほど効果の大きなものではないが。前回のように死の淵を彷徨うようなリスクを回避するだけならば、十分に役立つ筈だ。
『助かる。改めて君には何か礼をしなければな。……と、済まない。わざわざ念話を送ってきてくれたのに私の側から一方的に話してしまったな。
さて―――用件を伺おう。『封術書』の準備は既にできているので、王城へ再訪するつもりなら、こちらはいつでも構わないぞ?』
『回りくどいのは苦手ですので、率直にお訊ねしますが。……三角帽子を被った女性にしか見えない男性に、現在進行形で尾行されています。何か心当たりがあったりしませんでしょうか?』
『……済まない。それは確実に、私の関係者だ』
『ああ。やはりそうなのですね……』
王城と関わったことなど、先日の『銀術師ギルド』訪問のとき以外にはない。
ならばルーチェに関係のある人ではないか、という予測は正しかったようだ。
『なるほど……手を借りたいのに不在かと思えば、まさか君のほうへ行っているとはな。彼は私と同じく、城に勤める魔術技官だ。名はライブラと言う』
『……本当に男性なのですね』
『うむ。よくシグレは彼が男だと判ったな? 王城勤めの魔術師や騎士の中にも、未だに彼のことを女性と信じて疑わない者は少なくないのだが』
―――あの格好では、さもあろう。
そう、シグレはしみじみと思う。魔女を彷彿とさせる三角帽子にばかり気を取られていたが、今にして思えば―――彼がマントの中に身に付けていたのは、黒地のセーラー服とミニのプリーツスカートだったように思う。
コスプレにしても、ちぐはぐというか……属性が過剰なのではないだろうか。
商会の窓から外を眺めると、自分が差している傘を半分差し出すようにしながら、野良猫の顎を指先で撫でているライブラの姿が見えた。
膝上15cm程のミニスカートから覗く彼女の―――ではなく彼の華奢な両脚は、少なくとも男性のものには全く見えない。なんとも現実は非情なものだ……。




