48. 銀術師ギルド - 2
大きな椅子と小さな少女。『銀血種』であるシグレよりも、ずっと綺麗で色濃い白髪をしたルーチェは、暫くの間、椅子に腰掛けながら細い両脚をぶらぶらとさせていたものの。唐突に思い立ったかのように「こんな狭い所に居たら息が詰まるな」と、手を引いてシグレを部屋の外へと連れ出してしまう。
シグレからすれば目に映る全てに馴染みのない『王都アーカナム』の王城も、彼女からすれば自分の家や庭のような感覚なのだろうか。いかにも勝手知ったる場所といった風に、足取り軽やかにルーチェはシグレを引っ張っていく。
二人の少し後ろを追いかけてくる、ルーチェの使い魔であるイレルルが浮かべる表情は、「仕方が無い子ですね」といった言葉がそのまま書かれているかのように判りやすいものだ。
ルーチェは表情の変化にこそ乏しいものの、饒舌であり感情も隠さない。まるで子供が大人の手を引くかのように、ぐいぐいと引っ張られていくシグレの様子を見て、王城内ですれ違う兵士や騎士、あるいは高貴そうな衣服を纏った人達が、微笑ましそうにその表情を緩めてみせた。
暫くして、シグレ達が辿り着いたのは、王城の中にある小さな庭園だった。
その庭園は北側が高く南側が低い、緩やかな傾斜を持つ珍しいものだ。四方を建物に囲まれた中庭でありながら、しかし南側の建物だけは少し背が低く抑えられてもおり、今まさに南から降り注いでいる陽光を最大限に受け止められる傾斜構造になっている。
また庭園の中央を分断するように配置された水路は、傾斜を活かして北から南へ緩やかに水が流れている。敢えて細かく段差が付けられた流水階段が奏でる静かなせせらぎが、空間に心地良い雑音を提供していた。
「私はこの場所が好きでな。良い場所だろう?」
「ええ、とても」
ルーチェの言葉に、シグレもすぐに頷く。
確かに装飾の少ない無機質な一室よりは、ずっと居心地の良い場所だった。
「とはいえ、まだこの季節は少し冷えるな……。イレルル、食堂で適当に何か温かい飲み物を貰ってきてくれ。ゆっくりで構わない」
『はい』
ぺこりと一礼してから、イレルルはルーチェを残してその場から立ち去る。
それを見送ることもせず、僅かに傾斜のある庭園の草むらにごろんと身体を投げ出したルーチェは。シグレのほうを見つめながら、ぱんぱんとすぐ隣の地面を叩いて促す。
言葉に出さずとも「ここに座れ」と言われていることが判ったので、促されるままにシグレも草むらに腰掛けた。
「シグレに2つ頼みがある」
「頼み……ですか?」
「そうだ。ああ―――とりあえず先にギルドカードを見せて貰って構わないか? 門衛のカールから話は聞いているが、一応自分の目でも見てみたいのだ」
ルーチェにそう言われ、シグレは〈インベントリ〉からギルドカードを取り出す。
手渡したカードを、ルーチェはたっぷり十数秒ほど掛けて、凝視するかのようにじっくりと検めたあと。ここまで殆ど変化しなかった表情を、ふふっ、と漏らした言葉と共に僅かに緩めた。
「なんとも狂った天恵としか言いようが無いな。神の寵愛を受けているのか、それとも見放されているのか……凡人より優れているのか劣っているのか、それすらもさっぱり判らぬ」
「僕は気に入っていますけれどね」
「そうか。本人が気に入っているのなら、きっと良い天恵なのだろう。
個人的な意見を言えば、私も羨ましく思う。世に存在するあらゆるスペルを遍く行使できる才能を有する―――というのは、気分が良さそうだ」
私は〈召喚術師〉以外に才能は持たないからな―――と、ルーチェは呟く。
「この白髪が、いっそ『銀血種』由来であればと思うよ。『銀血種』ならば必ず〈銀術師〉の天恵を持つのだと、何かの書で読んだことがあるしな」
「ああ、そういうものなのですね……」
「なんだ、シグレは知らなかったのか? なるほど、実際の『銀血種』というのはどうやら存外自分たちの種族について知らないものであるらしい」
「あはは……」
種族については、キャラクターを作成する際に多少教えて貰ってはいるけれど。その時に聞いた以上のことは何も知らないので、確かに全く詳しくはなかった。
シグレの視界に、唐突に開かれた『取引』のウィンドウ。そこには目の前の『ルーチェ』から、四冊の本が提示されていることが見て取れた。
取引を承認して〈インベントリ〉内に受け取り、アイテムの詳細を確認すると。受け取った本はいずれも〈銀術師〉のスペルについて記された魔術書のようだ。
「私が『銀術師ギルド』の管理者として保有している〈銀術師〉のスペルは、その四冊だけだ。いまシグレに渡したものは私が複製した写本なので、そのまま持って行って貰って構わない」
「……僕が受け取ってはいけないレベルの本も混じっているようですが?」
ルーチェから受け取った本は1冊を除き、『推奨レベル』がシグレのレベルを上回るものばかりだ。
「なに、どうせシグレの他に所属者も居ないようなギルドだ。多少ルールを破った所で、シグレが黙っている限りバレはせん。
―――ただ、代わりにこちらからも『銀術師ギルド』の管理者として、シグレにお願いする。現時点でシグレが修得している〈銀術師〉のスペルを魔術書にして、ギルドに納めて欲しいのだ」
「魔術書にして……ですか。生憎と僕は、魔術書の作り方を知らないのですが」
「難しいことはない。『封術書』と呼ばれる本に手を当てて、あとは普通にスペルを使おうとすればそれで済む。少し貴重なアイテムだが、多分王城内に備蓄はあるだろう。次回シグレが来てくれる時までには手配しておく」
「判りました。そんなことでよろしければ、協力させて頂きます」
「有難い。ギルドらしい備えは何も無いし、利用者もほぼ居ないが……名義上だけとはいえ管理者を務める以上、蔵書を増やす努力はせねばならんからな」
確かに、国内に『銀血種』自体がシグレひとりしか居ないとなると、スペルの蔵書を増やすのも一苦労だろう。
―――先程、ルーチェはこの国に『銀血種』がシグレひとりしか居ないという事実を教えてくれた。
『銀血種』という種族と〈銀術師〉という職業がセットである以上、それは即ちこの国に存在する〈銀術師〉がシグレひとりしか居ないことを意味する。
それを思えば『銀術師ギルド』の管理者を〈銀術師〉の天恵を持たないルーチェが務めているのは仕方の無いことだし、〈銀術師〉であるシグレに彼女が協力を要請するのもまた、当然のことだと思えた。
「スペルを提供するのが『頼み』の1つなのですよね。すると、もう1つの頼みというのは、一体何なのでしょう? 自分にできることなら協力は惜しみませんが」
「本当か? それがギルドと全く関係の無い、私の個人的な頼みでもか?」
「はい」
「……涙銀を少し、分けて欲しい」
涙銀―――という単語に、シグレは聞き覚えがあった。
それはキャラクターを作成する際に、深見さんから『銀血種』という種族について説明を受けたときだったように思う。 確か『銀血種』にとっては、魔力を高密度で循環させるために非常に重要な役割を果たすもので―――。
「僕の血を……ですか?」
そう。涙銀とは―――『銀血種』の『血液』を指す言葉に他ならない。
シグレの言葉に、ルーチェはやや申し訳なさそうに眉尻を下げながらも、首肯して応えた。
「私は『戦闘職』の天恵は〈召喚術師〉ひとつしか持たないが、『生産職』に関しては〈魔具職人〉と〈錬金術師〉の二つの才を有している。
どちらも修練をそれなりに積んでいるつもりだが、技術以上に知識面はそれ以上に深く達している自負があってな。……この二つの生産に関して古代の書を漁っていると、特に難易度の高いレシピに於いてある素材が材料として頻出する傾向が見られる」
「……それが『涙銀』というわけですか」
「そうだ。いつか『銀血種』に出会う機会があれば、必ず分けて貰おう―――と、予てより強く決めていたものなのだ。済まないが、分けて貰えると有難い」
「判りました。そういうことであれば、吝かではありません」
必要としている人に渡すためであれば、文字通りの意味で、多少身を切る程度のことは構わないと思えた。
「そうなると、ナイフか何か刃物の類を貸して頂きたいですね。あとは血を垂らすための器か瓶かが欲しい所ですが」
「―――うん? 指なり手のひらなりに傷を付けて、涙銀を採血するつもりかね。それも悪くはないが……血液というのは空気に触れると変質し、固まってしまうだろう。おそらく『銀血種』でも例外ではないと思うのだが?」
「ああ……それは、そう、かもしれません……?」
そういえば、まだこちらの世界に来てからシグレは怪我をしたことがない。血を流した経験自体が皆無なので……実際の所、自分の身体に流れる『涙銀』というものが通常の血液に比べてどう違うのか、いまいち理解していなかった。
普通の血液と同様であるなら、確かに空気に触れさせることは血小板の破損へと繋がり、凝固プロセスが開始する主因となる。素材として『涙銀』を扱う上では、なるほど不備が生じる可能性があるのかもしれなかった。
「安心して欲しい。幸い『涙銀』の回収方法について記している古書もあってな。図柄と説明文を頼りに、再現してみた『採血器』なるものがここにある」
そう言ってルーチェが自信満々に見せたのは、いわゆる『注射器』だ。
ああ、それかあ……とシグレは実物を目の当たりにして、思わず苦笑する。入院生活では何かと目にする機会の多いアイテムなので、ある程度慣れているものではあった。
―――但し、ルーチェの手にある注射器の、その先端部を見て。
思わずシグレの背中を、冷たいものが流れた。
「あ、あの、ルーチェ……? その注射針は少々、太さが大き過ぎるように見受けられるのですが……?」
「ほう、シグレの知識は深いな……。『ゲージ』というのは判らんが、書に記述のあった針は確かにもっと細いものだった。だが王城勤務の〈細工師〉には、ここまで針先を細くするので精一杯だったのでな。諦めてくれ。
ああ、イレルルに【浄化】はさせてあるので、衛生状態に関しては保証できる」
「その保証は素直に有難いですが……その太さだと、痛そうですね……」
「済まない、間違いなく痛いと思う。今から私は、シグレを『攻撃する』という意志をもってこの針を刺す。そうでなければ神の加護が働いて、シグレの身体に針が刺さってくれないだろうからな。
当然、ある程度はダメージも入るだろう。文献に拠れば『銀血種』の最大HPは他の種族に比べて極端に低いらしいが……うん、済まない。君は『天擁』なのだから大事にはならないだろう? 悪いが諦めてくれ」
―――下手すれば〝死ぬ〟ってことですね、判ります。
二度も『諦めてくれ』と言われれば、もうシグレには何も言えなかった。
シグレの脳内に『デスペナルティ』という単語がちらつく。
とはいえ、まさかその単語と―――こんな戦闘と何の関係もない所で、向き合う羽目になるとは思わなかったが。
2章(+番外編)の内容は以上になります。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
頂いております感想の拝読と2章までに登場した単語や設定の整理のため、明日より4日間ほど投稿をお休みさせて頂きます。
申し訳ありませんが、何卒ご容赦下さい。再開は2月17日を予定しております。
それと、感想欄は章区切りの際に纏めて読ませて頂く都合上、そちらで誤字指摘などを頂戴しましても、修正対応までに日数を要する場合があります。
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