42. 付与生産 - 2
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『術書庫』で写本を購入したシグレは、同じ『付与術師ギルド』内の『工房』のほうへと来ていた。
術書庫が『戦闘職』としての〈付与術師〉のための設備と考えるなら、こちらの工房は『生産職』としての設備だといえる。
工房の利用料金は1回あたり100gita。安くない額ながら、一ヶ月利用可能な定期チケットで買えば1,000gitaとだいぶお得になる。
そちらを買っても良いのでは―――と多少迷ったものの、当然ながら月のうちの10日は利用しなければ元を取ることはできない。多くの『生産職』を抱えるシグレからすると、非常に悩ましい所ではあった。
シグレがこの工房を利用するのは、実は二度目になる。初来訪したのは二日前の午前中で、その時には初めての工房利用ということで、ギルド職員の方から付きっきりで〈付与術師〉の生産―――そのまま『付与生産』という名前だったりする、その基礎を教わった。
『付与生産』は他の生産とは異なり、素材を用いて新たな何かを作り出すものではない。可能なのは既存のアイテムに『付与』という形で力を与え、新たな魅力を備えたアイテムに生まれ変わらせることだけだ。
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□狩猟者のタリスマン/品質[33]
魔法防御値:3
〔加護+6〕〔ドロップ率増加+2%〕
【知恵+5】
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| ウリッゴの隠し牙と崩石をあしらった小さな銀盤。
| 狩猟を生業とする者に小さな幸運を齎すとされる。
| 王都アーカナムの〈細工師〉シグレによって作成された。
| 王都アーカナムの〈付与術師〉シグレによって付与を施された。
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先日『細工師ギルド』で作成した銀盤に、職員の方から指導を受けながら付与を施したものがこれだ。
【知恵+5】という付与はさほど大きな効果ではない。とはいえ、教材としてギルドから無償提供された宝石1個だけで得られた効果と考えるなら、十分に悪くない成果だ―――との評を、職員の方から貰っている。
〈付与術師〉が行う『付与生産』では、その材料に宝石を使用する。より正確に言えば使用されるのは魔力を秘めた宝石―――即ち、『魔石』だ。
魔石は宝石に比して、別に流通価格が高いということはない。……が、そもそも宝石自体が高価なものなので、当然ながら魔石にも相応の値段がつく。安価な石でも800gita程度はするし、高価な石ともなれば4桁は当然だ。
一般的に〈付与術師〉の天恵を持つ人は案外少なくないと言われる。少なくとも〈細工師〉や〈錬金術師〉のように、天恵の保持者自体が不足しているという事実は無いそうだ。
しかし〈付与術師〉としての修練を―――とりわけ『生産職』としての経験を積むためには、やはり『付与生産』を数多く経験することだけが近道となる。
必ず『宝石』を用いなければならない高コストな生産を、〈付与術師〉の天恵を有して生まれた人が、誰でも経験できるかというと―――その答えは、見事なまでに伽藍堂とした『工房』の在り様が物語っていた。
魔物を狩ることで、ドロップ品として『魔石』を直接手に入れるチャンスがある自分は恵まれているな―――とシグレは思う。
高価な材料を要する生産に、材料を買い求めてまで挑戦して失敗すれば目も当てられない。とはいえ、狩りの成果として収集した素材を使う分には、元手はタダなのだから失敗してもまだ許容もできる。
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□ルブラッド(26個)/品質[85-98]
【素材】:〈細工師〉〈魔具職人〉〈付与術師〉〈錬金術師〉
| 燃えるような赤色を湛えた魔石。希少素材。
| 魔力を秘めた『魔石』であり、付与素材などに用いることが可能。
| しかし石自体が非常に美しいため大抵は普通の宝石として利用される。
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現在シグレが〈インベントリ〉内に所有している魔石は26個。エミルの分も受け取ってしまったために結構な個数になっているものの、全てがオークから獲得したものなので魔石の種類は『ルブラッド』1種だけしかない。
『付与生産』でアイテムに付与できる効果の種類は何の魔石を素材として用いたかによって決定され、例えばルブラッドを材料に付与を行えば、発現する効果は必ず『敏捷増加』になる。
悪くない効果とは思うが、シグレが積極的に求める能力値ではない。ここまで幾度かの実戦を経験してきたことによって、シグレは自分の長所と短所というものを知悉するに至っている。
今の自分に必要なのは、第一に長所をより伸ばすこと。第二に短所を補うことだとシグレは考える。[敏捷]や[加護]といった長所でも短所でもない能力値を伸ばすことは、下策とは言わないまでも優先すべき事情はない。
(生産用の装備を作る、というのであれば良い選択肢なのだろうけど……)
一方で[敏捷]と[加護]の能力値は『生産』を行う上で非常に重要な能力値となる。前者は生産したアイテムの『品質』に影響するし、後者は稀に出来上がる性能が突出した『逸品』の生産確率に影響するからだ。
とはいえ今回シグレが付与を行おうと考えているのは、以前『鉄華』で購入した杖だったりする。銀盤のような装身具であればともかく、まさか杖を胸に掻き抱いたまま生産作業に従事するわけにもいかない。
杖は主に〈伝承術師〉のスペルに必要となる武器なのだから、なれば最も優先すべき能力値はやはり[知恵]だろう。
幸い、下級魔石同士であれば、付与術師ギルドで交換を受け付けて貰える。
交換できるのは在庫がある宝石に限られるが、そもそも工房の利用者自体が殆ど来ないこのギルドでは、都市から毎年支給される予算により長年買い増された大量の下級魔石が、ほぼ死蔵同然の状態で保管されているらしい。
つまり手持ちに何かの魔石を持っていれば、交換は選り取り見取り。交換対象の流通価格に差異がある場合は差額を払う、もしくは受け取る必要が生じるものの、その程度の出費なら十分に許容範囲内だ。
工房の壁に掛けられた今週の魔石相場表を眺めながら差額を計算し、ルブラッド2個と160gitaを受付に持ち込み『アルガート』という同格の魔石2個に交換する。
アルガートは深い藍色を湛えた魔石で、石としての外観は藍銅鉱に近い。
交換を終えたシグレは工房内の一席に腰を下ろし〈インベントリ〉から『赤子杉の細杖』を取り出す。見目は良いながらも性能に乏しいこの杖は、その軽量さだけでシグレにとっては十分有難い武器だった。
深く呼吸を2回。精神を落ち着かせたのちに〈付与術師〉としての天恵を発揮させ、机に置いた2個の『アルガート』から輝量魔力を引き出す。
この時点で、力を引き出された2個のアルガートは黒ずんだ炭の塊のようなものへと変質し、宝石としての価値を完全に喪失する。―――もう後戻りはできない。上手くやらなければ宝石2個分の金銭価値が、そのまま損失へと変わる。
―――輝量魔力とは、魔石に秘められていただけの、純粋な魔力に他ならない。但し『宝石』という個体に定着していたその魔力は、魔術師がその身体に内包するような魔力に比べると、遙かに『個体』に対する定着力を強く持つ。
さらに言えば、輝量魔力はその魔力に指向性を有する。指向性に沿った方向に作用させれば強い力を発現させるものの、僅かにでもベクトルを逸らそうと捻じ曲げれば立ち所にそれは力を衰えさせ、完全に失われることも珍しくない。
アルガートの魔石が持つ、指向性は『知性』。
〈付与術師〉としての天恵とはつまり、その指向性のままに、十全の力を魔石から引き出す才能であると言い換えることができた。
輝量魔力は『個体』に定着していない限り、時間と共にその力を摩耗させていく性質を持つ。いちど魔石から力を引き出したら、あとは時間との戦いだ。
輝量魔力の塊を〈付与術師〉の天恵で整え、まるで毛糸玉から紐を引き出すかのように、その塊から単一繊維状に魔力を紡糸してゆく。
今回紡がれた魔力糸は、およそ1.5mm程度の太さ。形状は〈付与術師〉が自在に変えられるので、糸の太さも自由に決めることができる。但し途中で糸の太さが変わると後で定着させた際にムラが生じるので、最初に決めたのと同じ太さで最後までやり遂げなければならない。
『個体』との親和性が高い魔力糸は、物体に一瞬触れるだけで、すぐに貼り付く性質を持つ。そして、いちど引っ付けば簡単には剥がれない。
先程〈インベントリ〉から取り出した『赤子杉の細杖』の先端部分に、シグレは魔力糸の端を意図的に接着させ、そこを起点に手早く杖全体に巻き付けていく。
糸の幅は等間隔に、杖全体を魔力糸で包み込むように。
現実世界に於いて下肢に障害を抱えるシグレは、一方で手先の器用さに関してはそれなりに自信を持っていたりもする。あとは立体の形状認識なども得意分野で、結果―――殆ど魔力糸を余らせることもなく、杖に糸で隙間無く巻き付けることに成功した。
僅かに数cmだけ余った部分の魔力糸は切断して取り除き、最後に〈付与術師〉の天恵を用いて魔力糸を杖に『定着』させる。
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□赤子杉の細杖/品質[70]
物理攻撃値:0
スペル[知恵]補正:+1 / スペル[魅力]補正:+4
装備に必要な[筋力]値:4
【知恵+12】
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| 赤子杉を削りだして作られた細く長い杖。
| 性能は別にして見栄えは良いので、儀礼用の杖として用いられる。
| 東都アマハラの〈木工職人〉アザミによって作成された。
| 東都アマハラの〈細工師〉ムラサキによって加工された。
| 王都アーカナムの〈付与術師〉シグレによって付与を施された。
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最終的に、定着した付与効果は【知恵+12】。
下級魔石たった2個で付いたものと考えれば、十分に上々の成果といえた。




