40. 双牙の猟犬 - 4
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「おおおおお……!?」
〈インベントリ〉の中身を確認したエミルは、思わず呻った。
ここは掃討者ギルド二階に設けられた食堂兼酒場である『バンガード』。エミルが上げた奇声に反応して、周囲のテーブルに座った客の何人かがあからさまに奇異の視線を向けてきているのに、エミルにはそれさえ全く気にはならなかった。
―――オークは討伐報賞金に優れる魔物だ。
額面は1体あたり『220gita』。『王都アーカナム』から『東都アマハラ』に掛けての交易路付近エリアに生息する魔物には、総じて高めの報賞金額が設定されているとはいえ、これはレベルが1桁の魔物に対する報賞金としては破格のものだ。
もっとも、それはオークの強さがそれだけレベルに比して異常であることの証左でもあった。攻防共に優れ、群れを組む性質もあるオークは、真正面から戦おうとするならば非常に対処しづらい魔物でもあるからだ。
本日の討伐数は、往路復路合わせてパーティで『98体』。
普段のエミルが一日ソロ狩りで頑張っても10体から15体程度しか狩れないことを考えると、討伐数を三人で分割するとはいえその数は普段の倍以上にもなる。
いや―――黒鉄はシグレの使い魔なので、頭数には含まない。事実エミルの持つギルドカードに刻まれる『未精算討伐記録』には、『オークウォリアー:49体』と合計討伐数を2で割った数値が示されていた。
つまり今回、エミル個人の収入額は、報賞金だけで『10,780gita』にもなる。
普段の3倍以上の収入額である上に、しかも今回エミルは治療霊薬のような消耗品というものを一切使用していない。つまり出費は殆どゼロである。
これだけでも間違い無く破格の収入。―――しかし、それだけではなかった。
―――オークはドロップが『渋い』魔物として有名でもある。
何しろ獣系の魔物と違って、換金性の高い食肉や毛皮というものを落とさない。唯一ドロップしやすいアイテムとして、オークが武器に用いている『巨大な棍棒』が挙げられるが、これは殆ど金にはならないのである。
〈造形技師〉が加工すれば、相応の量の木材に戻すことはできる。しかし、そもそも木材が欲しいのであれば『オークの森』に斧を持ち込んで、直接木を切り倒したほうがずっと早いのだ。
一応、オークは他にも鉱石系の素材を、時には宝石系の素材なども落とすことがあることは知っている。但し―――そのドロップ率は端的に言って『渋い』。
鉱石のほうは10匹倒してようやく1個、宝石に至ってはせいぜい30匹に1個程度しか出ないのだ。
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□巨大な棍棒(61個)/品質[44-49]
物理攻撃値:36
装備に必要な[筋力]値:72
| 魔物【オークウォリアー】が武器として用いる大きな棍棒。
| 人間が扱うには不向きな大きさである上に、〈木工職人〉の天恵を
| 持たずに製作されたものなので、その性能は劣悪を極める。
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□鉄鉱石(37個)/品質[66-84]
【素材】 :〈鍛冶職人〉〈錬金術師〉
| 鉄の原料となる鉱石。
| 〈鍛冶職人〉か〈錬金術師〉が加工して地金にする。
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□コール鉱石(36個)/品質[65-82]
【素材】 :〈鍛冶職人〉〈錬金術師〉
| 濃く沈んだ黒色を湛えた鉱石。
| 〈鍛冶職人〉か〈錬金術師〉が加工して地金にする。
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□ルブラッド(12個)/品質[86-93]
【素材】:〈細工師〉〈魔具職人〉〈付与術師〉〈錬金術師〉
| 燃えるような赤色を湛えた魔石。希少素材。
| 魔力を秘めた『魔石』であり、付与素材などに用いることが可能。
| しかし石自体が非常に美しいため大抵は普通の宝石として利用される。
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□オパール(9個)/品質[88-93]
【素材】:〈細工師〉〈錬金術師〉〈薬師〉
| 別名『蛋白石』とも呼ばれる宝石。希少素材。
| 見る角度によって変化する不思議な色彩を持った宝石で、高価。
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(出ない筈なんだけどなあ……)
自分の〈インベントリ〉に、実際に入ってしまっているアイテムの数々を視界に表示させながら、エミルは力なく苦笑する。……もう笑うしかなかった。
魔物がアイテムを落とす確率には、掃討者が『生産職』の天恵を持っているか、能力値の[加護]がどの程度高いか―――といったことが影響する。
エミルにはどちらも無い。生産職を持たず、種族事情から[加護]の値も低い。
だから普段エミルがソロ狩りをしても、ドロップアイテムなどというものは殆ど期待できない。討伐数に応じて確実に払われる報賞金だけを頼みにしていた。
しかし―――シグレはどちらも備えている。[加護]の能力値は極めて高い水準にあり、その上『生産職』については全ての才能を有しているというのだから途方もない。
つまり、今回に限り大量のドロップアイテムを得られてしまっている理由など、偏にシグレと一緒に狩りをしたから―――という1点以外の何物でも無かった。
「……提案なのですが。今回のアイテム、8対2ぐらいで分けませんか?」
「僕が2ですか? もちろん構いませんが」
「いやいやいやいや」
どう考えてもシグレのお陰で大漁になっているのに、どうしてエミルが『8』を持って行く話になるだろうか。
「じ、じゃあせめて、そちらは黒鉄も含めて実質2人分の働きをしたのですから。分配は2対1ぐらいにしませんか? シグレさんが『2』で」
「お断りします」
『主人が否とする以上、当然我も認められぬ』
これでもかなり譲歩した提案のつもりだったのだが―――即座に返された拒否の言葉に、がくりとエミルは項垂れる。
事前に分配の割合などを取り決めていない限り、魔物討伐で得られたアイテムは常に『等分配』というのが掃討者の暗黙のルールではある。
とはいえ―――自分の側がレベル的には随分と上だったにも拘わらず、狩りでの貢献度は明らかにシグレのほうが上だった。彼がより多くの報酬を得るのは当然のことだと、そうエミルには思えるのだが。
「じ、じゃあせめて宝石! 宝石だけでも受け取って下さい。僕はほら―――既にシグレから『御守り』を貰っていますから、そのお礼ということで」
「う、そう来ましたか……」
それは咄嗟に思いつきで口から出た提案だったのだけれど。エミルの言葉に、シグレは僅かに狼狽えた様子を見せる。
そうだ―――ロイドだって孤児院でこの品を見たとき、10,000gitaぐらいが相場だと言っていた。既に高価な品物を貰ってしまっているわけだから、その謝礼として一部のアイテムの受け取りを辞退するのは理に適っている。
ルブラッドの単価は1個『600gita』程度で、オパールなら『1,000gita』程度。
両方の宝石を合わせて16,200gita程度の金銭価値なのだから、御守りとは金額的にも釣り合わないことも無い筈で―――。
「……では、ルブラッドだけ頂戴します。それ以上は勘弁して下さい」
「うう……。わ、わかりました……」
何故か逆の意味での押し付け合いになりながら、互いにそれで妥協する。
パーティを組んでいる相手になら直接アイテムの受け渡しも可能なので、エミルは自分の持っている12個のルブラッドをシグレの〈インベントリ〉へ移し替える。
「ありがとうございます。折角ですので、生産で使ってみようかと」
「あ、そうか。シグレは素材を自分で使えるのですよね」
「はい。練習で色々なものを作ると思いますが、手習いで作ったアイテムの処分というのはなかなか苦慮しそうですので……。よろしければ、また何か作った際には受け取って頂けると非常に助かるのですが」
「あ、はい! 僕でも良ければ、喜んで」
「―――ありがとうございます」
その時にシグレが見せた笑顔は、いつも以上に爽やかなもので。
まさかその笑顔の裏で、シグレが(これで言質は取った)と考えていようとは、その時点ではエミルは夢にも考えなかったわけで―――。
*
掃討者ギルドの外に出ると、すっかり陽は落ちてしまっていた。
幸い『バンガード』での食事中に雨は降り止んだらしく、石畳の街路はまだ濡れたままでも、夜空には雲間から姿を見せる幾許かの星々を眺めることができる。
「ああ、良かった。晴れてくれましたか」
「……このあと、何かご予定が?」
シグレが修得している【浄化】のスペルは汚染状態を取り除くだけでなく、雨で濡れた身体や衣類などを瞬時に乾燥状態へ復元させることもできる。
どうせ今日は雨の中を行動したわけだし、このあと宿に帰るだけなのであれば、いま少し雨が降ったままの街中を歩いても特に困るようには思えなかった。
「この後、よく一緒に狩りをしている友人と『松ノ湯』に行く約束がありまして」
「―――『松ノ湯』さんですか! いいですね! お陰様で今日は随分と稼がせて頂きましたし、身体も冷やしてしまいましたし……ああ、僕も後で行こうかなあ」
ここから近い場所にある『貸湯温泉・松ノ湯』なら、たまに狩りを共にするフレンドと一緒に、何度か利用したことがあるのでエミルも知っている。
『松ノ湯』は温泉を露天浴場ごと借り切ることができるので、気心が知れた相手と親睦を深めるのには都合が良い場所だ。ただ『松ノ湯』の浴場は露天ということもあって屋根が無く、雨が降っていると満足度はどうしても下がってしまう。
シグレが晴れたことを喜ぶのも道理だと、エミルも心の中で得心した。
「……よろしければ、エミルも一緒に来られますか? 貸湯の代金が安くなる分には友人も喜ぶでしょうし、その友人は女性の掃討者ですので紹介しますよ」
「いいのですか!? ……な、なんだか催促してしまったようで、すみません」
「いえ。僕も雨に濡れたのは同じですので、気持ちは判ります」
ひとりで利用すると『松ノ湯』の料金はべらぼうに高いものの、三人ぐらいで出し合えばそれほどの額ではない。
雨上がりの夜風は、季節柄まだ少し肌に冷たく感じられるけれど。これから温かな温泉に入りに行くのだと思えば、それも全く気にならなくなった。
―――その夜。シグレの友人であるキッカと面識を得てからというもの、以降は二人の狩りにエミルも頻繁に参加させて貰うようになった。また、共に狩りをした日には決まって、そのまま温泉にも同行するようになった。
ちなみに―――意気投合したキッカと一緒になって、温泉では少し距離を取りたがるシグレに対し、二人掛かりで挟み込むようにしながら距離を詰めると。必死に目を閉じて見ないよう努めながらも、恥ずかしそうに頬を赤らめているシグレは、狩りの時に見せる冷静さが嘘みたいになんだか可愛かった。




