39. 双牙の猟犬 - 3
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トワド村の食堂で出された『鶏肉と根菜のクリーム煮』はシグレから絶賛の評価を受けた。濃厚なミルクとバターが味覚を刺激する一品は、畜産が盛んなトワドならではの美味しさが強く盛り込まれた料理でもある。
例え同じ料理をアーカナムで求めても、同じだけの味が出ることは無いだろう。この村にまで足を伸ばさなければ食することのできない絶品を、高い頻度で味わうことができるのは、行商人か掃討者ぐらいのものだ。
二人して心ゆくまで料理を堪能し、身体も温まった所で―――しかし、食事中に随分と雨脚は強まってしまった様子で、エミル達が出る頃には地面に打ち付けるような激しい空模様となっていた。
ある程度の雨は構わないと思ってはいたが、とはいえこのレベルまで強い雨ともなると再び狩りに出るべきかどうか迷う所ではある。この村で適当な幌付き馬車の行商人を捕まえて、アーカナムまで帰るという選択も十分にアリだろう。
エミルとしては、狩りを続けるのでも帰るのでも、どちらでも構わないと。そう告げると、シグレは少しだけ迷った様子を見せながらも。
「では―――よろしければ、雨中の狩りも経験しておきたいですね」
そう希望が返されたので、彼の言葉通り復路も森に入ることにした。
村を出て真っ直ぐ北に移動し、再び『オークの森』の中に入る。
頭上に多少は覆いのある空間に入ったことで、雨の激しさは多少軽減されたが。枝葉や幹などにぶつかった雨の飛沫が霧のような靄を掛けるため、森林内では視界が極端に悪化する。
また、雨粒が樹葉に打ち付ける無数の雑音も色濃く聞こえるようになり、雨音が奏でるノイズが、まだ《隠密》を使用していない足音さえ掻き消してくれた。
「環境が悪い方が、僕らは戦いやすいのかもしれませんね」
「はい、僕もそう思います」
シグレの言葉を、エミルもすぐに肯定する。
そう、特に《隠密》では消せない人影を隠してくれる視界の悪さは、エミル達にとって有利に働く要素に他ならない。初手の《背後攻撃》などはより安定して狙いやすくなるだろう。
「ああ―――そうだ、エミル。もしも予備の短剣などを持っているようでしたら、今日だけ貸して頂けませんでしょうか」
「予備、ですか……? シグレが使うのですか?」
「ちょっと黒鉄に使って貰おうと思いまして」
シグレの話によれば、村で休憩中に確認した際に、黒鉄のレベルがさらに幾つか上がっていたらしく。レベルアップで得られたスキルポイントを、昼食を摂る傍ら割り振ったのだそうだ。
黒鉄が得た新たなスキルは《短剣修練》と―――《背後攻撃》。
つまり、今後は黒鉄もエミルとほぼ同じ役割を担えることになる。
『我の種である魔犬は、本質的にエミルのような〈盗賊〉に近いのかもしれんな』
「なるほど……。では同じ猟犬同士、頑張りましょうね」
『うむ』
「……?」
猟犬同士、という言葉の意味が判らないからだろう。エミルと黒鉄の会話を聞いていたシグレは、不思議そうに首を傾げてみせた。
「予備の短剣というわけではありませんが、投擲用に握りの無いダガーを幾つか持っていますので、そちらで宜しければ一本差し上げます。安価な鋳造品ですので、あまり攻撃力は高くありませんが……」
『手習い品としては十分だ。有難く頂戴する』
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□クロルダガー/品質[40]
物理攻撃値:12
装備に必要な[筋力]値:8
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| シンプルな形状の背幅が狭い両刃ダガー。主に投擲用に用いる。
| 威力は低いが耐久性自体は悪くない。
| 王都アーカナムの〈造形技師〉ハウクによって作成された。
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〈インベントリ〉に10本ほど入れてあったダガーのうち1本を差し出すと、黒鉄は柄の部分を咬むようにしながらそれを受け取った。
露店市にて安価で大量に売られていたのを、使い捨てになるかもしれない投擲用に纏めて購入したものなので、お世辞にも質の良いものではない。それでもダガーとして最低限の殺傷力は備えているし、咬みながら使用するのであれば、握りのない投擲用のほうが却って使いやすいかもしれない。
『《背後攻撃》というのは、相手の背後から攻撃すれば勝手に有効になるのか?』
「うん、状況が許すときには勝手に発動するね。どんなに堅い相手でもすごく簡単に斬れるようになるから、発動した時はすぐに判ると思う。それと、無防備な相手に有効なスキルであって、別に必ずしも背後から攻撃する必要は無いかな」
『なるほど、理解した』
「では都合良くオーク3体の群れがいるようなので、あれからやってみましょう。《千里眼》で確認してみましたが、これも全てオークウォリアーです」
「はい!」
三人それぞれに《隠密》を発動させ、雨煙る樹林のなかで気配を消す。
パーティ会話なら声を聞かれる心配も無いのに、三人はそれから暫く、互いに一言も言葉を交わし合うことはしなかった。全員が《魔物感知》を持っているので、マップを参照しなくとも魔物の位置は各自が感覚だけで理解できる。
魔物の群れの近くまで来たら、シグレを残してエミルと黒鉄はさらに距離を詰める。茂みに入るだけで身体が隠れてオークからまず見つからなくなる、体高が低い黒鉄がちょっと羨ましくも思えた。
『いつでも大丈夫です』
『我も問題無い』
『了解です。少し離れた1体を攻撃しますので、残り2体をお願いします』
それを聞いて、エミルと黒鉄は少し位置を変える。
おそらく、シグレから攻撃されたオークは叫び声を上げることになる。すると残り2体のオークの注意は当然、そのオークに対して向くことになる。なので、予めその状況で『背後』を取れる方向へ潜んでおく方が良い。
位置取りを終えて、シグレが実行する『初手』を待機していると。未だに激しい雨脚の雑音に混じって、どこかで遠雷が鳴っているのが聞こえた。
そんな、雷の音に耳を傾けていたからだろうか―――雨雲に閉ざされた暗い森を切り裂くかのように、天上から一直線に落ちてきた光の槍が、エミルには一瞬だけ間近に落ちた雷であるかのように錯覚された。
「ギャオオオオオ―――!」
頭から【銀の槍】を生やしたオークが痛々しい叫び声を上げる。
そのままオークの身体は光の粒子へと変わり、叫びは断末魔へと変わった。
「―――やああっ!」
『フンっ!』
絶命した仲間に気を取られた、その隙が命取りになる―――。
エミルが交差させた二本のダガーが、眼前のオークの首を綺麗に刎ね飛ばす。
すぐ隣で黒鉄が別のオークに向けて放った《背後攻撃》は、初めてということもあってかオークを絶命させるまでには至らなかったものの。HPを一気に9割近く失わせることに成功しており、十分に致命的な一撃といえた。
もちろん、そこまで削れてしまえば後はすぐに決着が付く。
3体のオークを倒すのに、《隠密》で近づく時間を入れても5分。実際の戦闘時間で言えば10秒少々―――といった所だろうか。
個々の役割が明確なパーティは、得てして柔軟性に欠ける場合も多いが、状況に上手くハマると無類の強さを発揮する。
以降も『オークの森』の浅い部分を西に移動しながら狩りを続けるが、この面子ならば開戦直後にオークの頭数を3体間引くことができる強みというものは非常に絶大で。これが3人だけのパーティだとは思えない程の討伐効率を叩き出した。
いや―――黒鉄はシグレの使い魔なのだから。
実質的に、これは『ペア狩り』と言うべきなのかもしれない。
懸念されていたオークアーチャーやオークメイジといった魔物とは結局出会うこともなく、森を西に抜けて『王都アーカナム』へと一行は辿り着く。
復路に掛かった時間は―――なんと僅かに3時間と少し。
そもそも『王都アーカナム』と『トワド』の道程を移動するのに、普通は徒歩で片道2時間掛かるのだから。降りしきる激しい雨の中を、わざわざ危険な森の中を選んで進み、出会う魔物を片っ端から討伐しながら移動したことを考慮するなら、これは異常なほどに速い移動ペースだと言えた。
「な、なんだかいま一瞬―――視界の中で光が溢れて、真っ白に弾けたのですが」
「えっ……そ、それって、レベルアップじゃないですか!?」
道中ではシグレのレベルが『2』に上がるという事態も発生。
高すぎる狩りの効率は、天恵を山のように積んだ希有な魔術師に、最初の成長の機会を与えてくれたらしい。
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シグレ/天擁・銀血種
戦闘職Lv.2:聖職者、巫覡術師、秘術師、伝承術師、星術師、
精霊術師、召喚術師、銀術師、付与術師、斥候
生産職Lv.1:鍛冶職人、木工職人、縫製職人、細工師、造形技師
魔具職人、付与術師、錬金術師、薬師、調理師
最大HP:16 / 最大MP:1045
[筋力] 0 [強靱] 2 [敏捷] 118
[知恵] 285+5 [魅力] 208 [加護] 105+4
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◇ MP回復率[60]: MPが1分間に[+627]ポイント自然回復する
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ステータスを確認してみると、レベルが『2』に上がったことで、とうとうシグレのMPが4桁にまで達している。
あと、何故かHPが1点も増えていないような気が―――したけれど、エミルは口には出さなかった。出せなかった、と言ってもいい。言えない。
ちなみにエミルも途中でレベルは『14』へ成長している。
でもそれは、シグレのレベルが『2』に上がったり、黒鉄のレベルがいつの間にか『8』にまで一気に上がっていることに比べれば、些細な問題だった。
……数日中にはレベル追い抜かれそうな気がする。たぶん……。




