37. 双牙の猟犬 - 1
[7]
(凄いや―――)
心の中でエミルは、静かに賞賛の感嘆を漏らす。
正直、シグレがここまで戦力になってくれるとは思ってもいなかった。
エミルの両手に握られた二本のダガーは、オークの殲滅を終えた今でもまだ光を帯びたままだった。
これが〈付与術師〉の【鋭い刃】というスペルの効果であることはエミルも知っている。確か、武器の攻撃力を引き上げるスペルだった筈で―――実際、シグレからこのスペルを付与されて以降、ダガーの刃がオークの肉体を切り裂く感覚というものが、露骨に増したことがエミルには理解できていた。
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□グラップダガー/品質[70]
物理攻撃値:35+55
装備に必要な[筋力]値:18
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| 鋼鉄製の両刃を持つダガー。刺突と斬撃の両方に対応する。
| 斬れ味と威力に優れる反面、短剣の割に重さがあるのが難点。
| 王都アーカナムの〈鍛冶職人〉レパルトによって作成された。
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ダガーの詳細を確認してみると、スペルによる支援を受けたことで武器攻撃力が一気に2.5倍以上にまで膨れあがっているのが判る。これだけ攻撃力が上がれば、魔物に刃が通るようになったのも道理だろう。
―――本来【鋭い刃】とは、ここまで強力なスペルではない。
武器攻撃力を引き上げる効果を持つので、エミルのように短剣を駆使して手数で威力を稼ぐタイプに、特に有効なスペルであるのは間違いないのだが。
今までに何度かパーティを組んだ〈付与術師〉から【鋭い刃】のスペルによる支援を受けたとき、増加した武器攻撃力はせいぜい『15』程度のものだった。
もちろん、元々の武器攻撃力が低いので、それでも十分に有難い効果なのは間違いない。けれどもシグレが掛けてくれた【鋭い刃】は、文字通り格が違うのだ。
武器攻撃力が『35+55』―――攻撃力『90』の武器といえば、もう殆ど両手剣や両手槍のような、ちょっとした重量武器の領域である。その威力を短剣で繰り出せるというのだから恐ろしい。
しかも〈付与術師〉はシグレの本分の一部に過ぎない。
途中でエミルが右肩にオークから棍棒の一撃を受けたときには、当然ながら身体に鮮烈な痛みが走った。一気にHPが3割近くも持って行かれるほどの強烈な一撃だったのだから、当然といえば当然だ。
しかし、棍棒の一撃により吹っ飛ばされて転倒し、慌ててエミルが立ち上がった瞬間には―――もう痛みは嘘のように消え、HPも全快させられていたのである。
〈聖職者〉であり〈巫覡術師〉でもあるシグレは、複数の回復スペルを行使することができる。攻撃スペルも幾つも行使できるし、多彩な状態異常スペルを駆使して魔物を無力化する技術にも長けている。
シグレは回復役であり、攻撃術にも長け、味方の支援もこなし、敵の弱体化まで担当する。……一体ひとりで何人分の役割を担うつもりなのだろう。
普通の『魔術師』の掃討者は、こんなに多様な役割を担うことはない。
自分のレベルの範囲内で覚えられる、最強級のスペルを4つから6つだけ修得して、冷却時間を消化させながら戦闘ごとに1つか2つのスペルだけを行使するのが『魔術師』に求められる一般的な役割だった。
掃討者の『魔術師』は強力なスペルだけをこよなく愛する。詠唱時間が長く、冷却時間が長く、消費MPも激しい。―――しかし、威力だけは絶大なスペルを彼らは愛していた。
長い詠唱時間を味方のサポートに支えられながら消化し、極めて強力なスペルを放つことで戦況を一気に好転させる。それこそが魔術師の栄誉であり、それ以外の領分に手を出すのは魔術師として邪道であるとさえ見る節がある。
けれど―――シグレの戦い方はそうした『魔術師』の型に一切当て嵌まらない。
レベルがまだ『1』なのだから、強力なスペルが使えないのは理解出来る。どの術士職であっても、レベルが低い内に覚えることができる小粒なスペルというのは、大抵それほど役には立たない。
エミルもそれを承知でシグレに一緒に狩りに行こうと誘ったつもりだった。戦闘が終わった後に【負傷処置】のひとつを使ってくれるだけでも、エミルからすれば十分に有難いのだ。
戦闘への直接的な貢献など、期待してもいなかったというのに。
どうしたことか―――シグレは小粒であるはずのスペルを、しかし決して侮れない強力さで行使する。
彼の[知恵]や[魅力]はレベル『1』でありながら、既に熟練の魔術師をも上回るレベルに達している。それが反映されるからだろう、シグレの手から放たれるスペルは、初級スペルの弱々しさなど嘘のような輝きを示すのだ。
しかもシグレは、熟練の〈射士〉が弛まず矢を射掛け続けるかのように、多彩なスペルを絶え間なく繰り出し続けるというのだから凄まじい。
―――その上、彼は戦況というものを常に正しく判断している。
開幕に強力なスペルの一撃で敵を混乱させ、第二に状態異常スペルで敵の一部を無力化させるという選択。二つのスペルで敵の注意をわざと引き受けることで、逆側に忍び寄ったエミルに判りやすい《背後攻撃》のチャンスまで与えてくれた。
その後も、エミルが欲しいときに欲しい支援をシグレは与えてくれる。オークが振るう棍棒の強烈な一撃を受けた場合でも、エミルがパーティ会話により治療を希望するよりも早く、彼が行使した治療スペルはエミルの身体を癒していた。
しかも、エミルに十全な支援を惜しまない一方で、彼が自分の使い魔に対しても何らかの支援をしていたことにエミルは気付いている。黒鉄が戦っていたオークには、途中で明らかに動きが鈍っている様子が見て取れていた。
一体この人には、どれだけスペルの引き出しがあるのだろう―――深奥が見えない彼の『魔術師』としての力量を、エミルは思い知らされた気がした。
『―――エミル』
「ふ、ふひゃいっ!」
急に頭の中に響いたパーティ会話に、思わずエミルは焦ってしまう。
取り乱したエミルを目の当たりにして、シグレは不思議そうな目でこちらを見ていた。
「ええっと……先程、オークから殴られていたようですが大丈夫ですか? かなり派手に吹っ飛ばされていたように見えましたが……」
「あ、だ、大丈夫です。その……治療スペル、ありがとうございました」
「そんなことは気にしないで下さい。これも僕の役割ですので」
さも当然のように、シグレはそう応える。
シグレの告げる『自分の役割』とは一体どこまでを指すのだろう―――エミルは内心でそう思いながらも、口には出さなかった。
「既にエミルも気付いているかと思いますが、東北東190メートルほど先に魔物5体の反応。《千里眼》で確認したところ、これも全てオークウォリアーでした。
―――もし休憩が必要でしたら、一旦南に森を抜けて休んでも構いませんが」
「いえ、行けます。大丈夫です」
「判りました。……決して無理はなさらないで下さいね」
レベルはこちらより『12』も下だというのに―――シグレは立派な人だ。既存の型に嵌らない、自分の戦い方というものを既に確立してしまっている。
自分も負けてはいられない。せめて、彼の足手纏いにはなりたくない。
「シグレ。何か僕に、アドバイスがあれば聞かせて下さい」
「アドバイス……ですか?」
「はい。後ろから戦いを見ていて、何か思ったことはありませんか」
エミルの中ではもう、シグレを『初心者』だと見る認識は失われつつあった。
シグレは戦場をよく見ている。術士職という一歩引いた立ち位置から、敵のことも味方のことも、本当によく把握している。
彼がもし、後ろから眺めていて何かエミルに対して感じたことがあれば、率直に耳を傾けて学ぶべきだと。そのように、素直な気持ちからエミルは思う。
「僕としては、黒鉄とエミルが魔物を引きつけてくれるお陰で自分が好きに動けていますので、正直それだけで十分に助かっているのですが……。
そうですね―――ではひとつだけ、アドバイスというより提案を」
「はい。何でも遠慮無く言って下さい」
「エミルは〈盗賊〉ならではの機動力が強みですが、後ろから見ている印象ですとその機動力を『攻撃』のために使いすぎている嫌いがあるように思えます。
よろしければ以降は攻撃をなるべく抑えて『防御』を重視した戦い方にしてみて頂けませんか」
「防御重視に、ですか……? 攻撃を控えると、魔物の攻撃対象が僕でなくシグレのほうに向かってしまうかもしれませんが」
「それは構いません。僕も多少は対処できると思いますし―――それに、魔物が僕のほうを狙ってくれることでエミルに背中を見せてくれるなら、却って好都合ではありませんか?」
「それは……」
そうかもしれない、とも思う。
魔物が自分に背後を向けたからといって、必ずしも無防備を晒してくれるわけではないだろうけれど。それでも自分に対して背中を向けている相手にであれば《背後攻撃》が成功するチャンスはある。
「手数の多い短剣攻撃も、それはそれで有効な戦い方だとは思います。ただ、オークはHP量が多いですし防御も堅い相手ですから、一撃が軽い武器というのはどうしても不利になってしまうとも思うのですよね。
でしたら、いっそ―――《背後攻撃》だけを狙って戦うのもアリかと」
「《背後攻撃》だけで、ですか……? 確かにあれなら、防御が堅い敵であっても一撃で倒すことができますが。相手が完全に無防備な状況を作れない限りは、そうそう決まるものではないですよ……?」
『物は試しです。一度やってみませんか?』
端的にそう告げてから、シグレは次の魔物の群れがいる方角へ歩みを進める。
シグレと黒鉄がスキルで気配を消したのに倣い、慌ててエミルも《隠密》を発動させながら、その背中を追いかけた。




