35. 〈盗賊〉エミル - 4
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シグレとエミルの二人―――から、二人と一匹に増えた一行の前に、鬱蒼と茂る森林地帯が見えてきた。
ここまでの『朝風街道』がかなり開けた地上であっただけに、まるで明確な線を引くかのように、突如として森林に切り替わる景観を目の当たりにして、シグレは少なからず違和感を抱く。
平原と森林の境目に立っている現時点で、《魔物感知》のスキルは既に何体もの魔物の存在を捉えていた。
四体の群れと六体の群れ。どちらも森の中側にあるこれらの反応は《魔物感知》の捕捉範囲ギリギリの辺りに留まっているので、おそらくまだ200メートル弱離れていることになるだろうか。
それだけの距離が離れていると、当然ながら森の中に敵の姿を見つけることは全くできない。無数に立ち並ぶ木々が視界を遮ってしまって、遠くを見渡すことなど不可能だった。
とはいえ、直接的な視線は遮られていても《千里眼》を飛ばすことはできる。
木々の間を縫うように視界を飛ばすと、確かにすぐ先に四体の群れを見つけることができた。緑がかった体色を持つ屈強な魔物達で、どれも棍棒のようなものを武器として携行している。
「あれで殴られると痛そうですね……」
簡素な木製ながら太くて重量のありそうな棍棒を見て、シグレは僅かに怯む。
痛そうも何も、シグレの場合にはまず間違い無く即死するのだが。
『主人、ここからでも魔物が見えるのか?』
「あ、うん。〈斥候〉のスキルで視界を飛ばせるからね」
「なるほど、《千里眼》ですね。〈盗賊〉には無いスキルなので羨ましいです」
〈盗賊〉であるエミルには《魔物感知》だけで《千里眼》は無いらしく、魔物の反応自体があることは判っても、実際に近づいて視認しなければそれがどのような魔物なのかは判別することができないらしい。
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〔オークウォリアー〕
亜人 - Lv.8 〔120exp〕
最大HP:455 / 最大MP:0
[筋力] 63 [強靱] 68 [敏捷] 37
[知恵] 35 [魅力] 33 [加護] 46
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シグレなら《千里眼》で視認した魔物の情報を、そのまま《魔物解析》で調べることもできる。こちらも〈盗賊〉には無いスキルらしく、戦闘スキルを一切覚えられない代わりに探知能力に特化されている〈斥候〉に分がある領域のようだ。
「名前は『オークウォリアー』で魔物のレベルは『8』、[筋力]と[強靱]がかなり高くてHPも多い魔物のようです。今回の狩猟対象はこの魔物、ということでよろしいのでしょうか?」
「あ、はい。合ってます。強力な戦士系の魔物で、普通の前衛職が真っ向から戦うのであればレベルが『10』は欲しい相手ですね……。
ただ強力な割に足は遅く、遠距離攻撃も持たないので逃げるだけなら簡単です。ですので……仮にシグレさんに何かあった場合でも、その、僕だけなら逃げるのは難しくありませんので」
「ああ……なるほど、そこまで考慮下さったのですね。ありがとうございます」
別に『天擁』であるシグレが死ぬのは構わない。だが、シグレが戦線離脱を余儀なくされることで、連鎖的にエミルが危険に晒されることは避けたい。それは狩場を決めるのを任せた時点で、シグレがエミルに要望していたことでもあった。
いざという時に容易に逃げ切れる相手であれば、『星白』のエミルと一緒であっても気楽に戦うことができる。《魔物感知》の反応を見る限りだと、先日戦ったウリッゴと同様にオークウォリアーも群れを構成する魔物のようだが。逃走が容易であるのならば、多勢の魔物を同時に相手取っても問題はないだろう。
「但し、この森に入って先に進んだ『オークの村落』エリアには、弓矢で攻撃してくるオークアーチャー、魔術師タイプのオークメイジなども生息しています。
ですので、このエリアでも『オークの村落』から移動してきたそれらの魔物とは遭遇することが偶にあります。見かけた場合は優先的に倒すようにして下さい」
「判りました。遠距離攻撃は厄介ですからね……」
一矢喰らえば即死するシグレにとっては、文字通り死活問題である。
『―――ところで主人。少し良いだろうか』
「うん? どうしたの、黒鉄」
『レベルが上がった』
「……え?」
言われて、シグレは慌てて視界に黒鉄のステータスを表示させる。
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クロガネ/召喚獣
戦闘職Lv. 3:魔獣
最大HP:202 / 最大MP:265
[筋力] 26 [強靱] 23 [敏捷] 30+23
[知恵] 15+55 [魅力] 15+40 [加護] 19+20
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◇ HP回復率[5]: HPが1分間に[+10.1]ポイント自然回復する
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- 未使用スキルポイント:3
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……まだ戦闘してもいないのに、レベルが『3』に上がっている。
「黒鉄、これは一体……?」
『主人は魔力量自体も多いが、魔力充填速度はそれ以上に狂気じみている。使い魔として主人の身体から溢れる分の魔力だけを貰っているが―――それでも召喚獣の身には飽食が過ぎて、太ってしまいそうだ』
先程使い魔契約をした際、シグレの視界に表示された説明文の中には『召喚獣は術者の余剰魔力を糧にして経験値を獲得できる』という記述があった。
余剰魔力とはつまり、最大値を超過して自然回復したMPのことだろうか。だとするなら『使い魔』として契約してからの僅かな時間だけで、黒鉄のレベルが一気に二つも成長したことにも頷ける気がした。
MPの自然回復速度に関してだけは、シグレの能力は魔術師として見てもかなり突出しているといえるからだ。
何にしても味方の戦力が増す分には喜ばしいことだ。
黒鉄のスキル欄を視界に表示させると、シグレ自身のスキルツリーとは異なり、黒鉄は最初から実に多才なスキルを修得できるようになっていた。
戦闘能力を向上させるものや、間接的に術者を助けるもの。あるいは『犬』という性質上か〈斥候〉の職業と同じスキルも幾つか覚えることができるようだ。
折角なので《魔物感知》と《隠密》のスキルを黒鉄に修得させる。どちらもシグレとエミルの二人が揃って使えるスキルなので、どうせなら黒鉄にも持たせたいと思ったからだ。
残りのスキルポイント1点は《生命強化》に振る。単純に最大HPが増加するだけの判りやすいスキルだが、前衛を担って欲しい今は特に役立つだろう。
「これなら、三人で動いても魔物に気取られることは無いでしょうね」
黒鉄のステータス欄を見ていたのだろう。エミルが告げた言葉にシグレも頷く。
《隠密》のスキルを『意識』して発動させ、シグレは自分の気配を消失させる。《隠密》はMP消費のないスキルだが、常時発動スキルではないので自分の『意志』で効果を発動させなければならない。
シグレがそうしたのを見て、エミルと黒鉄の二人もまた同じように《隠密》を実行する。パーティを組んでいるからお互いがどこに居るのかは感覚的に理解できるものの、《隠密》のレベルが高いのか、特にエミルの気配はシグレにも全く認識できなくなった。
『ここからはパーティ会話に切り替えていきましょう。差し当たり、最初は四体で群れている魔物から狙うということで構いませんか?』
『はい、問題ありません』
『承知した』
静かに歩くよう意識せずとも《隠密》のスキルさえ発動させていれば、例え枯れ木の枝を踏んでしまっても足音は全く立たなくなる。敵の視界に捉えられないことだけを注意しながら、四体の群れのほうへシグレ達は迅速に距離を詰めていく。
全員が全員《魔物感知》を持っているため、マップを見るまでもなくどの辺りに魔物が存在しているのかは感覚的に理解できる。あとは木々と茂みを利用しながら対象へ近づくだけなので、何も難しいことはなかった。
魔物との距離20メートルほどの位置にシグレ達は付ける。森は鬱蒼として視界が悪く、このぐらいの距離にまで近づかなければ、全ての魔物を視界に捉えることはできない。
『僕は《背後攻撃》を狙うので、逆側に回り込みます。あと10秒以上経ちましたら、いつでもシグレの好きなタイミングで戦闘を開始して下さい』
『判りました』
エミルの位置が魔物を挟んだ逆側まで速やかに回り込み、さらに僅か2メートルほどしか離れていない位置にまで距離を詰める。パーティを組んでいるシグレには彼女の鮮やかで俊敏な動きが理解でき、思わず心の中で賞賛を贈った。
彼女の〈盗賊〉としての腕前の高さが伺える。あの位置からなら、すぐに魔物に対して強烈な一打を決めてくれることだろう。
「夢の器を満たす霧よ、彼の魔物達を抗えぬ深淵へと誘え【眠りの霧】!」
ゆっくり10秒を数えてから、シグレはその場に立ち上がりすぐさま呪文の詠唱を開始する。【眠りの霧】には8秒の詠唱時間が掛かるが、敵の不意を突ければこの程度の口上を述べる余裕はあった。
四体のオークウォリアーを全て包み込むように、森林内に湧き溢れる白い霧。
霧は同時にエミルが潜んでいる位置をも包み込むが、弱体化スペルが味方に命中しないことをシグレはキッカから既に教わっている。
「グオオオオオアアアアア―――!!」
魔物が上げた咆吼にびりびりと鼓膜が揺れる。
【眠りの霧】は二体のオークウォリアーを眠りの淵に引きずり込んだが、残りの二体は怒りに声を荒げながら真っ直ぐシグレの方へと駆け寄ってくる。
エミルから聞いていた通り、オークウォリアーの歩みはウリッゴに比べると随分と遅いようだ。とはいえ、魔物との距離自体がそれほど離れていないこともあり、あまり余裕がある状況でもない。
それに何より、巨体のオークが棍棒を構えながらのっしりと自分に向けて闊歩してくる様は、なかなかにシグレの恐怖心を煽る光景でもあった。
「―――」
迫り来る二体の魔物のうち、片方の咆吼が急に止んだかと思うと。
その魔物の頭部が―――頸部に綺麗な光の線を引かれて、ポトリと地面に落下する。
頭部を失ったオークのすぐ背後に立つ、エミルが構えるのは二本の短刀。
彼女はまるで大根か何かでも斬るかのように、背後からいとも簡単にオークの厳めしい頭部を刎ね落としてしまったのだ。
(ば、《背後攻撃》って、おっかないなあ……!)
支える物を失った頸部から血を噴き出させながら、光の粒子となって消えていくオークを眺めながら。思わずシグレが心の中でそう呻ってしまったのを、一体誰が責められるだろうか。




