29. 狩猟のお守り
武具店『鉄華』は遅くとも朝の九時までには店先に暖簾を掛けるが、開店直後からカグヤが店に立つことはない。店頭にはチトセという手代の子が立ち、代わりに客の相手をすることになっている。
職人の本分は商いにはない。金属を扱う〈鍛冶職人〉は燃え盛る火の前に居続けなければならない生業であるので、少しでも涼が多くとれる朝方や夕方以降に鍛冶場へ出向き、炉の前で過ごすのが日常となっていた。
本当は深夜から早朝に掛けての最も気温が落ちる時間帯に、鍛冶仕事ができれば一番良いとも思うのだけれど。昨今はやれ鉄床を叩く音が五月蠅いだのと、何かにつけて騒音問題には世間から厳しい目が向けられがちである。
鍛冶場のある『鍛冶職人ギルド』の周囲は商店や掃討者ギルドぐらいしか無いのだから、別にいいじゃないとも思うのだけれど……このご時世では、ひとりが無遠慮な振る舞いをすれば、簡単に非難の目は鍛冶職人全体に向けられてしまう。
自分の腕前だけを求めるあまり、周囲への配慮を疎かにすることこそ職人気質の内とされていたのも、今は昔。立場を同じくする〈鍛冶職人〉の知己が多いこともあり、世間におもねて身内の立場を護るのもまた、悲しいかな世の習いといえた。
その日もカグヤが自分の店に顔を出したのは、午を回る少し前の頃だった。
チトセは仕事に真面目だし、信頼もできるので店番を任せるのには申し分ない子なのだけれど。常日頃から「食事が唯一の趣味」と言って憚らない彼女は、昼餉の時間までにカグヤが店に来て店番を交代しなければ、すぐに臍を曲げてしまう部分がある。なのでいつも昼前にはカグヤも店に来るようにしていた。
午前中に店で請けた幾つかの鍛冶依頼に関する申送りを受けてから、昼食に出るチトセを見送る。ここから夕方の17時頃までが、カグヤが店に立つ時間となっていた。
店で請ける鍛冶依頼の中には〈鍛冶職人〉であるカグヤが直接話を聞かなければ難しい案件も含まれる。チトセは店番としては優秀ながら〈鍛冶職人〉の天恵を有しているわけではないので、専門的な依頼はなるべく昼間に持ち込んで貰うよう、常連客には日頃から頼んでいた。
チトセが付けている帳簿を確認した後は、実際に店頭の在庫を検める。
鋳造品の安価な剣や槍、それから店で扱っている幾つかの消耗品などは、回転が早いので倉庫にも替えの在庫を常備してある。売れた分だけ店頭に出し直せば良い。
他の大多数の商品は売れてから次の商品を手配する。必要な分だけメモを取り、鍛冶で作れる武具であれば、早速今夜にも鍛冶場で生産に入る。木工の武具や刀剣類の柄などについては〈木工職人〉の伝手に念話で発注を出せば良い。
「こんにちは」
「―――ああ、シグレさん。いらっしゃいませ」
挨拶をされて振り向けば、まだこの店で見慣れない男性の姿がそこにはあった。
一昨日キッカがこの店に連れてきた、杖と弓を買ってくれたお客さんだった。キッカと同じぐらいに背が高く、けれど随分と痩せているのが印象的な人だ。
『掃討者』を生業としている人には痩身の男性も多いけれど、シグレはそれとは異なった痩せ方であるようにカグヤには見えた。体つきには筋肉というものが感じられず、運動にあまり使われていないのに痩せている―――少々奇妙な、不健康な痩せ方であるように思えた。
もっとも、特に顔色などが悪いようには見えないので、不健康であるという認識は実際には間違っているのだろう。
異常なほど天恵に恵まれすぎているシグレは、特に[筋力]と[強靱]といった能力値がかなり歪なことになっている。変な痩せ方をしているように見えるのは、その辺の事情が絡んでいるのかもしれない。
「あの後は、キッカとウリッゴ狩りに行かれたんでしたよね。実際に使ってみて杖と弓の調子はいかがでしたか?」
「お陰様でどちらも良好です。その節は無理をお願いして軽量な品を探して頂き、ありがとうございました。それに随分とお安くもして頂きましたし……」
「商品がお客さんの役に立ちましたなら何よりです。値段については確かに勉強させて頂きましたが……正直、長らく売れ残っていた品を引き取って頂けましたのでこちらこそ有難かったですし……」
事実、杖のほうは完全に店内で埃を被っていたのを覚えている。
儀礼用に使うには良い、見栄えがする杖ではあるのだが。掃討者を生業とする人は大抵、装備品の外観よりも性能を重視するために、今まで見向きもされず店頭で放置され続けてきたのだろう。
「えっと―――それで、本日は何かお店に御用ですか? それとも狩りのお誘いか何かでしょうか?」
「前者です。弓の練習に用いる、一番安価な矢を50本ほど買いたいのですが」
「……え? 矢をですか?」
少々意外な注文だったので、思わずカグヤはシグレの顔を伺う。
「確か、スペルを行使するための武器として用いるだけなので、矢は不要―――というお話だったような気がするのですが……?」
「ええ、昨日はそのつもりだったのですが。今朝〈巫覡術師ギルド〉の神社に行って神主の方とお話させて頂いたところ、境内にある的場でたまに弓の稽古を付けて頂けることになりまして」
「はあ……。スペルにしか使わないのに、弓を習うのですか?」
スペルによる攻撃は、目標に対する誘導性を持つ。
〈巫覡術師〉に多く見られる、弓を用いるスペルも例外ではないので、放たれた矢は目標に向けてその軌道を勝手に修正して命中する筈だ。
そこに術者の弓の技倆が介在する余地は、たぶん無いと思うのだけれど。
「弓を扱うスキルって、お持ちではないですよね……?」
「ありません。習ってみようかと考えたのは、単に趣味のようなものですね」
「はあ、趣味ですか……」
別にスキルが無ければ武器を扱えないというわけではないし、趣味で弓矢を嗜む人というのも世間には普通に居るのだろうけれど。
既にシグレの[筋力]を知ってしまっているだけに、趣味で弓を、というのは何だか変なことのようにカグヤには思えた。
「まあ、そう言うことでしたら……。練習用ですので、普通の木の矢で大丈夫ですよね。矢筒などは必要でしょうか?」
「いえ、大丈夫です。〈ストレージ〉が使えますので」
「……ああ、そうか。シグレさんは『天擁』でしたね」
『天擁』の人は〈インベントリ〉の他に〈ストレージ〉というものを持っていて、そこにはアイテムを幾らでも収納することができるのだという。
倉庫整理に苦心する機会も多い武具店主としては、なんとも羨ましい限りだ。
「ああ、そうだ―――よろしければこちらを貰っては頂けませんか。杖と弓を随分と安くして頂いたお礼、ということで」
「……これは、なんでしょう? お守り?」
「そのようなものです。一昨日ウリッゴを狩った素材で作ってみたものですが」
カグヤの手のひらよりも少し小さな、薄い銀盤をシグレから受け取る。
ささやかな細工が施されたそれは、革紐か何かを付ければちょっとした装身具になりそうな、シンプルながらも悪くないデザインをしていた。
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□狩猟者のタリスマン/品質[33]
魔法防御値:3
〔加護+6〕〔ドロップ率増加+2%〕
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| ウリッゴの隠し牙と崩石をあしらった小さな銀盤。
| 狩猟を生業とする者に小さな幸運を齎すとされる。
| 王都アーカナムの〈細工師〉シグレによって作成された。
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アイテムの品質は『33』とかなり低い。
これは、おそらく〈細工師〉として初めてシグレが生産したアイテムであろうことを踏まえると、仕方の無いことだと言えるだろう。
効果は[加護]とドロップ率の増加。僅かながら魔法防御も上がるそれは、十分に掃討者向けの装身具として商品になる程度の性能を持っていた。
銀盤に細工されたウリッゴの『隠し牙』と『崩石』の数は、それぞれ2個ずつ。希少素材を合計4つも使っていることを考えれば、初心者の拙い腕前を差し引いてなお、それだけの効力を有しているのも納得というものだ。
―――3,000gitaなら、たぶん数日と掛からずに売れる。
職人であり、しかし商人でもあるカグヤの勘がそう告げた。
「……頂いてしまってよろしいのですか? 相応の価値があると思うのですが」
「手習いで作ったものなので、遠慮されては却って困ってしまいます。気にせず受け取って頂けると嬉しいのですが」
「そういうことなら……。有難く、頂戴します」
あまり自分用の装身具などは持ち合わせていなかったので、素直に有難い。
紐を通す穴はあるようなので、後で倉庫から革紐を取ってきて、首から掛けられるように加工すれば身に付けやすくなるだろう。その程度の加工なら〈細工師〉や〈縫製職人〉の天恵が無くても問題なくできる。
「貰って下さってありがとうございます。練習を兼ねているとはいえ、少々作りすぎてしまったので……実は処分に困っていたのです」
「―――! これ、まだ在庫ありますか!?」
「へっ……? え、ええ。キッカにひとつ渡しましたので……手持ちはあと5つありますね。生産経験値が美味しかったので、材料があるだけ作ってしまいまして」
生産で得られる経験値というのは、材料に高額なものを用いたり、希少性が高いものを用いるほど高くなる傾向がある。
希少素材を4つも使っているのだから、経験値が美味しいのは当たり前なのだ。
「えっと―――では、良ければ余っている分を『鉄華』で委託販売しませんか? お値段はこちらで決めさせて頂いて、売れた額の七割ほどをシグレさんにお支払いするということでどうでしょう?」
アイテムドロップ率を増加させる品は、掃討者に特に人気のある装備品のひとつでもある。収入に直結するのだから、当然と言えば当然だ。
増加補正は『2%』と少ないものの、それでも日々の収入を増やすことに余念がない掃討者には、十分に欲しくなる魅力を有した商品だろう。
「それは、願ってもないことですが……。こんな商品で大丈夫なのですか?」
「大丈夫です、問題ありません。私も『鉄華』という店を構える身ですので、商品に目が利く自信はあります! この品であれば間違い無く売れると思いますので」
「わ、判りました。ただ……申し訳ありませんが1つはフレンドに渡そうと考えておりましたので、残り4つだけを預かって頂けますか」
シグレの手に取り出された、4つのタリスマンをカグヤは受け取る。
アイテムの品質はどれも先程のものと同様に低いものの、装備することで得られる効果もまた変わらないようなので問題無い。
*
木の矢だけを購入したシグレが店を後にしてから、カグヤは店頭に小さなスペースを設けて4つのタリスマンを並べていく。
いざ、値札を用意して―――そこに幾らの値を書き込もうかカグヤは迷う。
普段『鉄華』に並べている商品の値段は、殆どチトセが決めている。
カグヤの本分は生産にあって商売にはない。普段から露店市めぐりを趣味としているチトセのほうが、商品に値段を付けるセンスには優れている部分があった。
(んー……。値段はいつも通り、チトセに任せちゃおうかなあ)
時刻はもう午後の16時を過ぎている。あと1時間も経たないうちにチトセも戻ってくる筈なので、実際に商品を売り出すのはそれからでも構わないだろう。
―――暫くして店に戻ったチトセは、この商品に『8,800gita』の値を付けた。
さすがに売れるはずがない、と告げたカグヤの言葉はチトセに黙殺された。
4つのタリスマンは、その晩のうちに全てが売れてしまった。
なんであの時『商品に目が利く』とか自信を持って言えたのだろう。
全然大丈夫じゃないじゃないか。店主として大問題だ。




