23. 狩猟 - 4
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―――距離を保って対峙するのは4体のウリッゴの群れ。手前150メートルの位置にキッカは立ち、シグレはそのさらに20メートルほど後方に立つ。
敵を受け止めるのは前衛であるキッカの役目であり、そのキッカを後ろから補助するのがシグレの役目となる。攻撃に回復、補助に弱体とシグレが担える領分は広いが、その身体はひとつだけしかない。複数のスペルを同時に行使することはできないのだから、自分にできることを見極め、必要な支援を適切に行うことが肝要となるだろう。
『もし敵がそっちに漏れた場合は気をつけてね。私の〈庇護〉スキルでシグレを保護されるけれど、それは防御力が低いシグレが本来受けるはずだったダメージがそのまま私に来るだけだから』
『ああ……なるほど、了解しました。それは気をつけないといけませんね』
[強靱]の能力値が高く、ほぼ革製とはいえちゃんと防具を着込んでいるキッカ。一方で防具らしい防具を何も着用しておらず、[強靱]が僅か『2』点しかないシグレ。
当然、ウリッゴから攻撃を貰う場合でも、それぞれが喰らう被ダメージ量には天と地ほどの大きな差が生じる。無防備なシグレが受けるダメージをそのまま押しつけられれば、いかに防御役らしく高いHPを持っているキッカであっても、十分に手痛い被害となるだろう。
『では、仕掛けますね』
『ん、いつでも!』
キッカの許可を取り、シグレはまだ遠いウリッゴの群れに対して杖を翳す。
スペルを使おうと意識すればそれだけで、詠唱句と魔力語は自然とシグレの脳内に浮かび上がってくる。
「夢の器を満たす霧よ、彼の魔物達を抗えぬ深淵へと誘え【眠りの霧】!」
台詞に呼応するかのように、シグレの持つ杖が紫の輝きを帯びる―――。
遠くに馳せた視界の先で、突如空間に湧き溢れた白い霧が4体のウリッゴ全てを呑み込んでいく。数秒ほどの時間をおいて霧が晴れると、そこには力なく前足を挫き、その場で眠りに落ちた2体のウリッゴの姿があった。
眠りに抵抗した2体のウリッゴ達は、シグレ達の姿を確認してすぐにこちらへの猛進を開始するが―――そもそも2体程度であればシグレが何もせずとも、キッカ一人で難なく相手取れてしまうのである。〈眠りの霧〉によって相手の戦力を半減させた時点で、最早シグレ達の勝利は約束されたようなものであった。
『シグレ、ナイスッ!』
状況を把握したキッカが、すぐさま大弓を射かけてウリッゴ2体のHPを削りに入る。戦況操作役としての役目を〈眠りの霧〉ひとつだけで全う出来てしまったことを理解し、シグレも彼女と同じように弓をその手に出現させた。
武器を扱う技術を持たず、飛距離を稼ぐ[筋力]も持たないシグレが矢を普通に射掛けた所で、本来であれば目標に届く前に矢が地に落ちるのは明白だろう。
しかし、スペルによる攻撃は目標に向かってそれなりに強い誘導性が働く。シグレにとっての弓とは、特定のスペルを撃ち出す為の発射台に過ぎない。
「―――【破魔矢】」
弦を引く右手に突如現れ、自動的に番えられた光の矢をそのまま射ち出す。
シグレが片目を眇めて狙いを定めたのもどこへやら、頼りない[筋力]で放たれた矢は全く見当違いの方向に力なくへろへろと飛び―――しかしまるでロケット推進力でも積んでいるかのように放たれた後から加速を始め、目標に向けて軌道を修正しながら、放物線を描かずに一直線に突き抜ける光線を描き出す。
最終的にはシグレよりも先に射たキッカの矢にも追い付かんばかりの速度となり、二本の矢は立て続けにウリッゴの眉間に突き刺さった。
『おお……。さっすが[知恵]高いだけのことはあるぅ……』
それは独り言のように漏らされたキッカの呟きだったが、パーティ会話を通してシグレの耳にまでしっかりと届いた。
二矢に貫かれ身を捩って悶えるウリッゴのHPは、一気に半分近くにまで削られていた。
ここまでキッカが一射で削っていたHP量が一割程度であったことを考えると、残り四割に相当するダメージをウリッゴに与えたのは、紛れもなくシグレが放った【破魔矢】の威力ということになる。
厳密に言えば〈巫覡術師〉のスペルである【破魔矢】の威力に影響する能力値は、キッカが挙げた[知恵]ではなく[魅力]のほうなのだが。『術士職』ではないキッカがそれを知らないのも無理はない。
[知恵]程ではないが、全ての『術士職』を有しているシグレは[魅力]もまた突出して高い。自分よりもレベルが6つも格上であるウリッゴに十分なダメージを与えられたのも、能力値がスペル効果にそれだけ影響したからなのだろう。
『普通はあまり威力が出ないものなのですか?』
『出ない出ない。術士職の人とパーティ組んだことは結構あるから、確信を持ってそう言えるね。詠唱時間が長いスペルは、隙が多いぶんだけとっても強力なんだけどさ。詠唱がゼロの攻撃スペルなんか、牽制にしか使えない程度の威力しか普通は出なかったと思う』
『……なるほど』
だったら―――もし[知恵]や[魅力]に優れる自分が詠唱の長いスペルを使えば、一体どの程度の威力が出るのだろう?
当然シグレはそんなことを考える。が、それは今後の楽しみにしておこう。
会話を交わしながらも、キッカは現在も猛進してくるもう1匹のウリッゴに淡々と矢を浴びせていく。
行動可能な魔物が1匹だけなのであれば、もはやシグレの出る幕はない。最初に眠らせた二匹のウリッゴのうち、どちらかでも起きてくればシグレはその相手をするのだが―――《千里眼》で視界を飛ばして近い距離から観察してみると、二匹のウリッゴはどちらもピクリとも動かないぐらい深い眠りに入っているようだった。
《千里眼》で飛ばせるのは自分の視界だけであり、見ている先の音を拾えるわけではないので、ウリッゴが寝息や鼾を立てているのかどうかまでは確かめられない。
本当に微動だに動かないので、傍目からはウリッゴの死体が2つ倒れているようにしか見えない。もちろん、魔物は倒されれば光の粒子となって消滅する存在であるので、骸に見えるものが残されること自体が魔物がまだ生きていることの確かな証左でもあるのだが。
『こっち終わったよー』
『お疲れさまです』
シグレが視界を飛ばして観察しているうちに、キッカはあっさり1体を屠ってしまった。
『最初に眠った2体はまだ起きないようですが……どうしましょう?』
『んー、そうだなあ……。睡眠の持続時間とか、ちょっと気にならない?』
『なるほど、気になりますね。暫く観察してみましょうか』
一発で敵複数の無力化を期待出来る【眠りの霧】は利便性が高く、今後も何かと活用する機会が多そうだ。今のうちに『睡眠』の性能を確認しておくのは無駄にはならないだろう。
少しだけ返り血を浴びているキッカに【浄化】のスペルだけ掛けてから、二人で草原に座り込んで他愛もない雑談に耽る。
マップを見ていなくとも、もし付近に魔物が来れば《魔物感知》スキルの持ち主であるシグレには判る。雑談の傍ら《千里眼》で眠っているウリッゴ達の観察を続けるが、起きる気配は全く無い。
『……まだ起きない?』
10分ばかり雑談を続けたあと、そう訊ねてきたキッカの言葉に、シグレは頷いて答える。
視界を遠くに飛ばしていると、頷いても自分の視界が微動だに揺れないのが何だか妙な感じだった。
『眠っている敵って、やはり攻撃したら起きるのでしょうか?』
『そう……じゃないかな? RPGだと普通はそうだよね。これ以上起きるまで待っているのも無駄だし、今のうちに色々と試してみちゃえば?』
飛ばしていた視界を引き戻し、再び杖を〈インベントリ〉から引っ張り出す。
微々たるものだが、杖を装備していればスペル効果を増幅する能力値補正が得られる。杖を必要としないスペルを行使する時であっても、持っていた方が多少は有利に働くだろう。
「―――【衝撃波】」
眠っているウリッゴの片方に向かって攻撃スペルを行使すると、魔物の身体は即座に打ち上げられ、放物線を描いて15メートルは遠く離れた地面に叩き付けられた。
当然もはや眠っていられるような状態では無く、目を覚ましたウリッゴは慌てて周囲を警戒する。先程まで眠りに落ちていた為に意識がまだ胡乱なのか、160メートル離れたシグレの存在に気付くまでには今少しの時間が掛かったが、認識してしまえばいつも通りの猛進でこちらに向けて一気に駆け寄り始めた。
ちなみに、もう一匹のウリッゴは未だに眠り続けている。
『うーん……ダメージはさっきの【破魔矢】より少し低いかな?』
『そのようですね。―――ですが、このスペルは便利そうです』
ウリッゴが削られたHPは全体のおよそ三割。先程の【破魔矢】は四割ほどのダメージだったので、一見して判る程度には明確な威力差がある。
どちらも術者の[魅力]が影響するスペルなので、能力値の違いがダメージ差に現れたわけではない。単純にスペル自体の威力が、こちらのほうが劣っていると考えて良さそうだ。
しかし、威力が劣るからといって【衝撃波】のスペルが低く評価される理由にはならない。―――むしろシグレはスペルを実際に使ってみたことで、想像していたよりもずっと【衝撃波】の評価を引き上げさえした。
ウリッゴはその見た目が、シグレの知っている成体のイノシシとほぼ変わらないように見える。それは体躯の大きさに関してもそうで、おそらくウリッゴも成体のイノシシと同程度の体重―――およそ70kg前後はあるだろう。それが一般道での自動車並みの速度で突撃してくるのだから、十分に恐ろしい魔物だと言える。
そして―――【衝撃波】のスペルは、その70kg近い重量を持つであろう魔物を、軽々と15メートルは吹っ飛ばしたのである。
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【衝撃波】 ⊿聖職者Lv.1スペル
消費MP:60mp / 冷却時間:100秒 / 詠唱:なし
敵1体に衝撃によるダメージを与えて大きく弾き飛ばす。
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スペル説明文にある『大きく弾き飛ばす』という表現は、決して誇大なものではない。100kgを大きく越えるような魔物でもなければ十分有効に機能するだろうし、鎧を着込んでいようが大抵の成人男性だって弾き飛ばすことが可能だろう。
しかも【衝撃波】は【破魔矢】のように発射体を飛ばすスペルではない。スペルを行使すれば即時に効果が発生するので、敵に回避されることがなく、味方に誤射をしてしまう可能性も無く、距離が離れていても発動から命中までにタイムラグが発生することもない。
威力が低くとも扱いやすさが十全であるならば、その評価が高いものとなるのは当然のことだ。【衝撃波】はその要件を十分に満たしていると言えた。
「―――【銀の槍】!」
試しに今度は、シグレが修得している攻撃スペルの中でも、最も消費MP量の多いスペルを行使してみる。大抵の攻撃スペルが60前後しかMPを使わないというのに、消費MPが『160』と突出して高いこのスペルは、威力もそれだけ優れている可能性がある。
スペルを行使すると、すぐにシグレの眼前に一本の槍が浮遊状態で現れる。
〈槍士〉としては気になるのか、すぐ傍でキッカがその槍をまじまじと観察していた。
『おおー……立派な槍だね。これも攻撃スペル?』
『はい。意の儘に操って飛ばせるのだそうで』
『なにそれすっごい』
試しにシグレが飛ばそうと思えば、確かに槍はその『意志』に答えて自由自在に飛び回ってくれる。
折角なので、こちらに向かい猛進しているウリッゴがいる側の空に向かって、思い切り高く槍を打ち上げてみる。そしてウリッゴの頭上数百メートルの高さで一旦停止させてから―――真下にいるウリッゴ目掛けて、真っ逆さまに落下させる。
急加速しながら天より落下する、一本の銀の槍。シグレの意の儘に操られているそれは、疾駆しているウリッゴに向けて落下角度を調整しながら、その狗肉を大地に向かって真っ直ぐに貫く。
『うわあ……』
勢い良く大地に突き刺さる槍に、見事に貫かれるウリッゴの身体。その惨状を見たキッカが、思わずそう声を漏らした。
まだ七割は残っていた筈のHPバーは瞬く間に吹っ飛び、その肉体は光の粒子となって消滅する。
なるほど―――【銀の槍】は消費MPが高いだけのことはあり、十分な威力を持った攻撃スペルであるようだ。




