124. 多天恵魔術師 - 7
『シグレ、騎士ノアルド。二人とも準備は良いか?』
「はッ、いつでも大丈夫です!」
『僕も大丈夫です』
父に問われ、訓練場の中に残されている二人がそれぞれに呼応する。
二人の距離はおよそ30~40メートルは離れているだろうか。
一見して充分な距離が開けているようにも見えるが、金属鎧を身につけていても訓練された騎士なら10秒と掛からずに詰められる程度の距離でもある。
詠唱時間を要するスペルが殆ど行使できないことを考えれば、この程度の距離は決して魔術師優位の条件とは言えない。
『試合は相手のHPを1にした側の勝利とする。客席を含め、場外に出た場合は負けとするが、闘技大会とは異なり『転倒』によって勝敗は決さぬものとする。
また、シグレは試合開始前に自らを有利にするための補助スペルなどを自由に行使してくれて構わない。試合を開始するタイミングはシグレ側が自由に決めて良いものとする』
『……随分と僕に有利な条件ですが、よろしいのですか?』
『無論だ。但し、試合開始前に騎士ノアルドを対象として攻撃や弱体化のスペルを行使するのは禁止とする』
シグレはそれを『自分に随分と有利な条件』と理解したようだが、魔術師が自身を強化するスペルを事前に行使して試合に臨むのは、当然の権利だろう。
『―――【杖は盾に】』
シグレの杖の先端部に、魔力の障壁が傘状に展開される。
【杖は盾に】のスペルで作成した障壁の耐久力はそれほど高くないが、少なくとも一撃は相手からの攻撃を完全に防いでくれる。
これは前衛職がよく用いる《剣閃》のような遠距離攻撃スキルを、一度防ぐ分には充分な防備となるだろう。
『今回はこれだけで大丈夫です』
『うむ、判った。では二人とも武器を構えよ』
シグレは障壁を展開している杖を、ノアルドは〈インベントリ〉から取り出した槍をそれぞれ相手に向けて構える。
ノアルドの持つ槍は穂先が剣に似た形状になっており、刺突だけでなく斬撃にも対応した薙刀のようだ。
隣に座っていた父が、すっくとその場に立ち上がる。
『それでは―――始め!』
父が試合の開始を告げる声と同時に、ノアルドは槍を構えて姿勢を低くしながら即座にシグレの側へと駆け出し、一気に距離を詰めていく。
金属鎧を着込み、かつ長柄武器を構えながらであるのに、疾駆するその姿は見ていて非常に安定感がある。どうやら騎士ノアルドは、なかなかの体幹と健脚を兼ね備えているらしい。
『【衝撃波】』
もちろんシグレも、それを見て何もせず指を咥えているわけではない。
シグレが初手に選んだスペルの名前が、ルーチェにも伝わってきた。
どうやら先程の【拡声】スペルの効果が、今でも持続したままであるらしい。
シグレがスペルを行使したその刹那―――。
バン!! という耳を劈くような轟音が、突如として場に響いた。
「―――きゃあ!!」
鼓膜が破けそうな程の轟音に、思わずルーチェの口から悲鳴が漏れた。
普段の自分らしからぬ幼さを帯びた悲鳴を発してしまった自分自身に、ルーチェはもう一度重ねて驚かされる。
訓練場を揺れ動かす程の、衝突音とも破裂音ともつかない、強烈な音。
その轟音を遣り過ごしてから試合の場を見確かめると。いま将に駆け出していたノアルドの体躯が、全く逆の方向に弾け飛んでいた。
シグレよりも一回りは大きい、180cm程はあろうかという長躯に加え、金属鎧と薙刀を身に付けた騎士ノアルドの身体を。詠唱もなしに行使したシグレのスペルが―――いとも簡単に吹っ飛ばしたのだ。
「なんと……」
水を打ったように静まり返った場の中で、宮廷魔術師長のマイルズが上げた感嘆の声が、ルーチェの耳にも明瞭に届く。
魔術師とは一般的に、己のレベルに応じて修得が許される『最強』のスペルを、スペルスロットに可能な限り詰め込むものだ。
故に【衝撃波】のような『レベル1』でも修得できる『最弱』のスペルなど、魔術師達は普通、歯牙にも掛けない。
もちろん治療スペルや探索系のスペルなど、戦闘外に活用できる幅が大きいものであれば、この限りでは無いのだが―――。
「何と言う威力だ……。最も位階の低い『レベル1』のスペルでさえ、これほどの威力に達するものなのか?」
父の言葉に、ルーチェもまた内心で幾度となく頷く。
範囲攻撃スペルで無いとはいえ、無詠唱でこの威力というのは、実際にこの目で見たというのにまだ信じ難いものがある。
「いえ、威力自体は―――低くはありませんが『それなり』といった所でしょう。事実、騎士ノアルドは然程ダメージを負っているわけでも無いようです」
「む、確かに……」
フレンドに登録していない相手であっても―――それこそ相手が人であれ魔物であれ、相手の『HP残量を示すバー』は誰でも視ることができる。
そして闘技場の逆端にまで一撃で吹っ飛ばされ、壁際に崩れ落ちているノアルドのHP残量を示すバーは。マイルズの言う通り、せいぜい1割程度しか減少していないようだった。
いや、無詠唱の初級攻撃スペルひとつだけで騎士のHPを『1割』も削るというのは、ある意味では充分に評価できるダメージ量でもあるが。とはいえノアルドの体躯が轟音と共に激しく弾き飛ばされたことを思えば、その強烈なインパクトに比して、ダメージ量自体は随分と小さめという印象を受ける。
「ダメージの割に、騎士ノアルドは随分と派手に吹っ飛ばされたようでしたが?」
ルーチェがそう問うと、宮廷魔術師長のマイルズは感慨深げに目を細めた。
「うむ、面白いのはそこですな。おそらく彼の【衝撃波】は、元々多天恵術師ならではの高い[魅力]に裏打ちされた、初級スペルとは思えない威力や衝撃力を有していたのでしょう。
そして彼はその【衝撃波】を活用し、使い込むことによってスペルを充分に熟達させてもいるのでしょうな。
初級スペルは冷却時間が短いですし、詠唱も必要としないものが多いですから。多くの魔術師が愛用する『大魔法』のようなものと較べると、スペルの回転が速い分だけ、多用することで熟練度を稼ぐのも楽でしょうから」
「な、なるほど……。そういうことか」
「姫様は彼を『フレンド』に登録しておられるのでしょう? であれば、スペルの詳細を視られれば判るのではないですかな。おそらく彼は、自身がスペルを使い込むことで得た熟練度の総て、もしくはその大半を『衝撃力を強化』するために費やしているのではないかと私は愚考致しますが」
マイルズにそう言われ、ルーチェは慌ててそれを確かめようと試みる。
幸いシグレの修得しているスペルの一覧を視界の隅に表示したままだったので、表示内容を〈聖職者〉のスペルのみに絞り、そこから【衝撃波】の文字列を探し出してその詳細を視確かめる。
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【衝撃波】 ⊿聖職者Lv.1スペル
消費MP:60mp / 冷却時間:100秒 / 詠唱:なし
敵1体に衝撃によるダメージを与えて大きく弾き飛ばす。
+[衝撃力の強化(60段階)]:衝撃力が1200%上乗せされる
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(マイルズの言う通りだ。―――完全に衝撃力に特化させてあるな)
1200%の上乗せ。つまり、シグレの【衝撃波】が相手の身体を弾き飛ばす力は、本来の『13倍』にまで高められているらしい。
騎士として足るだけの充分な体躯を既に身に付けているノアルドの身体でさえ、軽く弾き飛ばしてしまうその衝撃力にも、納得できようというものだ。
一方で、スペルの与ダメージ性能自体は本来のまま僅かにさえ引き上げられてはいない。これでは傍から見て、スペルの生み出す衝撃力の凄まじさとダメージ量の相関に対して、ちぐはぐな印象を持ってしまうのも無理はない。
にしても―――スペルの熟達により、合計で60段階もの強化が成されているというのは驚異的と言わざるを得ない。
行使を繰り返すたびに蓄積されると判っていても、スペルの熟練度というものはなかなか容易に貯められるものでは無いのだが……。一体どれほど数多く使い込めば、これ程の強化に必要充分なスペル熟練度を稼ぐことができるのだろうか。
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【反鏡】 ⊿Lv.1銀術師スペル
消費MP:[対象数]×120mp / 冷却時間:36秒(60-24秒) / 詠唱:なし
任意数の敵全ての身体の向きを、即座に真逆方向へ反転させる。
+[冷却時間の短縮(8段階)]:冷却時間が40%短縮される
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【鋭い刃】 ⊿Lv.1付与術師スペル
消費MP:[対象数]×90mp / 冷却時間:なし / 詠唱:なし
任意人数の味方が装備している武器の物理攻撃力を増加させる。
+[知恵影響の向上(7段階)]:[知恵]の影響割合が70%向上する
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【負傷処置】 ⊿Lv.1伝承術師スペル
消費MP:60mp / 冷却時間:なし / 詠唱:なし
術者が直接触れている味方1人のHPを10秒間掛けて回復させる。
+[複数対象化(1段階)]:触れている味方全員を同時に回復する
+[接触の拡大(9段階)]:9m以内にいる味方は「触れている」と見なす
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【繁茂】 ⊿Lv.1精霊術師スペル
消費MP:50mp / 冷却時間:なし / 詠唱:なし
植物1つに充分な量の成長力を与え、その成育を早める。
+[良質成長(8段階)]:成長後の植物素材の品質値が16増加する
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ついでにシグレが修得しているスペルの詳細を、幾つか無作為に表示させてみると。それらのスペルの大半が『何らかの特化された』方向性の強化を施されていることが判る。
どうやらシグレは、自分の行使するスペルの性能を全体的に向上させるよりは、尖った性能に仕上げる方が好みであるらしい。
(いや―――それが賢明というものか)
シグレは100を優に越えるスペルをその身に修めている。
行使可能な手札の多さという意味では、彼に比肩できる者などいないのだから。多面的に100のスペルを育てていくよりは、一面に於いてより秀でた100のスペルを揃えていく方が、他者に真似できない強力な武器となることだろう。
『……あの、すみません』
ルーチェ達の頭に、穏やかなシグレの声が響く。
慌ててシグレのほうを見ると。訓練場の中にぽつんと一人立っているシグレが、どこか困ったような表情をしながらルーチェ達のいる側の客席を見つめていた。
『えっと……、どうもノアルドさんが気を失ってしまわれた様子なのですが……。この場合の勝敗の決着って、どうなるのでしょう?』
防護壁の真下でぐったりと倒れ伏している騎士ノアルドの身体は、今なおぴくりとも動かず、立ち上がる様子は一向に見られない。
まだノアルドのHP残量を示すバーは9割近く残っている。それなのに起きてこないというのは……。確かにシグレの言う通り、どうやらノアルドは【衝撃波】の一撃で完全に気絶させられているらしかった。
「ノアルドは姿勢を随分と低く下げながら突撃していた様子でしたからのう……。おそらく直後の【衝撃波】を、頭部でモロに受けてしまったのでしょう」
「つまり、ノアルドは脳震盪による失神ということですか」
「然り。何しろあの衝撃の威力です、無理もありませんな」
ルーチェの言葉に、マイルズは深々と頷きながらそう答える。
―――魔術師が1対1で騎士相手に勝利するなど。お伽噺の中にしか存在せぬ、有り得ない話だと思っていたが。
どうやら、今もなおどこか困ったような表情でこちらを見つめているシグレは。その偉業を最下級の、しかも詠唱さえ必要としないスペルひとつで、いとも簡単に成し遂げてしまったらしかった。