123. 多天恵魔術師 - 6
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小高い丘の上にある王城と大聖堂が並び建つ敷地には、『護命結界』と呼ばれる巨大な結界が常時展開されている。
これは文字通り『命を護る』力を持つ結界で、効果範囲内に存在している人達の命を確実に守護してくれるのだ。
具体的には、効果範囲内に存在する人は誰でも、絶対にHPが『1』未満には減らなくなる。また骨折や身体部位の欠損のような、重篤な外傷を負う危険も全く無くなると考えて良い。
強力な効果を持つ結界であり、しかも広大な面積を覆う結界ともなれば、維持に掛かるコストも当然高額なものとなるのだが。それでも父はアーカナムにとって、この結界が必要不可欠なものだと考えているらしい。
嘗て―――現在の王城の地下に眠る『沈んだ王城』に於いて、ルーチェにとって祖父にあたる『狂気王ラナック』が引き起こした事件。
旧王城の中にアンデッドを跋扈させるという前代未聞の事態は、王城に勤めていた者達に甚大な被害を齎し、ここアーカナムの地に継がれていた多くの貴族の血を絶えさせてしまった。
全部で32席ある王城議会の円卓も、現在はその半数近くが空席となっている。
これ以上貴族の血が減ずれば国の運営に支障を来すことは目に見えており、場合によっては国そのものが瓦解するような事態にもなりかねない。
父が王城を守護する『護命結界』の維持に心血を注ぐのも、決して理解できない話では無いのだ。
『護命結界』は小高くなった丘の上の全体を保護しているため、王城の隣に建つ大聖堂はもちろん、この訓練場も『命を護る』効果範囲内に含まれている。
シグレのHPがいかに少なくとも、結界に護られているこの場所で試合を行う分には、ダメージを負いはしても死に至ることはない。
もちろん逆に、試合の相手として選ばれた騎士をシグレが殺めてしまう危険性も無ければ、範囲攻撃スペルに巻き込んで観客を殺傷してしまうこともない。
実戦的な試合を行う上で、結界に護られたこの訓練場は理想的な場所だろう。
『それではこれより、多天恵術師の実力を見定めるための試合を行う。何戦かを行う予定だが―――まずは初戦の相手として、騎士ノアルド、中央に歩み出よ』
「―――はい!」
騎士の訓練内容には、発声に関するものも含まれる。父から指名されたノアルドという若い騎士は、拡声魔具を用いずとも周囲によく通る声量で応えた。
『うむ、元気があって大変よろしい。ノアルドは騎士に叙任されてまだ二年と経たぬ若手だが、既に基礎は十全に修めておる。
つまり、ノアルドは既に、通常の魔術師相手に遅れを取るような腕前ではない。もしシグレ君が彼に1対1で勝てるようであれば、多天恵術師なるものが通常の魔術師とは別の強さを持っていることは、認めざるを得ぬだろう。
―――どうだろう、シグレ君。彼を相手に勝てる自信はあるかね?』
演壇上で父からそう問われたシグレは、少しの間だけ思案するような表情を見せたあと。こちらには聞こえない声量で小さく何かのスペルを行使してから、
『やってみなければ、判りません』
拡声魔具を通して語りかける『念話』にも似た明瞭な声で、シグレは聴衆の頭の中に直接そう言葉を伝えてきた。
『ほほう、シグレ君は【拡声】のスペルも使えるのかね?』
『はい。〈精霊術師〉の天恵も持っていますので』
拡声魔具は〈精霊術師〉スペルの【拡声】を誰でも利用できるようにする目的でルーチェが開発した魔具だ。
なので、もともと〈精霊術師〉の天恵を持つシグレにとって、拡声魔具はさほど必要なものではない。そんな魔具を用いずとも、シグレであればスペルをひとつ行使するだけで、聴衆に対して同じように語りかけることができるからだ。
『シグレ君には先程説明したが、この訓練場は『護命結界』の効果範囲内に建てられているので、いくらダメージを与えても相手に死傷を負わせる危険は無い。
なのでシグレ君は遠慮無く攻撃スペルを打ち込んで構わないし、またノアルドも本物の武器を用いて試合に臨む。それについて双方共に異存は無いかね?』
「はッ、ありません!」
『大丈夫です』
『よろしい。では皆、周囲の客席まで下がるように。騎士と魔術師とが戦う以上、試合を行う場は広く空けておかねばならぬからな』
父の一声をきっかけに、訓練場の聴衆全員が速やかに動き始める。
騎士の多くは普段から速やかな行動を心懸けているし、指示に応じて集団で行動することにも慣れている。訓練場の中央に設置されていた演壇が片付けられ、試合を行う二人を除く全員が客席に移動するまでに、さほど時間は掛からなかった。
「ルーチェ。隣に座らせて貰うぞ」
「もちろんです、父上」
ルーチェの居る位置へやってきた父が、簡潔に一言そう断り、使い魔のイレルルが居る側とは逆の隣席に腰を下ろす。
すると、その隣に近衛師団長のアシュレイが、更には宮廷魔術師長のマイルズが腰を下ろし、忽ちルーチェの座っていた辺りの客席が最上のVIP席と化した。
「おう、〈大盾〉もこっちに来い。席は幾らでも余っているからな」
「あー……。できれば二つ名よりも名前で呼んで貰えませんかね?」
「ほほう? 何やら私が与えた二つ名に不満でもありそうだな?」
くくっと愉快そうに笑いを噛み殺す父に、はあっと盛大な溜息をひとつ漏らしながら〈大盾の重戦士〉の二つ名を持つ掃討者が露骨に肩を落とす。
「失礼。〈大盾〉の―――確か、名は『ユウジ』殿だったか?」
父の後ろの席に腰を下ろした〈大盾〉に、ルーチェは早速そう話しかけてみる。
親しげに父と話している姿を何度か見かけたことはあるのだが、ルーチェはまだ〈大盾〉本人と面識があるわけではなかった。
「うん? そうだが、お前さんは?」
「私は王城で魔導技官をしている、ルーチェ・スコーネと言う。ユウジ殿が疎んでおられる二つ名を与えた、そこにいる不肖の父の娘だな」
「む、娘よ……。実の父に向かって『不肖の』は無いだろう……?」
ルーチェの発した言葉を受けて、父が隣でがくりと肩を落とす。
背中が煤けた父を目の当たりにした〈大盾〉が、痛快そうに顔を綻ばせた。
「ふ、ははっ……! いや、悪いな。俺の代わりに一矢報いてくれたようで。
そうだな、正直を言ってあまり気に入ってはいないが……。〈大盾〉の二つ名を頂戴しているユウジだ。よろしく頼むよ、ルーチェ姫様」
「こちらこそ何卒よろしくお願いする。よければ『姫様』などと堅苦しく言わず、もっと気安い呼び方をしてくれて構わないのだが」
「おお? 何だか女性の割に、男みたいな……というより、モルクそっくりの喋り方をする変わった嬢ちゃんだなあ……。
そうだな、だったら俺からは『姫さん』って呼んでも構わないか? もちろん俺のことも『殿』を付けて呼ぶ必要は無いからよ」
「む? ユウジ殿が―――いや、ユウジがそれで良いと言うのであれば、もちろん私は構わないが……」
こちらから何も言わずとも、ルーチェのことを『姫様』と呼ぶ相手は多いが。そこを敢えて『姫さん』と呼ぼうという相手は珍しい。
とはいえ相手がそう望むのなら、拒否する程のことでもない。
「そういえば、私はライブラの上司に当たるのだが。ライブラが以前〈迷宮地〉に着いていったことで、シグレだけでなくユウジにも迷惑を掛けてしまったと聞いている。その節は、大変申し訳ないことをした」
「ああ―――。いや、正直言ってライブラは予想以上に戦力になりましたからね。こちらとしても『ゴブリンの巣』の掃討を手伝って貰えて助かりました。
それに、あれが縁で今ではライブラとパーティを組む機会も多くなったわけですから、むしろ良い切っ掛けだったと今では思っていますよ」
「そうか。済まないな、そう言って貰えると有難い」
「―――おっと、噂をすれば何とやらですな。主役もこちらへ呼びましょうか」
そう告げて、ユウジは少し離れたほうへ向かって手招きをしてみせる。
十数秒ほど経つと、それに応じたライブラが姿をみせた。
「よう、講説お疲れさん」
「ありがとうございます、ユウジさん。はあ……。人前でこんなに何かを話すのは初めてでしたので、結構緊張してしまいました」
「そうなのか? その割に、なかなか堂々としたものだったと思うが」
ユウジの言葉に、ルーチェも内心で(確かに)と同意する。
普段は少し気弱な部分もあるライブラだが、先程聴衆の前で多天恵術師について解説する姿は、実際なかなかのものだった。
もしかするとライブラには、演説に秀でた才能があるのかもしれない。
「ライブラ君も近くに座りたまえ。シグレの試合を見ながら、是非とも君の話を聞かせて貰いたいからね」
「はい。で、では失礼致します」
付近の席を固める錚々たる顔ぶれを見て、一瞬ライブラは明らかに気後れした表情を見せたが。それでも父から直に席を勧められれば、さすがに貴族の末席に名を連ねる身として嫌とは言えないようだ。
「あ、あの、スコーネ卿。今日これから行われる試合は、毎週末の『闘技大会』で使用されているものと同じルールで決着が付くのでしょうか?」
「む? 一応そのつもりだが……?」
「えっと。もしよろしければ、今回は『転倒』による決着だけは、適用しないことにしておいたほうが良いと思うのですが」
「あー……。そいつは確かに言えてるなあ」
やや唐突なライブラの提案に、うんうんと何度も首を縦に振りながら、ユウジが真っ先に同意を示してみせる。
毎週末にこの訓練場で行われる幾つかの興行の中で、『闘技大会』は最も人気のある催しと言えるものだ。
腕に自信を持った戦士達が集い、1対1でその武勇を競う。トーナメント方式で進行される『闘技大会』では、基本的に対戦相手のHPを『1』にすれば勝ちとなるのだが、他にも相手を完全に『転倒』させることでも勝利が認められる規定になっている。
「ふむ? 『転倒』による決着を無しとしたほうが良い、その理由は何だね?」
「あー、シグレが最も得意とするのは【衝撃波】ってスペルなんだが……。モルクはこれがどんなスペルか知ってるか?」
「む、生憎と知らぬな……。マイルズ、貴様は知っているか?」
「存じております。〈聖職者〉が用いる『レベル1』の初級攻撃スペルですな」
父に問われ、宮廷魔術師長のマイルズが落ち着いた語調でそう答える。
言うまでも無くマイルズは、職務上あらゆるスペルへの造詣が深い。
「これは文字通り相手に『衝撃波』による攻撃を加えるスペルです。衝撃波は不可視の力であり、しかも攻撃対象まで一瞬で到達するため、敵に行使されれば絶対に回避することができない攻撃スペルとして有名です。
ダメージ自体は頼りないスペルですが、命中時に対象に強い衝撃を加えることができます。人間相手に使うのであれば、体勢を崩すぐらいの効果であれば期待できますが―――間違っても相手を『転倒』させる程の威力は無い筈ですが」
「普通はそうなんでしょうが……。シグレが使う【衝撃波】は、下手をすれば俺でさえ転倒させるだけの力を持ちます。
俺はノアルドって騎士のことはよく知りませんが……。それなりにレベルの高い〈重戦士〉である俺でさえ、転倒させる力があるわけですから。若手の騎士程度では、まずあの衝撃力に耐えられるとは思えませんがね」
「なんと、〈大盾〉殿ほどの御仁をですか……! それは何とも興味深い。
〈聖職者〉のスペルの威力は術者の[魅力]に依存するはずですから、するとあのシグレという多天恵術師の[魅力]は随分と高いようですな」
驚きを露わにした後、どこかしみじみと感慨深げにマイルズがそう呟いた。
―――実際、シグレの[魅力]は『229』と極めて高い。
これは普通の〈聖職者〉では、いかに精力的にレベルを上げたとしても、そうそう辿り着ける数値ではないだろう。