122. 多天恵魔術師 - 5
キリの良さそうな所まで書いてから投稿しようと思ったのですが、結果3話分をまとめて投稿することになってしまいました。すみません……。
[5]
定刻をやや遅れて始められた訓練場での小さな催しは、まず論文の執筆者であるライブラによる『多天恵術師』についての解説から始まった。
事前に論文を熟読していた者にとって、訓練場の中央に組み立てられた簡易演壇からライブラが語る内容は、既知の内容ばかりの筈だが。それでも、今まで世間では『欠点』として認識されていた、術師職の天恵を多く持ちすぎている魔術師が、実際にはそれを『独自の強み』とできる可能性がある―――そう再評価する論文には、目新しさもあるからだろうか。
訓練場に集まっている聴衆は、騎士の人も、魔術師の人も、誰もが真剣な表情でライブラの解説に聞き入っているように見受けられた。
『多天恵術師は既存の魔術師像のどれとも異なる、全く新しい魔術師の姿となる可能性を秘めていると僕は確信していますが―――。
ですが、だからといって多天恵術師は一般的な魔術師の上位互換というわけではありません。優れている点もあれば、劣っている点もあります。
特に無視できない点としては、多天恵であるためにレベルの成長機会が一般的な魔術師に較べて極めて乏しいことです。そのせいで多天恵術師は耐久力の面で大きな不安を抱えており、例えば敵の弓兵から放たれた矢などに僅かな手傷を負わされるだけでも、戦闘の継続が難しくなる場合があります。
これを防ぐために最も効果的な方法は、やはり〈騎士〉の天恵を持つ者が護衛に付き、常に《庇護》のスキルを駆使することで―――』
拡声魔具を通してこの場の全員に伝達されている、穏やかなライブラの声による講説に聞き入りながら、ルーチェは微かに苦笑する。
ライブラが語っている『多天恵術師の耐久力の無さ』については、ルーチェにも思い当たる記憶があったからだ。
それは、その日が初対面のシグレに『涙銀』の提供を求めたときのことだ。
採血に用いた注射器の針が与えるダメージだけで、ともすればHP量の乏しいシグレを致死させてしまいかねなかった出来事は、まだそれほど過去の話でもない。
(……あの時のシグレの反応は面白かった)
どこか懐かしむように目を細めて。ルーチェは彼の日のことを思い返しながら、くすりと小さく笑みを零した。
王城の建つ丘は結界で護られている。だから、王城の中ではどれだけダメージを負おうとも、それが死に繋がることは無いのだが―――とはいえ、あのとき初めて王城を訪問したシグレが、それを知らないのも無理はないだろう。
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シグレ/天擁・銀血種
戦闘職Lv.3:聖職者、巫覡術師、秘術師、伝承術師、星術師、
精霊術師、召喚術師、銀術師、付与術師、斥候
生産職Lv.5:鍛冶職人、木工職人、縫製職人、細工師、造形技師
魔具職人、付与術師、錬金術師、薬師、調理師
最大HP:339 / 最大MP:1498
[筋力] 0 [強靱] 2+21 [敏捷] 130
[知恵] 314+48 [魅力] 229+55 [加護] 116+4
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◇ MP回復率[60]: MPが1分間に[+898.8]ポイント自然回復する
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ふと(今でもやはりシグレのHPは少ないのだろうか?)と思い、ルーチェは自らの視界にシグレのステータスを表示させてみる。
シグレは『フレンド』に登録している相手なので、ルーチェは彼のステータスであればいつでも自由に表示させ、閲覧することができた。
現在のシグレのHP量は『339』と表示されている。これは、やや心許ない数値ではあるものの、魔術師として少ないと嘆くほどの値でもない。
昔に較べて随分と増えたな―――と、ルーチェは一瞬思うものの。すぐにこれが装備品に施した『付与』により、補強されたものであることは想像が付いた。
シグレは優れた魔術師であると同時に、幾つもの生産に精通した職人でもある。
ライブラの報告に拠れば、特に〈付与職人〉としての腕は際立っているとのことなので、おそらく自分自身でHP量を補う『付与』を装備品に施したのだろう。
(……とはいえ、無いよりはマシ、という程度の防備だな)
シグレは[強靱]の能力値が低く、装備している品も『衣服』と『装飾品』ぐらいのもので、防具らしい防具は全く身に付けていない。
防御力は紙も同然であり―――例えば、王城で日々訓練に明け暮れている騎士から剣や槍で一撃でも貰えば、この程度のHPはあっさり吹き飛んでしまうだろう。
―――だというのに。
ライブラは過去に、この国の騎士とシグレがもし戦ったとしたなら、その結果は『シグレの圧勝』に終わるだろうと断言したことがあった。
信頼できる部下の口から飛び出た、珍しく強い断言を伴う言葉だったとはいえ。その内容を額面通りに受け取れるほどルーチェは楽観主義者では無い。
無いのだが―――興味は、大いにあった。
(そんなことが出来るのなら、是非見てみたいものだ)
ライブラから色々と話を聞く機会こそ多いとはいえ、ルーチェはシグレが実際に戦うところを見たわけではない。
いっそ自分が『魔術師』に対して抱いている固定観念を打ち破ってくれるぐらいの技倆を見せてくれれば面白いのだが。―――と、ルーチェは今日初めて見ることができるだろうシグレの戦闘光景に、心の中で淡い期待を抱いた。
『先程も申しました通り、多天恵術師の最大の強みは、個人として様々な状況に即応できる『対応力』です。これは言うまでもなく、持っている天恵が多い分だけ戦闘中にとれる行動の選択肢が多いからですね。個人的意見としては、多天恵術師の強みが最も生かされるのは、大体6人から8人程度のパーティだと考えていますが―――。
ですが、一方で多天恵術師は個人での戦闘能力も高く、通常の魔術師とは異なり単身での戦闘も決して不得手とはしません。
えっと……。すみません、師匠。こちらに来て頂けますか』
ライブラに促され、簡易組み立て式の演壇上にシグレが招かれる。
『師匠』と呼ばれて招かれることに少なからず躊躇した様子だったが。ライブラの要請を断ることもできず、シグレは肩を僅かに落としながら登壇してみせた。
『ご紹介します。師匠は―――シグレさんは、僕が今回の論文を著す上で最も参考とした、凄腕の多天恵術師です。この世界には全部で九つの術師職がありますが、なんと師匠はそれら九つ全ての『天恵』を所持しています!』
自分のことでもないのに何故か自慢気に胸を張りながら、ライブラが明瞭な声で周囲に向けてそう告げる。
その言葉は一瞬、沈黙をもって聴衆に受け容れられたが。数秒から十数秒ほどの時間を掛けた後に、聴衆の中に大きなざわめきを生じさせた。
(―――無理もない)
時間を掛けて、さらに大きくなっていく喧騒を傍から眺めながら、ルーチェは内心でそう思う。
そもそも術師職というものは、十人に一人と言われる程度には所持者が少ない天恵でもある。戦闘職の天恵自体は誰でも必ず1つ以上を持っているものとはいえ、多くの前衛職の天恵のように有り触れたものではない。
また、言うまでもなくそんな術師職の天恵を複数持つ魔術師ともなれば、これは間違いなく『希少』な存在だと断言することができる。
〈秘術師〉と〈伝承術師〉、更に〈精霊術師〉の天恵を持つライブラのように、三つの術師職を扱うことができる魔術師ともなれば、このアーカナムにもおそらく両手で数えられる程しか存在しない程だ。
(だというのに……)
九つの術師職、その全ての天恵を有している魔術師ともなれば―――これはもう『希少』とかそういう言葉で語れる次元の話ではない。
いっそ―――神がお遣わしになった特別な人間だと。そう言われた方が、まだ納得できそうな気さえするレベルだ。
『―――騒がしい。皆、静粛にしたまえ』
ライブラのものと異なる、ひとつの厳かな声が拡声魔具を通して伝えられると、場に溢れていた喧騒があっという間に鳴りを静めた。
ルーチェにとっては聞き慣れたものである父の低い声は、不思議と相手に自分の言葉を強く印象づけるだけの魅力を持っている。
『とはいえ、皆の疑問や驚きは私にも理解できる。九つ全ての術師職天恵を有する者が居るなどと言われたところで、荒唐無稽な話としか思えぬが―――。
確かシグレは、私の娘であるルーチェと懇意の者であった筈だ。娘よ、君にならシグレの才能を直接視ることが可能なのではないかね?』
シグレをフレンドに登録していることは、食事の席で父に話したことがある。
だから父は総て承知の上で、証明のためにこちらへ話を振っているのだろう。
〈インベントリ〉から私物の拡声魔具を取り出し、ルーチェは観客席から聴衆に向けて言葉を伝える。
『ええ、父上。私はシグレのことを『フレンド』に登録していますので、いつでも彼のステータスを閲覧することができます』
『そうか。ではシグレ君の持つ戦闘職の天恵を、この場にいる皆に伝えてやってはくれぬか。容易には信じられぬ内容であっても、お前の言葉であれば騎士達が疑うことは絶対にあるまいよ』
大仰に肩を竦めて見せながら、父が聴衆に向けてそう告げる。
騎士とは通常、王に対し忠誠の誓約を立てて初めて『騎士』となれるものだが。
このアーカナムでは先の王がやらかしてからというもの、長きに渡って王の不在が続いているため、騎士が忠誠を捧げる対象は『王』ではなく、『王家』に対するものへと変わっていた。
ゆえに、騎士は絶対に王家に縁ある者が告げる言葉を疑うことはない。
―――疑念を持つことは、自らの『騎士』の資質を否定することになるからだ。
無論、先の王の孫娘に当たるルーチェの言葉もまた、例外ではない。
『では、彼の者のステータスを読み上げます―――。
名前は『シグレ』。種族は『銀血種』で、彼は『天擁』でもあります。
所持している戦闘職の天恵は全部で『10種』。〈聖職者〉と〈巫覡術師〉、〈秘術師〉と〈伝承術師〉、〈星術師〉、〈精霊術師〉、〈召喚術師〉、〈銀術師〉、〈付与術師〉、それから術師職以外に〈斥候〉の天恵も有しています』
父は『戦闘職の天恵を皆に伝えよ』と指示しただけなので、生産職の天恵までもこの場で読み上げる必要は無いだろう。
下手にこの場で、シグレが戦闘職のみならず生産職の天恵も『10種』持っていることを伝えたりすれば、再び喧騒が大きくなることは目に見えている。
『ふむ……。つまりシグレ君は、本当に九つ総ての術師職天恵を有するわけだ。
先程ライブラ君が告げた多天恵術師の強みや弱みを学ぶ上で、シグレ君はこれ以上ない見本と見た方が良いのかもしれぬな』
『そう考えてよろしいかと。先程ライブラは多天恵術師最大の強みが『対応力』にあると言っていましたが、実際シグレが戦闘中にとれる行動選択肢の数は、通常の魔術師の比ではありません。
何しろ―――シグレが修めているスペルは、現時点で『100種類』を優に越えているのですから』
『……!? ひ、100種もか?』
ルーチェの言葉を受けて、常に泰然とした言葉遣いを心懸けている父の語調に、珍しくも狼狽している様子が露わになる。
フレンドに登録している相手のことは、能力値だけに限らず修得しているスキルやスペルの情報も閲覧することができる。
そしてルーチェが視界に表示させている、シグレが行使可能な『スペル一覧』には、視界から溢れんばかりのスペル名の数々が記載されていた。
一般的に魔術師は『10種』もスペルを修めていれば、多数の魔術を扱える魔術師であることを充分に誇ることができる。
『100種』ともなれば、これは凄いと言うよりも、もはや『異常』と評するべきレベルの話になるだろう。―――だが、シグレは事実として『100種』を超過する大量のスペルを、己のスペルスロットに登録していた。
『う、ううむ……。兎にも角にも、まずはシグレ君が実際にどのようにスペルを駆使して戦うのか、その姿を一度見確かめてみないことにはな……。
幸い、この場には戦闘に長けた騎士が大勢来てくれており、試合の相手に事欠くことはなかろう。誰ぞ、己の武勇で多天恵術師と戦ってみたい者はおるか?』
父がそう語りかけると、すぐに聴衆のほぼ全員から力強く手が挙げられた。
この場には近衛師団長と宮廷魔術師長の姿があり、そして父の姿がある。
王城に於ける最たる権力者が集まったこの場で、武勇を披露することを躊躇するような者であれば、そもそも『騎士』など目指してはいないだろう。