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リバーステイル・ロマネスク  作者: 旅籠文楽
5章 - 《破天荒術師》
122/125

121. 多天恵魔術師 - 4

 


     [4]



 王城のすぐ隣にある、大聖堂で奏でられる鐘の音が訓練場にも響き渡る。

 鐘が鳴らされた回数は三度。つまり、刻限である午後三時に達したことを意味するその鐘の音を聞きながら。表情にこそ出さないものの、ルーチェは内心でひとつ大きな溜息を吐いた。


 訓練場の中央付近で、父上と側近の数名、そして〈大盾〉と共にシグレは二十分ほど前から歓談に耽っていたが。その鐘の音を聞いて、シグレと父上の表情の中に僅かな困惑が浮かんだことをルーチェは見逃さない。

 ―――役者と主催者、そして観客も既に出揃っているというのに、語り部が遅刻しているために彼らは催しを始めることができないのだ。


 堪らずルーチェは、部下のライブラの顔を頭の中で思い浮かべ、念話を送る。


『急げ、馬鹿者。シグレも父上も既に待っているのだぞ』

『―――す、すみません! いま着きましたので!』


 送った念話の返事が、すぐに返ってくる。

 その言葉の通り、間もなく訓練場の入口側から慌てて駆け込んでくる、三角帽子を被った小さな魔女の姿がルーチェからも視認できた。


 ……いや、ライブラは男性なので『魔女』と呼ぶのは不適切だろうか。

 とはいえ、いつも通りの三角帽子に黒いマント、そしてその内側に着込んでいる膝上ミニスカートという出で立ちから判断するならば、彼はどう見ても同性にしか見えないが。


 こちらに気付いたライブラは、ルーチェに対し小さく一礼だけしてから、すぐに父上とシグレがいるほうへと駆け寄っていく。

 もちろん、その判断は正しい。この場で最も優先すべき相手は私ではなく、催しの主宰である父上と、ゲストであるシグレなのだから。


『何度見ても、相変わらず彼は殿方には見えませんね』


 そんな部下の様子を遠目に眺めていると、不意に念話で話しかけられる。

 背後を振り返ると、いつの間にか自分の使い魔がそこに立っていた。


「イレルル、来ていたのだな」

『ええ、いま来たところです。調理場をお借りしてアイスコーヒーを作り、水筒に詰めて参りました。お飲みになるでしょう?』

「ああ、有難く頂戴する。ちょうど喉が渇いていたんだ。それなら……立ったまま飲むのも何だし、観客席のほうへ移動するとしよう」

『本音を言えば、夏場はもっと違うものを飲んで頂きたいのですけれどね」


 イレルルはそう告げると、わざとらしい溜息をひとつ吐いてみせた。

 珈琲には利尿作用がある。だから夏場の水分補給としては、本来あまり好ましい選択とは言えない。

 とはいえ、それでも好きなものは好きなのだからしょうがないのだが。


「―――む。この珈琲は、またシグレが持ってきてくれたのか?」


 観客席に移動して、備え付けの座面に腰を下ろし、〈インベントリ〉から取り出したカップにイレルルがアイスコーヒーを注いでくれる様子を見つめながら。

 ルーチェが思わず漏らしたつぶやきに、ほう、とイレルルが感嘆を漏らした。


『口を付けるまでもなく、香りだけでお判りになりますか。ええ、先程シグレさんから頂いたものです。ルーチェが同じ珈琲好きだと知ってからというもの、王城へ顔を出すたびに、彼はいつも新しい珈琲豆を手土産に持って来て下さいます』

「そうか……。大体いつも私の側の都合で呼び出しているのだから、別に手土産など用意せずとも良いのだがな……」

『ふふ、彼もマメ(・・)な男ですよね』


 そう告げて、イレルルは可笑しそうにくすくすと笑みを零した。

 ―――大変に遺憾ながら、やはり私の使い魔に駄洒落のセンスは無いらしい。

 ルーチェは内心でいつも通りにそう呆れながら。これさえ無ければ、イレルルはそこらの貴族令嬢より、よほど美貌も物腰も優れているのにと思う。


『ちなみにシグレさんからは、城下で売られていたらしい焼き菓子のフィナンシェも手土産として頂いています。いまお食べになりますか?』

「フィナンシェか、長らく食べてないな……。うん、是非とも頂こう」


 イレルルは使い魔だが、ルーチェの〈召喚術師〉スキル《従僕の鞄》の力により自分専用の〈インベントリ〉を有している。だからシグレが手土産として届けてくれる品は、一旦イレルルが預かってくれていることが多い。

 ルーチェの言葉を受けて、イレルルは自らの〈インベントリ〉から沢山のフィナンシェが詰まった、ひとつの小さな籠を取り出してみせる。


 ―――と同時に、微かなバターの香りがルーチェの鼻腔を擽ってきて。

 その香ばしさに思わずルーチェも頬を緩ませた。


「良い香りだ。これは味のほうも期待できそうだな。今回はシグレが作ったもので無いのが、少しだけ残念だが……」

『ふふ。すっかりルーチェは、シグレさんの手作り菓子の虜ですね』

「それについては、否定の余地が無いな」


 イレルルの言葉に、静かにルーチェは苦笑する。

 〈調理師〉の天恵を持つシグレは、料理だけに限らず菓子も作る。掃討者らしく日持ちの良い焼き菓子を特に好んで作るようで、その一部はルーチェの元を訪ねる際に手土産として届けられることも少なくなかった。

 菓子の類は王城内にある商店でも買い求めることができるが、その種類は決して多くない。どれも過去に食べ飽きたものばかりであり、それだけにシグレが届けてくれる菓子はいつも、ルーチェにとって嬉しい差し入れとなっていた。


『いつも贈り物をしてくれる貴族の方々も、どうせなら高価な装飾品なんかより、王城で買えない菓子のひとつでも贈ってくれれば良いですのにね』

「ああ、全くだ……」


 イレルルの言葉に、もはやルーチェは力なく笑うほかなかった。


 立場上、貴族を始めとした様々な相手から、『贈り物』を受け取る機会こそ多いルーチェではあるが。それらの贈り物は、高価な宝石や貴金属をふんだんに用いて(あつら)えた装飾品であることが圧倒的に多い。

 しかしルーチェは普段、シンプルな装いのみを好み、装身具の類は殆ど身に付けることが無い。技官の執務仕事をする上では邪魔になるし、ルーチェの研究題材である錬金術に関連した作業の際にも、やはり邪魔になるだけだからだ。

 指輪や首飾り、ブローチなどの贈り物はまだ良い方で、酷い場合には額飾り(フェロニエール)半冠(ティアラ)などを贈ってくる相手もいる。執務仕事に従事する人間が、そんな頭が重くなるものを身に付ける筈も無いというのに。


 そういう相手は、結局のところ『ルーチェ』のことを見ていないのだ。

 父であるモルク・スコーネと誼を結びたいという目的だけを考え、その娘という都合の良い立場にいるルーチェに接触してきているに過ぎない。

 だから彼らは、贈り物を選ぶ際に『ルーチェ』という個人の好みを考慮しない。単に『侯爵の娘』が好きそうな高価な物を、適当に贈りつけているだけなのだ。


 ―――だが、自分という個人を無視したものを送りつけられて、どうしてそれが好意に結びつくことがあるだろう。

 正直、そんなものを貰った所でルーチェには全く嬉しいとは思えなかった。

 とはいえ、そんな贈り物でも拒否すれば角が立つ。しかし受け取ったならば謝礼の手紙を丁寧に認めるのは当然の礼儀であり、その煩わしさが『贈り物』に対する嫌悪感を、ルーチェの中で根深いものにしていた。


 けれど―――シグレから貰う『手土産』だけは違っていた。

 王城を訪ねてくる際に、シグレはいつも1つか2つの物品を贈ってくれる。

 珈琲豆を貰うことが最も多く、次点で多いのが紅茶だろうか。他にも焼き菓子や砂糖菓子、蜂蜜、柚子のジャム、とても甘い果実酒、布製の栞、刺繍入りの手巾(ハンカチ)、編みぐるみ、読書灯の魔具―――。

 他には、つい先日にはフェルトペンという名の、インク壺を必要としない風変わりな筆記具を貰ったことも記憶に新しい。机が無い場所でメモを取る際に便利なので、受け取ってからは常に〈インベントリ〉に入れて持ち歩くことにしていた。

 シグレが贈ってくれる手土産は、その殆どが高価な品ではなく、シグレ自身の手によって作成された品であることも多い。

 けれどそれは、いずれもルーチェの仕事や趣味、嗜好などを考慮した上で選んでくれている品ばかりで。それだけに、シグレの贈り物は常に間違いなくルーチェを喜ばせてくれた。


『シグレさんに礼を言うのは勿論ですが、そろそろ何かちゃんとした形でもお礼をなさるべきではありませんか?』

「そうだな、イレルルの言う通りだと思う。何か考えておくとしよう」


 イレルルの言葉に、ルーチェも深く頷く。

 謝礼の言葉はその都度ちゃんと伝えているが、それだけでは不十分だろう。

 いや、シグレ本人は有象無象の貴族達とは違い、もとよりルーチェに見返りなど求める心積もりはないことは判っているが。それでも―――贈り物に対して抱いている感謝を十二分に伝えるということは、やはり然るべき返礼をしたい所だ。


(となれば、何かシグレの喜ぶものを準備せねばならぬが……)


 しかし、いざシグレが喜ぶものを判断しようと思うと、これがルーチェにとってなかなかの難題でもあった。

 シグレは多数の術師職天恵を持っているから、やはりそれに関連する物品を贈るのが当人にとって有益だろうとは思う。

 けれど有益であるものを渡すことと、相手に喜ばれることは必ずしもイコールではないだろう。果たして自分が何を贈れば―――いつも自分が喜ばされているのと同じように―――シグレを喜ばせることができるのか、ルーチェには全く自信が持てなかった。


(私の好みは、シグレに全て知られてしまっている気がするのにな……)


 シグレの手土産はルーチェの好みを外すことがない。つまり彼はルーチェのことを、それだけ正しく理解していることになる。

 なのにルーチェは、シグレのことを何も知らない。

 いや、シグレがどのような戦い方を好む魔術師であるかや、小人数の部隊の指揮能力に長けている人物であることは知っている。―――何故なら、ライブラの論文にそう記述されていたからだ。

 けれど、彼の個人的なことになると、ルーチェは本当に何も知らないのだった。

 シグレの趣味も、好みも。何一つルーチェには判らない。


「……私はもっと、シグレを理解する努力をすべきなのかもしれんな」


 シグレと共に活動する機会の多いライブラに訊けば判るのだろうが、それは何か違うような気がした。


『独り言に熱中されるのも結構ですが。そろそろ始まるようですよ、ルーチェ』

「む。私は声に出していたか……?」

『ええ、それはもう』


 くすくすと、可笑しそうに笑ってみせるイレルル。

 考え事に熱中すると思考をついそのまま口に出してしまうのは、子供の頃からのルーチェの悪い癖だ。

 常日頃から改めたいと思ってはいるのだが、なかなか上手くいかない。




『―――ゴホン。あー、あー』


 イレルルのものとは違う男性の声が、ルーチェの頭の中に直接聞こえてくる。

 父親であるモルクの声だ。実の娘であるルーチェが聞き違えようはずもない。


『以降は拡声(・・)を使用しながら進めるものとする。私の声が明瞭に聞こえる者はその場で片手を、少しでも雑音が混じって聞こえる者は両手を挙げてみせよ』


 威厳を交えた声でそう告げる父の言葉に従い、ルーチェとイレルルの二人は訓練場の観客席より片手を挙げ、問題無く聞こえていることを示した。


 父の言う『拡声』とは、『拡声魔具』という種類の魔具を指す。

 文字通り声を拡げる効果を持つこの魔具は、使用者が発する声を『念話』に似たものへと変換し、効果範囲内に存在する全員に届ける効果を持つ。

 『念話』は距離によって音量が減衰しないので、範囲内であれば相手がどれだけ離れた場所に居ても、聴き取りやすい音量のまま声を届けることができる。現在のように、集団に対して声を伝えるときには非常に便利に使える魔具だ。


 元々は十五年ほど前に、この国の技官が軍事利用目的で開発したものだが、現在では興行用途で使われることのほうが多い魔具でもある。

 ちなみに、この『拡声魔具』を開発した技官の名前は『ルーチェ・スコーネ』。

 ―――つまり、私だ。


『うむ、協力に感謝する。どうやら正しく場内の皆に聞こえているようだな』


 父が周囲に向けてそう告げ、満足げに頷く。

 魔具は『魔石』のエネルギーを利用して動作する道具だが、エネルギーが消耗により不足してくると、動作に何らかの問題が出てくる場合が多い。

 『拡声魔具』の場合であれば、周囲への『念話』に雑音(ノイズ)が混ざるようになる。そのため興業などで『拡声魔具』を用いる場合は、最初に観客に雑音が混じって聞こえていないかどうか、確認することが通例となっていた。


『今朝、ルーチェが手ずからに魔石を交換していましたものね』

「部下の晴れ舞台だからな。なるべく問題が起きないように予め整えておくのも、上司の務めというものだろう」


 イレルルの言葉に、ルーチェは頷きながらそう答える。

 彼女の言う通り、父の手に握られている『拡声魔具』の魔石は、今朝ルーチェが新品に取り替えたばかりだ。なので当分はエネルギー切れの心配は無用だろう。

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