118. 多天恵魔術師 - 1
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打ち上げも兼ねた『バンガード』での昼食のあと、シグレは皆と別れて冒険者ギルドを出発し、王都アーカナムの市街を歩く。
ライブラは食事を終えるや否や、そそくさと単身で王城へ向かってしまったが。モルクと約束した時間は十五時なのでシグレが行くにはまだ早い。
多少は早めに向かった方が良いのだろうが、刻限より二時間も早く到着しては、さすがに却って先方の迷惑となる可能性もある。少し時間を潰してから王城に向かうぐらいのほうが良さそうだ。
冒険者ギルドから程近い場所で連日開かれている露店市を使い魔の黒鉄と一緒に見て回り、幾つかの魔石や布帛、食材などを購入する。
特に魔石はここ最近の魔符作成で大量に消費してしまったこともあり、露店市で見かけた場合は迷わず買い求めることにしていた。
ユーリが戦闘で選べる手札を増やすためにも、魔符は今後も積極的に作成していく必要がある。それに魔石はカグヤが作成した武器に付与を施す際にも必要となるため、手持ちのストックが幾らあっても多すぎるということはない。
(……少し、相場が上がってきた気がするな)
躊躇無く購入しておいて何なのだが、魔石の支払いを終えた後に内心でシグレはそんなことを思う。
下級魔石の相場は大体『800gita』程度が目安となる。もちろん魔石の種類によってある程度の金額差はあり、例えばルブラッドなら600から700gita程度で売られていることも多いのだが―――。
いまシグレが購入した8個のルブラッドは、単価が『1,100gita』だった。
魔石は〈魔具職人〉や〈付与術師〉のみならず、〈細工師〉や〈錬金術師〉などの職人も扱う素材だが。これらの生産職はいずれも天恵の所持者が少ない。
つまり、供給が少ない素材だが需要もまた少ないのだ。
その受給バランス上で『800gita』の相場が成り立っていたわけだが―――狭い世界でやりとりされる商品であるだけに、シグレ個人が無闇に買い漁るだけでも相場に影響が出てしまったのだろう。
これ以上に相場を上げ過ぎては、魔石を必要とする他の職人が要らぬ出費を強いられることになる。今後は少し買い控えていく必要がありそうだ。
『主人』
「うん? どうしたの、黒鉄」
『先程、広場の噴水あたりで休憩すると言っていたろう。これ以上行くと、噴水を離れすぎてしまうと思うのだが』
黒鉄から指摘され、自分がいつしか噴水の真横を通り過ぎてしまっている事実に気付かされる。
慌てて噴水の元にまで歩き戻ると、黒鉄が不思議そうに首を傾げてみせた。
『こんな場所で何をするのだ、主人?』
「この辺りなら座る場所に事欠かないからね。暫く休憩しながら、スペルの熟練度の割り振り作業でも済ませようかと思って」
王都アーカナムの中心にある広場の、その更に中心に位置する大きな噴水。
都市のランドマークとも言えるこの噴水の付近には、露店市を見て回って疲れた人達が休憩できるように沢山のベンチが設けられている。
もちろん噴水の縁に腰掛けて休むことも可能で、それも夏場の今頃には涼しげで良さそうだ。
また、この辺りは休憩する人達を当て込んだ、飲食系の露店が集中する場所でもある。菓子類を売る露店もあるので、一角にはどこか甘い匂いも漂っていた。
「黒鉄、何か食べる?」
『主人が与えてくれるならば、どんな物でも喜んで頂くとも』
「ん。じゃあ適当に何か買おう」
先程昼食を終えたばかりなのだが、食欲旺盛な黒鉄には関係無いようだ。
焼菓子を売る露店でフィナンシェの入った手のひらサイズの籠をひとつ購入し、黒鉄と共に噴水の縁に腰掛け、分け合いながら一休みする。
籠に入っているフィナンシェには、通常のものとチョコレートを生地に練り込んだものの二種類があった。
本来であればチョコレートは絶対に犬に食べさせてはいけない食べ物なのだが、魔犬である黒鉄が言うには『我に食べられないものはない』とのことらしい。
(ここって、普通にチョコレートとか流通してるんだな)
勢いよく尻尾を振りながら、美味しそうにフィナンシェを平らげていく黒鉄の姿を横目に、シグレもチョコ入りのを一切れつまみながらそんなことを思う。
あまり甘さが主張されていない焼き菓子は、チョコレートとバターの風味が良く出ていて、素朴な味わいの割に思いのほか美味しかった。
籠の中身の大半を黒鉄に譲り、シグレは視界内に自身が修得しているスペルの情報を個別に表示させていく。
シグレが修得しているスペルは現時点で100種類を僅かに超えている。
―――とはいえ、それらのスペル全てを常用しているかと言えば、答えは否だ。
例えば、敵が詠唱中のスペルを強制的に中断させる【禁止】のようなスペルは、おそらく今まで一度として実践の中で行使したことは無い筈だった。
もっとも、単に使う機会に恵まれなかっただけと言えばそれまでなのだが。
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【浄化】 ⊿聖職者Lv.1スペル
消費MP:[対象数]×60mp / 冷却時間:なし / 詠唱:なし
任意数の人や物に付着している、好ましくない毒性や汚染を取り除く。
○スペル熟練度:10,910pts
-> 毒性除去力の強化(200pts)
-> 消費MPの軽減(200pts)
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普段からある程度行使していると思われるスペルだけに絞り、スペルの情報をひとつひとつ視界に表示させて確認してみた所、最も熟練度が蓄積されているスペルは戦闘で多用している【衝撃波】ではなく、【浄化】のほうだった。
しかも熟練度は圧倒の1万超え。これは一度行使すると『100秒』の冷却時間が発生してしまう【衝撃波】のスペルでは、結局のところ一度の戦闘中に1~2回程度しか行使する機会が無いからだろう。
対する【浄化】のスペルは、戦闘の後に自分や仲間全員に対して使用する場合が多く、それに加えて日常的にも結構な頻度で多用している。
例えば先程もバンガードで食事を終えた際に、皆が食べ終わった器やテーブルに対して【浄化】のスペルを行使したばかりだ。もちろんこれは後で食器を洗浄する際に、少しでも店員の方の手間が減れば良いと思うからだ。
最近では暑さが本格化してきたこともあり、汗をかく頻度が増えて【浄化】の利便性もますます向上してきた気がする。おそらく今後も【浄化】の熟練度は自然と貯まっていく一方だろう。
但し、大量の熟練度が貯まってはいても【浄化】スペルの強化項目は少ない。
選択可能な強化項目は『毒性除去力の強化』と『消費MPの軽減』の二つだけ。MPの自然回復力が高く、消費MPを抑制する必要のないシグレにとって、これは実質的に選択の余地の無い強化とも言えた。
迷うことなくシグレは可能な限りの熟練度を『毒性除去力の強化』に割り振り、スペルを『54段階』強化する。
【浄化】は解毒を主目的とするものではないため、元より『毒性除去力』という面では殆ど期待できないスペルなのだが。それでも『54段階』もの強化が成されていれば、弱い毒程度であれば無力化することも可能になるだろうか。
噴水の上げる飛沫が微かに入り交じった、涼やかな風を身に受けながら。シグレはそれから暫く、スペル熟練度の割り振りに頭を悩ませる。
様々なスペルの詳細を視界に表示させ、貯まっている熟練度を確認していくと。使用頻度がそれほど高くないにも拘わらず、熟練度が多めに貯まっているスペルが幾つかあることに気付かされた。
それは例えば、味方全員のMP自然回復速度を向上させる【星光】であったり、範囲内の敵全てを睡眠状態に陥れる【眠りの霧】のスペルであったりする。
つまり熟練度が多めに貯まっているスペルは、いずれも複数の味方や敵に対して一度に効果を齎すスペルであるようだ。対象数を多く取るスペルであれば、それに比例して熟練度も貯まりやすくなるということなのだろう。
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【眠りの霧】 ⊿Lv.1伝承術師スペル
消費MP:120mp / 冷却時間:300秒 / 詠唱:8秒
誘眠効果のある霧を作り出し、範囲内の敵全てを[睡眠]状態にする。
○スペル熟練度:2,946pts
-> [知恵]影響の向上(400pts)
-> [加護]影響の軽減(400pts)
-> 消費MPの軽減(200pts)
-> 詠唱時間の短縮(500pts)
-> 冷却時間の短縮(300pts)
-> 攻撃範囲の拡大(800pts)
-> 武器制限の解除(900pts)
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【眠りの霧】のスペルは、術者の[知恵]が高いほど睡眠付与の成功率が上がり、対象の[加護]が高いほど成功率が下がる。
つまり『[知恵]影響の向上』と『[加護]影響の軽減』はどちらも睡眠付与の成功率を向上させる強化項目であり、それぞれアプローチが異なるだけだ。
もちろん、レベルの割に能力値が突出して高いシグレの場合は悩む必要も無い。迷うこと無く『[知恵]影響の向上』に全ての熟練度を割り振り、『7段階』の強化を行う。
範囲内の敵を纏めて眠らせることができる【眠りの霧】はとても便利なスペルなのだが、その成功率は世辞にも信頼できるレベルとは言えなかった。
こうして貯まった熟練度を割り振ることで、後からでも成功率を高められるというのは非常に有難い。
「―――む。主人、もう良いのか?」
「うん。一通りのスペルはチェックし終えたし、そろそろ時間も良さそうだから」
噴水の縁から立ち上がったシグレに反応し、声を掛けてきた黒鉄にそう答える。
美味しかったフィナンシェをもう一籠購入し、手早く〈インベントリ〉に収納してから、黒鉄を連れて王城へと向かう。
今回初めて王城へ黒鉄を同行しているのは、使い魔の黒鉄もまた〈召喚術師〉としてのシグレの戦闘力の一部であるからだ。
多天恵魔術師としての強みを知って貰うのであれば、自分の持てる力は総て余すところ無く出さなければならない。堅苦しい王城に同行させるのは、黒鉄にとって少し退屈かもしれないが。ここは我慢して貰う他なかった。
「―――ああ。これは、ようこそお越し下さいました」
広場からさほど距離が離れていない王城まで移動すると、正門前で歩哨に立っていた衛士の人が、シグレの姿を見るなり深々と頭を下げてきた。
「お仕事お疲れさまです」
すぐにこちらからも頭を下げてそれに応じる。シグレの隣で、黒鉄もまた倣うように小さく頭を下げていた。
王城へは定期的に来ているので、シグレは既に衛士の人に顔は覚えられている。
普段は張り詰めた声で誰何の声をぶつけてくる衛士の人も、今日ばかりは下にも置かぬ言葉遣いで接してくるのが、なんだか少し面映ゆい感じがした。
今日は先方からの『招待』であるので、シグレは王城にとって『客人』にあたる立場ということなのだろう。
相手の立場によって対応を変えるのは、衛士の人からすれば普段からやっている日常的なことなのかもしれないが。生憎とこちらはそれに慣れていないので、戸惑わされるばかりだ。
「シグレ殿がお見えになりましたら『庭園で待っている』とお伝えするよう、姫様から言伝を預かっております」
「……姫様、ですか?」
「はい。ルーチェ姫様からです」
「………」
そういえば―――ルーチェはモルクの娘であり、モルクは自らを『侯爵』であると名乗っていた。更に言えば、『堕ちた王の虚城』のボスモンスターに成り果ててしまった先の王『ラナック・スコーネ』はモルクの実父でもある。
即ち、ルーチェの立場は『侯爵の娘』であり『先王の孫娘』ということだ。
……なるほど、これが『姫様』でなくて何だと言うのだろう。シグレにとって、ルーチェは単に『銀術師ギルドの長』であり『ライブラの上司』という認識でしか無かったのだが。今後は認識と対応を改める必要があるだろうか。
(いや……。それは止めた方がいいかな)
ルーチェは率直な物言いを好み、会話の中に余計な装飾を差し挟んだり、迂遠な言い回しを用いることを嫌う節がある。
今更になって恭しい言葉遣いに直した所で、ルーチェの不興を買うだけにしかならないことは明らかだった。今までと変わらず気安く接する方が良さそうだ。
「よろしければ庭園まで、案内の者をお付けしますが」
「ああ―――いえ、道は判りますので一人でも大丈夫です」
いつしか考え事に耽っていたシグレを、現実へ引き戻してくれた衛士の申し出を丁重に辞退し、シグレは単身で王城の中へと歩みを進める。
庭園は王城の中央にあり、四方を王城の建物に囲まれた箱庭風の場所になっている。迷うほどの場所では無いし、それに今まで王城に来る度にルーチェに連れられている場所でもあるため、既にシグレにとっては通い慣れた場所でさえあった。