111. 〈操具師〉ユーリ - 4
[3]
「これは……魔符、ですか?」
「似たようなものですが、巻物です。差し上げますので、宜しければどうぞ」
安全地帯でそれぞれに準備を済ませたあと。いざ出発する段階になってシグレはエミルとカグヤ、ライブラとユーリの四人に、昨晩作ったばかりの巻物をひとつずつ手渡す。
普段から魔符や巻物を渡しているユーリは、シグレが差し出したそれを躊躇無く受け取ってくれたが。他の三人は少なからず抵抗を感じるのか、手渡された巻物を〈インベントリ〉に収納もせず、どこか躊躇うような表情を浮かべていた。
「なるほど、【帰還】というスペルが籠められているのですね。……これは凄い」
魔符や巻物はその詳細情報を視認すれば、中に籠められているスペルがどのようなものかも判る。
最後に訪れた中央都市へ戻る、という単純な効果を持つ【帰還】のスペルだが、シグレはその移動効果よりも、むしろ緊急避難目的のスペルとして価値を見出す。
本来は詠唱を必要とするスペルだが、こうして『巻物』に籠めてしまえば詠唱の必要は無くなり、誰でも即座に使用できるようになる。
全員が〈インベントリ〉の中にこの巻物を忍ばせていればそれだけで、各自の状況判断でいつでも魔物との戦闘から離脱できるようになるのだから、考えるまでもなくその価値は明らかだ。
「師匠……。これ、かなりお高いモノですよね?」
「以前に市場で見かけた巻物よりも、素材の質がずっと高そうなんですが……」
ライブラとカグヤの二人が、それぞれ受け取った巻物を手に訝しむ声を上げる。
いまシグレが手渡した【帰還】の巻物は〈召喚術師〉レベル16のスペルであり、その材料には、普段魔符を生産する材料として用いているものよりも1つランクが高い素材を使用している。
それはインクの材料である魔石もそうだし、巻物自体の用紙もそうだ。
高級な紙の質感は、触れればすぐにその違いが判る。一級の職人であるカグヤが即座にそのことを指摘するのも道理だろう。
「……確かに、安いものではないですが」
二人の問いに、シグレは正直にそう答えた。
カグヤとエミルのすぐ隣には、純血森林種のユーリがいる。心の音を聴くことができる彼女の目の前でシグレが下手に嘘を並べれば、即座に看破されてしまうことは目に見えていた。
純粋に材料費だけで言えば、巻物1個あたり8,500gita程度になるだろうか。
インクの材料として用いる魔石は、下級のものでも宝石と同等の価値を有しているが。中級以上の魔石ともなれば、その金銭価値は宝石の数倍にも達する。
しかも『巻物』の生産は『魔符』と異なり、用紙に魔力語だけでなく詠唱句も綴らなければならない都合上、その魔石を大量に消費する。
幸い【帰還】の詠唱句自体はさほど長くないものの、それでも材料に用いた魔石が、かなりの量に達したことは事実だった。
その上、推奨レベルの高いスペルの巻物だからなのか、その生産作業はシグレにとって困難を極めた。
職人としての技倆が不足しているためか失敗が多く、たった4個の巻物を完成させるために、シグレは実に12個分にも相当する大量の素材を消費する羽目になったのだ。
なので失敗も加味した原価で言えば、巻物1個あたりのコストは25,500gitaにも達する。これを「安い」と口にすれば、それは嘘になってしまうだろう。
「ですが。これで安全が買えるのでしたら、高くはありません」
「シグレさん……」
「僕やキッカ、ユウジのような『天擁』は、仮に魔物に倒されても死ぬことがありませんが。……そんな恐れ知らずな人間の勝手で振り回して、皆を怖い目に遭わせてしまうことが、この先もあるかもしれませんから」
以前に一度、カグヤを危険な前に遭わせてしまったことを、シグレは未だに心の中で後悔し続けていた。
あの時のような事態を繰り返さないで済むのならば。安全を得るための多少の投資ぐらい、何の負担にも感じるものではない。
「僕の我侭で申し訳ありませんが、これだけは受け取って頂きます。巻物の使い方は判りますよね?」
「あ、はい。それは判りますが……」
「言うまでもありませんが、危険だと思ったら遠慮無く使って下さいね。
―――それでは、今日も頑張りましょう」
そうとだけ告げてから、シグレは率先して〈迷宮地〉の中へと踏み出していく。
魔術師であり、パーティで最も後ろに立つべき役割のシグレが我先にと歩み始めれば、前衛のカグヤやエミルがそれに遅れるわけにはいかない。
返事を待たず迷宮路を進み始めるということは、有無を言わせないという明確なシグレの意志表示でもあった。
相手の意志を無視してアイテムを押しつけるようなことは、シグレとしても本意ではないのだが。―――これは本当に必要なことなのだ。
自分と同じ『天擁』であるキッカやユウジだけと狩りをすれば、もとより死のリスクなど気にする必要は無いのだろう。
けれども―――安全を重視するあまりに、共に狩りをする仲間を選別するかのような行為は、できればしたくはなかった。
カグヤともエミルとも、ライブラともユーリとも。同じ掃討者の仲間である彼らと共に、どこへだってシグレは行きたいと思うから。
「……シグレは、良い人」
隣を歩くユーリが優しく目を細めながら、小さくつぶやく。
「シグレの心が聴こえる。……とても心地良くて、温かい音がする」
純血森林種であるユーリは、他者の感情を『聴く』ことができる。
自分の心の音がどんなものなのか、シグレには想像もつかないが。気恥ずかしく思う反面、ユーリからそう言われるのは純粋に嬉しいことでもあった。
*
久方ぶりに訪れた〈ゴブリンの巣〉は、カグヤと二人で来た時に較べると、随分と魔物が増えているように思えた。
最初に遭遇したのはゴブリン・ウォリアー5体の群れ。その後はウォリアー3体とアーチャー2体の群れと遭遇し、今しがたにはウォリアー2体とスカウト4体の群れを撃破。
まだ〈迷宮地〉に突入して然程経たないうちから、合計16体ものゴブリンと遭遇するというのは、外部のエリアとは較べものにならない魔物密度だと言えた。
過去にユウジから聞かされた『ゴブリンは強力な個体でも、一月で三倍以上にも増える』という言葉が、シグレの頭の中に強く思い起こされる。
魔物はレベルが低い個体ほど短期間で分裂を繰り返し、その数を増やす。
〈ゴブリンの巣〉に棲む魔物のレベルは、最弱のゴブリン・スカウトで『5』、強力なゴブリン・ジェネラルでも『15』程度しかないので、おそらく魔物の増殖はかなり高速で行われる筈だ。
前回カグヤと共に探索してからまだ一ヶ月と経っていなくとも、魔物の数が充分に満ちてしまっているのにも、納得できようというものだ。
「どうやら、俺達以外に〈ゴブリンの巣〉で狩りをした掃討者はいないらしい」
微かに溜息の混じった口調で、ユウジがそう言葉を漏らす。
雨を凌げる洞窟という立地もあり、雨期の間に狩りをするには良い場所だったとも思うのだが。あまり他の掃討者には認知されていない狩場なのだろうか。
「こっちの人数も多いんだし、魔物は多いぐらいで丁度いいんじゃない?」
「ははっ、確かにそれは違いない。取り分が増えるのは良いことだな」
キッカの言う通り今回はこちらも7人、黒鉄を含めれば8人とその数は多い。
お陰で5~6体のゴブリンに同時に襲い掛かられようとも、数的有利は依然としてこちらの側にあり、現時点では苦戦するようなこともなかった。むしろ戦闘は三戦ともに5分と掛からず片が付いており、些か過剰戦力のような感さえある。
しかも数の暴力が有効であることに加えて、今回はユーリがいてくれるお陰で、皆がある程度MPを節約せずに戦えるというのも大きい。
エミルや黒鉄は、もともとMPを消費する攻撃スキルをあまり取得していないので影響は少ないが。他の前衛三人が魔物に対して発揮する火力は、普段に較べれば明らかに増している様子が窺えた。
とりわけ、その傾向が顕著なのはカグヤだ。
〈侍〉である彼女はキッカやユウジとは異なり、防御面を強化するためのスキルこそ持たないが。代わりに強力な攻撃スキルを三つも有している。
十歩までの間合いを一気に詰めると同時に、相手が反射不可能な高速の一太刀を浴びせる《瞬速閃》。魔物に大量の出血を引き起こす深手を負わせる《紅蓮斬》。虚空を斬って生み出した複数の風の刃を、そのまま相手に向かって打ち放つ遠距離攻撃スキルの《鎌鼬》。
本職が都市でも有数の〈鍛冶職人〉であり、自分用にも非常に性能の良い武器を都合しているからというのもあるのだろうが。カグヤが放つ三種類の攻撃スキルの威力はどれもが極めて高く、〈迷宮地〉の入口付近で遭遇する低レベルのゴブリンなど、鎧袖一触もかくやという調子で忽ち光の粒子へと変えてしまう。
「ボクたちの出番は、暫くなさそうですね」
「ええ。楽ができそうです」
同じ魔術師であり、シグレとの立ち位置が近いライブラが漏らした言葉に、シグレも笑顔で同意する。
〈侍〉の攻撃スキルはMPの消費量が多いらしく、これまで普段の狩りの中で、カグヤはあまり率先的に活用して来なかったのだが。
燃費に劣る代わりに、カグヤの攻撃スキルは威力と回転効率に優れる。ユーリが居てくれるお陰で、カグヤは自身の持ち味をいつも以上に輝かせているようだ。
普段以上に戦闘を爽快に楽しめているからなのか、同じ前衛のキッカやユウジと談笑するカグヤの表情は、普段よりも一際明るく、朗らかなものに見える。
(―――カグヤが楽しそうで良かった)
その笑顔を後ろから眺めながら、シグレは心の内で静かにそう思う。
悲しそうだったり、消沈した表情を浮かべているときよりも、明るい笑顔を浮かべている時のカグヤはずっと魅力的だ。それにカグヤが笑顔でいてくれるだけで、こちらもどこか幸せな心地になることができるような気がした。
「もし仲間にMPを譲渡するスペルなんかがあれば、凄いことになりそうですね」
「……なるほど。確かにそういったスペルあれば、面白いですね」
ライブラの言葉に僅かに驚かされながらも、すぐにシグレも同意して応える。
MP回復速度だけで言えば群を抜いているシグレではあるものの、シグレ本人はあまり、実際にその有り余るMPを生かし切れているとは言えないというのが正直な所だった。
―――回復が早すぎるせいで、消費が追い付かないからだ。
もともとスペルは行使に際し、スキルに較べてずっと多くのMPを消費する傾向がある。これはスキルが修得やランクの成長に『スキルポイント』を必要とするのに対し、スペルは枠の範囲でなら自由に修得や書き換えができるからだ。
とはいえシグレが戦闘中に行使するスペルの大半は、詠唱時間が非常に短かったり、もしくは詠唱自体を必要としないものばかりだ。
そして―――そういったスペルは殆どの場合で推奨レベルが低く、消費MPもまた低めに設定されていることが多い。
大量のスペルを修得しているシグレは、戦闘で矢継ぎ早にスペルを連射するが。その殆どの消費MPは2桁であり、シグレのMPが最大値の半分以上を消耗するような事態は、ほぼ皆無だと言えた。
(もしもカグヤに自分の持つMPを一部でも渡すことができたなら……)
冷却時間が短く、回転効率に長けるカグヤの攻撃スキルは、屈強な魔物が相手であっても、あるいは多数の魔物が相手であっても、容赦無くその悉くを斬り伏せてくれることだろう。
頭の中に思い描き―――そんなカグヤの勇姿を、シグレは(見たい)と思う。
仲間にMPを譲渡する。そんなスペルを記した魔術書が存在するのかどうかは判らないけれど、まずは市場などで探してみるのも良いかもしれない。
もしくは今後、時間を作って近隣の中央都市を訪ね、そこにある各術師職のギルドの書庫で魔術書を漁ってみるというのも面白そうだ。