109. 〈操具師〉ユーリ - 2
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〈迷宮地〉の中へ外部エリアから魔物が侵入することはなく、また〈迷宮地〉に生息する魔物もまた、数が増えすぎて溢れない限り外部へ出ることはない。
このため〈迷宮地〉の入口部分には、外部と内部のどちらからも魔物が移動して来ない、一種の安全地帯が存在する。
〈迷宮地〉の中は通常のフィールドに較べて魔物の密度が高く、危険性も高い。そのため掃討者はこの安全地帯を利用して、侵入の前に入念な準備を済ませるのが一種のお約束となっていた。
とはいえ魔術師であるシグレには、殆ど準備するような物もない。
武器は〈インベントリ〉内にある、いつでも取り出せる杖と弓の二つだけだし、未だに狩りの最中も普段着そのままの格好で、鎧などの防具は着用していない。
付与を施した幾つかの装身具は利用しているが、これらはいずれも普段から身に付けているものなので、改めて準備する必要もなかった。
けれどもそんなシグレと対照的に、キッカやユウジのように重厚な装備を着込む前衛職は何かと準備に時間が掛かる。
この世界では『必要筋力』の条件さえ満たしていれば、装備品の重さを着用者が負担に感じることは殆ど無いらしいのだが。それを脇に置いても板金鎧というものは、着込むだけで大変な労力を必要とする。
何しろ、この世界には自分の『装備品』を操作するウィンドウが無いのだ。
〈インベントリ〉に装備品を収納しておくことは可能でも、そこからアイテムを取り出せるのは『手の上』にだけだ。服や防具などは、ちゃんと自分の手で身体に装備させる必要があった。
そして板金鎧というものは、とにかく部品が多い。
キッカやユウジが使っている鎧は、全身防護型の板金鎧に較べれば幾らか部位が簡略化してあるようだが。
それでも上半身に胴部、肩部、上腕部、前腕部、下半身に腰部、腿から膝部、脛部、靴部と、その防護部位は多い。
一応、他人の補助を受けなくとも装着できるように、また着脱が容易なように、様々な工夫が施されてはいるらしいが。それでも、これら全てを自分の手で装備しなければならないのだから、準備に時間が掛かるのも当然のことだと言えた。
「そういや今のうちに、ユーリの嬢ちゃんにひとつ訊いときたいんだが―――」
右脚部の装甲を固定する作業の傍ら、ユウジがユーリにそう声を掛け、
「ごめんなさい。私はシグレ以外の男性には興味が無いので」
「………………脈絡もなく唐突に振られて、いま俺、軽く泣きそうなんだが?」
そして、にべもないユーリからの片舷斉射に撃ち落とされ、ユウジが困惑と悲哀が入り交じったような何とも複雑な表情を浮かべ、がくりと項垂れた。
ユウジが何か物言いたげな視線をシグレの側へ送ってくるが。そんな目で見られても、こちらとしてもどう反応すれば良いか困ってしまう。
「はあ……。いや、俺が訊きたいのはそういうことじゃなくてだな。嬢ちゃんの戦闘職について、教えて欲しいんだよ」
「……私の? 〈操具師〉について?」
「ああ、そうだ。今まで色々な職業の掃討者と狩りをしてきたが、生憎と嬢ちゃんのような〈操具師〉とは組んだことが無くてな。悪いが今のうちに、どんな職業か簡単に説明して貰えると助かるんだが」
パーティを組み共に狩りをするのなら、メンバー同士が互いの能力を把握しているというのは重要なことだ。
特にユウジのような最前列に立って魔物と戦う必要がある〈重戦士〉は、何かと忙しい戦闘の最中に、なかなか背後にいる仲間を見やる余裕も無いだろう。
仲間がどういう形で戦闘に参加し、何を齎してくれるのか。仲間が何を得意としており、逆に何を苦手とするのか。後ろに気を回せない立ち位置であればこそ、そういった情報を予め頭の中に入れておくことが、自身の立ち回りに活かせる機会も多い筈だ。
「〈操具師〉は……道具を扱うことに特化した戦闘職。普通の人より道具を上手く使うことができるけれど、他には何もできない」
「ほほう、さしずめ『道具使い』って所か。つまり武器を持って戦ったり、スペルを行使できるわけじゃないんだな?」
「その認識は誤り」
ユーリはきっぱりとした口調で、ユウジの言葉を否定する。
「武器や防具とは、そもそもが戦闘に使うための『道具』。〈操具師〉のスキルでその性能を引き出せば、私も武器を持って戦うことはできる。
―――但し、私にできるのは、あくまでも普通に戦うことだけ。魔物を攻撃するスキルも、味方を護るスキルも持っていないから、特別なことは何もできない」
「へえ。普通に戦えるというだけでも、こちらとしては充分有難いが」
「装備品の『必要筋力』を無視できるので、ユウジやキッカがいま身に付けようとしている重い鎧でも、おそらく私には何の問題も無く着用できる。
……でも、私は純血森林種だから。鎧や剣を持つよりは、やっぱりこちらのほうが性に合うのも事実」
そう言ってユーリが〈インベントリ〉から取り出したのは、遊牧民が騎射に用いる姿を想像させるような、小型の短弓だった。
サイズは弦部が70cm有るか無いかという程度で、シグレが普段使っている和弓とは較べものにならないほど、そのサイズは小さい。
ここ一週間ほどパーティを組んできたから知っているが、〈アリム森林地帯〉で狩りをしたときには、ユーリはもっとサイズが大きい長弓を愛用していた筈だった。
〈操具師〉はその職業の特色からか『どのような武具でも扱うことができる』という特権を有している。これにより、ユーリは武具に設定された『必要筋力』の制限なども無視することができるのだ。
どんな武器でも扱えるのだから、大抵の場合はより大型の武器を持つ方が攻撃力は高くなる。それは弓の場合でも同様で、胴体幅が広くて弦も長い、引き尺に優れる長弓を持つ方が当然、放たれる矢の威力も高くなる。
それにユーリは《武具性能発揮》という、自分が装備している武器や防具の性能を『+30%』高めるスキルを修得している。なればこそ、もともと武器攻撃力が高い大型の弓を用いる方が、スキルよる上げ幅も大きくなるのだが。
だというのに、威力面で幾分劣るはずの短弓を今回ユーリが装備しているのは。おそらく野外に較べれば手狭な〈迷宮地〉という場所を踏まえた上で、短弓のほうが取り回しに優れていることを重視したからなのだろう。
「ちなみに私はシグレのおかげで、スペルも使える」
「スペルも? ……その、シグレのおかげというのは?」
「これを、シグレから貰ってしまったから」
そう告げたユーリが〈インベントリ〉から取り出し、自慢気にユウジに見せびらかしたのは大量の『魔符』だ。
両手一杯でも広げきれない程の魔符の数々は、いずれもユーリと出会ってからのここ一週間で、シグレが工房に通い詰めて手生産したものだった。
「凄ぇ枚数だな……。だが魔符は『使う』だけなら、誰でもできるだろう?」
「〈操具師〉であるユーリは、魔符を消費せずに使うことができるんです」
「―――は?」
シグレがユーリに代わって答えた言葉に、ユウジが瞠目する。
ユーリは《廻用魔具》というスキルも覚えており、このスキルがあると『魔符』や『巻物』のような使い捨ての魔具を、消費せず使うことができるようになる。
非常に有用性の高いスキルだが、もちろん無制限に使えるわけではない。
魔具を消費せずに使用できるのは『一定時間ごとに1回だけ』という制限があるからだ。魔符であれば一度使用すると『10分』の間、巻物であれば『30分』の間、一時的にそれぞれの消費抑制効果が失われることになる。
魔物との戦闘が10分よりも長引くことはあまり無いので、消費せずに使うことに拘るならば、一度の戦闘中に魔符を複数回使用できることはそうそう無いだろう。
但し魔符と巻物の冷却時間は個別に発生するので、一度の戦闘中に魔符と巻物の両方を、それぞれ1回ずつ使用することは可能らしい。
「……そのスキルは、シグレとの相乗効果がヤバそうだなぁ」
ユーリの能力について簡単に説明を受けたユウジが、苦笑気味に顔を引き攣らせながら、そう感想を漏らした。
〈魔具職人〉であるシグレは自身が修得しているスペルを『魔符』に籠めることができ、そしてユーリは『魔符』を何度でも繰り返し用いることができる。
10分や30分という冷却時間は、確かに長い。けれども逆に言えば、その厳しい制限の内である限り、魔符を作りさえすればシグレが修得している全てのスペルをユーリは行使できる可能性を持つということだ。
それに今後ユーリが戦闘職のレベルを伸ばし、スキルポイントを《廻用魔具》に注ぎ込めば、冷却時間の制限も短縮させることも可能らしい。
そうなればユーリは、術師職の天恵をひとつも持たないにも拘わらず、魔術師としての役目さえ戦闘で全うできるようになるのかもしれなかった。
「いまシグレから貰った魔符と巻物は、全部で30種類。……今後、あと70枚ぐらい貰えるらしいから、とても楽しみ」
「……以前、知り合いの魔具職人から、魔具の生産には湯水のように金が掛かると聞いたことがあるが。シグレ、そんなに大量に作って大丈夫なのか?」
「あ、あはは……」
魔符や巻物を作る際には、材料に魔石が必要になる。
魔石は少なくとも宝石と同程度には金銭価値が認められる素材なので、ユウジが言う通り、材料費は決して安いとは言えない。
「自分が作ったものを、ユーリが喜んでくれるのは嬉しいですから」
「ふう、い。生産者ならではの喜び、ってヤツなのか?」
それは多分、ユウジの言う通りなのだと思えた。
シグレの目の前で〈操具師〉としての能力を活かし、自分が作った魔符や巻物を駆使して戦うユーリの勇姿を眺めるのはとても嬉しく、そして誇らしいことだ。
ユーリは普段、どこか素っ気なく、冷めたような表情をしていることが多い少女だが。ここ一週間、後衛としてお互いに近い位置に立ち共に戦ってきたシグレは、戦闘中の彼女が見せる表情が、いかに凛々しいものであるか知っている。
彼女が振るう力の一端になれるなら、作り手としてこれほど嬉しいこともない。