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リバーステイル・ロマネスク  作者: 旅籠文楽
5章 - 《破天荒術師》
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103. 忙しない魔術師 - 4

 


     [3]



 ニシャがカップに入れてくれたお茶がたてる、蜂蜜に似た爽やかな香気がシグレの鼻腔を(くすぐる)る。

 味を確かめるまでもなく、それが高級な茶葉であることが判った。濃くはないのに深みを帯びた橙の水色はダージリン・ティーのそれを思わせる。

 口を付けてみれば、味わいもまた実物のそれと殆ど変わらない。こちらの世界にダージリン地方がある筈もないのだが、その辺は深く考えない方が良いだろうか。


「わざわざ暑い中を呼び立ててしまい、済まなかったね。もし昼食がまだであれば用意させるけれど?」

「いえ、掃討者ギルドで食べてから来ましたので。それに、この商会はギルドから近いですから立ち寄るのも楽です」

「そうかい? そう言って貰えると、こちらとしては有難いですな」


 魔物との戦闘のように激しい運動をするのであればともかく、普通に街中で過ごす分にはまだ『暑い』という程の気温でもない。

 多少は汗ばむこともあるが、辛く感じる程の暑さでもないのだ。

 日本のようなじめじめとした暑さでないこともあり、まだ率直に不快感を覚えるレベルではない。過ごしやすいとは言えないが、過ごしにくい程でも無いのだ。

 来客に熱い紅茶(ホットティー)を振る舞うあたり、その辺のことはエフレムも判った上で言っているのだろう。もう少し暑くなれば冷たい飲み物が恋しくなる所だが、今ぐらいの暑気であれば、やはり食後のこの時間には熱い飲み物のほうが嬉しいものだ。


「それで、エフレムさん。お隣の方は―――」

「ああ、いや。私も君に話はあるが……先にエフレムの話を聞いてやって欲しい」


 明らかに身分の高そうな男性と対面しているのに、相手の正体が判らないというのは大変に居心地が悪い。

 そう思い、紹介が目的なのであれば早くそうして貰おうと、シグレの側から話を振ったつもりだったのだけれど。当のダンディな紳士本人から、そんな風に言われてしまった。


「そうだね、では先に私から話をさせて貰おうかな。

 さて―――シグレ君。確か君は『天擁(プレイア)』だったよね?」

「そうです。荷物をお預かりしたことがありましたよね」


 壊れた馬車に積まれていた積荷全てを預かるなんてことは、無制限にアイテムを収容可能な〈ストレージ〉を持っていなければ到底不可能なことだ。


「うん、その節は非常に助かりました」


 そう言って、エフレムは深々とシグレに頭を下げた。

 自分よりも遙かに年若い人間に、躊躇無く頭を下げることができる。エフレムのそうした振る舞いが、却ってシグレにはとても大人びて見えた。


「……む? エフレム。君はいま、彼のことを『シグレ』と呼んだか?」

「おいおい……会話の順番を譲ってくれたと思ったら、結局割り込むのかい?」


 急に身を乗り出すようにして、ダンディな紳士が横から会話に参加してきたことに、エフレムは苦笑しながらそう漏らした。


「う、そうだった……。済まない、エフレム」

「別にいいけれどね。そうだよ? 彼は『掃討者』をしているシグレ君だ」


 紹介を受けて、シグレは小さく頭を下げる。

 ―――そう答えた直後。突如として右手ががしりと力強く掴まれ、シグレは驚きのあまり思わず硬直する。もちろん手を掴んでいるのはダンディな紳士だった。


「……もしや君は〈魔具職人〉や〈細工師〉の天恵を持っているのではないかね? それから他にも、大量の『術師職』天恵なども持っているのでは?」

「え、ええ。持っておりますが……?」


 相手が自分の天恵について知悉している事実に、シグレは僅かに気圧される。

 対するこちらは、相手について全く知らないからだ。こんなに印象的な顔立ちの紳士と一度でも知り合う機会があれば、忘れることなど無いと思うのだが。


「……ギルドカードを見せて貰っても構わないだろうか」

「あ、はい」


 〈インベントリ〉から取り出し、言われるままに手渡す。

 ダンディな紳士はそれを受け取るや否や、()めつ(すが)めつといった様子でカードに記載されている情報をまじまじと見つめて。

 そして―――十数秒ほど経ってから。軽く頭を抑えつつ、紳士は項垂れた。


「エフレム……君から『腕利き』を紹介してくれるという話を聞いた時点で、まず掃討者の名前を尋ねなかった私を笑ってくれ……」

「……モルク? どうしたんだ。普段から君は割と変だが、今日の君はいつにも増しておかしいぞ?」


 ダンディな紳士が見せる妙な様子を目の当たりにして。エフレムが理解出来ないといった表情で肩を竦め、両手を上向きに広げてみせた。

 もっとも、この場で最も状況が理解出来ず、混乱しているのはシグレのほうだ。ギルドカードを手にしたまま、ダンディな紳士はどこか力の籠らない笑みを浮かべ気落ちしてみせるのだが……。なぜ自分のカードを見てそういう反応が返されるのか、当事者であるはずのシグレにもまるで判らない。


「済まない。どうやら私は少し混乱しているようだ。エフレム、先に君が彼と話をしていてくれ……」

「いや、もともと順番を譲られているわけだし、そりゃそうするけれど……」


 なぜ男三人で顔を突き合わせていて、全員が全員『混乱』の状態異常(バッドステータス)みたいなものに掛かっているのだろうか。


「えーと……。シグレ君、気を取り直して私と少し話をしましょうか」

「あ、はい。何の話をしましょう……」

「シグレ君のような『天擁(プレイア)』の人は、我々の住む世界―――〈イヴェリナ〉とは全く別の世界から来た稀人(まれびと)だと聞くけれど、これは本当だよね?」

「本当です」


 エフレムの問いに、シグレは迷うこともなく頷く。

 こちらの世界でもうひとつの生活を始めてからの数ヶ月。エミルやカグヤと交わす雑談の中で、それと同様の質問をされた経験がシグレには数度あったからだ。


 プレイヤーとしてこの世界に『参加』しているシグレ達のような『天擁(プレイア)』には、ひとつだけ遵守しなければならない〝秘匿のルール〟が課せられている。

 それは、ゲーム内のことを―――つまり〈イヴェリナ〉でのことを、現実(あちら)の世界では決して語ってはならないというものだ。

 但しこのルールは『逆』の箝口までもを求めるものではない。つまりシグレ達が暮らす『本来』の世界の情報を、〈イヴェリナ(こちらの世界)〉で語る分には構わないのだ。


「シグレ君も知っての通り、この『アルファ商会』は幾つかの都市や村落で『本』を取り扱っている商会なわけだけれど。シグレ君が元居た世界でも『本』は流通しているのかな?」

「しています。入手性も高いですし、安価で手に入りますね」

「ふむふむ、幾らぐらいで買えるのかな?」

「通貨が全く違うので一概には言えませんが……。大体『安くてお手軽な昼食』と同じぐらいの金額でしょうか」


 上製本(ハードカバー)や専門書はもっと値段が張るが、文庫本であればファストフードと金額的には大差ないだろう。


「その金額で流通するのは凄い……きっと安価で大量に生産するための仕組みが、上手く機能しているのでしょうね。ぜひ詳しく聞かせて欲しい所だけれど」

「……すみません、僕もあまり詳しくは知らないので」

「そうか……。残念ですが、仕方ありませんね」


 エフレムは少し未練のある表情を見せるが、こればかりはシグレも安易に説明を引き受けるわけにはいかなかった。

 簡単になら印刷の仕組みも知っているが、けれど説明できるほど詳しいわけではないのだ。まして活版印刷も普及していないような世界の人が理解出来るように、噛み砕いて説明できるかと言えば、答えは間違いなく(ノー)だ。


「では次に、別のことも訊こう。シグレ君には何か『好きな本』があるかい?」

「もちろんありますが……タイトルを言っても、こちらでは手に入らないかと」

「ははっ、そりゃそうだ。これは私の質問が悪かったかな」


 そう言ってエフレムは自分の頭をポンと叩き、愉快そうに笑ってみせるが。

 シグレはどうにもエフレムの意図が読めなくて、内心では困惑しきりだった。

 雑談ばかりしてしまっているが、何か話があるのではなかったのか。


「では再び質問を変えよう。シグレ君には何か、好きな『格言』はあるかい?」

「格言、ですか」


 こちらの世界でも『格言』のような言葉があるのか、とシグレは少し驚くが。

 考えてみれば『格言』の類は、あちらの世界でも昔から、しかも世界中に存在していたのだから。さして驚くようなことでも無いのかもしれない。


「そうですね……個人的に『速度を上げるばかりが人生ではない』という言葉は、とても気に入っています」

「ほほう。どういう人物の言葉なのかな?」

「政治家です。弁護士と宗教家でもありますが」


 ――― There is more to life than increasing its speed.

 マハトマ・ガンジーの言葉だ。暗殺された78歳までを激動の中で逞しく生きた人物であるだけに、『生き急ぐ必要は無い』と説くその言葉には深く考えさせられる部分が多い。


 現実世界のシグレは―――特に両親が生きていた頃は、自分を縛る『不自由』の多さに辟易することが多かった。

 不自由な生活は焦燥ばかりを募らせる。何かをしなければならないと思うのに、自分に何ができるのか、自分が何をしたいのかも判らなかった日々。

 苦痛を意識するだけの日々の中で、成熟した大人の残した一粒の金言が。自分にとって小さくない救いとなったことを、シグレは今でもはっきりと覚えている。


 思えば、自分より多くの時間を生きている『大人』に対して、明確に敬意を抱くようになったのもあの頃からだったように思う。


(とはいえ、最後まで実の両親だけは尊敬できなかったけれど……)


 シグレの両親は他者を苦しめ、陥れることで金を荒稼ぎする『悪人』の見本のような人物だった。同じ『悪人』や暴力を生業とする人達と手を組み、容易く相手の生活を破壊し、不幸の渦中に叩き落とすことを得意としていた。

 金稼ぎの才能だけはあったのだろうが、微塵も尊敬できる部分の無い親だった。

 しかも、自分が他人の尊厳をどのように踏みにじったかを、自分のせいで他人がどのように無様な姿を晒したかを。実子である自分や妹に愉快そうに、そして誇らしげに話すというのだから、その性根は歪み腐っていたと言っていい。


 自分の中に―――あの両親と同じ血が流れていることに、ぞっとする。

 ああはなるまい、とシグレは幾重にも自分の心を戒めながら生きてきた。尊敬できる部分は全くなくとも、反面教師という意味では学ぶべき所の多い両親だったのかもしれない。


「シグレ君。大丈夫かい?」

「―――わあっ!?」


 自分のすぐ目の前、至近距離の所に覗き込むような格好のエフレムの顔があり、思わずシグレは驚かされてしまう。


「あっ……。す、すみません、お話中に」

「そんなことは全く構わないけれどね。ふむ……何か良くないことでも思いだしていたのかな? だいぶ怖い顔をしていた様子だったけれど」

「あ、あはは……」


 簡単に言い当てられてしまい、シグレは苦笑で応じることしかできない。

 幸い、エフレムはそれ以上のことは訊かないでいてくれた。


 紅茶のカップに再び口をつけるだけの、静かな時間が流れる。

 隣に座るモルクという男性と違い、エフレムは良くも悪くも普通の『おじさん』という印象を受ける顔立ちをしているが。しかしその言動には『大人』であることを感じさせる、成熟した心遣いのようなものを感じる。

 中規模とはいえ、商会の主なのだ。お金を稼ぐことにも長けているのだろうけれど、自分の両親とはまるで違うなとも思う。


 寧ろ―――この人が自分の親であったなら、きっと心の底から敬意を抱くことができたのだろうな、と。シグレは密かにそんなことを思ったりもした。


「おっと……済まない。雑談が多くなってしまったけれど、そろそろ本題に入るとしようか。実はシグレ君に、ひとつ渡したいものがあるんだ」

「渡したいもの、ですか……。何でしょう?」

「いつぞや君に助けられたときの報酬を、改めてちゃんと払いたいんだ」


 そう言ってエフレムは〈インベントリ〉から一冊の本を取り出し、テーブルの上に置く。

 微かな魔力が感じられるその本が何かの『魔術書』の原本であることが、すぐにシグレにも理解できた。

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