102. 忙しない魔術師 - 3
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中央都市のひとつである〈王都アーカナム〉には大小様々な建物があるが、その中でも特に『大きい建物』を訊ねられたなら、都市に住む大半の人は『王城』か、もしくは『大聖堂』を挙げるだろう。
都市の中心よりも、少しだけ北西に位置する小高い丘。その上に聳える『王城』と『大聖堂』の二つの建物は、都市内のどこにいてもその威容を目にすることができる程に大きく、立派なものだ。
―――では、その二つを除いた『三番目』に大きな建物はどうか? と訊ねられたなら。多くの住民は迷いながらも、どこかの商会の拠点施設である『商館』を挙げるのではないだろうか。
商館とは各商会の窓口として設けられた建物のことを指すが、この建物は同時にその商会で扱う商品の『集積・保管場所』としての役目を併せ持つ。
〈イヴェリナ〉に於ける最も一般的な運送手段は馬車なので、もちろん商館には荷馬車が運ぶ貨物の積卸し場も備えなければならない。
故に、各商会が設ける『商館』の敷地は一般の商店などに較べると遙かに広く、その建物にも多くの荷を保管できるだけの容積、つまり大きさが求められるのだ。
シグレがいま訪ねている『アルファ商会』の商館もまたその例に漏れず、敷地をぐるっと取り囲む高さ2メートル程の塀の中に、かなり大きな建物が幾つも構えられていた。
主要取扱品目が『書籍』である『アルファ商会』は、〈王都アーカナム〉で活動する商会の中では、さして規模が大きいというわけでも無いらしいが。
それでも、シグレが普段から利用する機会の多い『掃討者ギルド』の建物より、一回りも二回りもその威容は大きい。
「いらっしゃいませ。アルファ商会に何か御用でしょうか?」
魔物素材の売却などに普段から利用する機会の多い『バロック商会』と異なり、『アルファ商会』の敷地入口には数人の警備兵が立っている。
警備兵のひとりにそう訊ねられ、シグレはすぐに頷いて応じた。
「僕はシグレと申します。商会長のエフレムさんに、本日のこの時間に訪ねて欲しいと言われて来たのですが……」
「ああ―――お話は伺っております。大変失礼ながら、一応ギルドカードを検めさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「もちろんです、どうぞ」
〈インベントリ〉から取り出したカードを警備兵の一人に手渡すと、ものの数秒も掛けずに確認を終えて返してくれた。
「主人より聞いていた通りの天恵です。確認が容易で我々としては助かります」
「あはは……」
警備兵が笑顔で零した言葉に、思わずシグレは苦笑する。
ギルドカードの天恵欄。そこには戦闘職と生産職、シグレの持つ合計20種もの天恵名が所狭しと並ぶのだから、これほど一目で判りやすい特徴もないだろう。
「我々は持ち場を離れられませんので、この先は当商会のメイドに先導させます」
「ニシャと申します。ご案内させて頂きます」
いつの間にか警備兵のすぐ後ろに控えていたメイド姿の女性が、一歩前に踏み出してシグレに深々と頭を下げた。
ニシャと名乗ったその女性は、シグレよりも身長が僅かに低く、そして少しだけ年下に見えるあどけなさを残した少女だった。
ホワイトプリムで整えた髪は綺麗な黒色を湛えているが、ニシャという名前から察するに、シグレと同じ日本人―――『天擁』というわけでは無いだろう。
それに、褐色に染まったニシャの肌色は、明らかに日本人のそれではない。
黒と白の対比を示すメイド服の彩りと、ニシャの褐色肌とが妙にマッチしているように思えるのが不思議だった。アルカイックとでも言うべきか、どこか神秘的な魅力さえも感じられる気がする。
「何か……?」
「―――いえ、すみません。よろしくお願いします」
志乃以外では、メイド服を着た女性は初めて見るものだから。ぼんやり見入ってしまったシグレは、慌てて少女にそれを詫びた。
「では、どうぞこちらへ」
ニシャに先導されながら、シグレは『アルファ商会』の敷地へと入る。
敷地内にある建物は、厩舎と馬車の格納庫を除けば全部で三つ。そのうち大きい二つが倉庫で、小さい一つが事務所として利用されている。
既に一度ここに来たことのあるシグレは、そのことを商会長であるエフレム本人から教わって知っていた。
あの時―――エフレムとの面識を得る切っ掛けともなった、雨期が明けて間もない〈アリム森林地帯〉での一件のあと。〈ストレージ〉内へ預かった壊れた馬車に積まれていた荷を返却する際に、シグレは二つの倉庫の両方に入る機会があった。
荷を返し終わった後には報酬の話などをする為に事務所の建物にも入ったことがあるので、シグレはこの『アルファ商会』にある建物ならば、既にある程度は把握していると言ってもいい。
正直、別に案内役など必要では無いのだが。
―――とはいえ、そんな詮無いことを口にしたところで、案内役を引き受けてくれたニシャを困らせる結果にしかならないことは判りきっている。
ニシャに先導されながら事務所の建物へ入り、応接室の前で二人立ち止まる。
コンコン、とニシャが二度静かにドアを叩くと。部屋の中から「どうぞ」という声がすぐに返された。
「失礼致します。旦那様、お客様がお見えになりました」
ニシャは部屋の中に向けてそう告げたあと、扉を開いてから「お入り下さい」とシグレに端的に告げる。
促されるまま、一度来たことのある応接室の中へ入ると。そこには対面に設置された二つのソファーに腰掛ける、二人の男性の姿があった。
ひとりはもちろん、商会の長であるエフレムだ。
老成を感じさせる白髪をしているのに、ソファーに腰掛けていてもピンと背筋が伸びているその姿からは、相変わらず老いのようなものが全く感じられない。
一体お幾つなのだろう……と、会う度に少なからず年齢を訝しくも思うのだが、不躾に歳を問うのはさすがに失礼な気がして、まだエフレムにそれを訊ねたことは無かった。
エフレムの対面に座る、もうひとりの男性は―――エフレムに負けないぐらいに立派な髭を蓄えているものの、こちらは随分と若々しい男性だった。
若々しいとは言っても、シグレに較べれば一回り以上は年上だろう。ぱっと見た感じでは30後半ぐらいの印象を受けるが、生憎と〈イヴェリナ〉ではシグレの推測など全くアテにはならない。
彫りの深い顔に、鋭い目つき。一見しただけでも判るほどに高級感のある衣服を纏っているが、しかしコーディネイト全体の統一感からは、どこか慎まれた印象を抱くのだから不思議だった。
ふと、シグレの脳内に『ダンディ』という単語が浮かぶ。
統一感のある『衣装』と落ち着いた『雰囲気』、そして身に纏う『威厳』。
それら全ての要素から紳士然とした印象を受ける、この男性の魅力を言い表す場合にこそ、最も相応しい単語であるように思えた。
「僕は時間に余裕がありますので、よろしければ外で待たせて頂きますが」
おそらくこの男性は『貴族』か何かに相当する、高い家柄の人に違いない。
そうした相手とエフレムとの歓談、あるいは商談を邪魔してしまったような気がして、シグレは咄嗟にそう提案したのだが。
「いやいやいや、私もエフレムと共に君を待っていたのだよ」
ダンディな男性が慌てて席を立ち、両手を振ることでシグレの誤解を否定する。
立ち上がったことで始めて判ったが、男性は身長もかなり高いらしい。ユウジが身長180cm丁度だと言っていたが、この男性もそれと同じぐらいはありそうだ。
「……失礼ながら、どこかでお会いしたことが?」
「いや、今のところ面識は無いな。無いからこそ、今回エフレムが引き合わせる場を設けてくれたとも言えるが」
「ああ、なるほど……」
そういうことならば、見知らぬ男性に待たれるのも納得のいく話だ。
エフレムも頷くことで、男性の言葉を肯定してみせる。
「立ち上がったのなら丁度良い。モルクは私の隣に座るといい」
「む……そうだな。こちらの席は君に譲ろう」
エフレムが横にずれて、ソファーの半分を『モルク』と呼んでいた男性に譲る。
片方のソファーを空けられては、固辞するのも却って失礼だろう。軽く一礼だけしてから、シグレも男性が譲ってくれたソファーに腰掛けた。
予想はしていたが、譲られた席はやっぱり少し生温かった。