100. 忙しない魔術師 - 1
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掃討者ギルドの二階にある飲食店『バンガード』。
この店では常設のメニューに加えて、その日ごとに入荷された食材で提供される日替わりの『定食』が幾つかあるが、その中で最も人気があるのは、何と言っても肉料理がメインの『肉定食』だ。
掃討者は身体が資本の生業であるため、とにかく健啖家が多い。
とりわけ夏場の今頃などは、生半可なスタミナでは暑さの中で魔物と戦えない。多くの掃討者がガッツリと食べられる『肉』を昼食に求めるのは、自然な欲求とも言えるだろう。
一方、シグレが今日の昼食として注文したのは『野菜定食』のほうだった。
前衛職ほど激しい運動はしないにしても、術師職だって暑さの中にいれば相応に体力を消耗する。だから手軽にスタミナを取ることができる肉料理を選ぶほうが、本当は適切なのかもしれないが。
(夏野菜って、美味しいんだよなあ)
トマトや胡瓜、南瓜といった夏野菜が、単純にシグレは好きなのだ。
こちらの世界―――〈イヴェリナ〉でもうひとつの生活を送るようになってからというもの、シグレも随分と肉料理が好きにはなっているのだが。それでも、肉か野菜かが選べるならば、大抵は後者のほうを選んでしまう。
こちらの世界の肉は現実世界に較べれば腐るのが遅い。何しろ品質値が『0』にさえなっていなければ問題無く食べることができ、常温保存だというのに4~5日程度であればゆうに日持ちする。
そして掃討者であるシグレは、魔物の肉を得る機会に事欠かない。ちょっと街を出てバルクァードなりウリッゴなりを狩れば、新鮮な肉は簡単に手に入る。
〈調理師〉の天恵を自前で持っていることもあり、シグレにとっての『肉料理』とは『いつでも手軽に食べられるもの』という認識にさえなってしまっている。
なので折角の外食の機会には、どちらかといえば野菜ものを選んでしまうのだ。
(魚料理があるなら、そっちが食べたいのだけれど……)
生憎とここ〈王都アーカナム〉の市場では、魚はおろか、海産物自体が扱われているのを見たことが無い。
どうも都市から見て南部側の、さほど離れていない場所に海自体はあるらしいのだが……。なぜ流通が無いのか、具体的な事情については何も知らなかった。
皆で揃って同じテーブルに腰を下ろし、待つこと十数分。やがて届けられた本日の『野菜定食』は、「ピーマンと茄子の煮浸し」を中心に据えた、和食の膳物だった。
随分と定食にするには渋いチョイスの料理だなあ、とは思いつつも。ピーマンも茄子も夏野菜のひとつであり、シグレの好物には違いない。
食が減退しがちな夏場であっても、胡麻油独特の焙煎された香気は食欲を誘う。
出汁の味わいが染みこんだ煮浸しはさっぱりと美味しく、午後もまた活動するための英気が養われるような気がした。
「―――あ、そうだシグレさん。これ、昨日ギルドに寄って購入しておきました」
対面の席に座り、シグレと同じメニューを注文して舌鼓を打っていたエミルが、不意に思い出したように〈インベントリ〉からひとつの箱を取り出し、テーブルの上に置く。
それは木製の箱だった。やや横に平べったい形をした木箱は幅が30cm程度あり、上部の蓋がスライドして開けられる仕組みになっているようだ。
特に装飾らしい装飾もない無地の木箱を見ただけでは中身が想像できず、シグレは暫しの間、これが何なのか首を傾げてしまうが。ここ最近エミルにした頼み事がひとつしか無いことに気付き、ようやく何であるのか理解した。
「ありがとうございます。今のうちに備えておきたかったので、助かります」
「……それは、何?」
代わりに、シグレの隣にいたユーリがそう問いかける。
ユーリだけではなく、同じテーブルを囲むキッカとカグヤも、そしてライブラもまた同様に訝しげな表情で木箱を見つめていた。
「これは『盗賊道具』です。盗賊ギルド製の物が欲しかったので、エミルに購入をお願いしていたもので」
以前にユウジから、『盗賊道具』を買うのであれば『斥候ギルド』で販売されている品よりも『盗賊ギルド』の品のほうが作業道具として優れている、という話を聞かされたことがある。
〈斥候〉の天恵を有するシグレは、本来であれば『斥候ギルド』で購入するのが筋なのだろうが……。ユウジはその話を、以前パーティを組んでいた〈斥候〉から聞かされた話だと語っていた。
ならば同じ〈斥候〉であるシグレとしては、先達の情報を大いに参考にすべきだろう。そう思い、〈盗賊〉であるエミルに購入を頼んでいたのだ。
「これがそうなんだ……。シグレはこういう道具を使うスキルも持ってるの?」
「いえ、今はまだ《罠探査》のスキルだけしか修得していませんので、道具を扱うスキルは持っていませんね」
キッカの問いに、シグレは頭を振りながら答える。
「ただ、次にレベルが上がったら《罠解除》のスキルは覚えようと思っています。なので道具だけは今のうちに確保しておこうかと」
「なるほどねえ。スキルはレベルが上がったらその場ですぐに覚えられるけれど、道具はそうはいかないもんね」
シグレの戦闘職のレベルは、依然として『2』から成長していない。
というのも、シグレは以前に一度『死』を経験したことにより、全ての経験値を失ってしまっているからだ。
シグレのような『天擁』は、この世界で『死亡』したとしても確実に生き返ることができる。
けれど、死亡に伴うリスクが全く無いわけではない。『天擁』は復活する際に、次のレベルへ成長するために蓄積していた経験値の全てを喪失してしまうのだ。
多すぎる天恵を持つシグレは、レベルを成長させるために他人の100倍もの経験値を必要とする。
故にそれだけ『デスペナルティ』が重く圧し掛かるのも事実ではあった。
とはいえ別に、シグレは経験値の喪失など気にしてはいなかった。
そもそもシグレは、自身のレベルアップにさほど意欲的でもないのだ。こちらの世界での暮らしを楽しみながら、その傍らでほどほどにレベルも上がってくれればそれで構わないとさえ思っていた。
―――そう、思っていたのだが。
最近は少し事情が変わり、早急に幾つかレベルを上げたいと。そうシグレは思うようにもなっていた。
森の集落から〈王都アーカナム〉へと居を移した、純血森林種のユーリ。
その彼女が「掃討者になってみたい」と言ってきたのは、シグレと同じ宿に部屋を取った当日のことだった。
もちろん掃討者として既に活動しているシグレ達からすれば、それは歓迎すべきことだ。早速翌朝にはユーリを連れて掃討者ギルドまで案内し、登録を済ませたばかりの彼女と共に、ここ一週間近くは毎日のように狩りをしていた。
都市外の集落に暮らすユーリは、既に幾度となく魔物との戦いを経験しており、ギルドに登録した時点で彼女の戦闘職レベルは『4』もある。しかもユーリは非常に高い生産職のレベルも有しており、高い能力値を持つ彼女は即戦力だった。
その上、ユーリの戦闘職である〈操具士〉という天恵は、シグレ達のパーティと極めて親和性が高いスキルを有している。
そのお陰で狩りの効率は一段と高まり、この一週間ではドロップアイテムと共に大量の経験値を得ることができた。
さすがにシグレ自身のレベルは上がらなかったが―――仲間のレベルが成長する機会は多く、その度にシグレも喜びを分かち合うことができた。
けれども、ひとりだけ。レベルが上がっても喜ばない仲間がいた。
―――カグヤだ。
彼女はここ一週間でレベルを三つも伸ばし、現在レベル『10』へ達している。
レベルアップの機会が三度もあったわけだが―――いずれの時にも彼女は自身のレベルが成長したことに対して、僅かにさえそれを喜ぶ姿を見せなかった。
それどころか、カグヤはシグレに対し、心底申し訳なさそうな表情さえ見せる。
生憎とその理由が判らないほど、シグレは人の心の機微に鈍感ではなかった。
以前『ゴブリンの巣』でシグレが死んだことを、カグヤは自分のせいだと思っているのだ。
……もちろん、それは真実ではない。カグヤを逃がすことを『選択』したのも、自分ひとりで魔物に立ち向かうことを『選択』したのも、全てはシグレ自身の意志で決めたことだ。
もし非があるとするならば、それはシグレ自身に他ならない。
少なくとも―――絶対にカグヤの責任によるものでは無いのだが。
けれど、シグレがそれを告げたところで、カグヤが感じている負い目を払拭することはできないだろう。
―――だから、レベルを上げるしかない。
結局、カグヤがいつまでもシグレの『死』に責任を感じるのは、経験値を失ったことによりレベルが『2』から成長できないでいるせいだと思うのだ。
シグレが自身のレベルを『3』に、あるいは『4』や『5』にまで成長させれば、たった一度の経験値喪失など些細なことだったのだと、カグヤも正しく理解してくれることだろう。
そうした考えに至ったことで、シグレは現在、未だ嘗てないほどにレベルアップに対する意欲が高められた状態にあった。
どうせレベルを上げるなら、それに伴う成長も楽しみたい。
視界にスキルツリーを表示させながら、スキルポイントを獲得した後の使い途について思案する機会も自然と増える。
差し当たり〈斥候〉では《罠解除》と《解錠》のスキルを優先して修得したい。
思い返せば……以前にユウジやライブラと『ゴブリンの巣』を探索した際には、発見した宝箱に対して何もできず、結局ユウジに力業で開けて貰う―――という、〈斥候〉として随分と情けない姿を見せてしまった。
あの無様な振る舞いを繰り返してはならない。
レベルを上げて二つのスキルを修得すれば、エミルに購入して貰った道具を利用してシグレが対処することも可能になるだろう。