グラタンと絆創膏
「もしもし?」
「あ、おつかれさま。もう家に帰ってる?」
「うん、帰ってるよ」
「今から行くから台所貸して」
目玉焼きすら満足に作れない柿崎りさは、突然そんなことを言い出した。
家主の鶴見ちえは驚いた。というのも、りさは平日も休日も関係なくちえの家によく遊びに来るのだが、料理を手伝ったことは一度もなかったからだ。
りさはそのことを不満に思ったことはないが、それにしてもちえの口からそんな台詞が出てくるなんて夢にも思っていなかったので、少々面をくらった。
数分後、ちえの家のチャイムが鳴る。
スーパーの買い物袋を両手にぶら下げて、りさはやってきた。
「珍しいこともあるのね」
「雨は降ってないから、それほどじゃない?」
「でも、さっきニュースで超大型台風が発生したって言ってたわよ」
「えう! 雨どころの騒ぎじゃないじゃん」
「まぁ……嘘だけどね」
嘘だと告げられたりさは、ほっと肩を撫で下ろした。その姿を見て、相変わらず単純ねぇ……とちえは思った。
「何か手伝うことある?」
「今日はあたし一人で作るから、ちえはテレビでも見ててよ」
ちえはせっかくなのでりさの言葉に甘えることにした。ソファに座りテレビを眺める。ゴールデンタイムだというのに、知らない番組しかやっていない。ずいぶん長い間、テレビすらゆっくり見ていなかったことに気づいた。そしてこうして誰かに手料理をふるまってもらうことも久しぶりだった。
台所の方から、ぎこちない包丁の音が鳴る。
ちえは心配になって、ちらりとりさに目を向ける。
今まで目玉焼きすら満足に作れなかったりさが、野菜の皮むきを出来るようになっていた。そのことにちえは驚いた。
台所で開かれている料理本とにらめっこをして、必死に闘っているりさの姿を見て、今回はなにも言わないことを決めた。
そして二時間ほど経過した。
「おまたせー! できたよ! 冷めないうちに食べて」
両手にミトンをはめて、満面の笑みと共にりさが運んできたのはグラタンだった。
「……もしかして、私がグラタン好きだから、作ってくれたの?」
「えっ、いや、まぁうん。そうだよ。なんか最近ちえ疲れてるみたいだったからさ。好きなもの食べたら元気出るかなーって」
りさは頬をかきながら、恥ずかしそうにそう言った。頬をかいた指には絆創膏が貼られていた。それも一つどころではない。よく見ると、りさの手は絆創膏だらけになっていた。
「じゃあ、いただきます」
「はいどうぞ、召し上がれ」
グラタンは火傷しそうなほど熱かった。でも食べると、じんわりと体が温かくなる。まるで、りさの優しさが心に入ってくるみたいだった。
ちえはそんな優しさで胸がいっぱいになった。
「うーん、マカロニ多いし、ソースは少ないね。やっぱりちえが作ったほうが美味しいね」
りさは笑いながらそう言った。
「そんなことないわよ。私はこっちのグラタンのほうが好き」
「あはは、こういうのってなんか照れるね。今度作り方教えてよ」
「……うん、一緒に作りましょう」
気がつくとりさが見つめている。
「元気出た?」
「うん、でたよ。いつもありがとう」
「ううん、こちらこそ、いつもありがとうだよ。あたしもちえのご飯を食べるたびに同じ気持ちになってるからさ」
屈託のない笑顔に、一瞬胸が揺れる。しかし、そんなことは表情に出さない。
出せばきっとりさは私をいじるし、何より私たちはお互いの気持ちをちゃんと知っている。
「……あ、そうそう。量が分からなくてさぁ。あとグラタン10人分くらいあるから全部食べてね」
「……!?」
驚きの顔は隠しきれず、表に出してしまった。
結局りさは、そんなちえをいじるのだった。




