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日陰に咲くひまわり  作者: ぎんはなあんず
彼女の影と、最初の違和感
9/13

8

 俺達は来た道を戻っていた。電車を駅の目の前で逃した俺は三十分弱程暇ができてしまったからだ。「どうせ暇なら歩こうよ」と彼女が俺に提案したのだが、俺はこれ以上無駄に体力を消耗したくないと思ったので、駅に留まる意を空きベンチに座る事で示したのだが、聞き分けの悪い幼児のようにいつまでも駄々をこねながら俺の手を引くので、意地の張り合いに負けた俺は仕方なく重い腰をベンチから浮かせた。

 駅へ向かっている時に立ち寄った自販機に再度立ち寄り、俺はまた缶コーヒーを購入した。彼女は何も購入しなかった。


「まさかねー、ほんとに当てるとは思わなかったよ」


 俺はつい数分前、彼女の『影無しの秘密』を知る為、ささやかなゲームに興じ、見事勝利を収めた。

 小さな文字で、しかしはっきりと『体育実技選択科目;卓球』と書かれたB5の白い用紙を思い出す。それは彼女が見せてくれた答案用紙だった。

 こころなしか気分が良くなっている。ちょっとした謎を解いたからだろうか。

 手に持った缶コーヒーのプルタブを押し、開けた穴から一口黒い液体を口に含む。香りと苦味を十分に味わってから、液体を体内へ引き込む。冷たい感触が体中へ響き渡る。

 それを見た彼女は言った。


「ね、陽くん。陽くんってコーヒー好きなんだ?」


 どこかはしゃぐように彼女は言う。何か良い事でもあったのだろうかと思案しながら俺は答えた。


「好きだな。いつも飲んでるよ」


 自分でも抑える事の難しい高揚感からか、俺が素直に答えると、彼女はあからさまに驚いた顔をした。


「......うわぁ、意外。陽くんが普通に質問に答えてくれるなんて」


 俺は態度には表さず、言葉だけで憤りを表現した。


「......喧嘩売ってんのか」


「いやいや違くて! ほんとに意外だと思ったの!」


 焦る彼女は一旦咳払いをして、言った。


「......ほんとに好きなんだねぇ、コーヒー」


 元々彼女と無駄話をしようとは微塵も思っていなかったが、彼女のなぜか嬉しそうな顔を見ているうちに、俺の口は自然と言葉を発していた。


「......そうだな。俺は......」


 俺は、ある人に憧れてコーヒーを飲み始めた。

 その人は女性で、俺よりも年上、丁度父親と同い年で、気が強くて、口が悪くて、煙草は吸うわお酒は飲むわ、俺を見るたび煙草の臭いがこびり付いた手で頭をこねくり回される、そんな人だった。

 幼い頃の俺はその人が毎朝飲んでいた黒くて湯気の立つ液体に興味があった。俺はその人に「一口くれ」と言い、スプーン一杯程飲ませてもらった。ブラックコーヒーなんて未発達の子供の舌に合う飲み物などではない。例外無く俺の口にも合わず、たったスプーン一杯の量を大袈裟に嘔吐えずきながらシンクへ吐き出し、すぐさまうがいをした。その様子を眺めながらその人は終始大笑いをしていたのを覚えている。うがいが終わった俺はその人に頭を煙草の臭いがする手でぐしゃぐしゃとかき混ぜられ、「......このやり・・・・父親・・とやった・・・・かったね・・・・」と言われた。俺は飲めない悔しさからか、強烈な苦味の感覚からか、涙を数滴落とし、その後コーヒーが飲めるようになるまで毎朝毎晩コーヒーに口を付け続けた。初めてブラックコーヒーをマグカップ一杯飲み干せたのは小学五年、十一歳の時だった。


「......俺は?」


 彼女が俺の顔を覗き込んでくる。どうやら考え事をしてしまっていたようだ。一気に現実に引き戻された俺は取り繕うように彼女に言った。


「......いや、やっぱりなんでもない」


「えぇー、言いかけてたのにー?」


 彼女は極めて不満げだったが、言いたくないものは諦めてくれる他無い。


「言いたくないんだ」


 俺が語気を強めてそう彼女に伝えると、「ううん、そっか」と存外早く諦めた。

 その場に微妙な沈黙が下りる。気が付けば先程まで居たあの若いひまわりが咲く住宅地の間の路地にまで戻ってきてしまっていた。


「......ねぇ、陽くん。丁度良いからここで話してあげるよ。私の秘密」


 言う人によっては妖艶で色っぽい台詞に変化するはずだが、こいつが言うとどうも不出来というかいろいろと不合格な感じがする。

 すっかり陽が落ちてしまっていて、この住宅街の路地は影が色濃く落とされている。薄暗く人通りが少ないという点ではここは秘密の会談をするのに丁度良いのかもしれない。

 今日何度目かの強い風が吹き、彼女の長めの黒髪をなびかせた。

 俺は来る彼女の真実を受け止める為の心の余裕を作る。少しばかりの緊張が俺と彼女の間に走った。

 彼女は話し始めた。

 比喩やら例え話が多く、具体的な話があまり無い、下手な作り話のように思えたその『影の無い彼女の意味の無い例え話』を聞かされた俺は、とりあえず分かり辛かった事を伝えようと四十五点と見積もり低めの点数を彼女に言い渡した。すると彼女は「そんなぁ!」と大きな声で大袈裟に嘆き肩を落とすというオーバーリアクションを披露してくれた。






「......とまあ、こんな感じかな?」


 長々と話してくれた彼女だが、いまいち要点が掴み辛かった。恐らく彼女の中でまだ俺に打ち明けたくない事もあるのだろう。そういう思いがこの抽象的な話を作り上げたように感じた。

 とりあえず要点をまとめると、

 彼女の友人が何らかの理由で自殺を願望していた。

 それを知った、もしくは知っていた彼女はその自殺を止めようとした。

 それは成功したかのように思われたが、事故か事件か、代わりに彼女が死んでしまう事となった。

 そしてその後、その友人も居ない、元居た学校も無いこの世界にやってきた。

 とりあえず俺が言える事と言えば、彼女の話を聞いてもさっぱり何も分からない、と言う事だけだった。

 前半は探せばどこにでもありそうな話。後半はどこを探しても見つからなさそうな話。俺はこの不思議で荒唐無稽な話を、水が高い所から低い所へ流れ落ちるという事ぐらい当たり前に理解することができた。「ああ、こういった事も起こるときは起こるんだなあ」みたいな調子で。


「......この影の事がばれたときも思ったんだけど、陽くんあんまり驚かないね?」


 不思議とすんなり理解できた俺を不審に思ったのか彼女がそう聞いてくる。


「ああ、まあな。俺の知らない事なんて世の中に沢山あるからな。......知らないって事を知ってたらそれぐらい理解できる、って習っただろ?」


「あ、それ、誰か言ってたよね。誰だっけ? 確か世界史の授業で......カネゴン?」


 それは怪獣だ。


「......い、いろいろ物申したいがとりあえずカネゴンじゃなくてソクラテスな。お前、理系だからって歴史捨ててんじゃねえよ」


 そもそも理系だから文系科目を捨てるという判断が間違っているが。

 そんな俺の忠告をよそに彼女は小首をかしげながら俺に聞いてきた。


「あれ? なんで陽くんは私が理系だって事知ってるの? 私と仲良い子でもすぐに忘れて「あんた何系だったっけ」って聞いてくるのに」


 まあ、俺も他人が何系をとっているかなんて一々覚えてなど居ない。が、彼女が文系か理系かなんて考えるまでもなくすぐに答えられる。

 うちのクラスの座席は出席番号順だ。出席番号の前半は文系、後半は理系となっている。俺は理系を選択しており、俺の席の後ろ、つまり俺から一つ後の出席番号である彼女が文系であるはずはない。

 彼女へ手短に説明してやる。すると彼女は「へえぇー」と間抜け面を晒しながら感嘆し、またにやにやし始めた。


「......ね、やっぱり陽くん、実は他人に興味あるでしょ?」


 突然何を。

 俺は本当に他人に興味がない。すかした一匹狼を気取っているわけではないのだ。


「いいや、ない。他人の事を頭に入れるぐらいなら英単語の一つでも頭に入れたほうがましだ。そんな下らない事で脳の容量を圧迫したくはないからな」


 しっかり明言したはずなのに、それでも彼女は微笑を止める事は無かった。


「......ふうん、ま、今はそれでもいいや。それでね、陽くん。一旦その話は置いておいて、ちょっと私の話を聞いてよ」


 別にこの話題を続ける気は無かったので、置いておくも何も即廃棄処分だ。無言で肯定を表す。

 彼女はおもむろに話し始めた。


「あのさ、やっぱりひとりで送る青春って、青春って呼べないと思うの」


 いきなり意味が分からないが、指摘するのは最後にしよう。俺は我慢して無言を貫いた。彼女は続ける。


「例えばそこに林檎がありますー、って言っても、それを伝えられる人が周りに誰も居ないと存在しないのも同義だ、って話と一緒でさ。青春も、複数の人数で謳歌しないと、青春って呼べないよね」


「......そこまでこだわる程良いものじゃないと思うが?」


 糠に釘だとは思ったが、それでも俺は言った。青春はそれほど価値のあるものではないと感じているからだ。

 案の定彼女は言った。


「良いとか悪いとかじゃないの。学生時代にちゃんと青春を送れなかった人は、将来ろくな人間にならないんだよ?」


 なんて横暴な理論だ。だがしかし、実際それを送れなかった彼女がこうしてけて・・出ているので、割と当てはまっているのかもしれないと感じた。

 彼女はさらに続ける。


「それでね、陽くんにお願いがあるの」


 妙にかしこまり、緊張した面持ちで語る彼女。それはまるで小さな子供が親に頼み事をする時みたいな甘えた風にも見えた。

 気が付くと陽はかなり傾いている。彼女の影は住宅の影に溶け込んでいて、見えない。茜色の陽光のせいか彼女の肌は明るい肌色をしているように見えた。

 お願いの内容は大体察しが付いていた。この流れでお願いというのなら、一つしかない。

 そう、彼女は、


「......私が送る青春の、お手伝いをして欲しいの」


 と言った。

 そうだろうなと思いながら、やっぱり俺はこう言った。


「断る」






「なぁーんーでぇーよぉー!?」


 半ばヒステリーでも起こしかけているのか、彼女は腕を振り回しながら騒いでいた。実に目障りである。


「普通さ、今後の事に期待しながら恥ずかしげに了承する場面でしょう!?」


 何に影響されたのか、またお花畑な脳内をひけらかしてくる。どうして俺が了承すると思ったんだ、こいつは。


「じゃあ何か、さっきのは告白か何かだったのか?」


 俺は冗談めかしてそう言った。しかし彼女は極めて真面目な雰囲気で言った。


「そう、告白。私、陽くんの事、好きだよ」


 風が、猛烈に強い風が、正面からぶわっと襲い掛かってきた。どこかにある大きな木が激しく揺れる音がする。

 一瞬の沈黙。

 俺は徹底的に無感情に言い放つ。


「俺はお前の事が嫌いだ」


 理由は簡単、やかましいからだ。

 俺の拒絶の台詞が聞こえたはずの彼女は、しかし愉快そうにはにかみながら、小さな声で「振られちゃったー......」と呟いた。


「はあ、こんなにかわいいクラスの人気者が意を決して告白してるのに、ノータイムで拒否するなんて、陽くんって贅沢ー」


 その一言で、さっきの告白が冗談だった事が分かった。


「自分で言うのか、それ」


 彼女は確かに顔立ちは整っている方だろう。伸ばしているのであろう長い黒髪はきっと丁寧に手入れをしているのだろうし、スタイルも太り過ぎず痩せ過ぎていない、バランスの取れている体型だ。身長もさほど低くない。歌舞伎役者みたいにけばけばしいメイクをしているわけでもなければ、しみとかくすみとかにきびが目立つ肌をしているわけでもない。

 クラスの人気者、というのも嘘ではないだろう。傍から見ても友人の中心となって雑談をしているのは嫌でも視界に入るので知っていた。一人だけ自分の席に座って皆と話しているからだ。さしずめ自分が動かなくても他人が寄ってくる、という事だろう。真後ろの席に四人も五人もたむろされると、休み時間まで勉強に費やしたい俺にとってははた迷惑な話である。


「大体、どうして俺なんだよ。もっと仲良い奴居るだろ?」


 俺は面倒くさいんだよ、という思いを包み隠さず顔に表しながら言う。すると彼女は困ったような表情をしながら言った。


「仲良い子、ね......。クラスには居ないと思うな、そんな人」


 なぜ? そう聞こうとしたが、彼女があまりにも寂しそうな声で言うので俺は聞けなかった。

 彼女は言っていた。「私の影に気付いたのは、陽くんが初めて」と。彼女が言う『友達』はかなり注意力が散漫な人物たちなのだろうか。もしくは何も考えずに脊髄反射だけで生きているのだろうか。

 いや、違うだろう。やはり『友達』なんてものは表面上の付き合いなのであって、その人の事を深く考えようとなんてしない、浅い関係性を持つ人間の事らしい。しかしなぜ、それが分かっている彼女は友達を作るのか。謎が多い奴だ。

 なんだか微妙な空気になってしまった。俺は少しぶっきらぼうな言い方で話題を逸らそうとする。


「......大体、人に物を頼むときは自分の願いを押し付けるんじゃなくて、相手をその気にさせる事が重要なんだよ」


「......その気にさせる?」


 何気ない一言のつもりで言ったのだが、彼女は真剣に悩み始めてしまった。

 なぜそこまで俺にこだわるのだろうか。いつまでもそこが分からなかった。何を言われても断るつもりなのは変わりない。

 数秒考えた彼女は、「ふーん、なるほど」と小さく呟いて顔を上げた。目を大きく見開いて、どこかしたり顔で彼女は言った。


「わかったよ、陽くん。正攻法はもうおしまい。本当は最初から、陽くんはもう、私から逃げられないの」


 何を言い出すかと思えば、演劇の練習でもしているのだろうか。彼女の言葉の真意が分からない。


「......意味が分からない。どうして逃げられない? 俺は最初から断るつもりで......」


 そこまで言って、自分の過ちに気付いた。しかし、もう遅い。

 彼女は決定的な一言を言った。


? だって・・・くん・・こんなイレギュラーな・・・・・・・・・・今後・・どうするか・・・・・にならないの・・・・・・?」


 ......ああ、しまった。

 それは俺に対してもっとも有効とされる挑発・・だった。

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