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さて、まずはルールを確認しよう。
ルールその一、選択科目『バレー』『卓球』『砲丸投げ』の中から一つ選んで答える。解答権は一回だけ。
ルールその二、彼女への質問は五回まで。
「あ、質問って言っても、私が答えたくない質問は答えないからね! スリーサイズとか、好きな人とか嫌いな人とか! ......まあ、そんなこと聞いてくる人じゃないと思うけど、一応ね」
当たり前だ。彼女の人間関係はもちろん、スリーサイズだとか誕生日だとか身長体重だとかには全く興味が無い。興味があるのは彼女という『存在』そのものだ。
ルールその三、彼女が答えたくない質問は答えてくれない。
「......はあ、さて......どうするか......」
どうするか、と言っても、俺は彼女の事を何一つ知らない。これでは推理どころか想像すらできない。もう既に詰みなのでは。
ゲーム開始早々万事休している俺は、とにかく彼女が答えてくれる範囲内で、かつ何か問題のヒントが出るような質問をしなくてはならない。何せ質問権は五回。彼女の事を何も知らないと言っても過言ではない俺にとってはあまりにも少ない。大事に使わなくては。
少し遠くで電車が線路の上を走る小気味いい音が聞こえた。俺はスマートフォンを制服のポケットから出して、時間を確認する。午後四時三十九分。帰りの電車まで後二十三分だ。ど田舎と言うと言い過ぎだが都会だとは決して言えないこの町に走る私鉄は、大体三十分おきに電車が来る。なんとも不便なものだ。車両数も都会の鉄道と比べてかなり少ない。その影響か毎日、朝だけは都市部へ向かう列車の中がかなり混雑する。今朝の『女子高生痴漢事件』が起きた電車の車内が良い例だ。しかし午後になると朝の通勤ラッシュとは無縁のがらんどうな車内に成り果てる。朝はついついその乗客数の多さから電車に乗るのが億劫になるが、空いているのならば逆に三十分という長い間隔で来る列車を絶対に逃したくはない。
「......なあ、お前は電車で学校来てるのか」
彼女は首を横に振った。
「ううん、徒歩だよ。それがどうかした?」
「いや、電車なら歩きながら話せるかと思って」
できればこの不毛なゲームをなるだけ効率よく行おうとしたが、それも叶わないようだ。
「あー、なるほど......あ、でも私、駅の方向いて帰るから一緒だよ? 電車の時間、大丈夫?」
自分から俺の足を止めるようなゲームを持ちかけておいて俺の電車の時間を心配するとは、なんたるちぐはぐ具合。声に出しては言わないが。
「......まだ大丈夫だ。歩きながら話すぞ」
「うん、わかったー」
とにかく定刻には帰れそうだな、と思いつつ俺は駅までの道を歩き始めた。彼女はなぜか少し立ち止まって、朝のようにあの日陰のひまわりを意味ありげに少し見つめた後、小走りで駆け寄り、俺と並んだ。
「......これってもしかして、制服デート?」
うひひっ、と彼女がこちらを見てにやっとする。俺はその様子を目の端で一瞥してから、
「......下らねえ事言ってんじゃねえよ妖怪脳内お花畑」
「ひっどくないそれ!?」
言いながら俺と妖怪は駅への道を遅めのペースで歩き始めた。
「あ、そういえば、質問権一つ消費ね」
彼女は先程の反撃とばかりに、突拍子も無くそんな事を言い出した。
「は? なんでだよ。いつ俺が質問した?」
間髪をいれず俺は反論した。
「お前は電車で学校来てるのかー、って言ったじゃん?」
にや、とまた彼女が笑った。それも質問のうちに入るのかよ。
「......卑怯だろ、それ」
「巧妙、って言ってよね」
はあ、と心の中で溜め息をつく。どこまでも気随気儘な奴だ。不本意ながら少しスイッチが入ってきた。少し本気で考えてみよう。
『バレー』、『卓球』、『砲丸投げ』。まずは科目の詳細やら相違点やらを思い出して整理してみよう。
「さて......」
まず大前提として、三競技とも球技である。まず間違いない事実だが......『砲丸投げ』だけ異質だな。普通球技で統一するならバスケだったりサッカーだったりしてもいいはずだ。この辺りの違和感が気になるが、それはまあ今は関係ないだろう。大体、女子は砲丸投げを進んで選択するだろうか。男子の中でも不人気そうなこの種目、他の二つの定員からあぶれた生徒がしぶしぶ選択していそうだ。
異なる点として、バレーと卓球は体育館内、砲丸投げは屋外の運動場で実施されることが挙げられるだろう。夏めく活発な太陽光線を背や頭に浴びながら超重量の鉄の塊を投げさせられるなんて、生き地獄でなければ強制労働か何かか。運動が得意でもそうでなくてもやりたくない選択科目のはずだ。そういった意味では三択の中から除外できそうなこの『砲丸投げ』だが、まだ確定した事実が足りないような気がする。一旦保留だ。
用具の準備という観点から見るとどうか。
バレーは体育館内にある用具室からネットや支柱、ボールを出し、準備する。
卓球は確か......同じ用具室からラケットとピン球が一緒に入ったカゴを、体育館二階の卓球用の広い一室へ持っていく。一年生の体育の選択科目で選んだからよく覚えている。クラスに男女一名ずつ居る体育委員が取りに行かされるのだ。体育委員両名が卓球を選択していない場合、授業前に教師が運んでくる。卓球用の一室には常にネットが張られた卓球台が広げられており、一から準備をする必要がない楽な科目だ。俺はこれを選択しようと思っている。恐らく、言えば南雲も同じ競技にしてくれるだろう。
砲丸投げは一年生の頃は実施された覚えがないので詳細は不明だが、恐らく重い鉄球が何個も入った入れ物と、距離を測るメジャーやらライン引きやらを取りに行かされる羽目になるはずだ。とても体育委員二人だけで出来る仕事とは思えない。恐らく体育委員以外でも何人か雑用を命じられるだろう。考えただけで疲れてくる。
......そうか、ここまで考えて分かったが、バレーと砲丸投げは多人数で準備を行い、卓球は一人で準備が行える。そして......。
はあ、と息を吐く。
「......さっぱり分からん。解決の糸口さえ見えん」
気付けば影が多く伸びていた住宅地を抜けており、日の当たる場所の多い国道沿いの道まで来ていた。
彼女を見ると俺から少し離れた位置でふらふらと不規則な動きで歩いている。俺がその様子を訝しがるように見ていると、それに気付いた彼女が言った。
「いやね、できるだけ影があるとこ選んで通ってただけだよ。そんな変な目で見ないでってば」
「逆に怪しいぞそれ」
「普段はもっと影の多い細道通って帰ってるの! 今日は特別ー」
なるほど、俺が思っていた以上に彼女は考えて行動しているようだ。何事も思考停止してはならない。素直に彼女の行動に感動してしまう自分が居た。
なかなか趣のあるシックな喫茶店の影に入った彼女がふと足を止め、言った。
「どう? 考えまとまった?」
「......まだ考えてる途中だよ。もう少し待て」
「んふふ、わかったー」
なぜか嬉しそうに影を踏みしめる彼女にまた少し『違和感』を覚えたが、先に三択の答えを出してしまおう。その後聞けばいい。何せ今問うと質問権を消費してしまう扱いになってしまう。残り四回の質問権、大切に使わねば。
俺はもう一度思考の渦へ深く入り込もうとしたが、それを何かが邪魔をした。
「......何だ......?」
彼女には届かないぐらいの声量で呟く。
いつものように日常の『違和感』を無意識に発見した時とは別の、意識の引っかかり。まるで頭が勝手に何かを閃こうとしているかのような思考の昂ぶり。これは一体何だ。
ふと、喫茶店の影から出た彼女の影が一瞬、俺の目に映る。相変わらず頭と手が無い不自然な影の形。すぐに次の建物の影に入ってしまった。
「......そうか、影......」
影。彼女が常に気にしているであろう、自分の影。この暑い気温の中、更衣期間も訪れたというのに体育では長袖長ズボンの体操服を着てまで隠し、制服であるカッターシャツも半袖の物を着ず、靴下もハイソックス。それほどの徹底ぶり。彼女はそこまで気にしているのだ。ならば。
「......なあ、考えをまとめたいから、少し話を聞いてくれ」
影の中を進む彼女がこちらを見る。その目は好奇の光に溢れているように見えた。
「おぉ? 何か分かった? いいよいいよ! 話してみて」
俺は軽く唇を舐める。久しぶりに同い年の人間と長く話をしていると思うと、少し緊張のようなものをしている自分が居るように感じた。
「ああ......まず初めに、バレーと卓球は屋内競技、砲丸投げは屋外競技だ。そこをまず押えておく」
彼女は黙って俺の話を聞いている。なんというか、こういう時は人の邪魔をしない奴なんだな、と思った。なんやかんやと横槍を入れられると思っていたが拍子抜けした。
構わず俺は続ける。
「今日の体育、お前はこの暑い中更衣期間も来ているというのに一人だけ長袖長ズボンのままだった。それはなぜか。単に寒がりだ、というわけではないだろう。つまり......」
彼女が俺の言葉を継いだ。
「......そ、この影を隠すためだよ。服の影は映るからね。......なんだ、結構他人見てるんだね」
「いいや、今日のお前との出来事が衝撃的過ぎてつい目が行ってしまってただけだ。普段なら一切見ない」
「そんなばっさりぃ~」
彼女はわざとらしく肩を落とすふりを大げさに演じ、すぐに「続けてどうぞ?」と言った。
「......影を見られたくない奴が自ら進んで屋外競技、つまり『砲丸投げ』を選択するとは思えない。よって『砲丸投げ』は除外される。......二択だ。バレーか、卓球の」
彼女は俺を興味深そうに眺め、言った。目は先程から変わらずきらきらと輝いているように見えた。
「......ふうん、なるほどね。やっぱりこういうの得意なんだ、陽くん」
得意というか、こんな推理めいた事、今日初めてやった。俺は得意なのか、こういう事が。
半ば自分でも驚きながら、俺は言った。
「まあ、頭を使うのは割と好きな方だな。......でだ。二つ目の質問。お前は過去に部活動をやったことがあるか? あるなら競技を教えてくれ」
授業の体育というのは、どこでもそうだろうが部活でやっている奴らが活躍するのがお決まりのパターンだ。そして大体、入っている、もしくは入っていた部活動と同じ競技を選択しがちであると言える。彼女が過去に何か部活をしていれば、そしてそれが『バレー』か『卓球』であれば、それを知ることが今回の選択科目を知る事になるのではないかと考えたのだ。
彼女はすぐに答えた。
「うん? 部活はやってたよ。もうやめちゃったけどー......ってあー!」
彼女は突然大声を出して質問の答えを打ち切った。......まさか、気付いたか?
彼女は慌てて言った。
「危ない危ない! 危うく言いそうになっちゃった! 陽くん、さりげなく良い質問してくるね! そんなこと答えちゃったら答え言ってるようなもんじゃん! 油断してたよ、危なーい......」
彼女はふぅー、と息を吐く。思ったより頭の回転が速い奴だ。いや、単なる気付き、ひらめきか? なんにせよ惜しい。もう少しで答えが引っ張り出せそうだったのだが。
ルールその三、彼女が答えたくない質問は答えてくれない。
これを忘れてはならない。
まあ当然、答えをほいほいと言ってくれるとは限らないか。しかし今の言い方でも十分ヒントだ。過去に何か体育系部活動をやっていた事は分かったし、それが今回の選択科目と強く結びついていることも知ることができた。
さて、質問権は後三回。『バレー』か『卓球』かを決定付ける何かを彼女から吐かせる事ができるような質問をしたい所だが......。
気付けばもうそろそろ駅が見え始めるところまで歩いて来ていた。時間を確認する。四時四十九分。電車の時間まで残り十三分だ。別に駅までがタイムリミットというルールは無かったはずだが、それでも期限がじりじりと近づいてきているような気がして、だんだんと俺は焦り始めてしまう。またひとつ、強い風が通る。
「......なあ、ちょっとそこの自販機、寄らないか」
俺はせめてもの時間稼ぎとして寄り道を提案した。寄り道と言ってもたかが数分程度だが。
彼女は快諾し、ポケットから正方形の二つ折りの白い財布を取り出した。
「いいよ、行こっか。......時間稼ぎ、したいんでしょ?」
聡い奴め。お見通しか。
俺はできるだけ表情に出さずに、自販機へ近づいた。彼女も上機嫌で後に続いてきたので、無性に腹立たしかった。
俺は百三十円のブラックコーヒーを買い、彼女は赤い缶のピーチジュースを購入した。二人ともその場で開けて、一口飲む。
「うわ、陽くんブラックコーヒーとか飲むの? おっとなー」
素直に驚いているのか俺の持つ黒い缶を見つめながら彼女は言った。別に高校二年生ぐらいなら誰だってブラックコーヒーぐらい飲むだろう。
「大人かどうかは知らんが、誰でも飲むだろ、これぐらい」
「そうかなあ。私は飲めないな、ブラックコーヒー」
コーヒーが飲めないとは、不幸な奴だ。この苦くて美味い黒い液体を味わえないなんて気の毒......とまあ、それは今はどうでもいい。問題は選択科目だ。
自販機の前で思いついた質問を一つ、彼女にぶつけてみる。
「......さて、質問三つ目、だ。 お前は卓球用具がどこにあるか知っているか?」
彼女は即答した。
「うん、知ってるよ。私、体育委員だから」
「......なるほど」
俺はその彼女の質問の答えからもう一つの仮定を組み立てようとした。しかし、それは彼女の唐突な喋りによって霧散されてしまった。
「ね、陽くん。ちょっと私が話すけど、いい?」
「......なんだ?」
「さっき陽くん、私が卓球用具の収納場所がどこか聞いたよね、もしかしてそこから私が卓球を選択したかどうかを推理したいんじゃない?」
俺は押し黙った。彼女が続ける。
「卓球は準備に人数が必要ない。卓球台はいつも卓球用の部屋に広げられてるし、卓球用具のラケットとピン球が入ったおっきいカゴは、女子一人の力でも一階の体育用具室から運んでこられる。いつもその用具を運んでこさせられるのは体育委員。男女体育委員どちらともが卓球を選択していなければ教師が持ってくる。必然的に卓球用具の位置を知ることができる生徒は男女体育委員の二人のみ。もし私が卓球用具の位置を知っているとしたら私は卓球を選択している可能性が高い。そう言いたいわけよね?」
俺は黙るどころか、次の言葉が継げなくなる。俺が予想していた以上に彼女は頭が回らしい。先程の俺の三つ目の質問だけで彼女は俺の推論を推理したのだ。偶然のひらめきかもしれないが。いや、偶然であってもここまでされては俺は黙る事しかできなくなってしまう。彼女はさらに続けた。
「陽くん、一つだけヒントをあげる。体育用具室には鍵がかかってるの。で、その鍵を持っているのは体育教師。昔、そこで何か問題が起こったらしくて、それ以来いろんなところの鍵の開錠、施錠は必ず教師が行う事になってるんだ。で、学校の決まりで用具室は開けっ放しにしないようにしないといけなくなってるから、バレーの準備をする生徒、体育委員、体育教師は全員一緒に入って、必要な物を出したら教師がすぐ施錠してるの。だから......」
彼女はジュースの缶を持ったまま歩き出した。ふと彼女の影を見ると長袖の影の先に缶が浮いているように見えた。なんとも形容しがたい、不気味さを感じ取った。すぐに彼女の影は建物の影と同化する。
石のようになっていた俺の体は、ようやく熱を持って動き始める。声が出せるようになる。ブラックコーヒーを一口口に含み、俺は言葉をぽつぽつと出し始めた。
「そう、か......それじゃあ......その用具室の中に入った奴は全員、卓球用具の位置を知っているかもしれないという事、か......。用具室の中はそんなに広いわけではないし、嫌でも目に付くだろうな......なら、俺のさっきの質問は」
彼女はどうだ、といった決め顔をこちらに向けてくる。今度は腹が立つことは無かった。素直に、こいつは見かけによらず、考える事ができる奴だ、と感じたからだ。
「うん、無駄な質問だったねー。さあ、質問権、残り二つ! どうする陽くん!」
元気そうな彼女に対し、俺は暗い夜の冷たい海に放り出されたような気分を味わっていた。
駅はもう、眼前にまで迫ってきていた。