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日陰に咲くひまわり  作者: ぎんはなあんず
彼女の影と、最初の違和感
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 間延びしたアナウンスが、駅のホームに響いた。「ご乗車、ありがとうございます。まもなく、一番線に、上り列車が、まいります。危険ですから、白線の内側まで、お下がりください......」

 六月の夏めく活発な太陽の光で、さほど都会でもないのに通勤通学者たちがひしめき合う駅の構内が一層暑く感じた。朝のこの時間だけはいつも人が多い。自身の背中に軽く汗をかいているのが分かった。

 電車に乗り、乗客より先に奥へ詰めるために、ホームの先頭へ出る。これには理由があるのだが、それより先に、学校指定のバッグから『オーディオ・テクニカ』のイヤホンとスマートフォンを出してしまう。車内に入って身動きが取れなくなってしまってからでは困るからだ。

 イヤホンとスマートフォンを繋げ、耳に装着する。曲は......『クイーン』の『キープ・ユアセルフ・アライブ』を選んだ。スマートフォンを制服のポケットへ仕舞い込む。

 英国出身の男性四人組ロックバンド、『クイーン』は、俺が最も敬愛してやまないアーティストだ。ギターのブライアン・メイが巧みに操るエレクトリックギター「レッド・スペシャル」から放たれる音を、ベースのジョン・ディーコン自作のアンプ「ディーキー」に接続して録音する事によって放たれるギター・サウンドや、メンバーのフレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーらの歌声をオーバーダビングする事で作られる荘厳かつ重厚なコーラスが特徴の「伝説のロックバンド」、それが「クイーン」なのである。......語り始めたらきりが無いので、この辺にしておこう。






 まもなく電車がホームへ進入してきた。俺の目の前で自動ドアが開き、素早く乗り込む。エアコンが効き天井の扇風機が稼働する車内の空気は冷気が行き届いており、心地良く感じた。並び吊るされているつり革をくぐり抜け、奥のドアに背を預け、目を閉じた。まだもう少し、朝の眠気に襲われていたい気分だった。ぞろぞろと大量の乗客が乗り込んでくる。

 俺の右隣にグレーのスーツを着た男性が同じようにドアに背を向けて並んだ。スーツは二つボタンのタイプで下のボタンを一つ外し、中は白のシャツ、黒で無地のネクタイを首元でしっかり締め、銀色のネクタイピンで留めている。二十代ぐらいだろうか。染めていない黒髪をベリーショートにして、誠実さと若々しさが感じられる装いをしている。現役高校二年生の俺が若々しさなど語るべきではないかもしれないが。

 彼は初めから手に持っていた文庫本を広げ、その場へ落ち着いた。表紙を盗み見たが、知らない本だった。読み始めだろう、一ページ目を開いていた。

 その男性の前に並んだのは......制服から察するに、俺と同じ学校の女子生徒だ。胸のリボンの色で一年生だと判断する。左手でつり革を持ち、右手で文庫本を読んでいる。何を読んでいるかは茶色いカバーのせいで分からなかった。がたんと車内が揺れ、つられて彼女の赤みがかった長髪が揺れる。ちらり、と車内に張られた赤を基調とする痴漢防止のポスターが視界に入った。「痴漢事件多発発生」と大きく書かれている。無防備な、と一瞬思った。しかしまあ、俺の横で彼女と同じように文庫本を読んでいる清潔で品行方正そうな彼なら、そんな姑息な犯罪行為になど及びにはしないだろう。杞憂だ。


「ふあ......」


 まだ眠気があるのか、俺は小さく欠伸をしてしまう。右手で口を覆い、左手でポケットの上からスマートフォンを操作し、曲のボリュームを二つ上げた。電車が出発する。俺の目の前には私服を着た大学生らしい男性が立った。もう一度目を閉じる。閉じた目からは何の色も感じない。

 さて、ホームでわざわざ電車を待つ列の先頭へ並び直して乗車し、真っ先に電車の奥へ詰めた理由だ。それは二つある。

 一つは、俺が降りる駅はこちら側の自動ドアが開くからだ。ほぼ満員に近いこの時間の車内は、降りるのに時間がかかる。それを考慮した立ち回りだった。

 もう一つは、ひまわりを(・・・・・)()たくなかったから(・・・・・・・・)だ。

 乗車駅から、四駅進むと降車駅に着く。その間、ちょうど二駅目に着くと、広大なひまわり畑が見え始める。電車はその畑の側面を沿うように走る。そこからの眺めは地元の観光雑誌やウェブページに載るぐらいには壮観だ。......と、俺以外の人々はそう思うだろう。それをなるべく視界に入れないよう、俺はこちら側で立っているのだ。本当はこのまま、現在背を預けているドアの方を向いて畑とは真逆の方向を向くはずだが、いくら夏めくといってもまだ六月。ひまわりが咲く時期ではない。今はそこまでしなくてもいいだろう。

 ひまわりは幼いころから嫌いだった。あのグロテスクな見た目、向日性こうじつせいという太陽無しでは生きられないとでも言わんばかりの性質、枯れる時の醜さ惨めさ。挙げ始めたらきりがない。さらにそんな花を、父と今はもう他界してしまった母が好んでいたことが、一番嫌いだった。自分の大切な人物が、自分が嫌いな物を好いているなんて、まったく、考えたくなかった。


「ご乗車、ありがとうございます。お待たせいたしました、まもなく、金蔵寺、金蔵寺......」


 車内アナウンスが聞こえ始める。考え事をしていると早くも二駅目に着いた。咲いていないひまわり畑が一望できる駅だ。こころなしか閉じている瞼に力が入った。






 いつもは感じない『違和感』を覚えて目を開いた。眠気で少しだけ瞼が重い。何度かしばたたかせて周りを見やる。別段変わった事はない。目の前の『大学生A』はしきりにスマートフォンを弄っているし、右横の『会社員B』は文庫本に目を落としている。その前の『女子高生C』も右にならえだ。......それでも『違和感』がある。何かおかしいと感じる。もう少し回りを見渡し、『違和感』の正体を探す。

 ナイロンのストラップ部分がひび割れを起こしているつり革、目の前の大学生Aのあまり手入れされていない襟足、大学生Aの深緑色のリュック、自分の黒い靴、会社員Bの磨かれた革靴と皺の無いスラックス。

 ......見つけた。会社員Bの持っている本だ。一ページも進んでいない。目は文庫本の方を向いているが、んでいない・・・・・。ここから見ると右側のページが白紙なのでよく分かる。普通なら一ページに二駅分もの時間を掛けないだろう。彼は今、普通(・・)ではないのだ(・・・・・・)

 では、普通でないとしたら何なのか。もう少し会社員Bを横目で観察する。グレーのスーツに身を包んだ会社員Bは左手で本、右手で黒い皮のビジネスバッグを持っている。本には目を通さず、何に集中しているのか。......そこで、おおよそ見当はついた。ビジネスバッグの先を見る。そして確信した。

 会社員Bの目の前、すなわち女子高生Cがいる方向に、ビジネスバッグが向けられている。いや、えられている・・・・・・。会社員Bのビジネスバッグの先は女子高生Cの太ももへあてがわれていた。再度、俺の目に痴漢防止のポスターが目の端に映った。


「ご乗車、ありがとうございます。お待たせいたしました、まもなく、甲山寺、甲山寺......」


 降車駅が近づく。俺が降りるということは、同じ高校の女子高生Cも降りるという事だ。俺は装着していたイヤホンを再度しっかりと付け直し、目を閉じた。

 ......俺、いや俺たちが電車に乗っている時間は長くても一分も無いだろう。自分の置かれている状況を理解しているであろう女子高生Cはそれでも何も言わない。恐らく残り数秒、耐え切るつもりなのだ。

 見た感じ、我が少なそうでおとなしいそうな奴、という印象を受けた。推測だがきっと、問題にしたくないのだろう。車内で痴漢を摘発するのはかなり勇気が必要だ。何かの間違いの可能性も否めないし、ましてやカバンの先などという曖昧なものではどうもやりにくいはずだ。忍耐を選択した彼女を心の内で賞賛する。対して、会社員Bには軽い失望を覚える。身なりだけで人を判断してはいけない、という事だろうか。しかしまあ、厳しく評価すると無防備にも満員電車内で知り合いでもない男性に背を向けて立つという彼女の行為は、決して良いものではない。会社員Bの欲求をそそのかしたのもまた、彼女なのだ。

 そろそろ電車がホームへ入る。俺は背を向けていたドアに正対し、ドアが開くのを待った。気の毒に、女子高生C。

 しかし、それだけでは終わらなかった。後ろで何か動きを感じた俺は、少し振り向き、左耳のイヤホンを外した。


「......おい、お前、ここで降りろ」


 小さな声だが、強圧的な声で誰かが言った。会社員Bの隣、つまり座席に座っていた、恐らく同い年で、制服から他校の生徒だろう男が会社員Bと女子高生Cの間に入っていた。

 しゅうっ、という空気音が出て、自動ドアが開く。名付けて『他校生D』は会社員Bをホームへ突き飛ばした。会社員Bはよろけて後ろへ下がったが、体を地面に打ち付ける事はなかった。

 俺は外していた左耳のイヤホンを付け直し、会社員Bの横を何事も無かったかのように通り過ぎる。俺より後ろの乗客は何事か、と驚いている様子だった。

 大きな駅の大きなホームの、大きな階段を上る。スマートフォンを出して時刻を確認する。午前八時五分。ついでにリピート再生されていた『キープ・ユアセルフ・アライブ』を停止した。

 彼女、女子高生Cはできればこの痴漢事件を問題にはせず、自身もあまり気にしないでおこうと思っていたはずだ。どの駅から痴漢行為を受けていたかは分からないが耐えうる範囲だったのだろう、駅に着くまで忍耐を選択し、それに努めたのだ。しかしそれを考えにも入れず果敢にも偽善を働いた他校生Dに対して、女子高生Cはどのように思っただろうか。

 俺は彼女の努力は一体何だったのだろうと考えずにはいられなかった。他校生Dは良かれと思ってやったのだろうが、少なくとも実行することで全ての対象者がどう思い、感じるかを考えるべきだったはずだ。

 何事・・思考停止・・・・してはならない・・・・・・・かを・・徹頭徹尾考・・・・・いた・・実行・・しなくてはならない・・・・・・・・・

 他校生Dは果たしてどこまで考えて女子高生Cを助けたのだろうか。女子高生Cは助かったと思ったのだろうか。......なんにせよ、俺にはもう関係ない事になった。事の顛末は気になったが、それ以上は考えない事にした。

 駅員と見られる二人の男性が、ばたばたと階段を駆け下りていく。朝一番からのお勤め、ご苦労様です。


「ふあ......」


 本日二回目の欠伸をしたところで、階段を上りきった。定期券を使い改札を抜け、学校へ向かう。コンクリートの道が少し熱くなっている。夏が来ている匂いを感じた。

 朝から少し、気分が悪くなった気がする。

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