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ぼくは彼女で彼女が彼女  作者: 芝井流歌
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潮風の音 7

誰もが求める女性像。

茜のワンピースには、蒼の深い過去がつまっていた。

 夕べ乾かした服をぱさぱさとはらうと、からからには乾いていなかったけれど袖を通した。



「そのワンピース、やっぱり似合うな。」


「あなたが選んでくれたんですもの。似合わない服なんて買わないでしょ?」


「……そうだな……。」



 髪を整えている彼女の姿は、まさに理想の女性像だ。さらさらの柔らかい髪、すっきりとしたボディライン、白くて長い手足……、世の中の女性なら誰もが憧れて求めるものを、彼女はすべて持っている。ぼくの母さんも……。誰もが……。



「あなたの髪も、整えてあげるわ。こっちへいらっしゃいよ。」


「いいよ、自分でやるから。」


「どうして?あなたは本当に甘え下手ね。」


「甘える甘えないってわけじゃないよ。自分でできる。」


「自分でできることだって、私がそうしたいと思うんだから、人の好意を無駄にしてはいけないものよ?」


「好意なんて自己満足だろ。しつこいと単なる押しつけだよ。」


「あらあら、また強引にネガティブにもっていくんだから……。」



 呆れた顔をしながらぼくを笑う。でも、後ろめたさを感じているぼくは彼女の笑顔に向き合えなかった。向き合ってしまったら、目の奥を覗かれてしまいそうで……。



 ぼくは気持ちを落ち着かせる為に時間を稼ごうと、わざとだらだらと支度をし、カーテンを少し開けて、窓の外を眺めた。朝を迎える空は少しずつ淡い青色になっていく。ざわざわした気持ちみたいに寄せては返す波の音……、ちっとも前進しない自分にため息が出た。



「蒼ったら、また自分を追いつめるようなことを考えてるでしょ。」


「そんなんじゃないよ。」



 図星すぎて、つい低い声を発してしまった。背中に手をあてられていると、ぼくの脳内がお見通しになっているようで、その手をはらい、ベッドに戻って腰をおろした。



「ごめん、嫌な態度だったな……。」


「ううん、いいのよ。でもね、私はあなたをすべて知りたいの。言ってくれなきゃ分からないことだってあるわ。あなたは怖がっているでしょうけど、私はあなたのどんなことだって受け入れられる。」


「……茜はいつも自信満々だな。」


「あなたが自信ないだけよ。私のことも信じられない?」


「……信じてるけど……。」



 ほんのり温かい手をぼくの手に重ねると、隣に腰をかけて言った。



「あなたのお母さんはあなたを手放したかもしれない。けれど、私はお母さんではないのよ、恋人だもの。ずっと信じていた人が離れてしまったことで、自分を出したらまた同じように離れていくのかもしれない、そういう恐怖と闘っているのよね。でもね、自分を出さないことで離れてしまうこともあると思うわ。口にしたほうがいいこともあるのよ。」


「手放したんじゃない。母さんはぼくを捨てたんだ……。」


「あなたは自分を受け入れてもらえないと思ったから、お母さんに言えなかったんじゃなくて?」


「……ずっと、いい子供でいたかったんだ。いい子を演じあげてきたつもりだったんだ。でも、成長する度にぼくは得体の知れない違和感を感じ始めた。かわいいだの美少女だの言われることに、抵抗を感じていたんだ。母さんはぼくのことを自慢に思っていたから、どうしても言い出せなかったんだよ。」


「お母さんはあなたを自慢に思うほど、とても愛していたんじゃない?」



 話していくうちに、ぐっと手に力が入る。彼女はその手をなぐさめるかのように、そっと触れてきた。



「愛されてたんだよ。きっとぼくはそれも分かっている。だけど、だから、つらかったんだ。……こんな自分になってしまったことが。母さんの望むかわいい娘なんかにはなれなかったことが。ぼくは長かった髪をばっさり切手、スカートもワンピースも着なくなった。でも、母さんは周りの大人たちに美少女だの言われる自慢の娘に、かわいい服をどんどん買ってきた。それを、ぼくは……こっそり全部燃やしてしまった。ぼくが悪かったんだ。もっと早く言い出せていれば、こんな服が着たいわけじゃないんだって、かわいい女の子なんかじゃないって。母さんはぼくの理想の女性だったから、あんな女性と結ばれたいって思ってた。保育園の時も、小学生になってからも、ずっと、かわいい服を着ていたら母さんみたいになれるんじゃないかって思ってたけど、そうじゃなくて、ぼくは逆に母さんみたいな人が理想の女性で、女性しか愛せないんだって気付いてしまったんだ。だから本当の自分を出そうとして、自分に素直になろうとしただけなんだ。でも、母さんは泣いたよ……。女手ひとつで

 手塩にかけて育ててきた自慢の娘が、こんなになってしまったからね。それから母さんは二度と帰って来なかったよ。ぼくの誕生日に渡そうとしてくれてたんだろうワンピースを、引き出しに隠したまま……。」


「そう……。」


「最低だろ?ぼくは、母さんが最後にぼくにくれようとしていたそのワンピースを、恋人にあげたんだよ。」


「そう……。」



 静まりかえった部屋……。沈黙とはこんなにも重圧があるものだったかと、嫌になるくらい思い出してしまった。ひとりでいる静けさなんか慣れているけれど、そんなのとは違う、二人でいるのに静けさを感じてしまう、こんなにみじめな時間……。



「ありがとう、蒼。」



 口を開いたのは彼女のほうからで、そしてそれは意外な言葉だった。



「このワンピースにはたくさんの愛がつまっているのね。お母さんがあなたを愛した印、あなたがお母さんを愛していた印、そしてあなたが私を愛してくれている印……。」


「母さんがぼくを捨てたように、ぼくはそのワンピースを捨てることだってできたはずなんだ。でも、これを捨てなければ母さんが戻ってきてくれるかもしれないってどこかで思っていたから捨てられなかったのかもしれない。」


「でも、私にプレゼントしてくれたわ。」


「茜を母さんに透しているわけじゃない。ぼくは、ぼくの大切な人にあげることで、ぼくが絶対大切にするという気持ちを込めただけなんだ。……全部、自分に都合のいいエゴにしか聞こえないだろうけどね。」


「そんなことないわ。あなたの愛が伝わってくるもの。話してくれてありがとう。私も大切にするわ。あなたを愛しているという印を。」


「……茜はいつもポジティブだな。そう思ってくれるなら信じるよ。ありがとうを言うのはぼくのほうだ。」



 彼女は満面の笑みでぼくを見つめてくれた。まったく、ぼくの彼女は、どんなにできた彼女だろうと胸が熱くなる。



「そのポジティブ、ぼくにも半分くれよ。」


「嫌よ。私はあなたのネガティブを、半分も交換したくないわ。」


「交換とは言ってないぞ?」


「じゃあ、私がポジティブをあなたに半分あげたら、私は残りの半分が空っぽになるから、その分をあなたが何かで埋めてくれる?」


「何かって……、悪いけどぼくは茜が持っていないものなんて、何も持ってないからなぁ……。」


「そんなことないわ。持っているじゃない。」


「え?……嫌な予感がするんだが……。」


「私をあんなに興奮させてくれる情熱的な……。」


「おいっ、その話はもうやめてくれっ。恥ずかしいだろ!」


「恥ずかしくなんかないじゃない。誰も知らないあなたの一面は、二人っきりの秘密なのだから。」


「そういう問題でもないし、よくよく考えたら、その……茜にぼくの……をあげたら大変なことになる!」


「あなたをたくさん気持ちよくさせてあげられるわね。」


「……いや、いいから……。よくそんな恥ずかしいことを口にできるな、茜は。」



 まったく、こういうからかいかたをしなければ、ぼくの彼女はとんでもなく、できた彼女なんだけどなぁ……。



 思い返すと、つい二十四時間前に電車に乗ってきたけれど、あまり眠れていなかったからか、とても長い一日だと感じた。それでも、こうして彼女が隣にいてくれて、楽しそうな顔を見れるだけで、二十四時間なんかでは足りない気もする。



「昨日より風が強いな。寒くないか?」


「大丈夫よ。でも雲行きがあまりよくないし、早めに帰らなくちゃね。」


「うん。」



 波が白いしぶきを上げ、防波堤に打ち寄せている。昨日の天気とは打って変わって、雲を広げて少しずつ風は強まっていく。ふたりの間を風に引き裂かれないように、海岸から駅までの長い道のりを足早に進んだ。雨にお見舞いされないうちにたどり着けるといいのだが……。



「電車の時間、調べた?」


「来た時に見たけれど、二十分に1本はあったはずよ。」


「そっか。電車って意外と遠回りだし、待ち時間を考えたら車のほうが早いのかもな。」


「蒼が車を買ったら、一番に乗せてくれる?」


「他に誰もいないしな。」


「あら、消去法みたいに言うのね」


「冗談だよ。助手席は茜の特等席な」。


「ふふっ、女の子たちに恨まれちゃうわね。」


「またそうやってからかう……。」


「あら、きっとそうよ。みんなあなたの隣に座りたがってると思うわ。」


「じゃあ、日替わりで乗っけてあげようかなぁ。」


「あなたらしくない発言ね。そんなことをしたら呪っちゃうかも。」


「おいおい、怖いこと言うなよ。何の罪もない女の子を……。」


「違うわ。私が呪うのはあなたのほうよ?」


「……はいはい。」



 季節を運ぶ風は、本格的な秋を連れてくる。先月ならにぎわっていたであろう砂浜も、駅も、今はぼくらの笑い声と、潮風の音だけ……。


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