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ぼくは彼女で彼女が彼女  作者: 芝井流歌
50/50

エピローグ:17年前のぼくに、4年後の君に

 十七年前の今日は大雪だったと聞いている。自宅で破水した母さんは急いでタクシーを呼んだけれど道路が渋滞していてなかなか到着せず、やっとの思いで病院に着いて分娩室に直行だったという。


 生まれたのは午後二時を過ぎた頃だったので、きっと父さんだった人は仕事だったのだろう。大雪の中駆け付けてくれたのだろうか。それとも仕事が終わってから面会に来てくれたのだろうか。ぼくはもう父さんの顔も覚えてないし、父さんの事を話したがらない母さんに聞こうとも思わなかったけれど……。


「寒っ……」


 きっと今日みたいに寒かったはずだ。少しだけ窓を開けて覗き込むと、アパートの階段の下で管理人さんが雪かきをしていた。目測だと十五センチくらいは積もっている。こんなに寒くて足元の悪い中生まれてきただなんて、ぼくは生まれた時から親不孝だったんじゃなかろうか。


「成海さーん、おはようございまーす」


 窓を開けた音で気付いたのであろう管理人さんがこちらを見上げて挨拶をしてきた。ぬくぬくと暖房の効いた部屋から申し訳なく会釈で返す。手伝いもしないで見下ろしていたのが心苦しい。


「おはようございます……。かなり積もってるんですね……」


「えぇ、今日は土曜日だし学校ないんでしょう? 不要不急の外出は控えた方がいいってやつですよ。階段も滑るから気を付けてくださいね?」


「はい、ありがとうございます……」


 もう一度会釈をしてそっと窓を閉める。空はどんよりと灰色掛かっているけれど、積もった雪で外が明るく見える。彼女が来るまでもう少し覗いていようかと思ったが、また管理人さんと目が合うと気まずいのでレースのカーテンだけシャッと閉めた。


 彼女が来ると約束したのは十時頃。もう二十分も過ぎている。特に予定が詰まっている訳でもないのだから遅れる事自体は問題ではないのだけれど、心配なのは寒さと足元。ぼく以上に寒がりな彼女の手がすぐに(かじか)んでしまうのは、きっと手を繋ぐぼくだけが知っている。


 電車が止まってしまったのだろうか。携帯に手を伸ばして運行状況を確認する。徐行運転だが動いてはいるらしい。だから管理人さんの言うように、ぼくもこんな大雪の日にわざわざ祝いに来なくてもいいと言ったのに……。


「はー……」


 ため息をつきながらベッドに背を預ける。ぼくみたいに鈍くさい訳ではないからすっ転んでいる事はないだろうが、いつも時間に正確な彼女がこうも遅いと心配で堪らない。


 連絡、した方がいいかな……。


 コンコン


 扉をノックする音でハッとなった。インターホンではなくノックをするのは彼女の合図。


「茜?」


 分かってはいるけれど一応尋ねて扉を開くと、肩と黒髪にほんのり雪を乗せた彼女が傘をパサパサと振りながら立っていた。


「おはよう、蒼。遅くなっちゃったわね」


「ううん、迎えにも行かなくてごめん。寒かったろ? 早く入りなよ」


「えぇ、お邪魔します」


 彼女は粗方の雪を払い、傘を畳み終えるとよそよそしい挨拶をしながら入って来た。部屋にはぼく一人しかいないというのに、礼儀を怠らないところに育ちの良さを感じる。


「あぁっ、お湯沸かしておけば良かったな……。すぐ紅茶入れるからエアコンのあたるとこで座ってなよ」


「いいわよ、私が入れるから。あなたこそ座ってて? 今日は主役なのだから」


「いや、でも……」


「手を洗うついでにお台所借りるだけよ。それに、紅茶は私が入れた方がおいしいもの」


 ぐうの音も出ないぼくを見て、彼女はにっこりと脱ぎ立てのコートを手渡した。冷たいPコート。裏地は暖かそうだけど心なしかしっとりと濡れている。


 ぼくはそれをハンガーに掛けながら、キッチンで手を洗う彼女の横顔を眺めていた。指先も耳たぶも、鼻も赤い。そんなに寒い思いをしてまでぼくの誕生日を祝いに来てくれたのかと胸が熱くなる。


「茜」


「なぁに? 後ろからハグは禁止よ?」


「……ちぇっ、何で分かったんだよ」


「火を使っている時はダメだと言ったでしょう?」


 そうは言われてもつい手が伸びてしまう。後ろからそっと腕を回すと彼女は黙って火を止めた。


「……怒った?」


「怒ってないわ。あなたのワガママに少し付き合ってあげただけよ。今日は特別だから、明日同じ事をしたら怒るけれど」


「……けち」


 耳元で囁くと彼女は呆れたようにクスクスと笑った。華奢な肩が震える。愛しいその身体をもっと近くに感じていたくてギュッと強く抱きしめた。


「今日は巻いてないのね、(さらし)


「……なんとなく。家から出ないだろうし」


「ふふっ、すぐ脱げるようにではなくて? 甘えんぼさんね」


「脱げ……ち、違うからな? そういうつもりじゃ……」


「はいはい、分かったから主役さんはおとなしく座っていて?」


 何だよ、人がせっかく浸っていたのに……と口を尖らすぼくを見て、彼女はまたクスクスと笑う。寒さで赤く染まった彼女よりも、きっと今のぼくの方が真っ赤な耳をしているに違いない……。


 しぶしぶベッドに腰掛ける。彼女は再びやかんに火を点けた。ぼく一人の時には使わないティーポットを棚から出し、珍しく鼻歌を交えながらいそいそと紅茶の支度をしている。いつになくご機嫌な様子にぼくの顔も綻んでいった。


「お砂糖はいらないわよね?」


 目の前にカチャリとカップを置きながら問い掛けてくる。いつもなら黙ってスプーン半杯入れてくれるというのに、今日はいらないだろうと聞いてくるのはどういう事なのか……。


「いる」


「甘い物を食べる時はいれない方がおいしいのよって教えてあげたじゃない」


「あぁ、そういう事? ……って……」


 彼女の事だ、誕生日ケーキを買ってきてくれたに違いない。持ってきた紙袋をごそごそとあさり、彼女はその中から更にビニール袋に入ったパンを取り出していた。


 ……パン?


「レンジ、借りるわね」


「……うん。でも、何でパン? それにパンならトースターで焼いた方が……」


「やぁね、よく見て?」


 差し出されたそれをよく見ると、『バター香る、メープル風味のホットケーキ』と黄色い文字で書いてあった。視線を彼女に戻すと「分かった?」とにっこり微笑んだ。


「あなたが誕生日にはホットケーキがいいって言っていたから買ってきたの。……本当はここで焼こうと思って材料を調達しにスーパーへ寄ったのだけど……来る途中で転んでしまって卵を割ってしまったのよ。一緒に入れた牛乳もホットケーキミックスも卵塗れになってしまって……。だからコンビニの菓子パンだけれど許してくれる? ケーキは今度改めて、ね」


「それで遅かったのか……。怪我は? 菓子パンだろうが何だろうが、茜が苦労して買ってきてくれた物に文句言う訳ないだろ」


「そう、良かった。あなたならそう言ってくれると思ったわ」


 分かっているくせに。ぼくがどんな返答するのかなんて分かり切っているくせに。彼女が選んでくれた物にケチ付ける訳ないじゃないか。いつだってぼくの事を考えて選んでくれているのだから……。


 それにしても、いくら落ち着きのある彼女でもこの雪じゃ転ぶのか、と急いで買い物をする彼女を想像した。急いで転ぶくらいなら、ぼくの事なんかいくら待たせてもいいのに……。


「お待たせ。……かなり味気ないけれど……」


 彼女は温めたそれをぼくの前にコトリと置き、自分の前にも同じように置いてから座った。小ぶりなホットケーキからはホワホワと湯気が上がっている。バターとメープルシロップ、それと紅茶の香りに包まれた部屋は、彼女がいるからかさっきよりもとても暖かく感じた。


「冷めないうちに召し上がれ? それとも歌って欲しい?」


「いや……いい。茜の歌は聴いてみたいけど恥ずかしくて最後まで聴けないと思うし……」


「ふふっ、照れ屋さんね。じゃあ、そんな照れ屋さんに意地悪しちゃおうかしら?」


「いやいや、それもいらないからっ」


 苦笑いで両手をバタつかせるぼくをよそに、彼女は先程の紙袋から更に紙袋を取り出してこちらに差し出してきた。これが意地悪? そう思ってキョトンとすると、彼女は「開けてみて?」と手渡してきた。


「ありがと……」


 恐る恐る受け取って袋の中を覗く。手を差し入れると、包装紙の中身は柔らかい感触がした。もしかしなくてもこれは意地悪でも何でもなく、純粋に誕生日プレゼントなんじゃ……と思いつつ破かないように包装紙を解いていく。


「これって……」


 中から覗いていたのはキャメル色のダッフルコート。目をパチクリさせながら広げてみると膝丈まである暖かそうなコートだった。


「やっぱり、あなたにはその色が一番似合うと思ったわ。……気に入ってくれた?」


「……うん。ありがと、茜……」


「なぁに? そんなに驚く事? 恋人である私が見立てたのだから大切に着てちょうだいね」


「だってこれ……めちゃくちゃ高そうだけど……」


 襟元にはどこかで見た事のあるブランドのロゴが刺繍されている。ぼくがそれを宛がりながら指差すと、彼女は優雅に紅茶を啜ってにっこり笑った。


「カナダは日本よりもずっと寒いのよ? それくらいいい物を着てくれなくちゃ」


「カナダって……茜は来年行くのかもしれないけど、ぼくは……」


「結婚、してくれないの……?」


 ハッと我に返った。以前、彼女が言っていた『あなたの誕生日に告白しようと思っていたの』という言葉を思い出した。


 どこまで鈍感なんだ、ぼくは……。


「ぼくと……結婚、してください……っ!」


「……ふふっ、嬉しいけれどあと少なくとも四年は先の話になるわね。その時にはもう一度……言ってくれる?」


「もちろん」


 ぼくたちは愛し合っている。性別上は女の子同士だけれど、そんな事は関係ない。


 もし、一つ壁があるとするならば、この国ではぼくたちが戸籍上結ばれる事がない事だ。家族に恵まれなかったぼくたちには帰る家がないのだから、二人で『家族』を築けばいい。それにはこの狭苦しい国を出る必要がある。


「あなたは英語をしゃべれないのだから、外出する時はいつも私が付き添ってあげるわ」


「そりゃありがたいけど……」


「なぁに? それじゃ浮気も出来ないよ、とでも言いたいのかしら」


「言ってないし思ってもないっ! ……間違って浮気なんかしたら銃殺されそうだよ……」


「ふふっ、何か言った?」


 彼女が旅立つまであと一年。ぼくが日本を離れるのはあと四年。それまでに彼女はたくさん勉強して自分を磨くのだろう。その間ぼくは、きっと彼女に恥じない大人になってみせる。たくさん働いて、お金を稼いで、経験値を摘んで、英語なんてしゃべれなくても生きていけるくらいの強い人間になってみせる。


「ねぇ、蒼……」


 窓の外では相変わらず雪が降り続いている。


「うん?」


 暖房も、紅茶も、ホットケーキも、全てがぼくらを暖めてくれるけれど……。


「生まれてきてくれてありがとう」


 ぼくの心をいつも暖めてくれるのは風原茜、その人だけ。


 だから四年後、もう一度プロポーズするその時まで……。


 ぼくは彼女で、彼女が彼女でありますように……。




閲覧ありがとうございました。


この作品は2016年2月に完結していましたが、どうしてもプロローグとエピローグを入れたくなり第1部と第50部を追加しました。

とても愛着のある作品だったので、ここまでお読みいただけて光栄です!


主人公の蒼は私の他作にもちゃっかり出てたりしますので、お時間ございましたら探してみてください♪


物語を完結させるのは勇気と労力と寂しさがつきものです。

愛着のある2人を手放すのは寂しい限りですが、みなさまの心に何かを残せた作品になれば嬉しいです。


今後も執筆して参りますので、これからも芝井流歌をよろしくお願い致します。


今まで応援ありがとうございました。

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