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ぼくは彼女で彼女が彼女  作者: 芝井流歌
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潮風の音 4

たくさんの思い出作り。

ふたりの気持ちは同じなのにどうして素直になれないんだろう…。

思い合う分だけすれ違うものなのかな。


蒼の心は自問自答を繰り返す…。

 初秋とはいえ、夜の潮風は冷たくぼくらの間を駆け抜けていく。ぽちぽちと照る街灯をいくつか見送ると、ふたつの影が伸びたり縮んだりしている。

 冷えていく手を握り直して宿の窓からこぼれている明かりに近づいていくと、彼女が何かを思い出したようにハッとなった。



「脱走!バレてないかしら!」


「脱走だなんて大げさだな。ただ浴衣で外出しただけだろ?」



 ケタケタと笑うぼくに向かって、彼女はまるで仕付けをしている母親のような真面目な顔をしている。



「いけないことと分かっているのにしてしまうのが一番いけないのよ!」


「あー……、いけないこと、なのかな。」


「自覚がないからいけないのよ!だいたいあなたは授業は抜け出すし、入ってはいけない屋上とか教室で寝ていたりするし、お昼ご飯だってちゃんと食べないし……。」


「……うるさいなぁ……。」


「何よ、釈明もないのね。」


「いけないことって個人の価値観の違いだろ。それにぼくは全く授業を受けていないわけじゃないし、宿の浴衣で外出してはいけないって規則もないだろ。」


「それは屁理屈というものよ。常識の範囲というものがあるわ。」


「昼を食べないのが非常識なんて知らなかったよ。じゃあぼくは非常識な恋人だな。」


「また屁理屈を言うのね。開き直るなんて呆れるわ。」


「はいはい、分かったよ。ぼくが悪いんだろ?」



 宿の前でぴたりと歩みを止めた。お互いに目を合わせず沈黙が続く……。ぼくは小さく息を吐き、絡めていた指をそっと解いた。



「先に部屋に帰ってなよ。ぼくは少し落ち着いたら帰るから。」



 どんな返事でもいい。ひとりになって頭を冷やす時間が必要なんだ。ぼくは彼女の表情が見えないように、わざとそっぽを向いて聞いた。



「……そう。じゃあそうするわ。」



 その言葉に対して、あえて返事をしなかったのは、これ以上距離が開かないために必要なことだと思ったからだ。

 彼女の足音が背後から遠ざかっていく。宿の玄関を静かに閉じた音が聞こえると、大きな溜め息が出た。

 彼女の言うことが正しいのは分かっているが、不器用なぼくにはまともな生き方なんてできないんだ。芯を強く持ち、真っ直ぐ前を見ていた時期もあったけれど、そんなものはざらざらとたやすく崩れてしまった。こんなに弱くなってしまったのは傷つくのが怖いからなんだろうな。

 それと、傷つけてしまうんじゃないかという恐怖もある。

 彼女は純粋で真っ直ぐな人だ。ぼくにないものを全部持っているから引かれたんだ。

 こういう言い合いをしてしまう時は、いつだって彼女が理に叶っている。ぼくはそれを分かっていながら素直になれないからこんなことになってしまう。

 きっと怒っているだろうな。落ち着いたら戻るなんて言ってしまったが、どんな顔して帰ればいいんだよ。謝りたいけれど、どうやって謝ったらいいのかが分からないよ。



 彼女は今どうしているんだろう……。部屋を見上げると、窓から光がこぼれている。

 あぁそうだ、お腹をすかせているんだったな。彼女が持ってくれたビニール袋にはサンドイッチやお菓子が入っているから、ぼくを待たずに食べていてほしい。

 ぼくのほうは飲み物じゃないか。きっと喉も乾いているだろうに……。これだけでも部屋に届けようか……。

 でも、目が合ったら、ぼくはまたひねくれた態度をしてしまいそうだ。



 あぁ、何を考えても正解にたどり着けない。彼女なら、こんな時どう行動するだろうか。

 自分なら、自分らしく……?あーもう!自分らしさってなんだよ。

 もう自分がどうのなんて、どうでもいい。どうでもいいから、彼女の側にいたい……。



 静まりかえった廊下は、ひたりひたりとぼくの足音だけが残っている。小さな民宿だから廊下でうろうろ考える距離もない。

 そうこうしているうちに部屋の前までたどり着き、深呼吸と、軽く咳払いもした。



 コンコン。



 小さくノックしたが、返事はない。



「茜……、ぼくだよ。」



 部屋の中まで聞こえたか分からないが、廊下に響かない程度でささやくと、部屋の中から布のすれるかすかな音、畳を歩くさくさくした音、そしてドアの鍵がカチャリと開いた。



「遅いじゃない。」



 まだ怒っているのか、低くむくれた声で言われた。



「あぁ……その……入っていいかな……。」



 彼女は半開きだったドアを開いて眉間にしわを寄せる。



「どうぞ。」



 部屋に入ると彼女はくるりと背中を向けた。

 おずおずとドアを閉じ、静かに鍵をかけたが、どうも足が進まない。



「茜……。」


「なあに?」



 背を向けられたままじゃどんな表情なのか分からないだろ。

 だが、ぼくもどんな顔していいのか分からないから微妙な気持ちだ。



「荷物、置いたら?」


「あぁ、うん。」



 ビニール袋から取り出し、部屋の入り口に近い冷蔵庫に、ペットボトルを並べたが、すっかりぬるくなってしまったので表面は汗をかいている。

 ふと見ると、冷蔵庫の中にはサンドイッチが冷やしてあった。



「食べなかったのか?」


「そうよ。」


「先に食べててよかったのに。」


「そうね。」


「お腹……減ってただろ……。」


「そうよ。」



 なんとも言葉が出てこなくなった。自分の大事な人に何一つ出来ないことに歯痒くて腹が立つ。



「いつまで待たせるのよ。」



 ふわりと振り返ったかと思うと、ぼくの首に腕を回し、そしてギュッと引き寄せた。



「あか……。」


「今日はずっと一緒だと、約束したじゃない。」


「あぁ……、うん。ごめんな、一人にさせて。」


「本当よ。馬鹿王子ったら、すっかり体が冷えちゃってるじゃない。」


「王子は余計だよ。ぼくはただのバカだから。」



 するりと首周りの腕をゆるめると、ぼくの目をじっと見つめた。



「じゃあ、ただの馬鹿でいいわ。私の隣に帰ってきてくれるなら。」


「うん、ぼくの隣は茜の居場所だろ……。」



 今度はぼくの腕を彼女の背中に回した。



「そんなこと言ってくれるの、久しぶりね。」


「そんなことないだろ。」


「蒼は照れ屋さんだから、私のラブコールをいつもごまかしてるじゃない。」


「してないよ。」


「そうかしら?」


「そうだよ?」


「じゃあ、ご飯をすませたら、私のラブコール、受け止めてくれる?」


「もちろん。」


「ごまかしたり、はぐらかしたりしない?」


「しないよ。」


「ふふっ、今夜は大サービスしてくれるのね。」


「サービス?」



 ぼくの腕からするりと抜けると、彼女は布団にくるまりながら笑った。



「……そういう意味か……。はは……。」



 ひきつったぼくの苦笑いと彼女の楽しそうな笑顔は全く違うけれど、ふたりの長い夜を一緒に過ごしたいという思いは同じに違いない。


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