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ぼくは彼女で彼女が彼女  作者: 芝井流歌
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日陰の再会 7

 どことなく触れてはいけない人なんだと、知ってはいけないことがあるのだとは薄々感じていた。

 ぼくの後見人をしてくれているけれど、ぼくはあの人の素性を全く教えてもらえていなかったのだから。

 知らないことがあってもおかしくはない。全てを知りたかったわけでもない。

 ただ、ぼくの生活の支援をしてくれている人の住所も職業も知らないことに、違和感だらけだった。

 でも、違和感なんて、知りたくもないことを知ってしまうくらいなら、違和感だらけのままで良かったのに……。



「私も知らなかったわ。叔父様があなたの後見人をしていただなんて……。あなたを知っていたことすらも……。」


「……。」


「さっきの様子だと叔父様も、あなたと私が仲良くしていることに驚いてたみたいだったけれど。もっとも、あなたと私が出会う前から、叔父様はあなたの後見人としてあなたと知り合っているということになるのかしらね。」


「そう……なのかな……。」


「同じ高校に通っているとはいえ、姪である私があなたと恋人関係にあるだなんて、さすがの叔父様も想像がつかないでしょうね。」



 何でなんだろう。彼女は微笑んで見せた。

 苦しんでいる姿を隠しているようには見えないけど……。

 姪に対して性的虐待を与えている大人を、ぼくはどんな目で見たらいいのだろうか。

 笑顔を見せている彼女を見ていると、あの人を許してあげてと、これ以上触れないでと言われているような気にすらなる。



「……茜はさ、今のまま黒崎さんと……叔父さんと暮らしていく以外に道を考えたことはないのか?」


「ないわ。あなたに秘密を打ち明ける前も今も、私が叔父様に逆らうことができないのは変わらないことだもの。あなたみたいに自立したいと思えるほど、私は強くなんてないし、今あの家を出たところで私は自由になれるわけでもないことも分かっているもの。」


「逆らえば行き場がなくなるから逆らわないって言いたいのか?」


「それはあなたもでしょう?後見人の支援がなければ生活費も学費も、家賃すら払えないのだから、今はただお世話になるしかない、違う?」


「ぼくと茜は違うだろ!茜には両親がいる。朱也くんとのことがあって同居はできなくても、叔父さんに性的虐待を受けていることを両親に打ち明ければ、別の環境で生活することだって考えてもらえるはずじゃないか!どうして言わないんだよ!どうして……。」



 どうしてなんて、今更聞いても現実は何も変わらないんだ……。だから ぼくは言葉を飲み込んだ。

 彼女の言うように、ぼくたちは高校生で未成年で、自分一人じゃどうにも生きていくことができない。

 それは金銭面だけではなく、めんどくさい法律やら契約やらにも縛られているから。

 ぼくたちは大人じゃないからと、制限されている狭い環境の中で、暖かく守られているような、息苦しく締め付けられているような存在だ。

 幸せになる道すら、今のぼくたちには選べる手段がない。

 それでも、細やかな幸せを、穏やかな日常を手に入れていたと思っていたのに……。



「蒼……泣いているの?」


「……いや。」


「泣かないで……?」



 彼女の冷たくて柔らかい手がぼくの頬をなぞる。

 ぼくはいつからこんなに泣き虫になってしまったんだろう。強く、生きてきたつもりだったのに……。

 大切なものが壊れるのが怖くて、失いたくなくて、守れるくらい強くありたいと思うのに……。

 大切なものができると、逆に弱くなっていくようだ……。

 暖かくて冷たいその手を、守れる大人に……ぼくはいつかなれるのだろうか?



「……ごめん。泣くつもりなんてなかった。」


「謝らないで?私を思ってくれているから泣いているのでしょう?でも、あなたが鳴いていると、どうしたらいいのか分からないわ……。」


「……うん、ごめん。」



 泣くなんてぼくらしくない、自分でもそう思う。

 感情なんてめんどくさいものはとっくに捨てていたつもりなのに、今のぼくは感情を垂れ流しにしているめんどくさい子供だな。

 ぼくは目尻に溜まった涙を手の甲で拭い、ため息みたいな深呼吸をして空を見上げた。

 街灯に遮られて、星一つ見えなかったその夜空は、何もないぼくの心みたいに何もない平べったいものだった。

 一緒に行った海で二人で見た夜空には、あんなに綺麗な星があって、幸せな時間だと浸っていたこともあったけど、何もない空を見上げていると、今のぼくには幸せ一つもないのかと裏切られた気分にさえなり、そしてまたため息が出た。



「蒼、話したいことがあるの。聞いてくれる?」


「……何を話されても、もうこれ以上取り乱すことはないよ。」


「そう……。じゃあ驚かないで聞いてくれる?」


「うん……。」


「私ね、カナダの大学に行くつもりなの。」


「え……!」



 目が合うと、驚くなと言われて驚いているぼくを見て、彼女は少し残念そうな表情をした。

 カナダって……外国に行くって……。



「それって……別れたいってこと?」


「もっと英語を学びたいの。四年間、カナダの大学へ留学して、それからちゃんと自立したいと思っているの。」


「ぼくは……ぼくは?茜がいなくなったらどうしたら……。」


「取り乱さないって言ったじゃない……。」


「何でそんなこと今言うんだよ!何でそんな大切なこと、ぼくに相談してくれないんだよ!」


「待ってて……くれないの?」



 その言葉を聞いてようやく、彼女が残念そうな顔をした訳が分かった。

 留学に行きたいという彼女の希望に対して、ぼくが動揺しないはずがないことを分かっていて、ぼくが動揺して、だだをこねて、反対して、自分の気持ちが揺らいでしまうのが怖かったのかもしれない。

 それでも、離れてしまうことが辛いのはぼくだけなのかと思うと……手放しに行っておいでと心から言ってあげられないじゃないか。

 離れて暮らすことが、気持ちまで離れてしまうようで怖いんだ……。



「実際には三年生になってから手続きとかをするのだけれど……。だから本当は三年生になる前に、厳密に言うとあなたの十七歳のお誕生日に告白しようと思っていたの。」


「ぼくの誕生日にずいぶん残酷な告白をするつもりだったんだな。」


「……素敵なお誕生日にするつもりだったのだけれど。」


「待つよ……としか答えようがないだろ。」


「そう……。嬉しいわ。」


「ぼくはちっとも嬉しくない……。茜は平気なんだな。ぼくと離れることが……。」


「あなたが喜んでくれると思ってカナダにしたのよ?」


「意味が分からないよ……。」



 驚くことも、取り乱すことも押さえているつもりなのに、夢を見ているような彼女の目は、揺らぐことなく真っ直ぐにぼくを見つめていた。

 寂しい、辛い、怖い、そんな思いが、ぼくの中をぐるぐる駆け巡っている。

 だけど、見つめられていると、涙が出るどころか、瞬きすらできずに乾いていくようだった。



「私が浮気するとでも思う?」


「そういうことじゃないよ……。でも、茜が決めたことなら、ぼくは待ってることしかできないだろ……。」


「お利口さんに待っててくれたら、ちゃんと迎えに行くわ。」


「帰ってきてよ……。迎えに行くのはぼくのほうだろ。」


「ふふっ、分かってないわね……。」



 呆れたような、意地悪そうな笑顔を浮かべて、彼女はぼくを抱きしめた。

 明日のことなんて、来年のことなんて、ましてや四年後のことなんて誰にも分からない。

 叔父さんのいる家から出る強さはないと言っていたばかりなのに、やっぱり彼女は強いんじゃないかと思った。

 それでも何でも、こんな弱いぼくを抱きしめてくれるこの腕が愛おしくて……。



「高校を卒業したら、ぼくもあのアパートを出て自立するよ。ちゃんと仕事をして、茜がいつ帰ってきても一緒に暮らせるような、広い部屋を借りる。」


「それは頼もしいわね。お仕事をする以前に、ちゃんと卒業できたらの話でしょう?」


「いいこと言ったつもりなのに……。現実的なこと言うなよ。」


「そうね。じゃあもっと現実的なお話をするわね。」


「うん?」


「大学を卒業しても、日本へは帰らないわ。」


「何で……。」


「帰らないから、広い部屋を借りる必要もないわ。」


「だって、ぼくは……。」


「だって、私は、カナダであなたを迎えるんですもの。」



 包まれる腕がぎゅっとなる。



「ぼくが……行くの……?」


「そうよ。日本にいても……。」


「駄目……なの?」


「あなたと結婚できないじゃない!」


「……けっ……こん……?」


「そうよ。だからあなたとカナダで暮らしたいの。向こうならあなたと結婚できる!あなたと一生一緒にいられる!誰にも邪魔されずにずっと……。」



 体が硬直していくような、それでいて力が入らないような感覚だった。

 いや、感覚もなかったかもしれない。

 うずもれて消えていく彼女の言葉に、耳の外で聞こえたのか中で聞こえたのか分からない疑いさえ持った。

 でも、心と一緒に委ねられた彼女の体の重みに押され、よろけて体勢を整えた瞬間に現実感を覚えた。

 いつになく恥ずかしいのか、彼女はぼくの胸に顔を埋めたままだった。



「そんなこと……考えてもみなかった……。てゆーか思いつかなかったよ……。」


「だから、あなたのお誕生日にサプライズで告白しようと思ってたのに……。今なら泣いてもいいのよ?」


「それ……告白っていうか、プロポーズだよもう……。」


「あなたが別れたいのかなんて馬鹿なこと聞くからよ。」


「……じゃあ、やっぱり誕生日に聞きたかったかな……。」


「馬鹿ね。もう二度と言わないわよ。」


「こんな時にも、ぼくのことバカって言うんだな……。」


「馬鹿で充分よ。」


「はいはい……。」



 そんなバカと結婚したがってるのは誰だよ、まったく……。

 ぼくに埋もれたまま酷いこと言っても、ちっとも傷つかないし、説得力ないよ……って言ったら、またバカだと重ねられそうだから締まっておくか。



「ねぇ、蒼?」


「うん?」


「お誕生日にちゃんとあげたいものがあるの。」


「……いや、もう充分嬉しかったから何もいらないよ。」


「私があげたいと言っているのに、欲しくないの?」


「欲しくないっていうか……。あの……私をあげるとかそういうことなら間に合ってるよ……?」


「何よ。ちゃんと言ってくれないとあげないわよ?」


「……お嫁にください……とか?」


「そうよ。ちゃんと言ってくれたら、結婚してあげる。」


「ぼくの誕生日に?ぼくが言うの?」


「嫌ならいいわよ?結婚してあげない!」



 見えなくても、照れた顔してるの分かってるよ。きっとぼくもそんな顔してると思う。

 大丈夫、ちゃんと言うよ。

 言葉にしなくたって、もうお互いの気持ちは一緒だけど、確かめたくて、認めてほしくてご所望なら、いつでも口にするよ。

 不安になるのは、いつだってぼくの専売特許だったけど、彼女もまた、不安だったからいつもからかってきたり、意地悪を言ったりして、ぼくの愛情を試してきたんだ。

 もうそんな遠回りしなくても、不安にさせたりしないから……。



 ちゃんと言うよ。








 完


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