日陰の再会 6
彼女は真っ直ぐ前を向きながらも、真剣にぼくの話を聞きながら、夜道に足を進めていた。
たまにこちらに目を向けては、じっとぼくを見て、また相槌を打ちながら前を向く。
少しずつだけど、離れていた時間も距離も、言葉を発する度に縮まっているような気がしていた。
「ぼくにとって大切なのは、お金とか高級な物とかおいしい食べ物とかじゃなくて、理解……って言うのかな?信頼する気持ちだったり、認める気持ちだったり、そういうことだったんだと思うんだ。」
「……。」
「ぼく自身が自分を理解していないけど、茜はいつもぼくを信じてくれて、認めてくれてたんだ。忘れちゃいけない大切なことなのにな。茜はぼくのことを甘え下手だと言うけど、そういう意味では甘えていたのかもしれないよ。唯一の理解者の気持ちを考えてなかったんだもんな。」
「私もよ。甘え下手なのは。」
「茜が?ぼくにはそう見えないけど?いつも甘えてくるじゃないか。」
「……そうね。続けて?」
ぼくの突っ込みにムッとするわけでもなく、軽く流したように目を逸らした。深い意味はないのだろうか。
少し考えて間を置くと、彼女は小指を絡ませてきた。暗い住宅地でこっそり繋ぐ手は、冷たいはずなのに火照っている気がした。
「朱也くんに会ったんだ。偶然にね。もう会うことはないと思っていたのに、今は会えて良かったと思ってる。完全に閉じこもっていたぼくの中に、強引に入ってきてこじ開けていったけどね。」
「……そう。」
「聞かないのか?何話したのかって。」
「あの子も不器用だから、物事を遠回しに言わないことくらいは想像できるわ。壁があったら乗り越えるというより、ぶち壊して突き進もうとするから、閉ざしているあなたの表情を見て、放っておくはずがないもの。」
「まさにそんな感じだったよ。へそ曲がりなぼくとは違って、嘘とか隠せない素直な子なんだなって思った。……肉まんあげたら嬉しさを隠せないみたいだったし。」
「肉まん……。」
「また屁理屈だって言われちゃうな。茜がいつも肉だの野菜だのって言うから、肉まんとサンドイッチを公園で食べようとしてたんだよ。全然食べてなかったのと、自暴自棄になってたのとで、買ったはいいけど食べれなくてさ、そこに来た朱也くんにあげたんだ。コンビニの物は食べたことないって、遠慮しつつも喜んで食べてたよ。そういう素直で前向きで明るいとこ、ぼくにはないから、最初は比べて卑屈になってたけど、話してるうちに、大切なものを思いやる気持ちってこういうことかって気が付いたんだ。あの真っ直ぐさは茜とはまた違う強引さがあったよ。」
「強引?私が?」
「あぁ……いやいや、説得力の話だよ。引かれていったっていうか……答えに導かれていったっていうのかな?自分自身と向き合わざるを得ない状況に質問されてさ、結果的に自分がどうしたいのか分かって救われたんだ。それに、茜の大切なものがどういうものなのかも分かった気がしたよ。」
「どんなもの?」
「……分かってて言わせようとしてるだろ?」
「さあ?分からないわ。」
とぼけた返事をする彼女にやれやれと苦笑いを浮かべると、絡んだ指がぼくを手繰り寄せる。それにぼくも応えようと繋ぎ返した。
そっと手の平に体温が伝わる。一緒に愛おしさも伝わってくる。お互いの、それぞれの愛おしさが……。
「仲直り、してくれる?」
「あなたは私に言いたいことがあるんではなくて?」
「いや、だから分かってるなら言わないってば……。」
「そうではなくて、なぜ私がキノコハンバーグを食べさせようとしたか、ということよ。」
「それは……寝坊したぼくへのおしおきで、羞恥プレイという名の嫌がらせだろ?」
もう一週間も前の話だけど、今思い返してもそれしか考えられない。むしろ違うというなら聞かせてもらおうじゃないか。
「苦手なものでも、少しずつ慣れて克服してほしいと思ったのだけれど、あなたは成実さんとのお食事も、混雑した店内も、話し声も視線もキノコも、どれも拒絶してたでしょ?克服してほしいことはあるけれど、成実さんとのお食事に慣れてしまったら、私との二人きりの時間がなくなってしまうじゃない。」
「……お隣さんから遠ざける為に、わざわざ嫌がらせしてきたっていうのか?それならダメ押しで羞恥プレイする必要ないだろ?」
「羞恥プレイ?」
「あーんって……。あれはどう考えても羞恥プレイだ!」
「あら、あれはあなたが羞恥プレイだと思っているだけで、私はちっともそのつもりはないわ。『プレイ』なんて、『ごっこ』みたいに言わないでほしいわね。仲がいいというアピールだったのだけれど?」
「……いやいや、絶対やりすぎだろ、そんなアピール。」
「もっと言うならば、成実さんに付け入る隙を与えない為の補助線よ。あなたが成実さんに慣れようが慣れまいが、あちらがあなたを気に入っている以上は、またお誘いが来るかもしれないもの。それをあなたは断れる?」
「こ……断れないかもしれないけどさ……。」
「そうでしょう?あちらがあなたに興味を示さずに、引いてもらえたのだからいいじゃない。あなたもあの場に長井できないみたいだったから、席を立たせてあげたのよ?」
真顔で言ってるけど、そこに妬いてる可愛らしさがなければ、ただの鬼だぞ……!
お隣さんとぼくを上手に引き裂いてあげたのよ、って感じなのか?どんなリスクの高い嫌がらせなんだよ、まったく……。
やっぱりいつも強引じゃないか。
まぁ、今回はその強引さがいい方向だったのかは別として、そこまでしてぼくのことを思ってくれているのは改めて嬉しくなる。
「でも、お隣さんにはちゃんと謝らなきゃな。途中で帰って嫌な思いさせちゃっただろうし、引っ越してきたばかりで、まだこれからも隣に住んでることには変わりないんだからさ。少なくとも、ぼくが卒業するまで後一年以上あるし、それまで関わらないわけにはいかないもんな。」
「もちろん、あの後フォローはしたわよ。成実さんも気にしてないと言っていたけれど、でも、そうね。もう一度くらいお食事に行ってみる?」
「いや……それはいいや。また質問攻めにあうし、第一まだぼくのことを男の子だと思ってるんだろ?誤解を解くにも説明がめんどくさいし、茜が彼女だってことは否定してないんだから、色々ややこしいよ。わざわざ食事に誘わなくても、廊下で会った時に謝るくらいじゃダメかな?」
「そんなにお食事が嫌ならいいんじゃない?でも、どちらかが引っ越すまで隠し通すというのは、それも難しいことよ。」
「まぁ……そうだな。あぁ、早く引っ越したい……。」
「引っ越したとしても、あなたのめんどくさがりが直らない限り、今後の人間関係は説明だらけよ?」
「確かに……。世間がみんな茜みたいに理解があるといいのにな。今後とか言われると、人間関係もだけど、進路のこととか憂鬱になってくるよ……。」
大通りが近くなってきたのか、車の行きかう音が大きくなってくる。
足取りが重くなってきたぼくを、彼女が少しだけ引き寄せて囁いた。
「卒業したら、二人で住みましょうか。」
「えっ?」
「……冗談よ。」
「冗談……?」
心臓がドクンと跳ねた。彼女の真剣な表情からは、冗談なんて予想は出来なかったんだ。
思いつめたような、寂しそうなような、泣き出しそうな表情にすら見える。
一緒に住むなんて、今まで考えたことがなかったけれど、いざ言われてみると、ずっと一緒にいられるものなら、ぼくだって一緒にいたい。
だけど、彼女には家があって、家族と同居ではないとはいえ、叔父さんと暮らしているんだ。
ぼくの進路は予想できないが、彼女はおそらく進学するだろうし、そうなると学費と生活費はおろか、家賃だって学生が払える金額じゃないから、独立なんて無理な話だよな。
それは必然的に、二人で暮らせるわけがないという現実なんだ。現実的に言えば、彼女はこのままで、ぼくが何かしら変わらないといけない。
さっき黒崎さんに言われたように、ぼくが二十歳までに自立できる体勢にしておかないと、大人になってからどう暮らしていくかがだいぶ変わってくる。
そうは言われても、これからの自分なんて想像もつかないから、何をどう考えておけば、何を変えればいいのかも分からない。
分からないなんて逃げているけれど、彼女にこんな表情をさせておいて、ぼくは本当に大切なものを守る為に変わろうとしているのだろうか?大切なものを大切にする、そう決めたんじゃなかったのか?
「茜、ぼくは進学はしないけど、卒業するまでに仕事を見つけるよ。茜が大学を卒業したら、一緒に住めるように、自立しておく。」
「頼もしい台詞ね。プロポーズされてるみたい……。」
「信じてないな?ちゃんと考えるよ。これからの自分のことも、茜とのことも。ぼくに何の仕事が出来るか分かんないけど、ちゃんと考えなきゃいけないなって、さっきも言われて思ったんだ。」
「あなたが頑張るというなら、どんなお仕事だとしても、私は応援するわ。例えホストだとしても。」
「ないない、ないからっ。ホストとかモデルとか、人前が苦手なぼくには向いてないからやらないよ。」
「あら、いいじゃない、モデル。口下手なあなたには、ホストより向いてるかもしれないわよ?」
「冗談だってば。さっき、黒崎さんに冗談で言われたんだよ。モデルやらないかって。」
「さっきの……。」
「あぁ、ぼくの後見人さんで、黒崎さんっていうんだ。母さんと離れて住むことになって、施設には入りたくないって役所ともめたんだけど、未成年の間だけ後見人さんが面倒みてくれる制度があって、紹介されたのが黒崎さんなんだ。いい人だし、ずっとお世話になってるんだけど、ちょっと変わった人で……学費とか生活費をぼくの口座に振り込んでくれて、面倒見てくれてるんだけど、何でか分からないけど連絡先を教えてくれないんだ。何かあったら学校かアパートの管理人さんに言ってくれって。ぼくが借りてるアパートに昔住んでて、家賃はそのまま払ってくれてるって聞いたけど、それ以上の詳しいことは何も知らないんだよ。どこに住んでるかとか、何の仕事してるかとか。他人のぼくを養ってくれてるくらいだし、見るからにセレブって感じだから、エリートなんだろうけど……。モデル事務所を紹介するよって言ってくれてたから、モデルとかの業界の仕事なのかもな。そういえば、会う度に帽子とサングラスしてるんだけど、もしかしたら黒崎さん自身がモデルなのかも……。憶
測だけどね。本当に何にも知らないし、教えてくれないから聞こうとはしてないんだよ。」
「……そうだったの。」
「後見人さんの話は、黙ってたつもりはなかったんだよ。さっきたまたま会ったし、これからのことを考えてモデルでもやる?って聞かれたのを思い出して……。それと、二人で住みたいって思ったけど、ぼくは未成年のうちは後見人さんのお世話になってるから、勝手に茜と住むことって出来ないんだと思う……。」
「そう……。」
通り過ぎていく車のヘッドライトに照らされて、彼女の顔が、さっきよりも雲っていったのが分かった。
ぼくだって一緒にいたいし、切ない気持ちになったのは同じだ。でも、じゃあ、今のぼくは、どうしたら彼女を笑顔にさせられるだろうか……。
そういえば、今日は一度も笑顔を見ていない。不機嫌というわけではないけど、ずっと笑顔を見せてくれていない。
どうしたら笑顔になってくれるだろうか……。
「茜のお墨付きなら、やってみようかな?モデル……。」
「……あなたがその気になったのなら、紹介して頂いたらいいわ。」
「あぁ……いや、その気になったわけじゃないけど……。それに、紹介してもらうって言っても、よく考えたら黒崎さんの連絡先知らないから、紹介してもらうもなにも……。」
「連絡先なら、知ってるわ。」
「え?」
「その人は、私をお人形にしている……私の叔父よ。」
「え?叔父?」
と思われた方は、「彼女の部屋」を読み返してみてくださいませ(だいぶ間が空いてしまいましたー汗)




