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ぼくは彼女で彼女が彼女  作者: 芝井流歌
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日陰の再会 3

 久しぶりの人のぬくもりが、皮肉なほど暖かい。

 父さんの記憶がほとんどないぼくが、男の子みたいな恰好や口調でいても、本物の男の子がこんなにも力強い包容力があるなんて、想像も出来なかった。

 関わりたくないのに……どうして誰も放っておいてくれないんだよ。

 いっそ嫌いになってくれればいいのに、どうやったら嫌いになってくれるのか分からない。

 捨てられるのが怖いから、二度と味わいたくないから、自分から遠ざかることしかできないんだ。

 逃げるのは特異なのに、捨てられるのが怖いから逃げるなんて……矛盾してるな。

 だけど、だから、大切なものなんてほしくなかったのに……。



「蒼さん……。泣いてるんですか?」


「……いや。」


「でも、震えてるじゃん……。」


「怒ってるんだよ。君が急に抱きしめたりするから。」



 背中越しの嘘は、ぼくの精一杯の抵抗だった。

 顔さえ見えなければ、大切なものを思い出すこともないんだ。

 そうすればぼくは、どこまでも逃げれるかもしれない。

 この状況からも、自分からも、彼女からも……。



「作り笑いどころか、嘘つくのも下手なんですね。全然怒ってる声じゃないじゃん。」


「……誰とも関わりたくないってのは本音だよ。」


「まぁ……そうみたいですね。俺も人間不信になった時は、誰とも関わりたくないって思ってましたから、ちょっと気持ち分かってるつもりです。」


「分かってるなら放してくれないかな。」


「信じてたからこそ、失った時の傷が治り難いもんなんじゃないかな。蒼さんはきっと、いっぱい傷ついてきたから、大切なものを守るのが怖いんじゃないの?」


「そうだね。でも、君とは違う。分かってるつもりでこんなことしてるなら、今度こそ怒るよ。」


「分かって……ないのかなぁ。俺は大切なものを失って傷ついたからって、もう大切なものを作りたくない、とは思わなかった。逆に、二度と大切なものを失いたくないから、自分を変えて、今度こそ守らなきゃって思った。自分が変わらなきゃ、同じ誤りを繰り返すかもしれないし、自分を信じれなかったら、いつまでも変われない……と思います。」


「君の気持ちも、過去も聞きたくないっ!」



 込み上げてくる怒りに任せて振り払うと、それまで締め付けられていた力も不思議なくらい、簡単に解けた。

 もっと早くこうすることも出来たはずなのに、ぼくはまた人を信じてしまいそうになっていたのかもしれない。

 聞きたくなかった過去の彼の気持ち、思い出させてしまった彼女への過去の気持ち……。

 その腕で、ぼくの知らない彼女を抱いていたのか!



「あっぶないなぁ……。俺が野球やってなかったら、もろにこの拳食らってたかもしんないですよ。」


「……それ以上しゃべったら、二発目は外さない!」


「何発出されても、反射的に受け止めちゃいそうですけど……俺を殴って蒼さんの気が済むなら、黙って殴られますよ。」


「……。」


「やっぱ泣いてるじゃないですか……。怒らせたのは俺ですけど、泣くか怒るか、どっちかにしましょうよ。」



 分かってる。泣いても、怒っても、殴っても、何も変わらないことくらい……。

 本当に殴りたい相手は自分だってことも、こんなの八つ当たりだってことも。

 じゃあ、どうしろっていうんだよ。

 これじゃ嫌いになってもらうどころか、ぼくがもっと自分を嫌いになるだけだ……。

 ぼくが欲しかったのは、そんな整った顔なんかじゃなくて、そんな逞しい体じゃなくて、そんな風に彼女を大切に思える、強い心なんだよ……。

 弱虫なぼくの頬を流れる涙は、悔しいからなのか、情けないからなのか、後から後から溢れては落ちて行き、公園の土を濡らしていく。



「蒼さん、ごめん……じゃなくて、すんません。怒らせちゃったことは謝ります。すんませんでした。蒼さんが抱えてる悩みも知らないくせに、ずけずけ言い過ぎましたよね。でも、泣いたり怒ったり出来るのって大事だと思う。我慢してちゃ腹空かないよ?初めからもっと素直に泣いたり怒ったりしてれば、きっと笑えてたと思う。腹の底から笑えたら、きっと飯もうまいと思えるよ。」


「……。」


「そう思わない?」


「そう……なのかもね。君みたいに素直に言葉に出せれば、ちゃんと笑えるかもしれないし、ご飯もおいしいと思えるかもしれない。君みたいに愛情をたっぷりかけてもらって、育って来れたらできたかもしれないね。」


「俺は……。」


「……ごめん。自分にないからって、嫌味みたいなこと言っちゃったな。ぼくは君のことを何も知らないくせに。」


「いえ……。」



 最低だな。何言ってるんだ、ぼくは……。

 ないものねだりもいいとこだ。

 嫌味以外のなにものでもないのに。

 浅はかな自分が滑稽過ぎて、笑えてくるよ……。



「蒼さん……?何がおかしいんですか?」


「いや……。君は大した人だなって思ってさ。これは嫌味じゃないよ。おかげで分かったことも色々ある。」


「分かったこと?」



 大した人だよ。さすが彼女の弟だ。

 愛されるために必要なもの、たくさん持ってるんだな。

 分かった気がする。二人が愛し合ってた理由が。

 姉と弟が愛し合うなんて理解出来なかったけど、今なら分かる気がするよ。

 真っ直ぐ過ぎて、お互いに血縁とか性別とか、そういうことなんて飛び越えた二人だったんだ。

 たまたま姉と弟に生まれてしまっただけで、お互いに引かれあうものを持っていたんだ。

 ぼくも、たまたま彼女と同じ性に生まれてしまっただけで、彼女に引かれているのは同じことなんだから。

 彼女の愛は、そんな垣根なんてないんだ。

 その腕に抱かれてたとしても、自信を持って一人の女性として接していたんだ。

 ぼくはそのことにみっともない嫉妬をしていたけれど、自分に自信がないからずっと引っかかっていたんだ。

 自分に自信はないけれど、彼女のことが大切で、だからこそ失うのが怖くて、彼女を好きだという自信すら見失っている……それじゃだめだろ。



「取り乱しちゃって申し訳なかったな……。でも、話せて良かったよ。ありがとう。」


「蒼さん、俺ずっと言いたかったことがある……。」


「……何?」


「ちゃんと話せるじゃんって。」


「……。」


「さっきからずっと思ってましたよ。関わりたくないって言ってたけど、ちゃんと話せるんじゃんって。関わりたくないやつに、泣いたり怒ったりすんの?」


「……肉まん取られたのがムカついただけだよ。」


「はぁ?大切なものって、肉まんのことじゃないですよね?」


「ははっ、大切だよ。お肉食べなさいって、ぼくの大切な人に言われてるんだ。」


「えぇー!蒼さんに大切な人いるとかショックすぎる……。」


「まぁね。でも、大切な人を大切にしなきゃだめだって、君が思い出させてくれたんだ。だから、ありがとう。」


「いいなぁ……。蒼さんに大切にしてもらえるなんて……。羨ましすぎる!言われた通り、放っておけばよかったかなぁ……。」


「こらこら、人が感謝してるのに、酷いこと言うなよ。肉まん泥棒くん。」


「に、肉まん泥棒呼ばわりのほうが酷くないですか?」



 悪いけど、こういう意地悪なことは、君のお姉さんの真似だよ?……とは口にしないけどね。

 君がお姉さんを大切に思っていたように、ぼくも君のお姉さんを大切に思っているんだ。

 それがぼくの大切な人で、ぼくの彼女なんだよ。

 ……自信を持って口にしたいけど、やめておくよ。

 彼女が大切にしていた人を、傷付けることはしたくないからね……。



「さっ、そろそろ部活戻らないと怒られちゃうよ?」


「うわっ!もう終わってるかもー!」


「君の自慢の足なら、間に合うかもよ?じゃあね。」


「あぁっ、蒼さん!」


「うん?」


「やっぱ蒼さんの笑った顔、素敵でしたよ!」


「ははっ、イケメンに言われるとは光栄だよ。」



 泣いたからか、怒ったからか、湿っていた心が軽くなったよ。

 久しぶりに笑えたな……。

 調子狂わせるのは、姉譲りかもな。

 遠ざかる足音と、「やっべー!」という声。

 ぼくも行こう。

 ぼくの行くべきところへ……。


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