日陰の再会 2
初めて会った時に、どこかで合ったような気がしたのは、彼女と同じ目をしていたからだ。
似ているだけじゃない、心の奥を覗かれてしまいそうな、吸い込まれるような、透き通った目をしている。
「蒼さん?ずっと考え事してたみたいですけど、何かあったなら聞きますよ。」
「あ……あぁ、いや、別に……。」
「別に、じゃないっしょ。顔に出てますよ?悩んでるの、バレバレです。」
同じ目を持っているからなのか、ぼくが分かりやすすぎるのか、的確に突いてくる。
真っ直ぐに見つめられて、我に返ったぼくがあわてて目を逸らすと、それを追いかけるように覗き込んできた。
こういう仕草も彼女と同じだ。
俯くぼくの腕を、ぐっと引き寄せて彼が言った。
「そんな顔見たら、放っとけるわけないじゃん。鈍感な俺でも分かりますよ。辛いんだなって……。」
「辛い……?ぼくが?」
「そうですよ。俺、そういう顔嫌いなんで……。なんつーか、人の悲しそうなとこ見たくないっていうか、笑顔になってくれとは言えないし、笑顔にするようなことも出来ないけど、でも、蒼さんはきっと笑顔が素敵だと思う!……思います。」
「……。」
「あ……す、すんません!ついタメ語になっちゃって……。」
「……。」
「お、怒っちゃいました?すんません!力になろうと思ったのに、怒らせちゃいましたよね……。あー、俺いつも先輩にタメ語注意されるんですよね……。」
「いや……。怒ってないよ。でも、ごめん。誰とも話したくないから……。」
「誰とも話したくなくても、腹割って話せる人がいるのといないのじゃ、人生絶対変わりますって。俺、全部受け止めますよ!力になれるか分かんないけど、蒼さんの笑った顔……見てみたい。」
デジャブ、というやつか、まるで回想シーンを再現しているみたいにあの時と同じような台詞だ。
姉弟って、こんなにも似るものなのだろうか、それともぼくが言わせているのだろうか。
「笑えないし、話したくもない。」
「今は話さなくてもいいから、とりあえずそれ、食ってくださいよ。冷めますよ?」
「大丈夫だよ。冷めてるの慣れてるし。」
「温かいもん食えば、気持ちも暖かくなるもんですって。ちゃんと食わないから、こんなに腕細いんですよ。」
そう言われて、掴まれていた腕をぼくが見ると、「すんません」とあわてて放した。
半分もかじっていない肉まんは、風に晒されて、すでに温かくなんかない。
彼は握りしめていたそれをぼくから奪うと、座り直してさわやかスマイルを見せてきた。
「食ったの見届けたら、帰りますよ。早く帰んないと怒られちゃうし。」
「……。」
「あっ、今日は練習抜け出して来たわけじゃないですからね!この前の試合で、蒼さんとこの学校の忘れ物があったんで、それを届けるよう頼まれたんです。頼まれたっていうか……志願したんですけどね、ははは。」
「試合……。」
「来てくんなかったですね……。めっちゃ探したけど、やっぱ来ないよなって開き直って投げてたんですけど……。でも、中盤で撃たれちゃったから、来てくれても結局かっこいいとこ見せられなかったかも。」
苦笑いを浮かべている彼に、何て言葉を掛けたらいいのか分からずに目を逸らすと、「はい!」と肉まんを差し出してきた。
黙って受け取ると、気を使ってくれているのか、すすっとベンチの隅にずれた。
しぶしぶとぼくも腰掛け、食べる気分にならなくなったそれを見つめる。
でも、これを食べたら帰ると言ってるし……。気は進まないけど少しずつかじった。
嫌々食べても、味なんかしないもんなんだな……。
「もっとうまそうに食いましょうよ!かわいそうじゃん、肉まん。」
「……あぁ、うん。」
「食ったりしゃべったり、口を動かせば腹も減るもんですよ。腹が減れば飯もうまいし、食えば元気が出る!俺の持論ですけど、そう思いません?」
「……そうだね。でも、ぼくは元々食べることが好きじゃないし、しゃべることも苦手だから……。」
「食べることが好きじゃないなんて人、初めて聞いたなぁ。そっか……じゃあ、俺が手伝ってあげます!」
そう言うと、彼はぼくの返事も待たずに、それを奪ってかじり出した。
まぁ、見事においしそうに食べてるんだけど……せめてちぎってくれないかな。
それにやっと気付いたのか、もはや残り一口というところでぼくと目が合った。
「……あげるよ。」
「す、すんません……!コンビニのもんってあんま食ったことないし、蒼さんがまずそうに食ってたけど、うまいじゃんって思ってたら、つい……。」
その焦りように、思わず緊張が解けた。
食べなければならないという使命感から解放されたのと、これで帰れるという安心感もあったのかな。
ついでに、とサンドイッチを差し出すと、これまたエサを前にした犬のように、一瞬嬉しそうな目をしたが、すぐにぷるぷると首を振ってぼくを睨んだ。
「ちゃんと食わないとだめですよ!元気になれませんよ!」
「……君が食べたんだけどね。」
「う……だ、だから謝ったじゃないですかー!せめてこっちは食ってください!」
「いいよ。ぼくが食べるより、君に食べてもらったほうがこれも喜ぶと思う。」
「……。」
彼は差し出したサンドイッチをしばらく見つめていたが、不思議そうな顔をしながらこちらを向いた。
コンビニの物をあまり食べたことがないと言っていたが、物珍しかったのだろうか。それとも開け方が分からないとかだろうか……。
「蒼さんって……。」
「……何?」
「めっちゃかっけーこと言うんですね……。」
「かっけー……?」
「君に食べてもらったほうが喜ぶよなんて、普通の男じゃ言えませんよ!女にしとくのもったいないくらいかっけーなって思って……。」
普通……。ぼくは普通でも、男でも女でもないんだな……。
どっちにもなれないし、どっちのいいとこを持っているわけでもない。
いつの間にか冷たくなってきた風が、整った顔を持つ彼の前髪をさらさらと揺らす。
ぼくの欲しいものを、ぼくにないものを、全部持っているくせに、そんな純粋そうな目で見られると、自分がむなしくなるよ。
「冷えてきたし、ぼくは温かい物でも買って帰るよ。君も早く食べて、早く部活戻ったほうがいいんじゃない?」
「それは……そうなんですけど……。蒼さん、何でそんな寂しそうな顔するんですか……。俺、何か気に障るようなこと言いました?」
「いや、さっきも言ったけど、笑ったりとか出来ないから。」
「そんなことないですよ。俺が肉まん食っちゃった時の蒼さん、苦笑いだけど笑ってたもん。辛いこと吐き出せば、絶対笑えるっしょ!」
そんな風に笑顔で話せたら、ぼくも楽なんだろうな。
眩しすぎて、もうこれ以上ここに居たくない。
立ち上がってサンドイッチを渡すぼくの手を、大きな手が包んだ。
黙ったまま振りほどこうとすると、彼も立ち上がってぼくを見下ろす。
「放してくれないかな。こんなことされても、ぼくは普通の女の子みたいに嬉しくなんかならない。」
「俺は別に、喜んでもらおうとしてるんじゃないです。ただ、蒼さんの辛そうな顔とか、寂しそうな顔とかを、全部受け止めて笑ってもらいたい。素敵な人には笑顔が似合うと思う……ってのは理由になりません?」
ぼくの……全部って何だよ。ぼくには何もない。
受け止めてもらえるものなんて、何にもない。
そう、こうして素直な言葉すら思いつかないバカだから。
「申し訳ないけど、ぼくは君が思っているような素敵な人なんかじゃないし、愛想笑いだって下手くそだから、もう関わらないでほしい。……でも、気持ちだけは嬉しかったよ。ありがとう。じゃあ……。」
「ちょちょっ!待ってくださいよ!別にそれでいいじゃないですか!愛想笑いなんか下手くそでいいじゃないですか。笑える時に笑えばいいじゃないですか。俺だって愛想笑いとか苦手だし、そんな作り笑顔が見たいんじゃないですよ!」
「でもさ、作り笑顔が必要な時だってあるんだよ……。こういう時、作り笑顔が出来たら君に心配かけずに帰れる。だけどぼくにはそんな器用なことが出来ないから、もう関わってほしくない。誰とも関わりたくないんだよ。ごめんね。」
目を合わせたらまた吸い込まれてしまいそうで、振り返らずに背中を向けると、掴まれていた腕が緩んだ。
傷付けてしまったけど、これでいいんだ。初めから出会ってはいけない人だったんだから。
公園の木々がざわついている。ぼくの気持ちみたいに。
背中を吹き抜けて行く風に、生暖かさを感じたけれど、風の通り道が塞がったかと思うと、大きな腕がぼくを包んだ。
「ちょっ……。」
「すんません。俺も器用じゃないんで、素直に見送れない……です。バカですんません……。」
「……そうだね。ぼくもバカだから、何て言ったら別れられるのか分からない。」
抱きしめられる背中が熱い……。
本当の男の子って、こんな感触なのか。
柔らかくて折れそうな彼女とは全然違うんだ。
目も言葉も、似ているけれど、全く違うんだ。
「何で無理に離れようとするんですか。口で言えないからって逃げてたら、大切なもの何一つ掴めませんよ!」
「大切なもの……。」
「あるでしょ?大切なもの。」
……そんなもの、あるから辛くなるだけなんだよ。
初めからなかったほうが辛くもないし、逃げなくてもいい。
だからぼくはもう誰とも関わりたくない。




